第14話 帰還
キースが魔女の森で遭難して二カ月ほど経過したある日の午後。
見上げれば凍雲が高く、薄水色の空を覆っている。雲間に見える二つの太陽。陽光は弱々しい。冬の乾いた風は刺すように寒く、人里近くでは土埃が舞い、野外で働く人々の肌に見えない傷を残し、潤いを奪う。
冬の辺境伯領は降雨日が少ない。小麦などの栽培には向いているが、魔女の森の影響が強い所為で、小麦畑を維持することが難しく、開拓地で消費する程度の作付けに留まっている。それでも冒険者組合の周辺では小麦畑が目に付く。
小麦は草姿まで
小麦畑の先、魔女の森の辺縁まで放牧と採草の兼用地が広がっている。防虫と植生維持の為に野焼きされた直後なのか、播種のための耕起はなく、消炭色の地表が剥き出しになっている。寒風が吹き抜ければ土埃が巻き上がり易い。
毎年のことではあるが、ここ一〇日間程はどうにも日和が悪い。魔女の森から街道に沿って、開拓地の集落に至るまでの数時間、道行く旅人は土埃にまみれる。過ごし易いとは言い難く、農作業に携わる以外、開拓地の人々は出歩くことは少ない。冒険者たちも例に漏れず、
冒険者組合の扉が静かに開かれた。そこには丈の長い灰色の
カネヒラが胡散臭いものを見るように
「何なんだよ、ありゃ……」
カネヒラはそう呟くと右手で頭を掻く。ため息を漏らしてから、横にいた給仕に辛口のミードを頼んだ。
「あッ、そうそう。ジェフリーさんに使いを出してくれるかな——たまには酒飲みに来いって」
多めの
「ま、盛り上がるのも勝手さ」
カネヒラは乾いた笑いを浮かべ、年若い冒険者たちがただならぬ雰囲気の美人冒険者の登場に盛り上がる様子を眺めた。
歩くたびに丈の長い外套の隙間からちらりちらりと、女性特有の芳しい箇所が見え隠れする。荒くれ冒険者たちの欲望を掻き立てる。薄皮の
特殊な防具で鼠蹊部が強調されがちだが、高位の女性冒険者の中でも腕に覚えのある戦士系あるいは軽戦士系が好んで身に着けるような類であり、男どもの情欲を掻き立てる造りになっているが、さほど珍しい形状ではない。しかし、その素材が
スタイルの良さは外套の上からでもわかる程、随分ご立派なものをお持ちであったことで、酒場で昼間から飲んだくれている
「妖精種か?」「魔族?」「混血か?」「いや猫人族かもしれないぞ」「西方の大陸の装備だ」「
「森で聖人の遺物を見つけた。聖ジョージ・ロングヒルのものだろう。確認してくれるか?」
ゴトンと音を立てて、受付台に聖錫が置かれた。
「!」
受付にいた
「少々お待ちください」
そう言うと、
「こちらへどうぞ」と2階の応接室に案内をする。
彼女が応接室へと姿を消して、直ぐに、若い冒険者がカネヒラに声をかけてきた。
「おっさん。どうよ?」と若い冒険者。
「何が?」とカネヒラ。
「今の
若い冒険者は、応接室の方向に顎をしゃくり、言葉を続ける。
「なかなかそそるぜ。それにあの雰囲気がたまらない。……誘ってみるかな」
売り出し中の若い冒険者。この辺境の開拓地でやっていけるだけの技量に加えて見栄えも良い。王都周辺の拠点で活動していれば、今頃は一流の吟遊詩人に手柄を謳われていたかもしれない。訳あって彼と彼の一党は辺境の開拓地に身を寄せていた。好きなように生き、思うままに冒険に出て、神代の遺物を手に入れた。そして欲深い王都の貴族連中に目をつけられるまでがお約束。
冒険者組合の本部と揉めて都落ちしたと雖も、有り余る生命力に支えられ、将来の不安など一切感じることなく、根拠のない自信に溢れている。カネヒラはその様子が眩しく感じたのか目を細める。
「好きにしたらいい。応援してるぜ」
カネヒラがニヤリと笑う。
若い冒険者は握り拳をグッと振って、気合を入れて、仲間が待っている円卓にどかどか足音を立てて戻った。この冒険者組合の顔役のようなカネヒラに一言断りを入れたつもりなのだろう。無手法に見えて手抜かりが無い。
カネヒラは若者の後ろ姿を悪い笑顔で見送ると、つまみの羊肉の香草焼きを一口。酒盃を空にして、次の杯に口をつける。そうしている内に遠くの席にいたドナルドが傍に来た。
カネヒラは、「喰うかい?」といった感じで、つまみの羊肉の香草焼きが乗った皿をドナルドにズイと差し出す。ドナルドはそれを見て、一切れつまみながら言った。
「止めてやれよ」
「若気の至りってやつだな」
二人は互いに見遣って薄笑いを浮かべた。ドナルドが程よく火が通った羊肉をポイと口に放りこんで、「おい、これ旨いな……」と呟くと、「だろ?」とカネヒラが応えた。
カネヒラがドナルドに差し出したつまみは、ヒルツムのような料理で、石窯でじっくりと焼いたモノだ。串切りの玉葱の上に羊肉を乗せ、みじん切りにした
この料理は、時々、
新しく品書きに追加された料理を一瞬で気に入ったのか、ドナルドは給仕に
「それにしても驚いたぜ」とドナルド。
「まあ、無事に戻って来られたのなら、それでいいさ。
ドナルドはカネヒラの言い回しにニヤリと笑った。キースが聖ロングヒルの遺物を携えて帰還したことに、カネヒラとドナルドは乾杯を贈った。
見てくれは多少変わったようだが、
埃っぽいという理由で、アデレイドがキースから装備を後先考えずに剥ぎ取った。途中、モモに止められたのだが、構わず装備を外してしまった。
キースが装備していた灰色の頭巾付きの外套——
体に薄皮のように張り付いている黒い
あらためてキースの姿をよく見れば、形の良い大ぶりの双丘、その先には花の蕾のような張りが浮き上がっている。腰回りは細いがよく鍛錬されて割れた腹筋の形が薄皮の上からも判る。さらに鼠蹊部のあたりは程よく盛り上がっている。確かに目のやり場に困るかもしれない。アデレイドはそう思い直したのか、モモに白い毛織の
久しぶりに見たキースの印象は、華奢で嫋やか、少し丸みを帯びたという程度であったが、胸だけが大幅に増量していた。彼の生まれつきの女性顔は変わらないが、やはり輪郭を含め顔全体が少し丸みを帯び、より優しさが増したようだ。
「上背は少し伸びたか?」
そう尋ねながらキースの対面に座っていたアデレイドは踊るように立ち上がると彼の座っている長椅子に座り直す。
「変わらない。多分、
何とも言い難い居心地の悪さを感じているようだ。
「そうかそうか」
アデレイドは実に嬉しそうに笑顔を浮かべる。若干、助平親父臭が漂う。
「それにしても立派だな」
キースの双丘を見つめる視線に力がこもる。アデレイドは、彼の立派なモノを揉むつもりで、自分の体を寄せたのだが、丁度、部屋に入ってきたモモに止められた。
「
モモは毛織物製の白い
「ありがとう」と言いながらキースは笑顔でそれを受け取ると、さっと羽織った。少し丈が長く、膝上まで覆われた。暖かそうな見た目である。
先程まで泣いていたのでモモの目は赤い。感極まって泣いていた。彼女がキースの帰還を一番喜んでいる。
泣くほどのことでもないだろうと
今は落ち着きを取り戻し、普段のできる受付嬢兼組合長秘書に戻っている。
「減るもんじゃないし」とアデレイド。
「ご自身のモノでも——」とモモ。
「いや、私の場合、
そう食い気味に応えるアデレイド。
キースのインナーを持ち上げている見事な双丘をねっとりと見回していたが、暫くして揉むのを諦めたようだ。色々と考えさせられる発言と行動ではあるが、日頃から立派なモノはしっかりと揉むべき、と嘯いている
「ああ、なんか腹たってきた」と口にしながら、暫くの間、彼の横顔を見つめていたが、不意に日頃の無表情を取り戻す。
「で、
キースは視線を左上に軽くずらして、暫しの間を取る。
「大魔女様は、人の基準で言えば、お元気そうでしたけど……」
「ん?」
「あと
「そうか」と応えてアデレイドは考え込んだ後、「しばらくは何事も変わらず、というところだな」と独言して頷いた。
「で、どうなった?」
「依頼ですか?」
「いや。
「多分、
「多分とか、お前さんらしくないじゃないか」
「戦闘中に一番大柄の司教様が放った衝撃波が大き過ぎて、足元が崩れたから、落下しないよう策付きの銛を撃ち出したけど、木には当たらず、その……裏切り者と呼ばれた司祭様に命中させてしまった」
キースは誤爆が恥ずかしくなったのか下を向いた。耳が少し赤い。
「二人仲良く森底に落下したのか?」
「あの司祭様は、途中、太い枝に引っかかった」
「なるほど」
「喉を引き抜いてしまったから、治癒の祝詞も唱えられない……」
深緑の大司教の友人たちという事で、警戒心が薄れていたのは事実である。しかし、キースは、裏切ったとされる司教が襲ってきたとは思えなかった。事件を何度も思い返してみたが、どうしても事故であったという気がしてならない。道中、口喧嘩が絶えなかった。改革派の司教とはその様な者たちであって、顔を合わせれば嫌味や非難の応酬というのが常態なのだろう。彼らの会話の内容など気にも留めていなかった。致命的な事件が起きた瞬間ですら、自他含め何者かの敵意を感知することはなかった。
——油断していたから不鮮明なことが多い。
キースは顔を上げると思案顔のアデレイドと目が合う。
「他の司祭は?」
「大魔女様の使い魔が四名の遺体を回収。水晶の棺に納められていたのを確認」
一呼吸おいてキースが続けた。
「大魔女様は、甦らせようか?と尋ねてくださいましたが——」
「殉教者の名誉を穢す」とアデレイドが被せてきた。
「はい。神々の御許に召されたものを再び呼び戻してはならない、そう教わりました」とキースは少し寂しそうな笑顔を浮かべる。
彼は、無貌の修道女が優しく語った教えを思い出していた。彼女はいつも微笑んでいた。そう記憶している。彼女の貌は一切思い出せないというのに。
死霊術に精通し、自身の技として習得していても、キースは節度は保っていた。ヒルデガルドが、悲しむかも知れないと、余計な気をまわして、殉教者たちを蘇生していたら随分話が拗れたであろう。
「それにしても
アデレイドは、そう呟きながら、裏切り者の司祭の遺体も弔ってやれば良いものを——などと詮無い事を思い浮かべる。だが、一瞬の間——ああ、やりかねない。否、あやつらならやる、と外道な行為を脳裏に浮かべて、己れの当て推量を肯定した。
「裏切り者の死体は確認していないな?」
先程迄とは打って変わり、無慈悲な魔女の二つ名に相応しい気配を漂わせる。
「残りの方は、見てない。遺体があるとすれば魔女の森の浅い層。今ごろは魔物の腹に収まっているかも……」
「そいつは生きてるかもしれない。顔と声、それに雰囲気も覚えているな。今後はそいつに注意するんだ」
「まさか——」
「お前さんが、そんなことで驚いてはダメだ」
「——死霊術は流石に無い。正教会の司祭様だよ?」
表向きは不浄な技として禁止し、裏では、自分達が死霊術の秘術を独占して、現世利益を得る。実に単純でわかりやすい。
「知っているだろ。
——また三十一人衆だ。嫌な響きだ。でも奴らの気配は無かった。
「未だ上の連中とはやり合った事はないだろ?」
キースは、はっとして、頷きをかえした。
——そう言う事か、でもそれなら逆も有り得る。
正教会の権力闘争は奇々怪々。誰が味方かわからなくなる。四人の司教の方が、
「モモ。調査員全員投入して裏切り者を調べろ。奴は生きているという前提だ」
先程から静かに側に控えて、嬉しそうにキースを眺め、その美しさを堪能していた猫人族は、締まりのある表情に切り替わり、有能な秘書の顔を携え一礼。
「承りました」
そう言い残すと、彼女の姿は二人の前から掻き消える。
「そうそう。ヒルデが
「そうなの?」
「そりゃそうさ。ヒルデを出世させたのはお前さんの手柄だ。後日、顔を出してやれ」
「わかりました」
「ついでに聖錫を持参すると良い。きっと喜ぶ」
アデレイドは、三十一人衆を釣るための露骨な餌として、帰ってきたばかりのキースを使うつもりでいる。今回は、魔女の娘の一人、末妹の
「遺骸の方は、引き上げに時間がかかりそうだが——」
「場所が場所だけに大掛かりになるかも……」
「まあ、
「ではそのように」とキース。
彼は自分で司祭たちの回収を進めたいようではあるが、アデレイドにその気はない。彼女は立ち上がるキースを呼び止める。
「湯浴みが終わったら、自室に戻る前にちょっと顔を出せ」
「はい?」
「新しい化粧道具を渡そうじゃないか。明日から化粧の仕方を教えてやる。母上からは習わなかったろ?」
「え?いや、あの、それはそうですけど……」
「暫くの間、現場には出さないからな。回収の指揮はカネヒラにさせる」
アデレイドは意味ありげな笑顔を浮かべた。毎度のことであるが、何かあればとりあえず便利使いされるカネヒラであった。
「でも——」
キースは、自分の外見が大層変わったことに悩んでいる。心のなかで折り合いがついていない。カネヒラやジェフリーたちと一緒に仕事を始めることで、自分の日常と居場所を取り戻したいのだ。あの二人ならどんなことがあっても受け入れてくれる筈という確信があった。他の気の良い冒険者仲間も苦笑いをしながらも迎え入れてくれるだろう。
「拒否権はない。仕事は忘れろ。まずは土埃が収まるまでの一〇日間、みっちり仕込んでやる」
アデレイドの冒険者組合に所属する女性冒険者たちは、幼い頃から手塩にかけて育て上げた孤児たちであり、アデレイドにとっては実の娘のような存在だ。女性冒険者たちの生活力や女としての身だしなみなど、彼女が一から教え込んだものだ。冒険者の必須技能については、冒険者組合の職員たちに任せたのだが、錬金や魔法の類は、彼女の領分ということもあって、自ら手解きした。今のキースは他の娘たちと同じ扱いになっている。因って、キースの
「えぇ……」
キースは益々困惑した。彼は伊達男であることにしがみ付いていたいのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます