第32話 妻に改めて感謝する

 「水ようかんが食べた~い」


 僕は病院に来てくれた妻に言った。


 「あなた、今は冬なのよ。水ようかんって夏の食べ物でしょ。冬に売ってるわけないじゃないの」


 「でも・・・ゼリーも飽きた。プリンも飽きた。それでも、甘いゼリーみたいなものが食べたい。甘いゼリーみたいなものとなると、やっぱり水ようかんだ。岸根先生は食べられるものだけを食べなさいと言ったんだ。だから、僕は水ようかんが食べた~い」


 妻は首をかしげた。駄々をこねる子どもをどう扱おうかという表情だ。

 

 僕も駄々をこねているのは承知している。だけど本当にそうなのだ。吐き気がするので、岸根医師は「吐き気がして食べることができなくなります。だから、くれぐれも無理をして食べないようにしてください。ゼリーやプリンといったものだけでも結構ですから、食べられるものだけを食べてください」と言ってくれたのだ。


 岸根医師の言うとおりだった。本当に僕は吐き気で食べることができなかった。今は三回目の入院だ。岸根医師の言う保険の関係で、治療が一段落するごとに僕はいったん退院して、すぐに再入院するということを繰り返していた。病院では再入院するたびに体重を測る。食べることができないので、僕の体重は再入院のたびにみるみる減っていった。僕は元気のあるときは看護師さんに「入院はいいダイエットになりますよ」と冗談を言っていたのだ。


 それでも、岸根医師が言ってくれたゼリーやプリンは吐き気があっても食べやすかった。でも、それらも一日に一つ食べるのが精一杯だ。それにいくら何でも、毎日ゼリーやプリンばかりだとなんだか飽きてくる。加えて僕はなぜか無性に甘いものが食べたくなったのだ。そこで僕が思いついたのが、水ようかんだったのだ。


 妻は家の近くの和菓子屋さんに行ってくれた。


 「〇〇屋さん(家の近くの和菓子屋さんの名前)で聞いてみたのよ。すると、店員さんが、夏は水ようかんを作って店に置いてるんですけど、冬は作ってないんですと言うのよ。やっぱり冬はないんじゃないの。冬は水ようかんなんて売れないのよ」


 僕は妻に言った。


 「インターネットで水ようかんが売られているのを見た気がする」


 妻は首をひねりながら家に帰っていった。


 四五日して、妻が病院に豪華な折箱を持ってきてくれた。見ると、水ようかんの詰め合わせセットだ。なんと種類の違う水ようかんが合計36個も入っていた。


 「インターネットで調べたら京都の老舗の和菓子屋さんが贈答用に冬でも作っていたのよ。インターネットではそこしか売ってるところがなかったので、京都のお店に贈答用の水ようかんを注文して、送ってもらったのよ」


 僕が喜んだことは言うまでもない。やった、やった、わーい、わーい。


 僕は喜び勇んで、折箱のふたを開けた。しゃれたプラスティック容器が36個並んでいた。


 そのときだ。あんなに甘いものが食べたかったのに。。。あんなに水ようかんと言っていたのに。。。何ということだ。僕は36個の水ようかんを見た途端、水ようかんが食べたくなくなってしまった。


 36個もの水ようかんが多すぎたのだ。今までは、せいぜい一日にゼリーかプリンを一つ食べるのが精一杯だった。僕はヘルパーさんにお金を渡して、病院の1階にある売店までゼリーやプリンを買いに行ってもらっていた。このため一度にゼリーやプリンを眼にするのもせいぜい2~3個止まりだった。それが一度に36個もの水ようかんを眼にしてしまった。大量の水ようかんを見た途端、うまく説明できないが、僕は急に食欲を無くしてしまったのだ。


 僕は芥川龍之介の『芋粥』という作品を思い出した。『宇治拾遺物語』の説話を基にした話で、ご存じの方も多いと思うが、こんなストーリーだ。


******

 時は平安時代。主人公は四十歳を超した風采の上がらない五位(平安朝における官位)。彼は人が良くて人から何を言われても怒らないため、逆に人々から軽蔑されていた。そんな五位の唯一の楽しみが、年に一度、摂政家で催される行事でふるまわれる『芋粥』を食べることだった。ある年の宴の後、供された芋粥を食べ終わった五位が「いつになったら、これに飽きることができるのかのう」とつぶやいたところ、近くにいた藤原利仁という武将がそれを聞いて、五位に飽きるほどの芋粥を食べさせてやると約束をする。連れられて行った利仁の屋敷で五位が見たものは、食べきれないほどの量の芋粥だった。それを見た五位は急に食欲を無くしてしまう。五位は「いや、もう、十分でござる。・・・・・失礼ながら、十分でござる」と芋粥を辞退するのだ。

******

 

 この『芋粥』に出てくる五位とまったく同じことが僕にも起こったのだ。あんなに水ようかんが食べたかったのに、36個もの水ようかんを見ると、なんと食べられなくなってしまったのだ。


 僕は妻に言った。


 「ごめん。せっかく買ってきてもらったんだけど、36個も箱に入っているのを見たら、急に食欲が無くなっちゃった」


 妻はちょっぴりふくれた。


 「えー? どうして? 一体どうしたのよ。あんなに水ようかんが食べたいというから、苦労してインターネットを調べて、京都のお店からわざわざ買ったのに・・・」


 僕は妻に謝った。すると、なんだか気分が悪くなった。一度に36個もの水ようかんを見たから気分が悪くなったのだろうか?


 僕は布団にもぐりこんだ。そして、少しだけ眠った。眼が覚めると、妻がベッドの横の折りたたみ椅子に座って、眠り込んでいた。顔を上にあげて、すやすやと寝息を立てている。顔に疲労の色があった。


 「苦労をかけてごめんね」


 僕は心に中で妻にそう謝った。それから妻の横に歩いて行った。


 「いつもごめんね」


 今度は小さく声に出してそう言った。そして、僕は妻が起きないように気をつけながら・・・こんなことを書くのも恥ずかしいのだが・・・そっと唇にキスをした。(つづく)



 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る