第50話 僕は死にかけた!

 前にも書いたように岸根医師は日曜を除いて、毎日病室にやってきてくれた。外来診療のない月曜、水曜、金曜はだいたい午前9時過ぎに、外来診療のある火曜と木曜は午後3時ごろに、土曜は休みだが出勤したら午前中に・・といった具合に病室に顔を出してくれたのだ。

 土曜日は岸根医師も余裕があるのだろう。土曜日にはよく僕と雑談を交わした。


 ある土曜日だ。僕の病室にやってきた岸根医師が珍しく過去の経験談を聞かせてくれたのだ。この病院に勤務する以前は、別の病院でHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染した患者を診ていたという話だった。ご存じのように、HIVに感染することによって、エイズ(AIDS:後天性免疫不全症候群)を発症する。エイズを発症すると、免疫の機能が著しく低下し、重症な感染症やがんを併発するようになる。


 岸根医師はHIVによって、人が死ぬ場面に数多く遭遇したと話した。ベッドに寝ながら元気に話していた重篤な患者が数時間後にはコロッと亡くなってしまうのだそうだ。そのあっけなさに岸根医師も最初は当惑したという体験談だった。その当惑を岸根医師は僕に詳しく語ってくれた。尚、HIVの人のために補足すると、もちろんHIVの患者さんが全員亡くなるという話ではない。岸根医師の話は、極めて重症のHIVの患者さんの話なのだ。


 ここは病院だ。本来、人が亡くなる話はするべきではないだろう。だが、このとき、岸根医師は自分の経歴を僕に話してくれていて、成り行きで重度のHIVの患者さんが亡くなる話になったのだ。自然な話の流れで、僕も聞いていて違和感はなかった。


 それにしても、人はそんなに簡単に亡くなってしまうものなのか!・・・僕は話を聞いて驚いた。


 岸根医師の話は僕に自分のことを考えさせた。


 僕はAPL(急性前骨髄性白血病)という大変厳しい病気で入院中だ。いままで、自分が死ぬということをあまり深く考えていなかったが、僕もやっぱり自分が死ぬことを考えておくべきだろうと思った。


 こうして闘病記を文章で書いているとなんとなく元気そうに見えるが、よく考えたら僕自身の状況も死と隣り合わせなのだ。僕は抗がん剤の点滴をされて、白血球や赤血球が通常の人の十分の一にまで減少している。ほとんど無いと言っていいようなレベルだ。そして、抗がん剤による吐き気で24時間ずっと悩まされているのだ。さらに吐き気のために、一日にプリン一個だけしか食べられない、あるいはまったく食べられないといった日々がずっと続いているのだ。


 僕は気持ちだけは元気なつもりでいたが・・・よく考えたら、僕の状態ってかなり死というところに近い限界状況なのではないだろうか? 変な例えになるが、病院の女性の看護師さんがふざけてちょっと軽く僕を押したら、僕はとても持ちこたえることはできないだろう。そうされたら、あれーと簡単にひっくり返ってしまうような状況にあるのだ。


 岸根医師の話は、僕が死という状況に極めて近いところで生活しているということを改めて認識させてくれたのだ。


 死というと・・・僕は今までにあやうく死にかけたことが何度もあった。岸根医師の話はさらに僕にそのことを思い出させた。


 中学のときだ。友人5人とサイクリングに行こうという話になった。行き先は自転車で約3時間かかる山の中のお寺だった。友人たちはサイクリング用の自転車を持っていて、それで参加したが、僕はそんな自転車は持っていなかった。仕方なく僕は家にあった、いわゆるママチャリで参加した。サイクリングといっても猛スピードで突っ走るわけではない。みんなでワイワイ騒ぎながら自転車をこぐので、ママチャリでも十分にみんなについていけたのだ。


 出発して30分ぐらい経過したときだった。僕の乗っているママチャリのブレーキが効きにくくなったのだ。今考えると、そこで僕だけ引き返すべきであった。しかし、僕はここで僕だけが引き返すと、せっかくのサイクリングに水を差してしまうと考えた。なんだか友人たちに申し訳なく思って、僕は帰らなかったのだ。


 ブレーキは時間とともに効かなくなった。ブレーキをかけてもすぐにママチャリが止まらず、少し動いて止まるという具合なのだ。僕は足を地面につけて、足で地面を蹴ってママチャリを進めるようにした。友人たちはそんな僕のスピードに合わせてくれた。


 しばらくすると、大きな坂の上に出た。友人たちは自転車で勢いをつけて坂を降りていく。僕もつられてママチャリで坂を降り始めた。その坂は長さが100mほどある大きな下り坂で、坂の先がT字路になっていた。その下り坂がT字の縦棒で、大きな国道がT字の横棒になって坂と交差していたのだ。国道では大型トラックが猛スピードで行き来していた。


 僕はブレーキはまったく効かないのではなく、効きが弱いだけだと思っていた。それでブレーキをかけながら坂を降りようとしたのだが・・・坂を降りだすと、なんと、ブレーキが全く効かなくなってしまったのだ。いくらブレーキのレバーを握っても、ママチャリの車輪の回転は一向に弱くならないのだ。それどころか、坂によって回転がますます加速するのだ。


 僕のママチャリはどんどん加速して、猛スピードで坂を降り始めた。しまったと思ったが、もう遅かった。周りの景色がどんどん後ろに流れて、前方の国道がみるみる大きくなってきた。国道にはすごいスピードで大型トラックが行き来しているのが見えた。このまま自転車を倒して道に転がろうかとも思ったが、僕はすぐにその考えを打ち消した。猛スピードでコンクリートの坂を下っているのだ。そんなことをしたら、身体がコンクリートに叩きつけられて大けがをするだろう。では、どうする? どうする? 考えがまとまらない。


 国道が眼の前に迫った。国道では時速100km近いスピードで大型トラックが右から左に、あるいは左から右にと行き交っている。もうこのまま国道に突っ込むしかない。僕は眼をつむった。死を覚悟した。


 僕のママチャリは猛スピードで、大型トラックが激しく行き交う国道に突っ込んでいった。


 そのときだ。なんというタイミングだろうか。T字の横棒の方向の交差点についている信号が青から赤に変わったのだ。交差点に突っ込んだ僕の目の端に何台もの大型トラックが交差点の手前で停止しているのが見えた。そして、僕は車の走っていない交差点に突っ込んで、T字の横棒の道路の壁に激突したのだ。身体が空中に浮かぶのが分かった。ママチャリがどうなったのかも分からなかった。次の瞬間、僕はコンクリートの道路に叩きつけられた。だが、いったん壁にママチャリが激突して、それから僕の身体が道路に叩きつけられたのが良かったんだと思う。ママチャリが坂を落下していく運動エネルギーの大半が壁との激突によって霧散していたのだ。僕は数m先から放り投げられたという程度で、コンクリートの道路に叩きつけられたのだ。


 僕はすぐに立ち上がった。立ち上がれること自体が不思議だった。身体を見ると足に擦り傷があったが、それ以外はケガはなかった。奇跡だと思った。周りを見ると、ママチャリが無残に壊れて道路に転がっていた。坂を下る運動エネルギーの大半がママチャリの破壊に使われた証拠だった。


 友人たちが僕の周りに集まってきた。みんな「死ぬと思った」、「かすりキズで良かった」・・・と口々に言ってくれた。しかし、交差点の信号が青になりそうだった。僕はママチャリを道路の壁際に持っていった。そのとき、信号が青に変わった。僕の眼の前を何事もなかったかのように、大型トラックが何台も猛スピードで突っ走っていった。


 僕はそこから壊れたママチャリを押して帰った。友人たちもサイクリングを中止して、僕と一緒に帰ってくれた。


 僕が助かったのはまさに奇跡だった。僕がT字の交差点に突っ込む寸前に、信号が青から赤に変わらなければ、僕は間違いなく死んでいただろう。また、ママチャリが壊れてくれたおかげで、僕はかすり傷で済んだのだ。ママチャリが壊れてしまったので、ブレーキが効かなくなった原因は結局不明のままだった。


 僕はこういった死にかけた経験を何度もしている。不思議にこのときのように、間一髪で死ぬのを免れてきた。


 自転車でもう一つ思い出したことがある。


 今度は社会人になってからのことだ。当時、僕はある地方都市に住んでいた。夜の10時ごろだ。僕は会社の帰りに自転車に乗ったままで大きな交差点で信号待ちをしていた。交差点の周りを田んぼや畑が取り巻いているようなところだった。交差点の中には僕以外は誰もおらず、信号待ちをしている車もなかった。


 信号が青になったので、僕は自転車に乗ってゆっくりと横断歩道を渡りだしたのだ。そのとき、僕の左後方から一台の車が交差点に猛スピードで侵入してきた。おそらく、時速100km以上のスピードが出ていたと思う。


 すると、その車がキーとタイヤをきしませながら交差点を猛スピードで右折してきて・・僕が渡っている横断歩道に近づき・・なんと横断歩道の手前で一時停止せずに・・僕の自転車のほんの数cm手前を猛スピードで通過して・・そのまま止まらずに走り去っていったのだ。


 一瞬のできごとだった。僕の身体からスーと汗が引いた。数cmの差、時間にするとわずか1、2秒の差で命拾いしたのだ。あんな猛スピードで走る車にぶつかったら即死は間違いなかっただろう。その車は、信号が今にも赤になるものと勘違いして、猛スピードで一時停止もせずに交差点を右折したという感じだった。交差点には誰もいないと判断して一時停止をしなかったのだろう・・・もちろん、一時停止をしなかったことは決して許されることではないが。。。横断歩道を渡る僕はまったく見えなかったに違いない。


 そして、あんな猛スピードで走ってきた車なのに、僕にはなぜか運転者と助手席の人物が見えたのだ。二人とも男性で、会社員のようだった。今思い出しても・・なぜ猛スピードで走ってきた車の中の人物が見えたのか・・僕には分からない。


 岸根医師の話は僕にこういった死にかけた経験を思い出させてくれた。


 しかし、生と死は本当に紙一重だなあ・・・僕は病院の天井を見上げてそう思った。天井の四角く区切られた白色を見ていると、なぜか豆腐が頭に浮かんだ。


 湯豆腐や命の果ての薄明かり   久保田万太郎  (つづく)

 

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