第4話 えっ、白血病? 4
少しすると、処置室に先ほどの医師が入ってきた。
医師はベッドでうつぶせになっている僕の背中の服をめくって、お尻の上の背骨をむき出しにした。そして、背骨のまわりを何度も消毒液で拭いた。僕の背中で消毒液のヒヤッとした感触が何度も行き交った。
その間、女性の看護師さんが僕の横で注射器を準備していた。口径が数mmはある太い針をつけた注射器が僕の頭の横のトレイに置かれた。ガチャリとガラスと金属が当たる音がした。僕は思わず顔をそむけた。
医師の声がした。
「麻酔を打ちます。ちょっとピリッとしますが、我慢してください」
僕は緊張した。背中に注射をされるのは初めてだ。背中の筋肉がこわばっているのが自分でも分かった。すると、お尻の上の背骨のすぐ横にチクリと痛みが走った。僕はピクリと身体を震わせた。しかし、すぐに痛みがやわらいだ。何も感じなくなった。少しして医師が聞いた。
「これ痛いですか?」
医師が背中に何かしているようだ。うつぶせの僕には医師が見えなかったので、何をされているか分からなかった。背中は麻痺していて何も感じない。
「いえ、痛くありません。大丈夫です」
それから、医師は「これは痛いですか?」と何回か確認した。僕が痛みを感じていないことが分かると、看護師さんが僕の頭の横の注射器が入ったトレイを医師に渡した。
「では、これから、脊椎に針を刺していきます。何かあったら言ってください」
それから、医師は逐一何をするか、いまどういう状態かを説明しながら、処置を行ってくれた。その都度、「問題ありませんか?」と僕に確認してくれた。
医師の言葉から、どうやら細い針から順に太い針を背骨に挿入しているようだった。最後に医師が言った。
「では、これから、一番太い針を入れていきます」
恐らく、さっきの口径が数mmある太い針をつけた注射器だろう。麻酔をされていたが、何か太いものが身体にこすれながら挿入される感触が背中にあった。
「いま背骨に針が入りました。それでは、これから骨髄液を注射器で吸います。痛かったら言ってください」
電気掃除機のホースの口に手を当てると、手が吸い込まれていく感触は誰しも味わったことがあるだろう。あの感覚とよく似ていた。掃除機に手が引っ張られるように、背骨が何かに引っ張られる感覚があった。初めて経験する奇妙な感覚だった。骨髄液が注射器に吸い込まれているんだなと思った。痛みはなかった。医師の声がした。
「ああ。きれいな骨髄液です」
きれいな液と聞いて僕は安堵した。うれしくなった。何だか異常はないと言われたような気がした。僕はベッドにうつぶせになりながら医師に質問した。半分は自分を元気づけるための質問だった。
「先生。もし何か悪かったら、骨髄液が濁っているんですか?」
「ええ。そうです」
僕は安心した。なんだかこれで無罪が確定したような気がした。異常なしという結果が出るのではないかという希望が湧いてきた。しばらく、背骨が引っ張られるような不思議な感覚が続いた後で、医師が言った。
「はい。終わりました」
僕が恐れた骨髄液の採取はあっけなく終わった。腕時計を見ると、背中の消毒を始めてからまだ5、6分しか経っていなかった。
医師が忙しそうに処置室を出て行った。
僕は看護師さんに手伝ってもらって、ベッドに仰向けになった。30分そのままの姿勢で安静にした。それから、看護師さんが僕の背中の傷口に大きな絆創膏を張り付けてくれた。絆創膏をつけ終わると、看護師さんが言った。
「今日はお風呂はダメですよ。では気を付けてお帰り下さい」
僕は看護師さんにお礼を言って帰途についた。
何だか何かを成し遂げたような勇壮な気分になっていた。僕の家は大学病院の最寄駅から電車で15分ほどいったところにある。僕は電車のつり革につかまりながら、鼻歌を歌ってその場でスキップでもしたいような気分だった。やることは全てやったという満足感があった。何だか晴れ晴れとしていた。携帯電話が鳴ったが、電車の中なので出なかった。
家に着くとすぐにまた携帯電話が鳴った。大学病院の電話番号だった。おそらく、大学病院の医師か看護師さんだろう。何か伝えるべき注意事項を言い忘れたのだろうか?
僕は陽気な声で電話に出た。電話はやはりさっきの医師だった。
「やあ、先生。先ほどはありがとうございました」
医師の急いだ声がした。
「急ぎのご連絡です。とりあえず二三日の入院セットを持って、あしたの朝一番にもう一度私のところに来てください」
とっさに返事ができなかった。
「えっ・・」
「こちらの大学病院はあいにく病室が一杯ですので入院ができません。それで、取り急ぎ私の大学時代の友人が勤めている近くの病院に病室を確保しました。明日から入院です」(つづく)
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