第11話 歩けなくなっちゃった 3
何ともヒドイことになってしまった。急性前骨髄性白血病の治療をしながら、右ひざの半月板を損傷して歩けなくなってしまったのだ。まさに、踏んだり蹴ったりとはこのことだった。
しかし、なってしまったものは仕方がない。僕は比較的容易に事態を受け入れることができた。いくらあせっても、また、いくらあれこれ考えても仕方がなかった。起こってしまったことは、もう元には戻せない。ひざの半月板の損傷はすぐには治らないのだ。ただ、いったいどうして、こんなことになってしまったのか?という強い疑念は残った。
それから、僕の生活が一返した。
病室の中を松葉づえをついて移動した。何かの検査などで病室を出るときには、車椅子のお世話になった。
一番困ったのはベッドの乗り降りとトイレだった。
ベッドから降りるときにはどちらかの足を床につけて、その足で身体を支えて床に立たなければならない。右足のひざが痛いので、僕は左足を床におろして、左足に全体重をかけて、床に立つようにした。左足に体重をかけて、右足をベッドから外すのだが、この時うっかりして右足に力がかかってしまうこともあった。そんなときは、激痛が走って、床に立ちかけた僕はベッドにまた倒れ込んでしまった。
床からベッドに乗るときは、その逆だった。左足を軸にして、ゆっくりと右足を伸ばしたままベッドの上にのせて、それから、右足に力がかからないように注意して体重移動しながら身体をベッドの上に投げ出すのだ。月並みな表現だが、こんなことになって、僕は健康な身体の重要性を知った。
また、トイレも大変だった。
前に書いたように、僕の病室は特殊なもので、トイレやお風呂も病室に備え付けられていた。トイレは洋式で、幸いにも便座のフタは取り付けられていなかった。もし便座のフタがついていたら、フタの開閉だけでも苦労するありさまだったのだ。僕は松葉づえをついてトイレに行った。僕は病室ではジャージを着ている。ジャージのズボンを下ろすと、左足に体重をかけ、手でトイレの中の壁を触ってバランスをとりながら、ゆっくりと便座の上に腰を下ろした。用をたすと、その逆の動作でゆっくり、ゆっくりと便座から立ち上がるのだ。
用をたすときは、右足をまっすぐ伸ばして、手で壁を触って身体を支えた。右足を伸ばしているので、トイレのドアは開けたままにしておくしかなかった。
また、便座に深く腰掛けることはできなかった。便座に深く腰掛けてしまうと、まっすぐに伸ばした右足が床につかなくなる。つまり、まっすぐ右足を空中に伸ばしたままの姿勢で用をたさねばならなくなるのだ。こんな姿勢はとてもじゃないが、できなかった。右足をまっすぐ伸ばして床につけようとすると、どうしても便座の先端部分にお尻を乗せることになる。
つまり、僕は便座の先端にちょこんとお尻を乗せて用をたすしかなかったのだ。用が済むと、「ビデ」をお尻に当てた。そんな位置に座っているので、普通の「洗浄」では水がお尻から背中にかけての部分にかかってしまうのだ。「ビデ」でかろうじて、お尻が洗えるという状態だった。
とにかく、一回のトイレが大変で、大変で・・・・僕は便秘になってしまった。
僕は心からウォシュレットに感謝した。もし、ウォシュレットがなかったならば、毎回、看護師さんを呼んでお尻を拭いてもらうしかなかっただろう。こんなとき、ウォシュレットが無かった昔の人はどうしていたんだろうと思った。さぞかし、大変だったのではないだろうか?
しかし、いつまでこんな苦労が続くんだろう? トイレで散々苦労しながら僕は頭を抱えた。
僕が松葉づえ生活に入って、二三日したときだ。若い女性の看護師さんが病室にやってきた。看護師さんが僕に話しかけた。
「半月板を痛めたんですって?」
「そうなんです」
「何かと大変でしょう」
「ええ、ちょっとでも足を動かすと激しく痛むので、全く足を動かすことができないんです・・ほんとに大変です」
「分かります。よく分かります。実は私も高校のときに半月板を痛めて立てなくなってしまったんですよ」
「えっ、そうなんですか・・それで、どのようにして治されたんですか?」
「何もしなかったんです」
「えっ?」
「時間が経つと自然に治りました」
そうか、やっぱり放置していたら、いつの間にか治るのか! 整形外科の夏木医師からそう聞いていたが、医師の話と患者として体験した人の話では重みが違った。僕はわざわざ話をしに僕の病室まで来てくれた看護師さんに感謝した。
「ああ、やっぱり自然に治るんですね。それを聞いてホッとしました」
「でも日常生活が不便でしょう」
「ええ。トイレや何やかやで・・・本当に苦労しています。こんなことを伺うのも何ですが・・・半月板を痛められたときはトイレが大変ではなかったですか?」
看護師さんは明るく笑った。
「ええ、あのとき、トイレは本当に大変でした」
僕は自分が一番苦労しているトイレをどのようにして済ませていたかを詳しく聞きたかったのだが・・・・いくら看護師さんでも、若い女性だ。さすがに聞けなかった。
しかし、看護師さんの話は僕に勇気を与えてくれた。(つづく)
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