Lesson.7

「今、帰りなの?」

 そういって駆け寄ってきた美咲の表情は酷く険しい。いつもより平坦、というか固い響きのあるその声からプラスの感情を読み取ることは出来ない。


「うん。ほら、学校で行ったじゃん。買い物して帰るって。」

 そう紗月が言うと先程の言葉を思い出したのか一瞬安堵したような表情を見せう。が、すぐにそれも元に戻り尖った口調で続けた。


「確かにそれは聞いてたけど、あの後部活も行って他の仕事もしてきた私と同じ時間に帰ってくるのは流石に遅すぎるんじゃない?」

 普段聞く注意の声掛けとは全く温度感の違うその言い方に紗月は言葉を失う。


 買い物の内容も、別に隠すようなことではないのでいつものテンションで『何買ってきたの?』と聞かれたら答えてもいいかな、なんてことを考えていた。

 しかし美咲のその剣幕にその考えも吹き飛び──というか、機嫌を悪くしている要因が買い物の中身についてではなさそうであるためそれは特に意味がないような気がしたのだ。


 色々なことが頭を巡り、何も発せないでいる紗月に対し

「ごめん、そういう意味で言ったんじゃないの。…ただ、こんな暗くなるまで一人で歩いていて、事件だとか事故だとかに巻き込まれてないかなって心配になっちゃって。」

 と申し訳なさそうな顔をして謝る。

 その保護者のような言葉に今度はまた違った理由で言葉が出なくなる。大体そんなこと実の母親にも言われたことがない。

 追いついてきた美咲と並び、再度歩き出す。


「心配、してくれたんだよね?あたしのこと。」

 普段通りの落ち着いた声を聴くと何だか安心し、紗月もいつもの調子が戻ってくる。


「うん。あとは、後ろ姿を見てびっくりしちゃったのもあると思う。学校から出て、目当ての物を買って、もう家にいる頃だとばかり。」

 そうやや自信の籠った言葉は何年もの蓄積から来るもので、一緒に買い物に行くと大抵即決する紗月を見てきた彼女らしい。


「今日は買ったものがものだったし、響と一緒だったから。」

 そう何の気なしに言った紗月の言葉を聞いて美咲は分かりやすく安どの表情を見せた。


「何だ、そういうことか…。紗月をそこで見た時、ほんとに焦ったんだからね?」

 そのトーンからも、表情からも、表せる全ての方法で安心したということを伝えるように。

 いくら紗月が抜けている部分が沢山あるからと言って、そこまでの心配をされるものなのだろうか、と疑問に思いながらも美咲より半歩遅れるようにして歩いた。


「そういうもの…なの?一人で駅まで行って帰ってきただけじゃない?」

 やっぱり大袈裟に心配されているような気がして、何だかそれが心地の悪さを感じさせる。

 どうしても釈然としない紗月は思ったことをそのまま口に出した。

 

「普通、ではないかも?たぶんだけどね。私も、クラスの子が放課後に駅に一人で行くからってこんな心配しないんじゃないかな。」

 少し考えるように斜め上を向き、言葉を選ぶようにしてそう話した。

 それならなぜという疑問が再度沸き上がる。今度は先程よりも強く。

 それを問いたいというのが表情に現れていたのか、はたまた聞かれなくても続けるつもりだったのか、美咲は言葉を続けた。


「でも、何て言うんだろう。紗月だと心配しちゃうの。すごく。」


「なんで?」

 美咲が一拍置いたところに、思わず差し込むように問うていた。

 絞り出したようなその声は、不自然なくらいに切実な響きを持っていた。


「それはね…そうだな、紗月が放っておけないからって言うのもあるし、特別だからっていうのもあると思う。それから、知らない人にもすぐついて行っちゃいそうで怖いって言うのもあるかな?」

 次々と並べられる心配する理由はどれも不名誉な物ばかりで耳をふさぎたくなる。

 それと同時に予想通りで、でも求めていた答えとはどこか違うような、そんな矛盾した感情が紗月の中を渦巻いている。


 紗月が答えをせかすように相槌を入れた理由。それは、紗月と『それ以外』の違いが知りたかったから。

 美咲の隣に並んでいても釣り合う女子になろう、と決意して身の回りのことを変え始めて二日経つ。

 変化に美咲も気付いてくれているし、紗月自身も矯正されていっている気がしている。

 こうして色々なことに手を出してみるのはいいけど、最終的にどうすれば『釣り合う』のかが良く分からなくなってきそうになる。

 そこで、もしかしたら何の指標にもならないかもしれないけれど。紗月に対してどんな風に思っているのかが知りたかかったのだ。


 返ってきた答えはおおむね想像通り。たった二日の努力では長年の印象を覆すことなんて不可能だということを改めて突き付けられる。

 目標達成のためにはまだまだ手を尽くさなければならないということが果てしなく感じるのと同時に、努力の数だけ美咲の心配を減らすことが出来るのではないかと淡い期待をするのだった。

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