第38話 『予知』って超能力? 2

 そのボードゲームは赤と白の2個のサイコロを振って、出た目と色の組み合わせでゲームをするというものだった。僕はゲームの中で大きなチャンスを迎えていた。いい目が出たら大逆転なのだ。たかが遊びのゲームなのに、僕はなぜか興奮していた。そのゲームでは赤白のサイコロが二つとも『1』の組み合わせが最高のものだった。僕は二つのサイコロを振った。二つのサイコロが盤上でくるくると回った。サイコロの回転とともに、なぜか僕の興奮は最高潮に達した。そのとき、僕は分かったのだ。100%確信したのだ。ここで『1』と『1』の組み合わせが出ると・・・

 そして、その通りになった。不思議だった。なぜそう確信することができたのか謎のままだ。

 

 ゲームばかりで恐縮だが、極めつけは麻雀の話だ。


 学生時代に友人と麻雀をしていたときのことだ。そのとき僕は麻雀パイをかき回すときから、なぜか異様に興奮していた。麻雀パイを混ぜながら、次の回は僕が勝つと思った。想像ではない。空想でもない。僕は次回は100%僕が上がることが分かったのだ。混ぜたパイを並べて、一定の数を自分のところに持ってきた。あとは山からパイを一つを取ってきては一つ捨てることを繰り返して、早く手に役を付けて上がった者が勝つのだ。


 一つずつパイを取ってきては、いらないパイを一つ捨てる。それを繰り返しながら、なぜか僕の興奮がますます大きくなっていった。興奮で僕は息苦しくなった。ハーハーと口で息をした。


 そしてとうとう、僕の手はあとパイが一つそろえば上がるという『テンパイ』まできた。ここで僕の興奮は最高潮に達した。頭の中がぐるぐるとまわった。しかし、役が二つだけの安い手だった。僕は安い手なのに、なぜ自分がこんなに興奮しているのか本当に不思議だった。普通ならば絶対に興奮するような手ではないのだ。そのとき、僕が来るのを待っていたのは『スーピン』と『チーピン』だった。麻雀では、丸い記号が描いてあるパイを『ピン』と呼ぶ。そして『スー』は『4』で、『チー』が『7』だ。つまり、『スーピン』とは丸が四つあるパイで、『チーピン』が丸が七つあるパイのことだ。


 『テンパイ』になって二回り目だった。僕はパイを取ろうとして伏せてあるパイに手を伸ばした。そのとき見えたのだ。四つの丸が・・・


 この伏せてあるパイは『スーピン』だ。僕は確信した。100%の確信だった。何の根拠もなく僕はそう確信したのだ。そして・・伏せてあるパイを取って裏返すと・・『スーピン』だった。


 僕は四つの丸が見えたと書いた。だが、正確には、四つの丸を認識したと言った方がいいのかも知れない。眼で見えたのではない。頭の中に浮かび上がったのだ。どういうことかというと・・・頭の中に映画のスクリーンのようなものがあるところを想像していただきたい。伏せてあるパイに手を伸ばしたとき、僕の頭の中にそのスクリーンが出てきて、そしてその上に『四つの丸』が浮かび上がったのだ。


 このとき、僕は一緒に麻雀をしている友人たちには何も言わなかった。だって、伏せてある『スーピン』が見えたなんて・・誰が信じるだろうか。こんなことを話しても誰も信じないことは明らかだった。僕は黙って次のゲームに臨んだ。そのときには僕の興奮はもうすっかり冷めていた。


 こういう実体験を書くと、読者の皆様はこう思われるかもしれない。


 「きっと、あなたは麻雀やゲームといった勝負ごとが大好きなのね。それで勝負に熱くなって集中力が増すので、麻雀のパイが見えたりするんでしょう」


 でも、そうではないのだ。僕は勝負事は好きではない。人と争って、勝ったとか負けたというのが好きではないのだ。人が麻雀をするのを見ていると、勝負に必死になっている人をよく見かけるが、僕はいたって淡白だった。ものすごく大きな手で上れるときでも、「まあ、いいか」と上がりを見逃すことが何度もあった。要するに僕は麻雀で勝とうが負けようがどちらでも良かったのだ。友人同士のつき合いとして、そして勝負ではなく単なるゲームとして、麻雀につき合っているだけなのだった。


 僕は男性だ。しかし、僕は女性的な性格なのかもしれない。昔から争いごとは嫌いだった。いままでに、僕は入院中に女性用のウィッグをつけたり、女性の巻きスカートをはいたりする体験を書いた。いずれも必要があって、やむにやまれずではあったが、僕は女性のものを身につけた。そんな女性のものを身につけたとき・・・もちろん恥ずかしさはあったが・・・僕は断固拒否したりはしなかった。それも、おそらく僕が女性的な性格だからなのかも知れない。

 

 そんな勝負に淡白な僕が麻雀のパイを見ることができたのだ。いわば透視のようなものだ。しかし透視できた対象がなぜ麻雀パイなのかは・・・僕にも判らないのだ。


 正夢の話をもう一つ付け加えたい。


 仕事で一人でドイツに行った。行きの飛行機の中で僕は眠った。そして夢を見た。こんな夢だ。


*******

 僕はドイツのホテルについた。のどが渇いていた。部屋に置いてある水を飲もうとして、テーブルの上に伏せてあったコップを手にとった。すると、何故かコップが真っ二つに割れたのだ。最初から割れていたのかもしれない。しかし、透明なコップだ。僕はドイツ人の掃除のおばちゃんが怪我でもしたら大変だと思って、『コップが割れています。気を付けて下さい』と英語でメモを書いた。そして、割れたコップを伏せて、その横にメモを置いた。

*******


 たったそれだけの夢だった。僕は起きるとすぐに夢のことを忘れた。読者の皆様も経験があると思う。起きた一瞬は夢のことを覚えているが・・次の瞬間には夢の記憶があいまいになって・・すぐに忘れてしまうという経験を。このときもそうだった。僕はすぐに夢のことを忘れた。だって、コップが割れたという夢を覚えていても仕方がないのだ。


 そして予約したホテルについて・・・・僕はのどが渇いていたので、テーブルのコップに手を伸ばした。どこかで見た光景だと思った。そのとき、夢のことを思い出した。コップが割れている。僕は100%の確率でそう確信した。僕がテーブルに伏せてあるコップを持ち上げると、コップの下半分がキラリと光って床に落ちた。ギザギザになったガラスの破片が眼に入った。


 「夢が現実になった」 


 僕は割れたコップを見ながら、茫然とつぶやいた。そして、夢のようにドイツ人の掃除のおばちゃんに気をつけるようにメモを残したのだ。僕は夢と現実で同じことを二回繰り返した。なんだか予め決められた演技をしている役者になったような気分だった。


 僕は思った。まるで、コップが割れているから気をつけなさいと、誰かが夢で警告してくれたようだ。


 僕はこういった体験を人には話さなかった。さっきも書いたように、話して分かってもらえることではないのだ。あなたは「夢が現実になったり、サイコロの目が分かったり、麻雀のパイが見えるなんてすごいじゃないの」と思うかもしれない。僕もこれが「試験の問題が夢に出てきた」とか「当たりの宝くじの番号が見えた」という話ならばすごいと思うかもしれない。だが、そんなことは一度もなかった。いつも、どうでもいいようなことにしか起こらないのだ。


 しかし、このようなことをいくつも経験していると、いつしか僕は学んでいた。僕は事前に何かを予兆して確信することがあるのだ。そんなとき、その『確信』は必ず現実になるのだ。しかし、確信はいつも訪れるのではない。たまに訪れるだけなのだ。


 このように、夢が現実になるとき、また、サイコロの目や伏せてある麻雀パイが見えたとき・・・・僕はいつも自分が見た夢や見えたことが100%の確率で起こることを確信するのだ。


 こういった体験とAPL(急性前骨髄性白血病)との関係については後に述べたい。


 僕はオカルトのようなことを言うつもりはない。僕はエンジニアで、いつも自然法則を基に仕事をしている。だが、世の中には理屈や法則で説明できないものが間違いなく存在すると思っている。しかし、そういった理屈や法則で説明できないものの存在というのは、誰もが信じられることではない。ここに書いた話はすべて事実だが、信じられない人は無理をして信じる必要はないと僕は思っている。信じられないのが当たり前なのだから。。。


 そして、この100%の確信が起こるとき、僕はいつも何かに導かれているという感覚にとらわれるのだ。


 お話の続きで、何かに導かれた(らしい)話をしよう。さっきのガラスのコップが割れたときとは違うときにも、僕はドイツに行った。そのドイツでの体験を付け加えたい。ドイツで何かに導かれるようにして、僕は幽霊のようなものの写真を撮ったことがあるのだ。(つづく)


 







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