第35話 輸血と巻きスカート 3
僕は電話で妻に言った。
「・・・というわけでひどい目に会ったよ。それで、明日もまた血小板の輸血があるんだけど、輸血の途中でまたあのアレルギー反応に襲われたらと思うと怖くて仕方がないんだ。身体が熱くなるのはまだ耐えられても、あの全身がかゆくなるのには、とても耐えられないよ。死んだ方がましだと思うくらい苦しくなるんだ。今日はお風呂上がりで全裸だったんだけど、ベッドのシーツに身体がこすれるだけで全身がかゆくなって、いてもたってもいられなくなってしまったんだ。服が身体にこすれるのさえ刺激になって、ものすごいかゆみに変わことが分かったよ。だから、もし今度あのアレルギー反応が来たら、身体への刺激を避けるためにパッと服を脱いですぐ裸になってしまいたいんだ。上半身は何かを羽織っていて、アレルギーになったらそれを脱げばいいんだけど、下半身は何かないだろうか? 下半身を覆っていて、いざとなったらパッと脱げるものは何かないかな? とにかく、アレルギー反応がきたときに、すぐに全裸になって、衣服で身体がこすれないようにしたいんだ」
妻も思案してくれた。
「それじゃあ、バスタオルを腰に巻いていたら、どうなの?」
「バスタオルかあ。あのバスタオルのごわごわが皮膚への刺激になると思う。バスタオル以外には何かないかなあ?」
「じゃあ、長袖の上着を腰に巻いたら?」
「うーん。その場合、上着の袖を腰にまわして結ぶことになるよね。そうしたら、すぐに結び目がほどけないよ。アレルギーがきたら、すぐに脱げるようにしたいんだ。それに、下半身をきちんと隠すことができないんじゃないかな」
なかなかいいアイデアが浮かばなかった。全裸の下半身をきちんと隠せて、それでいてすぐに脱げるもの? 僕は自分で妻に相談しておきながら、これはなかなか難しい注文だと思った。妻の困惑した声が聞こえた。
「そうねえ?・・何か考えてみるわ」
次の日、昼前に妻が病院に来てくれた。
「いいものがあったわよ」
そう言って、妻が出してくれたのは・・女性の巻きスカートだった。腰に巻きつけて、身体の正面でボタンで止めるようになっている。
「近所の洋品店で相談してみたのよ。そうしたら店の女性の店長さんが、これはどうでしょうかと言って巻きスカートを出してくれたの。私もこれがいいんじゃないかと思って、それで1枚買ってきたのよ」
僕は妻の買ってきてくれた巻きスカートを手にとった。赤いチェック柄のスカートで、生地は柔らかく、これだったら肌に直接触れても刺激が少なそうだった。それにスカートなので全裸の下半身を完全に隠すことができる。さらに腰に巻いて身体の正面でボタンで止めるようになっているので、アレルギー反応がきたらボタンをすぐに外すことができそうだ。
なるほど。これなら、アレルギーに襲われてもすぐに脱ぐことができる・・・
すぐにこれはいいと思った。アレルギー対策にうってつけだった。しかし、僕は同時に躊躇した。だって、女性のスカートなのだ・・・男性なら誰でも躊躇するだろう。
しかし、そんなことを言っていられなかった。考えている余裕もなかった。あと1時間もしないうちに、今度は血小板の輸血が始まるのだ。僕は急いでシャツからパンツまですべて脱いだ。全裸になった。そして、巻きスカートを腰に巻いた。スカートはひざ丈だった。僕のひざでスカートのフリルが揺れた。スカートの下からスース―と風が入ってくるようで、何とも頼りない感じだ。しかし、いまはこれしかない。
そして、上半身にはジャージの上着を引っかけた。それから、病室のエアコンの設定温度を高くした。
前に僕は女性用のショートボブのウィッグをつけたことを書いた。そして、今度は巻きスカートだ。スカートを腰に巻くと、なんだが身の回りに急に女性の品が増えたように思った。
妻が帰るのと入れ替わりに女性の看護師さんがやってきた。今日の血小板の輸血の血液を持っていた。昨日の赤血球の輸血では血液の袋は真っ赤な色をしていたが、今日の血小板の袋はオレンジ色だった。
スカート姿を見られるのは恥ずかしい。僕は何か言われる前に、看護師さんに腰に巻いている巻きスカートを見せた。そして、事情を簡単に説明した。看護師さんは笑って聞いていた。だけど、何にも言わなかった。
巻きスカートは僕に高校の体育祭のことを思い出させてくれた。
男子の仮装競争があって、各クラスから男子10人ずつが参加した。僕もその一人だった。どんな仮装をしようかと女子も加わってクラス全員で話し合った。結局、僕たちのクラスは男子が女子の制服を着て走ろうということになった。クラスの女子たちが僕たち出場者に自分の制服を貸してくれた。僕に制服を貸してくれたのは・・・クラスの中でも特にかわいい女の子だった。体育祭の日になった。その子の制服のスカートに足を通すとき、僕の胸は高鳴った。仮装競争で走ると、足が上下するのに合わせてスカートが頼りなく揺れた。そして、僕のクラスが一位になった・・・そうだ、僕に制服を貸してくれたあの子は今どうしているだろうか?
しかし、僕の感傷は長く続かなかった。点滴が始まったのだ。
看護師さんは昨日岸根医師が言ったように、まずアレルギーの点滴をしてくれた。それが終わると、いよいよ輸血の点滴だ。僕は全裸の身体にジャージの上着と巻きスカートだけを身に着けて、ベッドの横にちょこんと腰かけた。ベッドにお尻を軽く置いただけの姿勢をとった。もし、アレルギー反応が出たら、すぐに全裸になって、ベッドから離れようという魂胆だった。前に書いたように、アレルギー反応が起こったら、ベッドのシーツとの摩擦でさえ僕には危険な刺激になるのだ。
血小板の点滴が始まった。僕は身構えた・・・
血小板の点滴は1時間ほどで終了した。幸いにもアレルギー反応は起きなかった。しかし、まだ安心できない。僕は点滴が終わっても、しばらくジャージと巻きスカートという服装を続けた。昨日は点滴の後でアレルギー反応が来たのだ。
血小板の点滴が終了して、1時間経ったときに看護師さんが様子を見に来てくれた。その間、異常はなかった。僕は「もう大丈夫です」と看護師さんに告げた。
良かった! アレルギーを抑える点滴が効いたのかもしれない。だが、僕には昨日の赤血球の輸血よりも、今日の血小板の輸血の方が身体に対するショックが少ないようにも感じた。
それから三日後にまた赤血球の輸血があった。僕はまた全裸にジャージと巻きスカートという服装でアレルギーに備えた。最初にアレルギーの点滴があって、次に赤血球の輸血が始まった。しばらくは何もなかった。30分ほど過ぎたときだ。
身体にドンという衝撃が走った。急に全身が熱くなって、同時にかゆくなった。
きたっ!
僕はジャージの上着をベッドの上に放り投げて、巻きスカートのボタンを外した。巻きスカートが床に落ちた。次の瞬間、僕はベッドから飛び起きて、すっぱだかの身体で前の壁に両手をついて身体を支えた。スリッパには足を通さず、裸足で床に立った。こうすると、もう僕の身体を刺激するものは何もなくなった。僕は全神経を身体に集中させた。
頼む、かゆみが引いてくれ! 僕は全裸で祈った。
ちょうどそこへ女性の看護師さんが僕の病室にやってきた。看護師さんは、全裸で壁に両手をついて立っている僕を見て驚いた様子だった。それはそうだ。病室でそんな格好をする患者がいるわけがない。間違いなく、彼女は患者が全裸でそんな姿勢で立っているのを見るのは初めてだっただろう。当たり前だが、僕もそんな格好を人に見せるのは初めてだ。女性に全裸を見られていると思うと、僕は顔から火が出るように恥ずかしかった。なんだか自分が何かの標本にされて、女性に裸を自由自在に観察されているようだ・・・
だけど、僕は声を出すことができなかった。そんな余裕は全くなかったのだ。眼で看護師さんに事情を伝えた。看護師さんはすぐに何が起こっているのかを理解してくれた。そして、床に落ちている巻きスカートを拾いあげて、黙って僕の横に立ってくれた。何かあったらサポートしようという体勢だった。
やがて・・・全身の熱さとかゆみがゆっくりと引いていくのが分かった。
やった!・・・そして、良かった!
僕は大きく息を吐いた。看護師さんに「もう収まりました」と今度は声を出して伝えた。それきり、アレルギー反応はもうやってこなかった。
巻きスカートのお陰で助かった。もうアレルギー反応がきても大丈夫だ。僕はそう思った。
その日以降も輸血は続いた。その都度、僕は全裸にジャージと巻きスカートという出で立ちでアレルギーに備えた。だが幸いにも、僕をあんなに苦しめたアレルギー反応はそれ以上はもう起きなかった。
こうして、妻が買ってくれた巻きスカートは大いに役立った。僕をアレルギー反応から救ってくれたのだ。僕は妻に心から感謝した。(つづく)
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