魔女の娘と神代の遺物

第11話 魔導具

 あるとき、中央王国の王都の徴税官が、王都近郊の東の村を訪問するために春風の中、ゆっくりと馬を進めていた。雲雀の声が耳に心地よい。村での滞在予定は三日。初日に形式的な監査業務を半日ほどで終えれば、残り丸二日間、のんびり過ごすことができる。陽気で気立の良い村の女たちと、たわいの無い会話を楽しめば、王都でのギスギスした過酷な日々を忘れることもできる。彼はこの東の村を大層気に入っていた。

 小さな丘に大きな楓の木。黄色く冴える一面の菜の花。毎年のことで見慣れた風景ではあるが心が和む。この丘を越えれば東の村が見える。さして珍しくもないが、東の村は菜種油が特産品として評判になっている。

 そろそろ昼時、定宿の旨い食事を思い出しながら見るともなく前方を眺めていると、目前に広がる風景の色が突然変わった。彼は目を疑う。丘から眺める一面の菜の花畑が全て枯れていた。視線を菜の花畑から馴染みの村へと移せば、家々は灰色で塗りつぶされた様に廃墟に変じていた。馬が何かを恐れて嘶く。彼は嫌でも理解せざるを得なかった。村は魔物に襲われたのだと。

 馬を宥めながら村の入り口に近づくと、何人かの村人が呆けたように地面に座り込んでいた。もし彼の到着が数刻早ければ、村人と共に魔物に襲われていただろうことは想像に難くなかった。

 徴税官は辛うじて生き残った村人達に何があったのか訊ねたのだが、村人たちは正気と生気を失い何も語らない。自分達の世話もままならない。まるで生きる屍のようだ。徴税官は呆然とするばかりであった。



 先の村が壊滅した日の前後で、いくつかの商隊が、得体の知れない黒い魔物を目撃していた。


 目撃者たちの話だ。


 『それは、天空を貫く山脈よりも大きな山鯨のようであり、大河を飲み込む大蛇のようであり、大森林を包み隠す大蜘蛛のようであり、千尋の谷を埋める大蜈蚣のようであった』


 彼らは口を揃えて『黒い厄災』と呼んだ。

 

 『黒い厄災は、夜の帷と共に降り来たり、雲が垂れ込めるように村や砦を緩やかに包み込み、朝靄と廃墟を残して去り行く』


 不調法な吟遊詩人が謳い語る。


『日々の暮らしは崩れ落ち、財貨は土塊に変じる。黒い厄災は全てを貪り尽くす。渦をまきながら揺らぎながら獲物を求め渡り征く』


 琵琶リュートを爪弾く。


『先見の術も効験なく、託宣の示現も枯れて、備えるに備えなく、賢者もただ憂うばかり』


 無駄に熱がこもった語り口が不安を煽る。


 黒い厄災は今も何処かに潜み、我々を凝視してると人々は慄く。さて、ここまでくると滑稽に過ぎるというものだ。酒場の法螺話と大差ない。そんな噂話には尾鰭が付く——その得体のしれない魔物を捕らえた者は女神の祝福を得て、巨万の富が齎される——と、いつの間にか儲け話にねじ曲がり、面白可笑しく広がり続ける。

 そんな噂話が中央王国全土に広がるような状況下、中央王国の王都の為政者たちは、依然として、黒い厄災の実態を把握するには至っておらず、彼らは具体的な策を打ち出すことはなかった。

 魔物の種類が特定できないという異常事態ではあるが、王国の根幹を揺るがすほどではない。実際、魔物の襲撃で砦や村が破壊されることは、さして珍しいものではない。王都周辺では半年に一度、辺境であれば、四ヶ月に一度は、規模の大小の違いはあれど、魔物の集団に襲われている。繰り返しになるがこの世界では、魔物による砦や村の襲撃など日常的な風景に過ぎなかった。その所為で、王都の為政者たちは鷹揚に構えて行動が鈍く、事後処理も予防措置も後手に回る結果となった。


 黒い厄災に頻繁に襲われた東の大公爵ヴァルモンド・オルソカールは、中央王国の冒険者組合に調査を依頼。また東の大公爵自身は、黒い厄災を討伐するため、陣頭にたって戦支度を進めた。しかし、如何せん相手の実体が掴めないこともあり、出現場所や時刻にも法則性が見出せないゆえに、軍事的な対応は後手に回った。各地に兵団を派遣するも、を捕らえることは叶わず、荒れ果てた村が残されるのみで、思惑通りにならない。

 軍隊というのは、鉄の拳に泥の足と云われるように、往々にして即応性に欠ける。得体の知れない魔物を討伐するのには向いていない。無駄に金もかかる。しかし人心の掌握や領地の保全という観点では、派兵の効果は高く、公爵領の秩序は維持されている。全くの無駄ということではない。


 どんな魔物であれ縄張りがあり、ある程度予測可能な習性に従って徘徊するものだ。故に普通の魔物相手であれば、罠をはることも寝込みを襲うことも容易であろう。しかし、噂の魔物は掴みどころが無い。姿がまるでわからない。黒くて大きいという以外の特徴が定まらない。ただ徐々に領外へと向かって移動してると推し測ることができた。東の大公爵領も領民たちも黒い厄災が過ぎ去ることを、じっと耐えて状況を見守るしか手立てはなかった。



「なんと東部沿岸部の偉大なる五ツ星が墜ちたのです!」


 ハリのある中間音域の男声バリトンボイスが響く。行商人のラッセルの語り口は陽気だ。恰幅が良く、血色も良い、肌は艶やかであり、栗色の髪を短く切りそろえ、清潔感がある。大きな瑠璃色の目は優しく、人好きのする顔の所為か柔らかな雰囲気が滲む。

 暗めの臙脂色を基調とする丈の長い上着は、落ち着きのある光沢を備えており、上質な織布を使い、丁寧な縫製で仕立てられている。前裾や袖口の釦は黒翡翠と珍しく、腕の良い宝飾職人に伝手があることを然りげ無く示している。鹿革の馬袴は、一般的な行商人がよく身につけている形状で珍しいものではないが、中央王国では滅多に見られない染め方で色付けされていて、腰板から裾に向かい山鳩色から鈍色へと濃くなる。踝の上までを覆う編み上げ式の牛革靴は、黒く磨かれ鈍い光沢を帯び、汚れひとつ無い。行商人というよりは王都の大店の店主という佇まいで、南部の辺境開拓地にわざわざ行商に訪れるような人物には見えない。

 そんな風体で却って目立つのが彼の腰帯である。腰帯は使い込まれているが、銀糸で複雑な文様が刺繍されていた。解れなどはなく、手入れが行き届いているが、古臭い意匠である。この腰帯は、彼が商人として一人立ちした時、親方から贈られた品であり、商人としての心得と共に大切にしていた。 

 この思い出の品と同様、彼が大切にしているのが、この辺境開拓地の冒険者組合との取引である。駆け出しの頃、彼だけがこの冒険者組合から珍しい素材を独占的に仕入れることができたことが、商人としての成功の始まりであった。


「大陸の東。オルタムミア公の港町オスタァーフェン。かの有名な冒険者組合の古強者たちが束になっても敵わなかったのです!」


 ラッセルの言葉に熱が籠る。


 残念なことにこの辺境の冒険者組合の酒場にいる冒険者たちろくでなしどもには伝わらない。彼らはラッセルの熱演を冷めた目で見ていた。


「べてらん、たば、かなわない……」とキースがフワフワとした表情で辿々しく呟く。


 カネヒラがキースの呟きを拾って、怪訝な表情を浮かべながらラッセルに話かけた。


「頭悪そうだな、その噂を流した奴」


「まあ、そう言わずに聞いてください。痺れをきらした国王様からも高額の報奨金が下賜されると噂です。冒険者組合本部から討伐依頼が王国全土に発せられる段取りになっているそうです。東部では謎の魔物の噂で持ちきりですよ」


 行商人のラッセルが不自然な笑顔を浮かべる。彼の馴染み客であるカネヒラとキースが相手を務めている。


古強者ベテランとは?」とジェフリーが義理堅く尋ねる。ジェフリーもまたラッセルの古馴染である。


「東大陸との交易窓口。荒くれ者が集うギルドで十五年間前線を張っている奴らが全く歯が立たなかったのです!」と行商人のラッセルが明るい声とは裏腹に深刻そうな表情を浮かべる。


「戦う前から草臥れてると思うが?」とカネヒラが口角を釣り上げる。


 相手が悪かったのではなく冒険者側が役立たずだと言いたいようだ。それほど厄介な相手でもないだろうと暗に指摘した。


「ふぁぁ……このネタはもういいかな……」とキースが可愛らしいあくびを漏らす。


 そんな仕草を生暖かく見守りながら、カネヒラは『冒険者』なる者たちについて思いを馳せた。

 冒険者は、首尾よく初年を乗りきることができれば、十年は続けられる。程度の差こそあれ、七年目から九年目が最盛期といわれている。十五年ともなれば経験だけが豊富で体の方がついてこないというのが実情であろう。

 年齢による衰えや長年の無理が祟って故障箇所も多くなってくる。それなりに財産も手に入れているなら、ベテランというのは安定を求め、決して無理することはない。冒険者の経験に見合うクエストは、難易度が高く、命の危険も伴うことから成功率は低い。従って難易度の高いクエストを受けることはない。ベテランの冒険者は冒険しないものだ。

 指名依頼といえども得体の知れない魔物相手ならば、適度に流して魔物の情報を齎し、依頼主には勇者でなければ敵いませんと報告して、情報に見合う報酬をせしめる程度の悪知恵は働かせるものだ。しかも冒険者生活が十五年となれば、運の良さや勘の良さが備わっていて、その程度のことは造作もなくやってのける。恐らく歯が立たなかったのではなく、歯を立てなかったのだろう。

 尤もカネヒラ自身もそうであるように、ベテランの冒険者というのは、大抵は草臥れていて、悪知恵は働くが体の方はついてこない。若い頃に比べて戦闘力は一段も二段も落ちている。討伐クエストなどではあまり役に立たないという現実があり、本気で魔物の集団に挑んだところで返り討ちに遭うのが関の山だ。それは珍しい事ではない。彼は皮肉めいた口調でラッセルに質問した。


「それで討伐隊の構成は?」


「重戦士三人、狂戦士二人、戦士三人、斥候二人、聖騎士五人、合して一五人!」と行商人のラッセルがオチを語る。


 そして満足げな顔で酒場にいた冒険者たち一同を見回した。


「馬鹿なのかな?」とキースが首を傾げる。


 ラッセルを論った訳ではない。得体の知れない魔物討伐で術者が一人もいないという点を指摘したに過ぎない。


「たまたま支部に居合わせた冒険者たちで撃って出たのだと思います」とラッセルは語尾で乾いた笑いを溢す。


 カネヒラは右眉の端を釣り上げ、納得のいった表情を浮かべると、キースに体を向けて諭すような口調で語る。未だ太陽が高い昼下がり、このギルド内の酒場に冒険者たちろくでなしどもが集っている。其奴らの名前を順番に挙げ始めた。


「俺は斥候、キースは軽戦士、ジェフリーさんは重戦士、ラッセルは商人詐欺師。ここまではいいな?」


 ラッセルは其の呼称はないだろう、という表情をカネヒラに向け、右手を振って否定する。


「ん——。ああ、その類ね」とキース。


 ニンマリと笑顔を浮かべると、カネヒラに替わって、冒険者たちろくでなしどもの名前と職種を挙げ続けた。


「重戦士のドナルド、弓兵のジェームス、ダニエルは——なんだっけ?」


「お前と同じだ」とダニエルがやれやれといった表情を浮かべる。


「斥候?」唸るように、半眼でダニエルをじっと見つめながら、尋ねる。


 ダニエルは全く軽戦士らしく、黒の革鎧に膝丈の頑丈な長靴、それに肘と膝に真銀ミスリルの防具を装備している。獲物は短めの直剣、そして小さめの真銀の丸盾を背負っている。背が高く。痩身。頭髪は青鈍色おあにび。耳が隠れる程度の長さで、顔の左側が若干隠れ気味だ。毛先が軽く波打っている。野生的で鋭い暗い灰白色ダークグレーの瞳。しっかりとした男らしい顔立ち。髭は綺麗に剃られていて、艶のある肌は、やや赤みが強い。


「いや、それはカネヒラだろ。俺は軽戦士だ」


 ダニエルはキースから視線を外すと、何とかしろと言いたげな表情をカネヒラに向ける。だがカネヒラは苦味を含んだ笑顔を浮かべて軽く頭を振るだけだ。

 

「ジョージも軽戦士、マイケルは——戦士で、バートも戦士、チェスターは万能!」キースはご機嫌だ。


 ジョージはキースの様子に心が和んだのか、大きな目をやさしげに細めている。四角い輪郭に口髭。短く刈り揃えた赤茶の毛髪はみっしりと生え、頭頂部に近いほど長く、逆立っている。猪首にガッシリとした体躯。軽戦士というには、少々、太めではあるが、素早さにかけては、辺境の冒険者組合で一二を争う。彼は、山越の道案内の仕事を控えているのか、軽戦士の装備というよりは旅装束に近い身形だ。無論、彼の愛してやまない二本の曲剣は、しっかりと腰に佩いている。

 マイケルとバートは肩を竦めて互いに見合った。マイケルは、日頃の重厚な甲冑ではなく、ジョージと同じような旅装束だ。手足に鈍く光る黒い金属製の防護甲を身につけている。傍に置いた大きめの背嚢を見れば、防水布や敷布、提燈、簡易調理器具、手斧や山刀、鉤爪と索綱などが要領よく纏められていた。彼は、中肉中背で冒険者としては平均的な体躯をしている。栗毛色の長髪を後ろで一本に束ねてあり、その長さは背中の四半分に掛かる長さだ。瞳の色は澄んだ露草色だが、眼光はどこか猛禽類のような印象を窺わせる。髭は手入れが面倒ということで蓄えていない。戦闘となれば、肉厚のバスターソードを豪快に振り回す、名うての冒険者である。

 バートは、マイケルと雰囲気が似ていて兄弟と言われても違和感がないが、先祖が同じという訳ではない。彼もまた栗毛で多少癖のある長髪を後ろで一本に纏めている。目の色はマイケルと同じように見えるが、実は綺麗な薄花色である。短い顎髭が特徴で手入れは行き届いており清潔感がある。色は白く、柔和な印象を与えるが、マイケルに負けない程の豪剣を振るう。残念なことにマイケルに比べると印象が薄いが、中央王国の王都では、何故か、マイケルより有名であり、という通り名で知られていた。確かに中央王国の冒険者に左利きはほとんどいない。


 キースは、ジョージの一党の一人一人に順番に視線を向け、最後、得意げにチェスターで止めた。


「俺は弓兵だな。たとえ疾走する馬上からでも的は外さないぜ」


 チェスターは酔っ払いのキースにそう応えた。僅かに嬉しさを滲ませたような表情をキースに向ける。キースに万能と言われたことに気恥ずかしさを感じたようではあるが、満更でもない様子だ。事実、彼はあらゆる武器に精通しており、その事は密かな誇りでもある。様々な武器の中でも短弓ショートボウについては、群を抜いた達人であり、それを本人も自認している。短弓を手に魔物の群れに飛び込めば、手が付けられないほどの強さを発揮する。接近戦に短弓、普通なら拙い組合せだが、チェスターは好んでそうしていた。そんなチェスターもまた旅装束だ。彼は長めのローブと鍔付きの狩人帽がよく似合っている。黒髪と黒目よく見れば蝋色、肌はきめの細かな褐色、大型の猫科を連想させる。彫りは深く、目鼻立ちがしっかりしており、少し大きめの顎が、男らしさと頼もしさを漂わせている。


「だよね」とキースが嬉しそうに応える。


「誰だよ。キースに火酒を飲ませた奴は?」とフランク。


 カウンターの奥で料理長が右手の親指を掲げる。フランクは左手で顳顬を抑えた。その遣り取りに酔っ払いのキースが気づく。


「おっといけない。忘れてた。フランクは重戦士だよね。ハロルドは弓兵、ルーカスは斥候、レオンも——ああ、めんどくさくなってきた」


 フランク一党は昨日までの護衛依頼を終えていた。彼らは暫く休養を取ると決めており、本日は冒険者組合の酒場で寛いでいる。

 彼らは開拓地の農民風の服装を身につけていた。地味で茶色という印象。目立たず風景に溶け込んでいる。だが立派な武器を携えているので、彼らが冒険者であることは一目で判る。

 フランクは、痩せ型だが、ガッシリとした骨格だ。背丈はやや低め。白髪混じりの暗い金髪を無造作に後ろに流した髪型には野生味がある。大きな目、瞳の色は濃い灰茶色、眉間に寄せた皺が深い。年代はカネヒラと同じ、ジェフリーよりは年下だが、肌はくすんだ薄い黄赤色ように見えるが、古参の冒険者としての風格を損なうようなものではない。

 寛容ゆったりした洋袴ズボンは、鹿型の魔物の革製で、錆色に染められている。大赭色たいしゃいろで細身の貫頭衣チュニックを着込んでいる。胸元は飾り紐で絞られているが、若干緩められ、松葉色の下着シャツ——肌に張り付くようではあるが窮屈では無い——が覗く。目の細かい褐色の帆布製のマント、それに錆鼠色と銀鼠色の糸で織られた縦縞の飾り布が几帳面に畳まれて次席に置いてある。フランクの傍には、彼の代名詞たる大型の両手剣グレートソード。彼は、この大型の両手剣グレートソードを自在に振るい、魔物化した野牛を一刀両断する膂力を持つ。


「どうするんだよ。これ……」とフランクはハロルドに問いかけた。


 ハロルドは、スキンヘッドに赤錆色の口髭と顎髭がよく似合う。柔和な瞳は海松茶色るみちゃいろ。明るい灰みがかった顔には人懐こい笑顔を湛えている。冒険者になりたての頃からフランクと組み、二〇年以上も一緒に仕事をこなしてきた。戦闘行動では何も言わずにフランクと意思疎通ができる。もともと言葉足らずで、天才的な直感力と物事の真相を見抜く力の所為で、普通人との会話が成り立ち難いが、フランクとは上手くやっている。前衛のフランクに後衛のハロルド、互いにどう動けば、互いの戦闘が有利になるか、また厳しい状況を覆すことができるか、何度も修羅場を経て、二人の連携は芸術的な領域に至っている。

 ハロルドの方は意思疎通に苦慮することはないが、フランクの方がたまに会話が噛み合わず、答えに窮することもある。そもそも普通人にとっては、二人の会話が噛み合っているかどうか、判断するのは難しいだろう。


「然り然り」


 ハロルドはフランクと目を合わせて深く頷くが、フランクは眉の端を吊り上げ、一体何に得心がいったのか分からない、という様子だ。いつも通りの二人を横目にルーカスが酔っぱらいキースの指摘を訂正する。

 

「俺たちの扱いが雑だな。おれは騎兵だぜ」


 ルーカスは頬をかく。冒険者となった今では騎兵であったことにどの程度価値があるのか判断が難しい。本人には、捨てきれない思いと拘りがあるのだろう。柄に護拳がついた湾刀を使っている。

 ルーカスは金髪碧眼。ツヤのある象牙に近い練色ねりいろの肌は血色がよい。姿勢が良く高身長に見える。王都育ちで血統の良い騎士という印象だ。実際、其の通りで、七年ほど前は中央王国の騎兵団に所属していた。中隊の副官を勤めるキレ者であり正義感が強く禁欲的であった。しかし、過ぎたるは及ばざるが如し、正義感が高じて上官に嫌われて軍を追われた。今は冒険者家業に身を窶しているが、彼の騎士としての風格は損なわれておらず、全く擦れた感じはしない。

 ルーカスは、フランクの一党の中で最も年若いレオンを促す。ルーカスが騎士を務めていたときの従卒だが、ルーカスの生家を何代にもわたって支えてきた一族出身である。王都から辺境の開拓地に流れ着いた時は、寡黙だが癒されるような雰囲気の美少年だったこともあって、冒険者組合の受付嬢たちから人気があった。七年後の現在、一端の冒険者となったレオンは、精悍な顔立ち、艶のある黑檀色の長髪、藍錆色の瞳、均整が取れた引き締まった体躯。今も寡黙であるが、王都で人気を博する吟遊詩人のように冒険者組合の女性陣からの熱い眼差しは相変わらずであった。


「俺は弓兵。長弓使いだ。覚えておいてくれ」とレオン。


「うんうん」とひとりで納得したように頷くキース。


 キースによる嵐のような職種の数え上げの作業が収まるまで、静かに待っていたカネヒラがキースに声を掛けて同意を求めた。


「だろ?」


 キースはあらためて周りを見渡し、そして「ああ、術者は一人もいないね」と笑う。彼は、呆れるほど酒に弱く、わずか2杯の火酒で完全に出来上がっていた。甘口の蜂蜜酒を少しずつ飲むのであればここまで酔う事はない。


 其れはさておき偶々居合わせたメンバーで、その場のノリだけで出撃すると、結果として脳筋集団の突撃になるのだ。そもそも術者の成り手は少なく、圧倒的な攻撃力を保有しているため、冒険者の間では需要が高い。引っ張りだこだ。徒党を組まないフリーの術者も毎日の依頼書クエストの解禁時にはすぐに声がかかる。

 つまりそういうこと。術者たちが真昼間に冒険者組合ギルドの酒場に屯していることなど有り得ない。


「意図せずそうなるのさ」とカネヒラ。


 今、酒場にいる冒険者たちろくでなしどもであれば、遠距離の攻撃手段がある人員が三分の一を占めているのでまだましだ。


「術者の一人でもいれば完封だったか?」とジェフリー。


「どうでしょう。戦女神の祝福が施された魔導具も使用されたようですが、どれもこれも効かなかったと聞いています」とラッセル。さらに彼は言葉を続ける。


古兵ベテラン揃い、名ありの武器、しかも聖霊の加護。負ける要素はないですよね?」


「だが負けた」とジェフリー。


「ええ、そうです。取り逃したんだから冒険者的には負けです」と言いながらラッセルが自らの発言に頷く。


「商人様は厳しいねぇ」とカネヒラ。


「で、怪しげな黒いそいつが南の大森林帯ここらへんに向かっていると?」ジェフリーは疑いの眼差しをラッセルに向ける。


 中央王国東部沿岸、件の国境の街から南部の大森林までは、直線距離で二千哩程度。相当遠い。


「確かです」とラッセル。


「どうかな」とジェフリー。


「さてさて、無慈悲なる魔女様の眷属たる方々は如何されるのか?」


 不意にラッセルが陰りのある人の悪い表情を浮かべて、大声で冒険者たちに尋ねた。


「あぁ?」


 酒場にいた大半の冒険者たちが一瞬不穏な気配を漂わせる。


 自分たちの冒険者組合長ギルドマスターを中傷する呼称を口に出されたことに不快感を示した。


 ラッセルは、冒険者たちろくでなしどもの殺気にけおされることもなく、勝ち誇ったように笑うと芝居が勝った仕草で酒場のカウンターの奥に合図を送る。続けて給仕たちが冷えたエールをその場に居合わせた冒険者たちろくでなしどもに配り始めた。


「先んじて名を上げようとする冒険者には金貨一〇〇万枚!いかがでしょうか?」


「根も葉もない噂だったのでは?」とカネヒラが呆れたように声をあげる。


 商人からの直接依頼。依頼人スポンサーは誰だ?東の大公か?あるいは商業ギルドの首脳たちか?その場にいた冒険者たちは、依頼主が誰であるのか思いを巡す。


 突発的な変事でもない限り、仕事は必ず組合経由で依頼されるものだ。昔からの取り決めを平気で無視するような輩とは関わらないのが無難だ。金額も金額だ。複数の冒険者組合が合同で対処するような規模の依頼だ。


「捕獲依頼。いえ正体の見極めでも結構です。その場合は金貨一万枚です」


「仕事ならそこの怖い顔で睨んでくる猫耳のお姉ちゃんを通してくれよ」とドナルドが親指を立て、指し示しながら言う。


 ドナルドと同じテーブルでチェスに興じているジェームスとダニエルは、一瞬、ドナルドに視線を向けたが、自分たちの頭目が苛立っていないことを確認すると、何事もなかったように再びチェス盤に意識を向けた。二人はラッセルの話には興味がないようだ。


「おやおや。これは失敬。興が乗ったのでついつい。いけませんねぇ」


「間抜けはいなかった、ってことさ」とジョージがエールの杯を一気にあけると立ち上がる。


「お、出るのか?」


 カネヒラがジョージに声をかける。


「ああ、夕刻から山越の任務だ。船着場で待ち合わせよ」とジョージ。


「そりゃ、難儀だね。いつ戻る?」とカネヒラ。


「早ければ十日後ってところだ」


 右手を軽くあげて、カネヒラと挨拶をかわすとジョージは、彼の一党であるマイケル、バート、チェスターと共に酒場を後にした。


「みなさま連れないですね」


「ラッセル。誰の依頼か知らねえけどよ」


 今まで背中を向けて話を聞き流していたフランクが向き直って話始めた。


仲介料ギルドへの支払いをケチるのは良くない」


 フランクの言葉にラッセルは肩を竦めてモモからクエスト依頼書を受け取ると、慣れた手つきで依頼書を書きあげた。彼の筆跡は実に達筆であった。依頼書をモモに手渡すとラッセルが言葉を繋いだ。


「今は、教えられませんが、とても高貴なるお方からの依頼です」


「どこの好事家だよ」とフランクが面白く無いという表情で言葉を返す。


 モモは、依頼書を確認している。条件に矛盾がないか、記載漏れがないか、などに気を配りながらクエストの中身を吟味していたが、問題はなかった。彼女は視線をラッセルに移す。

 それに応じて、ラッセルは懐から為替を取り出し、署名と割印を入れ、横に控えていたモモに渡した。彼女が額面を確認すると、冒険者への成功報酬に加えて、ギルドのクエスト登録料と管理料を上乗せしてもまだ余る金額が記載されていた。


「多いようですが……」


 モモは胡散臭げな視線をラッセルに送る。


「塩漬けになるかもしれませんので、手数料を割増でお預けします」


 モモは、この人好きのする行商人の説明を聞き流しつつ、為替の割引の相場を脳裏に浮かべて、執行条件の裏書きを確認する。依頼の広告期間が通常の三倍の設定であることも加味すると妥当な金額に落ち着く。払い戻しの予定金額が多過ぎることはない。モモは眉間にしわを寄せる。いかにも相手のことを考えているようなそぶりで恩着せがましい言い回しに僅かに苛立ちを覚えた。

 鋭い目つきでラッセルを見やるが、彼は悪びれることもなく、愛想笑いをモモに向けている。モモは、軽いため息を漏らすと、依頼書の写しに受付印を押して、ラッセルに手渡すと、正規の手続きを踏むためにギルドの受付カウンターの奥に消えた。


「では、宜しくお願いいたします」


 ラッセルは、鷹揚に一礼すると爽やかな笑顔を残しつつ、次の商談の地である西の果てにある城塞都市へと出発した。



 酒場に残った冒険者たちろくでなしどもは、暫しの間、無言で酒を飲んでいた。間怠い沈黙をフランクが破る。


「誰か受けるか?」


 フランクが冒険者たちろくでなしどもを見回した。


「誰も受けないさ」と食いつき気味に酔っ払いのキースが断言する。


「当然至極」とハロルドが透かさず合いの手を入れる。


「なぜはラッセルを使った?」とフランク。


 彼の脳裏には、筆頭公爵インゲルベアト・リウドルファング——現国王ハインリッヒ・リウドルファングの実弟にして藝術公と呼ばれ中央国の民人に親しまれている——が浮んだ。


「本部が直接依頼できないからだ」とルーカス。


「睨み合い状態さ」


 キースは、辺境開拓地の冒険者組合長アデレイドと中央王国の全冒険者組合の総長——中央王国の軍務卿ゲオルグ・ラーヴェンスベルク——が冷戦状態であることをあえて口にした。


「本部からの依頼であれば俺たちの組合長ギルマスは受けないだろうな」とルーカス。


「然り」とハロルド。


「御用聞きのラッセル経由ならどうだ?」とフランクは薄笑いを浮かべる。彼は藝術公のであれば可能性はあるだろうと看守した。組合長ギルマス——魔女の娘にして深淵の娘たるアデレイド——のお気に入りの一人なのだから。


「カネヒラがひっかかる」とジェフリー。


「同意」とハロルド。


「今回はドナルドだが?」とカネヒラが不本意そうに応える。


「猫科の殺気は苦手なんだよ」とドナルドが謐く。


「わかる!」とカネヒラが自分の酒杯をドナルドのそれに重ねる。


「然らば」


 ハロルドがフランクを促す。


「この茶番の目的は?」とフランクは不機嫌そうである。


「言い訳作りだ」とジェフリーは柔かに応える。


「国王様に“アデレイドに何故知らせなかった”とか言わせないためだな」とルーカス。


「肯首」とハロルド。


「“これだけの懸賞を準備いたしました。ですが奴らは依頼を受けませんでした。これは王国に対する忠誠心を疑われても仕方がないかと”」カネヒラはラッセルの身振りの真似をする。


「連中の正気を疑うぜ」とフランクは首を軽く左右に振る。


「そもそも俺たちは誰も受けない、という前提だな」とジェフリー。


「“どうせ解決できないだろう”という舐めた依頼かもしれん。まあ、そのあたりは小さなことさ」とカネヒラ。


「なるほど」と寡黙なレオンが納得した様子である。


「万が一解決できれば、御の字。港街や城塞都市が潰されたら百万枚じゃ済まない。とりあえずは登録手数料と管理費用だけで選択肢オプションが確保できていれば、その後の言い訳としては十分だ」


 いよいよルーカスがまとめに入った。


「東奔西走」


 ハロルドの拍子は絶妙であるが、合いの手としては微妙に聞こえるかも知れない。


「そのうち王都のか何かよく知らないけど、その辺が“アレ”に遭遇すれば何とかなるって思ってそう」


 フワフワとした雰囲気のキースにフランク一党全員の視線がキースに集まった。


「ん?何なに?」とキースが眠そうに応える。


「“アレ”だと?」とフランク。


「“アレ”だけど?」


「キースは知っているのか?」とルーカスが確認する。


「“アレ”のこと?」


「……」とハロルドが目線だけで説明を要求する。


「知ってる」


 キースは頷きながら余計な補足をした。


「カネヒラも知ってる」


 キースはニンマリと笑う。猫のようだ。


「おい。こっちに振るなよ……」とカネヒラが嘆じる。


 カネヒラに冷たい視線が集まる。ジェフリーは、我関せずとばかりに辛口の蜂蜜酒の酒杯を空けて、給仕に追加を注文している。カネヒラは、何故、俺なんだよと割り切れない表情を浮かべる。とばっちりだが、いつものことだ。


「“アレ”はね。毛玉。だよ。カネヒラには竈馬に見えたらしいけど……」キースはニンマリと笑う。


「うわ……」とルーカスが言葉を漏らして呆れ顔になる。彼は竈馬が壁の一面に群れている様を思い出したようだ。


「毛玉だと?」


 フランクが左の眉を吊り上げる。訝しむときの彼の癖だ。


「魔素を回収するための魔導具の群体。組合長アデレイドのお手製だね。魔素を溜め込みながらじわじわ増えるよ」と言うと、キースはコロコロと笑う。

 

 魔女の森の三条みすじの滝から帰還した後、聖女の聖気にあてられたせいなのか、最近のキースはますます“女性らしさ”を醸し出すようになっていた。その場に居合わせた全員んがキースの仕草に可愛らしさを感じた。


 だが発言自体は不穏なものであった。


「いやいや。そいつはまずいだろ。ラッセルの奴は砦が潰されたとか、人が抜け殻とか言ってたよな」


 迷惑この上ない。しかも元凶は自分たちの組合長ギルマスとか、頭が痛いという程度では済まされない。冷静なフランクは狼狽する。は元凶の見通しを立てているかもしれないと思い至ったからだ。


「不用意に近づいたら魔力が根こそぎもっていかれるかもしれないね」


 透き通る声が耳をくすぐる。聞く者を魅了する涼やかな声音のする方向に視線を向ければ、そこには大きめの魔女の帽子を被った冒険者組合長のアデレイドがいつの間にか佇んでいた。


組合長ギルマス!!」


 寡黙なレオンも含めて、フランクの一党は全員声を上げた。


「土魔法で仕上げられた城壁なら崩壊するだろうね」


 アデレイドは、そう断言しながら。出来上がっているキースの横に座ると彼の頭を撫でる。


「よしよし」と優美な手つきと万人を魅了するであろう艶やかな表情でアデレイドはキースを愛でる。


「ふふふ……」とキースは嬉しそうに目を細めながら火酒の入った酒盃をくっと呷る。三杯目だ。


「三年前に放ったからそろそろだろうとは思っていたのだが、、大きくなりすぎたようだね」


 少々という表現で収まりがつくとは思えない。取り返しのつかない人災だ。壊滅的な厄災だ。その場に居合わせた冒険者たちろくでなしどもは、キースを除いて全員が心のなかで同じように呟いた。


消除されえぬ禍殃カタストロフィだ』


 冒険者たちろくでなしどもは、不調法な吟遊詩人の台詞を心の中に留めて、誰も口にだすことはない。勿論、どうするのか?と疑問をアデレイドに投げかけるような“危険”を冒す“勇者”はここにはいない。元凶であるアデレイドが、名乗りを上げた“勇者”に、この“黒い厄災”の後始末を押し付けるに違いない。


「どのくらいふえてるだろね」


 キースは嬉しそうに笑みを浮かべている。


 ジェフリーとカネヒラは生暖かい視線をキースに送る。二人は「なぜお前は突っ込んでいくのか」と心のなかで謐く。


「ラッセルの与太話を聞く限り、ざっと二百かな……」


 冒険者たちろくでなしどもが即座に思ったことだろう。単位は百万だ——と。彼らは示し合わせたように視線を組合長アデレイドから外す。


「どうするの?」


「そうだねぇ……そろそろ毛玉どもを『ゲヘナ』に戻そう。いい感じに王国中の余剰な魔素を集めた筈」


 アデレイドの言葉にカネヒラは鋼の意志で無表情を貫く。彼女の冷たい視線を向けられても眉一つ動かさない。だが心中穏やかではいられない。よりによってゲヘナ。別名“底なし”。神話の時代に世界規模の魔物の氾濫スタンピードを発生させた迷宮。それが底なしの迷宮ゲヘナである。


 この辺境の地の魔女の森が生み出した最大の迷宮、中央王国では“底なし”という名称で知られた迷宮、アデレイドがゲヘナと呼称する迷宮。時々、外なる神々の憂さ晴らしに利用される程度で、今のところ休眠状態にあって、迷宮外に影響を及ぼす事はない。しかし——


。さらに良い素材を生み出してくれるに違いない」


 何故、神代のことを身近な出来事として語ることができるのか、それを問うのは止めた方が無難だ。


 ゲヘナを元に戻そうとしている不穏分子アデレイド冒険者たちろくでなしどもの目の前にいた。キース以外、冒険者たちろくでなしども全員の思いは一致していた。


 ——ああ、多分、こいつアデレイドがこの世界の魔王だ。


「モモ!」


「はい。マスター!」


 ラッセルからの依頼の手続きを終えたモモがいつの間にかアデレイドの近くに控えていた。彼女は足音を立てることはない。誰かに気配を察知されることもない。認識阻害の権能を有しているのか、冒険者たちは毎度のことではあるが肝を冷やした。


素材採取人マーカスをゲヘナから呼び戻しておくれ。巻き込まれたら不味いからね」


「承りました」とモモは優美に一礼する。

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