第48話 女性下着の試着は如何? 1

 入院中、僕にはある悩みがあった。妻の誕生日のプレゼントを何にするかということだ。


 入院中に妻の誕生日がやってくるのだ。毎年、僕は妻の誕生日プレゼントを何にしようか悩むのだが・・・今年は入院中の身だ。特に難しい。


 いままで何をプレゼントしてきたのだろうか? 僕は思いを巡らせた。今まで、プレゼントしたのは、アクセサリー、バッグ、美容用品、化粧品、お花など・・・そうだ。それに服だ。


 病院のベッドで抗がん剤の点滴による吐き気に苦しみながら、僕は初めて妻に服をプレゼントしたときのことを思い出した。


 そのとき僕はずっと前から、ある服を妻にプレゼントしたいと決めていたのだ。事前に下調べをいろいろしたのだが、下調べのときから僕はある百貨店の中に入っているブティックのショーウインドウに飾ってある服がとても気に入っていた。赤いニットのセーターというか、ブラウスも兼ねたトップスだった。赤色があざやかで、とってもかわいらしかった。初めて見たときから、きっと妻に似合うと思ったのだ。


 妻の誕生日が近づいた日曜日に僕はその服を買いに行った。ブティックのショーウインドウには目当ての服が飾ってあった。しかし、僕はそのブティックに足を踏み入れることが全くできなかったのだ。僕の足はブティックの中に入ろうとして、そこで止まってしまった。


 外から店内を見ると、店内には婦人服がずらりと並べられていた。僕は婦人服を買うのは・・そのときが生まれて初めての体験だった。いままで、ブティックなんてところには入ったこともなかった。そして、店内には多くの女性客がいた。僕は店の中で婦人服を選んでいる女性客に圧倒されてしまったのだ。店の中を見るだけで、恥ずかしくて顔が赤らんでしまった。僕はどうしてもブティックの中に入る勇気が出なかったのだ。


 僕はブティックの入り口から引き返して、少し離れたところで息を整えた。


 何も悪いことをするわけではない。僕はお客として婦人服を買うだけだ。勇気を出そう。


 そう思って、もう一度ブティックの前に行ったのだが・・・再び中に入ることができず、僕は店の前を素通りしてしまったのだ。


 おい、おい。何をやっているんだ! こんなことではいつまで経っても、あの赤い服が買えないぞ。


 そう心を叱咤激励して、もう一度ブティックに向かったが・・・やっぱり中に入る勇気が無くて、僕はまたも店の前を素通りしてしまった。


 そうやって・・・結局、僕は実に4時間も店の前を行ったり来たりしていたのだ。そうして、最後は今でもよく覚えているが・・・眼をつむってブティックの中に突進していったのだ。それでようやく、僕は目的の赤い服を買うことができた。プレゼントすると、妻はすごく喜んでくれた。その赤い服は妻に良く似合っていた。


 妻のプレゼントで、次に苦労したのも・・・やっぱり服だった。服といっても女性の下着だ。前々から、その年の誕生日プレゼントは女性の下着にしようと決めていた。僕は妻の下着を買ったことがなかった。妻というより、そもそも僕は女性の下着なんてものを買ったことがなかったのだ。


 どのようにして買うのだろう? ひょっとしたら本人が試着しなければならないのだろうか? 僕はドキドキした。けれども女性下着をプレゼントすることは妻には内緒にしておきたかった。だから妻を店に連れていくわけにはいかないのだ。それでも、僕は事前に準備をしておいた。それとなく、妻からブラジャーやショーツのサイズや好きな柄などを聞き出していたのだ。


 そして、僕は百貨店の下着売り場に妻のプレゼントを買いに行った。しかし、女性の下着売り場にやっぱり男性は入りにくい。僕は下着売り場の前から中をのぞいたのだが、女性の下着売り場というのは売り子さんも女性ならお客さんも女性で、どこを見ても女性しかいないのだ。まさに女性の世界という感じで、男性が入りにくいことはなはだしいのだ。女性の世界・・・まさに僕が入院している病院と同じだ!


 しかたなく、先ほどの赤い婦人服のブティックのときと同様に、僕はしばらく売り場の前をうろうろしていたのだが・・・・売り場のお姉さんが怪訝そうに僕を見ているのに気づいて、僕はやむなく勇気を奮って下着売り場の中に突入していったのだ。


 僕は知らなかったのだが、百貨店の女性下着売り場というのは各下着メーカーごとに売り場が決まっていて、そこに各下着メーカーから派遣された売り子さんがスタンバイしているのだった。


 僕が突入したのは、僕も知っている大手下着メーカーの売り場で、そこの売り子のお姉さんが満面の笑みで僕を迎えてくれた。僕はしどろもどろにお姉さんに言った。


 「あ、あの、妻に下着をプレゼントしたいんですが・・・サイズはこれです」


 そう言って、僕は妻のブラジャーとショーツのサイズを書いたメモを渡した。お姉さんはメモを見ていたが、やがて僕にこう聞いた。


 「おいくつぐらいの方でしょうか?」


 僕は妻の年齢を言った。


 「ご予算はおいくらぐらいでしょうか?」


 僕は予定していた金額を言った。お姉さんは僕を残して売り場に行って、すぐに戻ってきた。手にはそろいのブラジャーとショーツをいくつか持っていた。それから、お姉さんは僕にいろいろと説明をしてくれた。その説明の中でお姉さんがブラジャーのバストの裏側を出して僕にこう言ったのだ。


 「このブラジャーはバストが当たるところの肌触りがとってもいいので、大変好評なんですよ。ここを触ってみてください」


 お姉さんはそう言って、ブラジャーのバストの裏地を僕に触るように促したのだ。僕は恐る恐る触ってみた。もちろん、ブラジャーのバストの裏側を触るのは初めてだ。何だか周りにいる女性客たちが僕を見ている気がした。僕は赤くなった。触ると・・・確かに柔らかい。なんだかほんわかしたクッションを触っているようだ。マシュマロのようでもあった。すると、次にお姉さんが別のブラジャーを出してきて言った。


 「別のブラジャーと比べてみてください。こちらも触ってみてください」


 僕は他のブラジャーも触ってみた。こちらは固かった。なるほど、明らかに違う。


 こんなに違うものなのか。そうか、女性の下着は見ただけで選ぶことはできないんだな。実際に手にとって選ばないといけないんだな・・・


 お姉さんが今度はそのバストの裏側が柔らかいブラジャーとセットになっているショーツを僕に出した。ショーツのお尻の部分を僕の前に広げた。


 「さっきのブラジャーとセットになっているこのショーツはヒップ全体を柔らかく包んでくれるんですよ。お尻に食い込むことがありませんので、すごく好評なんです。よろしかったら試着室が使えますよ」


 えっ? 試着室? 僕の聞き間違いか? なんで僕が試着室? 僕はお姉さんの言葉が理解できなかった。僕の頭は混乱した。すると、お姉さんが僕に言った。


 「ぜひ、このショーツを試着してみてください」


 し、試着? その言葉に僕は飛び上がった。なんで僕が試着? 僕はお姉さんに言った。


 「いえ、ショーツをはくのは僕じゃなくて、僕の妻なんですよ」


 お姉さんはそんなことは先刻承知だといった顔をした。


 「はい、承知しております。だけど、このショーツの良さは試着していただくとすぐに分かりますので、ぜひ試着してみてください」


 「試着って・・・だって、女性と男性では体形や骨盤の形なんかが違うんじゃないですか? だから、このショーツを男性の僕が試着しても意味がないんじゃないですか?」


 すると、お姉さんは満面の笑顔で僕にさらに言ったのだ。


 「たしかに女性と男性では腰やお尻の形が違うんですが・・・それでも、このショーツがヒップ全体を包み込むのは、男性の方でも試着していただくとお分かりいただけるんですよ。あちらに試着室がございますので、ぜひご試着なさってください」


 「試着だなんて・・・そ、そんな?」


 僕はからかわれているんだろうか? そんな僕の顔を見て、お姉さんは平気な顔でさらにこう言うのだ。


 「これは見本ですから試着していただいて構いませんよ。男性の方でも女性の下着をご自分で試着して納得して選ぶ方がたくさんいらっしゃいますよ。大切な方へのプレゼントですから、男性も納得した品物を贈りたいという方がたくさんいらっしゃるんです。あるいは、男性が女性の方を連れてこられて、実際に女性の方が試着して品物を選ばれることも多いんですよ」


 男性が女性の下着を試着する? ほ、本当だろうか? お姉さんが商品を売ろうとして適当に言っているのではないだろうか? お姉さんが試着室を指さした。


 「あそこの試着室で試着できますから・・ちょうど今はどなたも試着室を使っていらっしゃいませんので、試着室が空いています。ぜひ試着室で試着してみてください」(つづく)

 

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