第18話 冷気が襲ってきた 1

 2回目の入院では、病室が803号室から805号室に変更になったことは既に書いた。前にいた803号室も今度の805号室も僕の病室は特殊な構造で、外から菌が入りこまないように常に室内から室外へと風が流れる構造になっていた。つまり、どちらも常にエアコンが作動している病室だったのだ。


 どちらの病室も、エアコンの風はベッドの真上の天井から噴き出すようになっていた。患者はほとんどの時間をベッドで寝て過ごすことになる。その患者が最も外気に触れないようにするには、ベッドを最も外気に触れないようにする必要があるのだ。このため、常にベッドの真上の天井からベッドに向かってきれいな風を吹き下ろしているのだった。


 さて、僕が入院したときは冬だった。当然、803号室でも今度の805号室でも僕はエアコンを暖房にセットした。805号室に入って、二三日したときだ。眠っていて僕は何かおかしいことに気づいた。


 なんだかやけに寒いのだ。身体がぞくぞくする。805号室のエアコンのスイッチは入り口近くにある。僕は点滴の電気コードを抜いて、点滴の簡易ラックを押しながら入り口に歩いた。24時間連続で抗がん剤の点滴をされているので、僕は数歩歩くだけでも点滴液を送るポンプの電源をいちいち抜いて、点滴液やポンプがついている簡易ラックを手で運ばなければならなかったのだ。


 エアコンの温度設定は26度になっていた。冷房ではなく暖房の表示がでていた。


 僕は首をひねった。26度の暖房になっているのに寒いなんて・・・また熱でも出たんだろうか?


 ベッドの横に備え付けられている体温計で熱を測ったが平熱だった。僕はエアコンの設定を27度にしてベッドに戻り再び布団にもぐりこんだ。


 しばらくしたが、やはり何だか寒い。というか、さっきより寒くなったような気がした。僕はもう一度点滴の電気コードを抜いて、点滴の簡易ラックを押しながら入り口に行き、エアコンの設定を28度にした。


 それでも暖かくならないのだ。


 どうしてなんだろう? 前にいた803号室ではこんなことはなかった。エアコンの設定温度を上げると、すぐに部屋が暖かくなった。805号室のエアコンの調子が悪いのだろうか? 


 そうこうするうちに、2時間おきに巡回する女性の看護師さんがやってきた。僕は看護師さんに言った。


 「この805号室のエアコンが何だか調子悪いようなんです。さっき、寒いと思って設定を見たら26度だったんですが、それを28度に上げてもちっとも暖かくならないんですよ。エアコンの調子が悪いように思うんですが・・・・・」


 看護師さんが入口に行って、エアコンの設定を確認した。


 「確かに28度の暖房運転ですね」


 そして看護師さんは不思議なことを言った。


 「これで十分に暖かいと思いますよ。もう少し様子を見てください」


 暖かい? そんなバカな! 僕はこんなに寒いのに? 十分に暖かいなんて一体何を言ってるの? そんなことがあるはずないじゃないの?


 しかし、看護師さんはそれで病室を出ていった。結局、僕は寒くて布団をかぶって夜を明かした。普段でも看護師さんが2時間ごとにやってきて、ペンライトを顔に当てるので眠れないのだ。その日はそれに加えて寒さもあったので、僕は全く眠れないままに朝を迎えた。


 さて、翌日の昼間はとくに寒いということもなかった。いつものように看護師さんや岸根医師や掃除のヘルパーさんがやってきて、いつものように慌ただしく一日が終わった。夕方にエアコンの設定を見ると誰かが26度に戻してくれていた。


 さて、その日の夜になった。ベッドでうとうとしていた僕は寒くて眼が覚めた。布団を頭からかぶっていてもやっぱり何だか寒いのだ。身体が少しぞくぞくするような寒さを感じる。


 ものすごく寒いという訳ではなかった。しかし、ベッドで寝ていると、わずかな冷気に包まれるような寒さを感じるのだ。それは本当にちょっとした程度の軽い寒さだった。なんとか我慢しろと言われたら我慢できるかもしれない。しかし、その程度の寒さでも身体は正直だ。僕はまったく眠ることができなかった。


 僕は昨日と同様にエアコンの設定を見た。26度の暖房運転だった。昨日と同じように設定を27度に上げたが、それでも暖かくならなかった。

 2時間ごとに巡回の看護師さんがやってきたが、もう僕は何も言わなかった。何か言っても昨日と同じ結果になるだろうと思われたのだ。

 その日も僕はまんじりともせずに朝を迎えた。


 次の日に岸根医師がやってきたときに、僕は部屋の温度のことを話した。岸根医師は僕に聞いた。


 「26度の設定で寒いんですか?」


 「ええ。寒いんです。なんだか身体がぞくぞくします」


 そして、岸根医師はナースステーションに行ってすぐに戻ってきた。


 「今、ナースステーションで聞いたら、この805号室でエアコンの調子が悪くなったことは今まで一度もないそうですよ。病院の設備は毎年、定期検査をしていますが、その定期検査でも805号室のエアコンは異常が出たことはないそうです。今年の点検でもエアコンは正常だったそうですが・・・・」

 

 僕は繰り返した。


 「でも先生、寒いんですよ。夜、ベッドで寝ていたらなんだか身体がぞくぞくするような寒さを感じるんですよ」


 岸根医師は首をひねっていたが、やがてこう言ってくれた。


 「わかりました。病院には設備を管理する設備の専門家がいるので、それでは一度その専門家にエアコンを見てもらいましょう」


 ただ、岸根医師の口調はそんなに急ぐといったものではなかった。


 その夜だ。うつらうつらしていた僕はまた眼が覚めた。やはり何だか寒いのだ。布団をかぶっているのに、身体がぞくぞくする。部屋の入り口のエアコンの設置を26度から27度に上げた。それでも寒いのは変わらない。いや、むしろ寒くなったような気がした。


 さすがに僕は何かおかしいと思った。ベッドに上半身を起こして僕は考え込んだ。一体何が起こっているんだろう?


 まるで病室の中に幽霊でもいるようだ。寒さにぞくぞくしながら僕は本気でそう思った。(つづく)

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