第43話 僕は女子寮の寮生だった 1

 僕の病室にやってくるのは岸根医師と看護師さんとヘルパーさんだけだ。この病院の僕が入院している8階には男性の看護師さんや男性のヘルパーさんは一人もいなかった。だから、僕の病室を訪問するのは、岸根医師以外は全員女性というわけだ。


 8階に入院している患者には男性もいる。このため、病室の外に出て廊下を歩けば女性だけではなく何人もの男性と顔を合わせることができる。しかし、僕は病室から外に出ることを禁止されていた。さらに、見舞いを受けることも認められていなかった。このため、岸根医師を除くと、女性とだけ顔を合わせるという日々がずっと繰り返されたのだ。


 つまり、僕は女性ばかりの中で日々を暮らしていた。僕はこのことに一種の感慨を持った。昔、女性ばかりの中で暮らしたことがあったのだ。


 こういう女性ばかりの中で暮らしていると、思わぬところで気を使うことになる。看護師さんやヘルパーさんが僕の病室に入って来るときがそうだ。


 看護師さんやヘルパーさんは僕の病室に入る前には、みんなドアをトントンとノックしてくれた。しかし、ノックは形式だけで、彼女たちはノックするや否や僕の「はい、どうぞ」という返事なんかは一切聞かずに、いきなりドアを開けて中に入ってくるのだ。ここは病院だから仕方がないと言えばそうなのだが・・・プライバシーも何もあったものではないのだ。


 ときたまだが、彼女たちがそうしていきなり病室に入ってきたときに、僕がトイレに入っていることがある。病室のトイレのドアには鍵はない。トイレで入院患者が倒れたときのために、いつでも外からドアが開けられるようになっているのだ。そんなとき、僕はトイレの中で大声で「いま、トイレに入っています」と叫ぶようにしていた。そうしないと、彼女たちにトイレのドアを開けられるのではないかと僕は心の底から心配になるのだ。


 なぜそんな心配をするかというと・・・僕にはあるトラウマ体験があったからだ。今回はそのトラウマ体験と、先ほど述べた『女性ばかりの中で暮らした体験』をご紹介したい。


 実は驚くなかれ・・・僕は会社の独身女子寮に正式な寮生として住んでいたことがあるのだ。


 管理人や警備員として住んでいたといった話ではないのだ。そのとき、僕はまだ独身だった。そして男性なのに、ちゃんとした独身寮生として認められて独身女子寮に入って、女子寮で暮らしたのだ。複雑な言い方をしてしまったが、つまり言い換えると、僕は独身女子寮の正式な寮生として、その女子寮で生活したのだ。


 独身女子寮で正式な寮生として暮らした経験がある独身男性はほとんどいないだろう。ひょっとしたら、日本でも僕だけかもしれない。いや、日本どころか、世界でも僕だけかもしれない。


 女性の読者の皆様は「独身男性が独身女子寮の寮生として住んでいるなんて! そんなのイヤー!!!」と叫ばれるだろう。しかし、僕も好きで住んでいたわけではないのだ。僕も「そんなのイヤー!!!」だったのだ。


 女性ばかりの病院で生活していると、僕はどうしてもこの女子寮で生活していたときのことを思い出してしまう。病院と女子寮は女性ばかりという点で共通しているからだ。僕にとって病院での生活をお話する際に、この女子寮での体験は避けて通れないものなのだ。


 そこで、APL(急性前骨髄性白血病)の治療から少し脱線するが、今回はこの貴重な(?)体験をお話しておきたい。読者の皆様は話がずれるとお感じになるかもしれないが、少々お付き合いをいただければ幸いである。


 繰り返して申し訳ないが、読者の皆様は「独身男性が独身女子寮に入る? 本当だろうか?」とお疑いになると思う。当然のことだ。僕自身がいまだに信じられないのだ。いま考えても、独身男性が独身女子寮に入るなんてことが本当にあったのだろうか? あれは夢だったのではないだろうか?と僕は疑問に思うときがあるのだが・・・あれは夢ではないのだ。間違いなく本当にあったことなのだ。


 さて、僕が独身女子寮の寮生になったのは次のようないきさつだった。


 あるとき、僕は会社から転勤を命じられたのだ。それは日本のある地方都市への転勤だった。そこには会社の独身男子寮と独身女子寮があった。当時、独身だった僕は、転勤に際して、当然その独身男子寮に入るように会社に依頼をしていた。


 明日の朝から転勤先の職場に出勤するという日の夜、僕はその地方都市に入った。そして、まず僕は男子寮に行った。手土産を持参して取りあえず管理人さんに挨拶に行ったのだ。すると、男性の管理人さんがとんでもないことを言い出したのだ。


 管理人さんはなんと「いま男子寮は部屋がいっぱいで空きがないため、あなたは女子寮に入るように手配した」と言ったのだ。僕はもちろんびっくりした。最初は何かの聞き間違いではないかとも思ったぐらいだ。僕は当然「そんなのダメですよ。独身男性が独身女子寮に入れるわけがないじゃないですか。女子寮で生活するなんて絶対にダメですよ」と言って反対したのだが、管理人さんは何が問題なのか分からないという顔をして、「もう会社の了解はとっているし、女子寮の寮生たちの了解もすべてとっている。一体何が問題なのだ」と言って全然譲らないだ。そして「それに」と言って管理人さんがこう付け加えたのだ。


 「どうせ、あなたは半年後に結婚するんだろ。半年たったら独身女子寮を出るんだろ。だったら、半年ぐらい独身女子寮にいたっていいじゃないか」


 管理人さんの言ったことは本当だった。僕は半年後に結婚することになっていた。その結婚相手というのが、この話に頻繁に登場する僕の妻だ。


 しかし、半年と言われても・・・・・はい、そうですかと簡単に独身女子寮に入寮できるわけがない。いったい、どうしてこんなことになってしまったんだろう? 僕は心底困ってしまった。


 おそらく何かの手違いで『独身男子寮は空室がない』という情報が事前に僕に伝わらなかったのだろう。このため、何も知らない僕が『独身男子寮』を申し込んだので、管理人さんが困ってしまったのだ。管理人さんは独身女子寮の管理人も兼ねていた。そこで『男性の僕を空室がある独身女子寮に入れる』という『天下の奇策』を思いついたというわけだ。


 しかし、それが理由だとしても、僕はどうしたらいいんだろう? 


 僕は考えた。


 僕が独身女子寮に入らなければ、僕はどうなるんだろう? 僕は自腹を切ってホテルに宿泊しながら、どこか下宿を探さなければならない。しかし、その地方都市は僕は初めてで地理もまったく分からないのだ。いきなり下宿を探すといっても難しい。しかも、僕は明日からは新しい任地で仕事を開始しなければならない。新任地は多忙な部署だった。おそらく仕事は忙しく、毎日帰りが深夜近くまで遅くなるはずだ。こんな状態で、新任地で仕事をしながら下宿探しなどできるわけがなかった。どう考えても下宿探しなど現実として不可能だったのだ。


 結局、僕は独身女子寮に入るしか手立てがないことを悟った。


 そこの女子寮は、男子寮と同じ屋根の下にあった。つまり、一つの2階建ての古い大きな建物の中を仕切って、男子寮と女子寮にしていたのだ。男子寮と女子寮の出入り口は別々になっていて、直接行き来はできない構造になっていた。


 僕は管理人さんに連れられて一旦男子寮を出て、それから道路を歩いて女子寮に向かった。女子寮の入口で僕はちょっぴりドキドキした。当たり前だが、独身女子寮なんかに入るのはそれが初めてだった。


 管理人さんは女子寮の管理人も兼ねているので、中は勝手知っているという様子だった。スタスタと2階に上がると、僕を『僕の部屋』に連れて行ってくれたのだ。そこは2階の角部屋だった。


 その部屋に入って僕は驚いた。全体がピンク系統の色で統一されたきれいな部屋だった。薄いピンクの壁紙にピンクのカーテンが掛かっていて、なんともかわいらしい。いかにも、少し前までは若い独身女性が住んでいたという感じだった。僕はこんなきれいで、かわいい部屋に住んだことがなかったので、驚いてしまったというわけだ。


 僕はその部屋を見るなり「女性の部屋だ」と思った。急に『女子寮』という言葉が僕の頭の中に大きく浮かんできた。僕の心に不安が湧いてきて渦を巻いた。


 独身女子寮なんかで、本当に僕は生活できるのだろうか?


 そして管理人さんはそんな不安に揺れる僕にいっさい構うことなく、僕をピンクのかわいい部屋に残して、「これで一件落着」とばかりにさっさと独身男子寮の方に戻っていったのだ。


 こうして、僕の独身女子寮での寮生としての新生活が始まったのだ。(つづく)

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