第8話 病室とテレビ

 僕の病室は特殊な作りの個室だった。


 細菌が外から入り込まないように、病室の中が常に大気圧より少しプラスの圧力に保たれているのだ。つまり、フィルターにかけられた空気が常に病室の中から外に流れる構造になっており、空気が病室の外から中には入ってこないようになっていた。


 岸根医師が説明してくれたのだが、僕は白血球の数が減少していて細菌に感染しやすくなっているので、細菌を含んだ外の空気が病室の中に入ってこないようにという配慮だった。当然、病室のドアを開け放しておくことは厳禁で、ドアを開けたらすぐに閉めなければならなかった。


 入院の初期は、僕は短時間ならばマスクをつけて8階の廊下を歩くことが許されていたが、僕は基本的には、長期間に渡り部屋の中に閉じこもって生活することになる。このため、トイレやお風呂も病室についていた。テレビや冷蔵庫などの生活必需品も病室に備え付けられていた。


 こんな贅沢な病室でなくてもいいのだが、こればっかりは僕が勝手に選ぶことは許されない。急性前骨髄性白血病なのだから、この病室で治療しなければならないのだ。


 また、入院というと見舞客があったりするが、僕の場合は特殊な病気だったので、基本的に見舞いには誰も来ないように周囲に話しておきなさいと言われていた。家族だけが生活必需品を持ってくることになっていた。


 マスクをつけて廊下を歩いていて分かったのだが、僕のいる8階の各病室の扉は基本的に開け放たれていた。このため、廊下から病室の中が見えてしまうのだが、扉の所にカーテンがあって、プライバシーが保たれるようになっている。

 ただ、僕の病室は扉を開けたままにしておけないので、いつも扉が閉まっていた。廊下を歩いていると、同じようにいつも扉が閉まっている病室がいくつかあった。いずれも病室の入口に「扉の開け放ちを禁止します」という趣旨の表示がしてあるので、僕と同じような特殊な病室であることがすぐに分かった。もちろん、僕の病室の前にも同様の表示があった。


 入院して少し経ったときに、こんなことがあった。


 女性の看護師さんがいきなり僕の病室に入ってきた。入院が長くなると、看護師さんとも当然顔見知りになるが、このときやってきたのは僕の知らない看護師さんだった。

 看護師さんは病室の中をぐるりと見まわして、何もせず何も言わずにそのまま病室を出て行った。何をしにきたのか、僕にはまるで分からなかった。そして、出て行くときに、病室の扉を大きく開け放っていったのだ。


 僕は何か扉を開けておく理由があるのだろうと思った。そして、すぐに看護師さんが戻ってきて、扉を閉めるのだろうと考えた。

 しかし、看護師さんはなかなか戻ってこなかった。病室の扉は開け放たれたままだ。廊下を歩く見舞いの人の声がよく聞こえた。


 そのまま30分が過ぎた。まだ看護師さんは戻ってこない。


 さすがに僕は何かおかしいと思った。仕方なく、僕はナ―スコールでナースステーションを呼んだ。

 ベッドの上のスピーカーから女性の看護師さんの声が聞こえた。


 「はい。どうされましたか?」


 「あの、先ほど、看護師さんが来られて、病室のドアを開けたままにして出て行かれました。もう、30分もドアが開いたままになっているんですが・・・これでいいのですか?」


 すると、スピーカーから「ええっ」という驚きの声が洩れて、看護師さんの管理者のような立場の女性看護師さんが僕の病室に走ってきた。もちろん、先ほどとは別の看護師さんだ。その看護師さんは「どうしてこんなことをしたんだろう?」と言いながら病室の扉を閉めて、首をかしげながら戻っていった。

 後で聞くと、この8階に慣れない看護師さんが間違えて、扉を開放してしまったようだった。

 

 さて話が変わって、僕が入院して二三日したときのことだ。


 朝、僕は病室でテレビのワイドショーを見ていた。僕の入院とタイミングを合わせるように、ある著名な芸能人が白血病で入院することになったのだ。それも、僕と同じAPL(急性前骨髄性白血病)だった。ワイドショーでは、その芸能人の白血病の話をやっていた。同じ病気ということもあって、僕は興味を持って、そのワイドショーを見ていたのだ。


 ワイドショーではその芸能人が入院した経緯を詳しく説明していた。すると、突然パネルが出てきた。それには次のように書かれていた。


 『白血病の死亡率 3人に1人が死亡』


 僕は眼を疑った。このワイドショーは僕のような白血病の患者も見ているのだ。死亡率などを安易に放送していいのだろうか?


 すると、ワイドショーの男性司会者(今はキャスターというのかもしれないが)が、こんなことを言い出したのだ。


 「なあんだ。白血病というのは全員が死ぬのではないんだ。なあんだ。3人に2人は助かるんだ。オレは白血病というと全員死ぬ、死の病かと思っていたよ。死の病じゃねえんだ。なあんだ。死ぬのは3人に1人で、後の2人は助かるんじゃねえか。なあんだ。そうなんだ。大したことはねえんだ」


 僕は驚いて飛び上がってしまった。無責任にもほどがある。何というヒドイ話だ。男性司会者はパネルを読んだだけかもしれないが、その言葉を言い換えると、3人に1人が死ぬと公言していることに他ならないのだ。もし、この番組を病院で3人の白血病の患者が見ていたとすると、「お前たちの中の1人は確実に死ぬんだ」と宣言したことになるではないか!


 しばらくして、岸根医師が僕の病室にやってきた。僕は岸根医師にさっきのワイドショーの話をした。岸根医師は苦笑いを浮かべてこう言った。


 「いや、テレビで病気の話をいろいろ流すので、我々も困ってるんですよ。テレビを見た患者が『テレビでこんなことを言っていたが、自分は大丈夫なんですか?』とか『テレビで死ぬと言っていたが、本当に自分も死ぬのだろうか?』といったことを言ってくるので弱っています」


 今回の話はこれだけなのだが、テレビは無責任な内容を流さないように注意してもらいたいと思ったのだ。見ている人のことも考えて放送してもらいたいと痛感した次第だ。(つづく)




 


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