第13話 病院の長い一日 1
入院中、僕はいろんなお医者さんや看護師さんから「よく眠れていますか?」と聞かれた。深い意味はない。まあ、入院している人に対する挨拶のようなものだと思う。
それに対して僕はいつも「いえ、あまり眠れません」と答えていた。本当に眠れないのだ。これを聞いたお医者さんや看護師さんは決まってこう言ったのだ。
「そうですか。でも、ここは病院で、あなたはいつもベッドの上にいるんですよ。ですから、あなたはいつでも好きなときに眠ることができますよ。どうかゆっくり休んでください」
恐らく、お医者さんや看護師さんは心からそう思っていらっしゃるんだと思う。僕が逆にお医者さんや看護師さんの立場だったら、やっぱり入院患者さんにはそのように言ったことだろう。
しかし、これは当然人によって異なると思うが、僕の率直な感想は「病院というものは、ゆっくり休めないところだな」というものだった。
そこで、今回から3回に分けて病院の一日をご紹介したいと思う。
病院の朝は6時に始まる。
朝6時キッカリに担当の看護師さんが病室にやって来るのだ。
そして、このとき僕が眠っていたら、看護師さんが優しく布団を直してくれて、黙って病室を出て行く・・・ということには絶対にならない。
看護師さんが6時キッカリにやって来るのはモーニングコールなのだ。このとき、僕がどんなに眠っていても、僕は無理やり起こされる。そして、体温の測定を命じられた。前にも書いたが入院中は一日に何回も体温を測るように言われた。その中でも、朝一番の体温測定は特別に重要なようで、朝のモーニングコールと体温測定だけは一人の看護師さんが順番に各病室をまわるのではなく、何人かの看護師さんが手分けして一斉に病室を回るのだ。
こうして早起きする日が数日続くと、早起きが習慣になってしまう。僕はどんなに眠れなかった夜であっても、朝5時40分ごろ、早い時には5時ごろに目覚めて、看護師さんが来る前に体温を測っておくことが習慣になってしまった。もっとも、世の中のお母さんやお父さんが早起きして、子供さんのお弁当を作ったりしているのに比べると、そんなに早起きとは言えないのだが。。。
僕がいるのは血液内科だ。僕は一日おきに採血をされた。採血は、看護師さんが注射器を病室に持ってきて、モーニングコールの後ベッドで行なう。そして、その血はすぐに検査にまわされた。
それから僕がトイレに行ったり顔を洗ったりしていたら、すぐに7時になる。僕は半月板を痛めていて歩けなかったので、何をするにも時間がかかった。顔を洗うのも一苦労というありさまだったのだ。
7時からは朝食が始まる。病院の朝食は、パン食、和食、いらないの3つを選んで事前に看護師さんに連絡するのだ。
僕は普段は和食派なのだが、半月板を痛めてからはパン食に変えていた。パンは片手で持って食べられるので、身体が不自由なときは圧倒的にパン食の方が便利が良かったのだ。
ただ、食べると・・出さねばならず、トイレで苦労することを想うと、食べながらでも気が重かった。毎回、トイレの話題で申し訳ないが、このときの僕にとってはトイレで用をたすということは最重要課題だったのだ。
食事は廊下の何か所かに分けて、可搬式のトレイに準備されて置いてあった。僕の場合は基本として病室から出てはいけない病気なので、看護師さんやヘルパーさんが時間を見て食事のトレイを病室まで運んでくれた。ただ、看護師さんやヘルパーさんが忙しい日もある。そんなときはトレイを持ってきてくれるのがかなり遅くなって、7時30分ごろやそれ以降になることもあった。
それで、半月板を損傷する前は、待つのが苦手な僕はマスクをつけて自分で廊下に食事を取りに行っていた。しかし、半月板を損傷した後は、松葉づえをついてトレイを運ぶことは不可能なので、看護師さんやヘルパーさんにお任せするしかなかった。
そして、看護師さんが忙しくなる8時半ごろになると、もっぱらヘルパーさんが病室にやってきて、食事が終わったトレイを持っていってくれた。
食事をしてからその8時半までの間が結構忙しい。
僕は松葉づえをついて、部屋に備え付けの小さな洗面台まで歩いて行った。といっても洗面台はベッドから二三歩なのだが、前にも書いたようにこれだけの移動が大変なのだ。
そして、松葉づえにもたれながら、電気カミソリでひげを剃って、剃り跡にクリームをつけて、歯を磨いた。そして、トイレに行くのだ。足の不自由な僕には、これだけでも30~40分は掛かった。
そして、ベッドで看護師さんを待つのだ。
8時半ごろになると、ヘルパーさんが食事を下げに来てくれるのと前後して、看護師さんがやって来る。このとき、僕は薬を飲むだけの治療だったので、看護師さんが薬を持ってきてくれるのだ。
薬は商品名が「ベサノイド」という焦げ茶色の錠剤だった。岸根医師は化学物質名で「アトラ(ATRA)」と呼んでいた。あるいは、岸根医師はその薬をよく「ドングリみたいな薬」とも言っていた。実際、その錠剤の形は焦げ茶色のドングリのようなユニークな形をしていた。見るからにかわいらしく、小さな小さなドングリを連想させるものだった。
岸根医師は僕の体重から計算して、「ドングリみたいな薬」を朝に2錠、昼に3錠、夜に3錠を飲むように指示を出していた。岸根医師に聞くと、朝を2錠とする必然性はなくて、一日8錠の計算になったので朝だけ2錠にしたということだった。また、食事の後に服薬する必要もなかったが、看護師さんに分かりやすいように毎食後に服薬という指示を出したと言っていた。
服薬治療と言っても、僕が飲むのはその「ドングリみたいな薬」だけだった。このため入院当初、僕は看護師さんに「それくらいだったら、僕に一日分を渡していただけたら、僕が自分で管理して、自分の都合のいい時に勝手に飲みますよ」と言ったのだが、これは許してもらえなかった。
毎回食事の後に、看護師さんがその薬を所定量持ってきてくれるのだった。そして看護師さんは、僕がその薬を口に入れて飲み込むまで、息をつめて観察し、薬を飲んだことを確認して帰るのだった。看護師さんによっては、薬を飲んだ後で、僕に口を開けさせて口の中に薬がないかを確認することまでした。
看護師さんに聞くと「たまに薬を飲んだふりだけをして、実は飲んでない人がいるんです。そんな人がいるから、そんな風にして薬を飲むのを最後まで見届けないといけないんですよ」という話だった。
病気を治療するために病院に入院した患者さんが、なぜそんなことをするのか僕には理解に苦しむ話だが、看護師さんによると入院患者の中には結構そんな人がいるそうなのだ。
そして、投薬にやって来る看護師さんは毎回違っているのだが、薬を飲んだ後、どの看護師さんも同じことを僕に聞くのだ。
「トイレは行きましたか? 便は出ましたか? どんな便でしたか?」
もし、このとき「まだトイレに行っていません」というふうに答えると、こんな風に厳しく追及された。
「便が出ないんですか? 便秘ですか? いま、便はどのくらいの頻度で出ますか? 一番最近に便が出たのはいつですか? そのときはどんな便でしたか?・・」
従って看護師さんの質問に答えるために、僕は看護師さんがやってくるまでに必ずトイレに入っておかねばならなかったのだ。便秘で便が出ないときでも。。。(つづく)
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