28.灯台守の魔女 ー隙間ー
「あの女、魔女らしいぞ」
「あんなに綺麗な顔してるのにな。もったいねえ」
「黒い化け物を足元に侍らせてるのをみたぜ」
「目の前で恋人が食われたのを見ても涙ひとつ流さなかったそうだ」
「恐ろしい穢れた女」
「あんな女に触れてみろ、俺たちも汚染されちまう」
「ああ、よだれが出るほどいい女なのにな」
「もったいない」
なんとでもいうがいい。
どうせ、あの男達も、彼女がニコリと微笑んで流し目をくれれば態度を変える。そんな色に弱く浅はかな男どもだ。
魔女が何者かも知らぬ、愚かしい上層の奴隷ども。そんな男達に何を言われようが、彼女は心を動かさなかった。
何があっても泣くものか。
魔女の運命は過酷だ。お前達の言葉に流す涙なんて、もはや持ち合わせもしない。
ウヅキの魔女、ウヅキ・ウィステリアは、十二人の高位の魔女の一人だった。
魔女も数が減った。今や高位の魔女ですら、半数は空席だった。
今は創造主アマツノの独裁が進み、魔女は基本排斥対象。残された魔女は多くない。
その魔女の減少の理由は表向きは、魔女の解放である。
それはいうなれば、福利厚生の名のもとに。
しかし、ウィステリアほどの魔女なら知っているのだ。彼が欲しいのは、魔女の灰色物質である。自分ではもはやそれを作れないアマツノは、そんな名目で彼女達から灰色物質を回収した。
噂によれば、彼は幼い娘のキサラギの魔女、キサラギ・アルルを溶鉱炉に突き落としたとも言われる。
あのスワロの一件で、灰色物質は金属との相性の良さを知られていて、研究が進んでいる。白騎士の為の武器を作る為、彼女達は燃やされて灰だけを利用されていた。
そんな中、ウヅキ・ウィステリアは、魔女としての利用価値を見出されていた。
かつて奈落の汚染を止め、奈落の開拓に寄与した功績を認められ、彼女は一級の魔女として汚染のひどい各所に派遣されていっそうの功績をあげた。
そして、今はこの灯台の島に派遣されてきたのだった。
ここは、本来人魚姫とあだ名されていた、あのヤヨイの魔女ヤヨイ・マルチアが派遣されていた灯台の孤島である。
が、かつて奈落の底、あの霜月のエリアであった場所だったここは、開かれた居住区域に汚染が向かうのを引き留めるための砦にもなっていた。
霜月の鬼のいたあの泥の滝だけは、根本的に止めることができなかった。バルブどころか底が抜けていて、とても手が付けられなかったのだ。そのため、仕方なく廃液を流す場所として残され、霜月のエリアは海に沈んだ。
そのせいもあってか、ここはあの泥の獣が活発に動く。今は
まだここはヒトの住み始めた場所。あのパン生地のようなものとチップを与えてつくった、新しく弱いヒトの住む場所だ。
上層部も、獄卒の派遣により藪蛇になることは止めたかったのだろう。それゆえに魔女の力に頼る必要があった。
囚人のうようよしていたこの海域は、人魚の毒の涙でおさめられた。あの娘の涙は、黒物質のプログラムを初期化して壊してしまうのだ。海は生命感すらない黒い海であったが、人々の平穏は保たれた。
しかし、ある時、そのマルチアが失踪してしまった。それに伴い、ようやく落ち着いていた奈落周辺の囚人が暴れ出し、対処に困った当局が代わりにウィステリアを派遣したのだ。
「皮肉なものね。あの子がいなくなったあと、あたしがここに来るなんて」
ぼんやりと空を見やりながら、ウィステリアはつぶやいた。
「ネザアスさんを殺したあの子の……」
そっと胸元に左手をあてる。ペンダントがチラリと輝く。
黒騎士ももう存在しない。
最後の黒騎士であった奈落のネザアスと静寂のドレイクは、管理局では死亡扱いされている。
ドレイクの生死は不明だが、ネザアスについては発狂したとの記録がはっきり残っていた。
最後の黒騎士、奈落のネザアスの発狂と乱行は、唐突でありかつ上層を揺るがすものだった。彼はある時に突然発狂し、上層管理局の重鎮達を殺害した。
そして、その罪をもって処刑された。
彼を制圧する為に、恩寵の白騎士が駆り出された。その白騎士の為に、彼に恋をしていたヤヨイの魔女、人魚姫ことヤヨイ・マルチアは涙を差し出した。それを使った対黒騎士用の弾丸で、彼は蜂の巣にされて死んだと聞いている。
人魚姫の毒の涙は、黒物質の情報を壊す。
あの人はきっと溶けて、あの時の水中花のように弾けて死んでしまったのだろう。
けれど、人魚姫、ヤヨイ・マルチアを、彼女はそのことで殊更非難しようと思わない。
奈落のネザアスは、彼女にとっても初恋の男だった。
初恋は初恋。少女の夢見がちな、淡く甘くかすかに苦い思い出だ。
ウィステリアもあれから全く恋をしなかったわけではない。それは彼女が魔女ゆえの不幸な結果に終わったものの、初恋とそれらは切り離されていた。
人魚姫にとってもそうだったのだろう。その時に恋をし、管理局から婚約を勧められていた白騎士を、彼女が初恋の相手以上に想うことはおかしくはなかった。
その白騎士は、ネザアスの討伐命令を受けていた恩寵の騎士。しかし、実力ではネザアスに一歩及ばなかった。
だからこそ、彼女は毒の涙を武器にと差し出した。彼が功績を立てれば、自分と結婚してくれるかもしれない。だからこそ、その涙で彼女は初恋の男を殺したのだ。
しかし、白騎士には他に婚約者がいた。しかもその女もまた魔女の一人だった。管理局からの強い勧めを断り、白騎士は人魚姫との婚約を了承せずに、駆け落ち同然にもう一人の魔女を選んだ。
そして、そうなって初めてマルチアは、ようやく自分の殺した男が、あの優しい初恋の相手である黒騎士なのだと知った。そして、人魚姫マルチアは精神に異常をきたした。元から不安定な子だった。
彼女は幽閉されるようにして、この灯台の島に押し込められ、悲しみの涙を流した。それで、黒い泥から居住地域を守ってきた。
それは憐れと言っても良い。
何も知らないまま、初恋の彼を殺した人魚姫の悲しみは、同じ魔女であるウィステリアにはしみてわかる。
ウィステリアは、再びそっと胸元のペンダントトップに触れた。彼女のような美しくグラマラスな女が持つようなものではない、子供騙しのおもちゃのような、魔法少女の魔法の杖のペンダント。その中のガラス瓶に古い紙切れが丸めて入れてある。
それは、あの時の奈落のネザアスがくれた、鏡文字のおまじないの入ったものだった。
彼のような黒騎士の存在は機密事項に当たり、あの任務の後、彼女は写真一枚持ち出せなかった。ただ、彼に関するもので彼女に持ち出しが許されたのは、私物であるこのアクセサリーだけだった。
それにそっと触れると、今でも落ち着いた。まるで彼の息吹が込められているかのようだった。
「お前が強くなったら、また奈落に来てくれるだろ。一緒にここ、もっと綺麗にしような」
彼の声が蘇る。
霜月のエリアを抜けた後も、彼とスワロとフジコだった彼女は冒険を繰り広げた。
辛かったことも悲しかったこともたくさんあったが、綺麗なものも見れたし、何よりネザアスと一緒にいられるのが楽しかった。毎日ドキドキしていた。
最後の戦いが終わり、中央センターの修復システムの再起動をおこなって、霜月の滝以外の泥の流入は止められた。
それは彼との別れを意味していた。
「約束したもんな。でも、無理に強くならなくたっていいぜ。いい彼氏ができたらおれのことなんか忘れちまえばいいんだから」
でも、と彼は言った。
「気が向いたらおれにまた歌ってくれ。またお前の声が聞きたいんだ」
強くなったら、戦う時に相棒として側にいさせて。
そんな些細な約束を、彼は覚えていてくれた。彼女はそれで充分だった。
最後に一枚だけ一緒に写真を撮った。けれど、機密の存在である彼の写真は、彼女には届かなかった。
結局、彼と会ったのはそれっきりだった。
フジコが正式に魔女ウヅキ・ウィステリアとなってしばらくしたある日、黒騎士奈落のネザアスの発狂と叛乱が告げられたのだ。
そしてほどなく、彼が処刑されたことも。
発狂の理由は、黒物質保有の黒騎士特有のものとされた。汚染されて自我が冒され、凶暴化した。今までの黒騎士たちと同じ理由だった。
しかし。
(あのひとが、そんなことで狂うはずがない)
ウィステリアは確信していた。
彼は自分で言っていたのだ。自分とドレイクだけは狂わない。狂うものなら、他の黒騎士が発狂した時に一緒に狂っていたと。
そして、なによりもウィステリアは知っていたのだ。
彼が発狂して殺したとされるのは、創造主アマツノの政敵だけなのだ。
全員、独裁を敷きたいアマツノ・マヒトの邪魔になる人物なのだった。その殺害された人物のリストを見れば、彼が政敵の暗殺をネザアスに行わせたのだと事情を知るものならすぐにわかる。
しかし、強い攻撃性を持ちながらも、一般人には手を出せないようにプログラムされていたネザアスが、よりによって上層管理局の重鎮を手にかける為には、その制限を上回る何かがなければできないはずだった。
おそらく、彼は、強制的に狂わされた。
(何かあるのよ)
ウィステリアはそっとペンダントトップを握る。
(ネザアスさんは、狂ったんじゃない。狂わされた。……そして捨てられて殺された)
あの朽ち果てた観覧車を見ていると、ウィステリアはあの時の彼の幻影を見るような気がした。
――おれは、将来お前に裏切られて死ぬんだろうな。
アマツノに告げたネザアスの声が、心の隙間に響く。
その隙間のそら寒さを埋めようと、無意識にウィステリアは歌を歌っていた。
*
灯台の島の波間。
人魚姫の涙で泥の獣は溶け落ち、ヘドロだけが底に溜まる黒い海。しかし、彼女が失踪してから、強い力を持つ
彼らは相互に争い合う。そして、強いものだけがそこに棲める。
その強い泥の獣のひとつが、その入江の隙間のような場所に棲んでいた。彼は強かったので、我が物顔でこの島を泳ぎ回ることができた。
だから、桟橋の影に潜み、暖かな陽だまりで休んでいた。多少の人魚の涙の毒の影響はあるが、彼には大したことはない。薄くなった毒性は、彼に影響するほど強くなかった。
と、昼寝をしていた彼は、どこからか透明な歌声が聞こえてきたので、それはふと目を覚ました。
どこかで聞いたような歌だ。が、彼はどうしても思い出せなかった。
——きれイな歌声……。
声に聞き惚れて、そっと海の中で身を潜めた。
そういえば、この灯台には幾人かの人魚がいた。灯台守の女の人魚だ。目が悪いそれにもわかるほど、美しいものだった。今まで近づけなかったけど、灯台の火が消えたあと急に近づけるようになったので、一度姿を見たいと思っていたのに姿を見なくて残念に思っていた。
――戻っテきタ?
たしかそれの古い記憶によると、人魚は唄うものだった。
今までいた灯台守りの人魚は歌わなかった。ああそうだ。そういえば人魚の姫は、声を奪われて人間になってしまうのだ。だったら、今歌っているのは、声を取り戻した人魚なのだろうか。
——灯台の人魚ガ帰ってキタ……。キッと、歌えルようになっタのダ……。綺麗ナ歌が聴ケルのおレ、嬉シい。
彼の声は潰れて濁っていた。そして、姿は黒く醜く崩れている。それゆえに、彼は美しいものが何よりも好きだった。
彼は不定形な体をそっと伸ばしながら、その声に聴き入っていた。
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