第27話 女性用ウィッグに挑戦

 翌日、岸根医師が病室にやってきた。岸根医師は僕のツルツルテンの頭を見て笑った。嫌味な笑いではなかった。屈託のない明るい笑いだった。


 「あっ、とうとう髪の毛が抜けちゃいましたね」


 僕も岸根医師と一緒に笑った。


 「そうなんです。いつ髪の毛が抜けるかとヒヤヒヤしていたんですが。。。昨日、一気に髪が抜けてしまって、何だか拍子抜けしてしました」


 僕は自分の頭を指さして聞いた。


 「ところで、先生、こんなにツルツルテンになっても、いつかは髪の毛が生えてくるんでしょうね?」


 「ええ。抗がん剤の点滴治療がすべて終わったら、少しずつ生えてきます。でも、髪の毛が元に戻るのは半年ぐらいはかかりますよ」


 僕は髪の毛が元に戻ると聞いて安心した。


 しかし、何だか変な気分だ。鏡を見ると、鏡の中に僕の知らない男性がいた。その男性を見ると、いかにもスキンヘッドは似合っていないように思えた。僕は鏡を見ながら薬剤師さんが言っていた毛糸の帽子をかぶっている姿を想像したが・・・僕の眼の前の鏡の中には僕のまったく知らない、毛糸の帽子をかぶった別の人物がいた・・・僕は首を振った。だめだ。やっぱり毛糸の帽子は僕には似合わない。


 すると、残るのはウィッグかぁ・・・


 しかし、薬剤師さんはウィッグは頭に合わせて採寸して作るので、注文してから出来上がるまでかなりの時間がかかると言っていた。カタログを見ると載っているウィッグはどれも高価だった。僕はそんな高価なものはいらないと思った。どうせ、治療がすべて終わったら髪の毛が生えてくるのだ。それだったら、通販の出来合いの、既製品の安いウィッグでいいや・・・


 もし、僕が女性だったらどうだったろう? 恐らくもっと違う考えになっていたかもしれない。女性と男性では髪の毛に対する愛着というか感情がまるで違うんだろうなあ。男性は髪の毛などどうでもいいという人が多いのではないだろうか? 僕も既製品の安いウィッグで事態を簡単に処理したかったのだ。


 さっそく僕は携帯を操作した。インターネットの通販でウィッグを調べてみた。


 男性用のウィッグを調べたのだが・・・・僕の調べ方が悪かったのだろうか? なぜか年配の人用のウィッグしかでてこないのだ。白髪を想定したオールシルバーのウィッグとか、ごま塩頭のようなウィッグとか・・・調べても調べても、そんなのばかりだった。

 もっと若い人用となると、あるにはあったのだが・・・・金髪だったり、ハロウィン用なのだろうか、派手な紫色のウィッグだったり・・・・。


 とにかく男性用ウィッグを調べると、なぜかそんなのしか出てこないのだ。


 僕はため息をついた。


 次に僕は試しに女性用のウィッグを調べてみた。さすがに女性用ウィッグは実にバリエーションがあった。ショートからロングまで、色も黒から金髪まで、いろいろなウィッグがインターネットには出ていた。ショートボブのウィッグなんかはそのまま男性でも使えそうだ。


 しかし、女性用かぁ? なんだか女性用ウィッグをつけるのは恥ずかしい。 


 そこで、僕は名案(?)を考えついた。女性用ウィッグをはさみで短くカットすれば男性用ウィッグになるではないか。そして、既製品の女性用ウィッグの髪を短くカットすればいいという前提に立てば、基本的にどの女性用ウィッグを選んでもいいということになるではないか。


 恐らく、女性の読者の皆様の中には「女性のウィッグをカットするなんて素人にできる訳がないじゃないの!」とおっしゃる方がいると思う。まったくその通りなのだが、このとき僕は本気で「女性のウィッグをカットすれば、すぐに男性用ウィッグになる」と思っていたのだ。僕は生まれてから一度も長髪にしたことがない。長い髪を経験したことがない男性の、髪の毛やカットに関する認識はそんな程度なのだ。


 さて、名案(と思っていた)を思いついた僕はさんざん迷ってショートボブとセミロングの二つの安い女性用ウィッグをネット通販から注文した。そして、妻に電話して、明日にはウィッグが家に届くので今度病院にくるときに持ってきてくれるように頼んだのだ。


 ウィッグは翌日に家に届いた。その次の日に妻が病院に持ってきてくれた。


 僕はまずセミロングの女性用ウィッグをかぶってみた。鏡を見ると、知らない男、いや知らない女・・・が鏡の中にいた。妻がそれを見て、似合っていると言って笑った。

 

 しかし、僕は鏡を見ていて大きな間違いを犯したことに気がついた。僕は女性用ウィッグの長い髪をはさみでチョキチョキと切れば、すぐに男性用ウィッグになると思っていた。しかし、鏡に映ったセミロングの髪をカットするのは素人には難しすぎた。名案が実は名案ではなかったことにやっと気づいたというわけだ。


 僕は妻に頼んだ。


 「ねえ。僕がこのウィッグをかぶっているから、そこのはさみで適当にウィッグの毛を切ってくれない?」


 妻はびっくりして言った。


 「嫌よ。髪の毛を切るのは難しいのよ。美容師さんじゃないと、そんなのできないわよ」


 「そんなプロがやるようにしなくてもいいんだよ。ざっとでいいから・・・」


 妻は首を横に振った。


 「嫌よ。絶対にイヤ。私にはできない」


 しかたがない。僕はセミロングのウィッグを外した。そして、今後はショートボブのウィッグをかぶった。妻がまた笑った。


 「それも似合ってるわよ。そのウィッグだったら、カットしなくても、そのままでいいんじゃない? 今より若く見えるわよ」


 僕は鏡を見た。確かにそうだ。今の僕より若い男の、いや女の・・見たことのない顔があった。鏡の中の女が僕を見て笑った。僕は言った。


 「まあまあだなあ。このウィッグだったら、このままでいけるね。では、これにするか・・」


 翌日、僕はウィッグを岸根医師や看護師さんに見せた。女性用のウィッグなので、事前に断っておきたかったのだ。男性が女性のウィッグをつけるということで、やはり僕は恥ずかしかった。さすがに、いきなりかぶっているところを見せる勇気はなかったので、かぶらずに「こんなのを買いました」と言ってウィッグだけを見せたのだ。みんな驚くかと思ったが、誰も「そうですか」といった反応で、特に関心を示す人はいなかった。血液内科ではみんなウィッグなどは見慣れていて、珍しくもないという印象だった。


 僕はその日一日、病室でショートボブの女性用ウィッグをつけて過ごした。


 だが、微妙な気持ちの変化が起こった。次第に嫌になってきたのだ。


 僕は病室から出ることを禁じられている。だから、ウィッグをつけて廊下に出ることもない。病院の外を歩くこともない。病室にやって来るのは岸根医師と看護師さんとヘルパーさんだけだ。岸根医師以外は全員が女性だ。岸根医師を除くと、僕の病室にやって来るのは女性だけということになる。


 つまり、女性だけが頻繁に出入りする病室の中で、僕は女性用ウィッグをつけて、たった一人で何もせずにじっとしているというわけなのだ。これは・・・・なんだかバカみたいなのだ。僕は一人で笑い出してしまった。


 僕は女性用ウィッグをとった。そして、病室に備え付けられているタンスの中にしまい込んだ。女性用に限らず、もうウィッグをつけることはないだろうと思った。


 だが、このとき僕は知らなかったのだ。この女性用ウィッグは後で大活躍することになるのだ。(つづく)

 


 

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