第25話 吐き気はどこからくるの?
僕は一日おきに採血された。採血の結果は遅くとも翌日には岸根医師か看護師さんから知らされた。それによると、抗がん剤の点滴が続くにつれて、僕の血液中の白血球の数が少しずつ減少してきたのだ。白血球だけではない。血液中の赤血球や血小板などの数も徐々に減少してきたのだった。
この現象については抗がん剤の点滴を受けるときに岸根医師から聞かされていた。
岸根医師は僕にこう言ったのだ。
「この抗がん剤の点滴は異常な白血球を殺します。しかし、残念ですが、異常な白血球だけでなく、正常な白血球や赤血球、血小板なども破壊しますので、点滴を続けていくと、正常な白血球や赤血球、血小板などがどんどん減少していきます。それで、白血球の数が正常の十分の一程度まで減少したら、抗がん剤の点滴を止めます。抗がん剤の点滴とともに吐き気止めの点滴も同時に行いますが、抗がん剤の点滴を止めたら吐き気止めの点滴もやめることになります。そして、今度は白血球や赤血球、血小板などが自然に増加するのを待ちます。それらが正常値近くまで回復したら、一回の点滴治療が完了です。この一回の点滴治療にだいたい一カ月少しかかります。この抗がん剤の点滴を全部で三回繰り返すのです」
異常な白血球だけでなく、正常な白血球や赤血球なんかを根こそぎ殺すのか! なんと乱暴な治療なんだろう! 僕は岸根医師に率直な感想を言った。
「ずいぶん乱暴な治療なんですね。昔の人がテレビが壊れたときに、よく手で叩いて直そうとしたりするじゃないですか? なんだか、それに似ていますね?」
岸根医師が笑った。
「ええ。そうです。経験から生まれた対処療法のようなものです。こういうやり方しか治療方法がないんですよ。とにかく、APL(急性前骨髄性白血病)は原因が不明の病気ですからねえ。原因が分かっていたら、別の治療もあるんでしょうが・・・」
吐き気については前に書いたように岸根医師は僕にこう言っていた。
「いまは吐き気止めの薬が開発されて、これでもずいぶん患者さんも楽になったんですよ。昔は、白血病の患者さんはベッドの横に洗面器を置いておいて、四六時中、げーげーと吐いていました・・・・・昔のテレビドラマや映画を見ると、白血病の患者さんがしょっちゅう口を押えて吐き気に耐えていたり、洗面器に吐いたりしているでしょう。昔は本当にあんな状況だったんですよ・・・・・ただ、今でも感じやすい人は、看護師が病室でこの点滴液を準備しているのを見ただけで吐きそうになる人もいます」
そして、最後に岸根医師はこう付け加えたのだ。
「とにかく白血球が限界ぎりぎりまで少なくなりますので、この治療中は病室を絶対に出ないでください」
こうして、岸根医師が言ったように、僕の血液中の白血球、赤血球、血小板などは順調に(?)減少していったのだ。
白血病の治療で吐き気が激しいことは僕もテレビドラマか何かで見たことがあった。僕は吐き気に苦しみながら、ベッドに横になって天井を見上げた。僕の心に一つの疑問が浮かんだ。
しかし、なぜ吐き気がするんだろう? そう言えば、岸根医師はこの抗がん剤治療でなぜ吐き気が激しいのかは説明してくれなかった。
吐き気は一体どこから来るんだろう?
僕は考えた。
そう言えば、岸根医師はこう言っていた。
「この抗がん剤の点滴は異常な白血球を殺します。しかし、残念ですが、異常な白血球だけでなく、正常な白血球や赤血球、血小板なども破壊します」
僕の頭にある考えが浮かんだ。
つまり、この抗がん剤は身体にとって毒薬と同じだということではないか?
そうだ。そう考えると説明がつく。つまり、身体に毒を点滴されているので、身体がそれに対して拒絶反応を起こしているんだ。
人間の身体は点滴なんか知らない。人間の身体が知っている体の中に毒が入るケースは、口から毒を摂取したときだけだろう。それで、身体が食べた毒を吐き出そうとして、吐き気を起こしているんだ。
そうか、そうだったんだ。吐き気は身体が体内に入った毒を吐き出そうとする現象だったんだ。
翌日、僕は岸根医師に僕の考えを言ってみた。岸根医師はこう言った。
「その通りです。吐き気は毒に対する身体の反応なんです。言われるように吐いて毒を身体の外に出そうとしてるんですよ」
やはり、そうだったのか。僕は納得した。
もちろん、医学的には僕の想いは違っているのかもしれない。岸根医師は僕に合わせてくれているだけなのかもしれない。だが、その説明で僕はなんだか納得することができたのだ。もちろん、納得したところで、吐き気が収まるはずもない。僕は自分の身体に言った。
「おい、違うんだよ。この毒は口から食べたものではないんだ。点滴という身体が知らない方法で体内に毒を注入されているんだ。だから、吐き気を起こして、口から胃の中のものを吐いても毒が身体の外に出るわけではないんだ。これを理解してくれ。いい加減、吐き気を起こすのはやめてくれ」
僕の身体はちっとも言うことを聞いてくれなかった。僕の身体の血液中の白血球、赤血球、血小板などの数は減少していき、吐き気も激しくなっていった。
吐き気との闘いはまだまだ続く。先は長かった。
吐き気の理由が分かっても僕は吐き気で苦しんだ。
そして、とうとう僕の恐れていたことが起きた。髪の毛が抜けだしたのだ。(つづく)
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