24.狂神の愛情 ー月虹ー

 皿に桃の缶詰をあけると、半月型のクリーム色の桃が滑り出してきた。

「桃缶の桃ってどろっとしてるんだな」

 例の大量にあった缶詰を、いくつか持ってきていたので、それを出してみる。シロップの甘い香りが漂っていた。

「うん、そうだね」

「熱のある時には、舌触りがいい気がする。風邪の時にいいって、そういうことなのかな」

 奈落のネザアスは、そう言ってちょっとあどけない笑みを浮かべる。

 肩のスワロがそれを覗き込んで、ぴ、と鳴く。

 この間、刺客に襲われて三日。

 翌日には意識が戻ったネザアスは、今朝はようやく高熱が下がってきていたが、まだ全快しておらず、半壊した施設の無事な部屋で療養していた。

 今日は何か食べられそう、というので、それで桃缶を出してみたのだ。

「上機嫌ですねー、ネザアスくん。しかも素直」

「な、なんだよ、オオヤギ! いたのかよ!」

 割って入ってきたドクター・オオヤギに、ネザアスがやや照れ隠しのように乱暴な態度をとる。

「いたのかよって、僕は呼ばれてここにきてるんですけどねー」

 ため息混じりのドクターは、肩をすくめる。

「呼ばれてって、今のアンタ、パン捏ねてつくるみてーなアバターだろ。データ送って遠隔操作してるだけじゃねーか」

「冷たいこと言うー。そりゃそうだけどさあ」

 あれから彼は、毎日、様子を見にきてくれていた。ただ、彼の本体は、上層アストラルの下町にいるらしく、今の彼は遠隔操作用のアバター……と言われるものらしい。

元々は、この奈落を楽しむ為のシステムだったらしいが、粘土のような万能物質オールマイティマテリアルという製品に、識別情報の入ったメモリーを読み込ませて人の形を作るものらしい。

「これは簡易のやつなんでね。僕の中身まではきてないし、外見だけのお人形だけどね。ちゃんとした能力発揮するには、精巧なやつ使う必要はある」

 とオオヤギは説明してくれた。

「しかし、なんで本体より若作りなんだよ。その顔チラつかれるとムカつくんだが」

「事情があるのー。ていうか、本体はわざと老けさせてるだけさ。面倒なんでね。若々しいと、敵対意欲があるように見えちゃうでしょ。僕の本体は本部監視付きだからー」

 ドクターは相変わらずよく喋る。

「第一、イケメンで役者志望だった僕捕まえて顔が気に食わないとか、君、贅沢なんだよ」

「ふん、この顔で得したことなんてねえよ! もっと他のやついただろうが」

 ネザアスはそう言って口を尖らせる。

 なんにせよ、今の目の前の彼は遠隔操作用のロボットみたいなものなのだと言う。

「まあでも、これ、精巧なやつ使うと人間作れちゃうんでね。上層アストラルの一部では、もうこの識別票方式でヒトも作り直してるけど、世も末だなー」

「なんかメリットとかあるのか?」

「メリットねえ。感染しても平気ってことかなー。あと作り直しが効くでしょ?」

 苦笑すると、ドクターとネザアスは本当によく似ている。双子の兄弟が並んでいるようなものだが、彼らは性格が違いすぎるせいか、パッと目はあまり似ていないように見える。

 目に険のあるネザアスと、陽気でのんびりしているドクターでは雰囲気が違いすぎるのだ。

「管理が簡単なんだよね。バックアップあれば再生簡単だし。少子化も進んでることだし、正常な世界の再建に必要な数が欲しい彼は、そういう方式で子供の管理してるんでしょ。まあ、そういう僕らの本体も、混ざりけのない生身ってわけじゃないんだけどさー」

 ドクターはため息をつく。

「この世界は、アマツノくんの技術で半分できあがっている。元の世界が危機に瀕してどうしようもなくなった時、残された人々を助けたのは確かにあの男だ。ただ、その時に僕らは、元のフツーの人間じゃなくなってるということね」

 難しい話だが、とても不穏なことを聞いた気がする。

「まー、そんなことはどうでもいいや。とにかく、このアバター自体は汚染に弱いし戦闘能力もほとんどないけど、君の治療とかはできるから、なんかあったらこれからも呼んで」

「あの粘土の箱から出てくるの、変質者感強いからやめろよ。似てるやつがそう言う出方してくるとムカつく」

「他に方法ないじゃない」

 むうとドクターが困惑気味に眉根を寄せる。

 ネザアスはもう興味が移っている。まだ少し痛むのか胸のあたりを撫でやっていた。脇腹の傷はほぼ全快したが、穴を開けられた胸元はまだなのだ。

「それにしても、普段はよっぽどやられても一昼夜で全快すんだけどな。今回時間かかる……。オオヤギの薬が悪いんじゃねえ?」

「君ねぇ、無茶してるくせに僕にそんな要求する? 後で回収して確認したけど、あれ、強化兵士用とは言っていたけど、対物ライフルみたいな強烈なもんだよ。しかも新品。間違いなく上層アストラルからの横流し品さ。弾丸には君達に効くように再生阻害薬まで使われていた。君がそれで済んでるのは、ウィステリアちゃんがいたからだよ! 彼女の声は君の回復を促進させやすい。直接的じゃないけど影響はでてるんだ。それがなきゃ、一発アウトだってあり得たんだからね!」

 ドクターは睨むようにして言う。

「もっと彼女に感謝しないとダメだよ」

「ん、ま、まあそれはその、ありがたいと思ってるんだけど」

 流石にネザアスが居心地悪そうにボソボソ言い、慌てて話題を変える。

「で、でも、横流しって、あの改造兵士のほうもそんな上層のもんなのか?」

「黒物質による改造兵士は、君の言う通り上層アストラル立ち入り禁止の一級犯罪者らしかったよ。人体実験した末にここに放り込んだんだろうさ」

「黒物質は生体と相性良くないはずだろ」

「そこんとこを絶妙な配合するのが、人体実験てやつ。ま、白物質は汚染にてき面に弱いからさ、改善したくなる気持ちはわかるけど」

「それって、アマツノの仕業か?」

 ネザアスが少し不安そうに尋ねる。

「アマツノくんは、こういうの嫌いでしょ? 彼は完璧主義者のマッドサイエンティストだけど、それだけに粗製濫造みたいなのは嫌がるよ」

「そうか。それも、そうだな」

 ネザアスは、少し俯く。

「なんにせよ、彼ら放置してたら黒物質に侵されて獣化するだろうし、それでなくても凶悪な人格してる。持っている武器の性能が良い分厄介だ。今後も十分注意してね」

「ああ」

 ドクター・オオヤギがそういうと、ネザアスは何か考えているらしく、しばらく黙って桃を食べていた。



 ドクター・オオヤギは、用がすむと帰ってしまう。帰ると言っても、彼の場合、用が済んだら箱に入って粘土のようなものに戻るだけなのだが。

 ネザアスが、パン生地野郎と悪態をつくのもわかる通り、段ボールに飛び込んでぬるっとパン生地のような何かとデータチップに戻る姿は、いつ見ても不審者だし、シュールだ。

 

 その日の昼ごろに雨が上がった。周りに泥の獣の気配も刺客の気配もない。

 ネザアスも調子が良かったので、夜に少しだけ散歩することにした。

 近くに大きな湖があって、桟橋がかけられている。といっても、湖の半分はフェイクで、どこからかは映像を投影して見せかけているだけらしい。

 その日は満月で、湖に静かに月光が降り注ぎ、湖面は月の丸い光をうつし、波で微かにちらついていた。

 雨上がりのせいか、湖面はうっすら霧が立ち、月の光で白い虹がぼんやりとでている。

「綺麗だな」

「うん」

 肩から上着をふわりと羽織って桟橋に座るネザアスは、ぼんやりとそういう。フジコは彼の隣に座って、湖を眺めている。

 スワロがネザアスの肩からフジコに飛び移り、そっと寄り添う。

 静かで穏やか。

 そんな中、ふとスワロが着信を告げる音を鳴らす。

「誰だ? オオヤギか?」

 スピーカーにして繋げると、ふと聴きなれない男の声がした。

『ネザアス、大丈夫?』

 ふと、ネザアスの目が驚きに開かれる。

『怪我をしたと聞いたから、連絡してみたんだ』

「アマツノ」

 ネザアスはポツリと言った。 

 フジコはその名前にどきりとする。

 アマツノ・マヒトは、創造主の二つ名で呼ばれる、上層の重要人物。ドクターやドレイクの話にも出てきた、そして、スワロをこんなふうにしてしまった張本人だ。

「アマツノ……、連絡をくれて嬉しいぜ。怪我は大したことない。明日には治っているだろうよ」

『それは良かった』

「だが、アマツノ、おれが負傷したって誰から聞いたんだ?」

 ネザアスの声に警戒が滲む。

 確かにそうだ。ドクター・オオヤギは、彼にネザアスの負傷を告げるはずがない。

『それは……』

「派遣された粗悪な黒物質による強化兵士、アレがお前の仕業とはおれも思わない。だが、あいつが持っていた最新兵器は、お前が流した。違うか。おれはあれ、上層のお前の研究室で見たことがある」

 ふとネザアスは苦笑した。

「お前、おれの体でどれだけ破壊力があるかデータが欲しかったんだろう。おれがあの程度で死なないことはわかっていたし、黒騎士の耐久性図るにはおれとドレイクを襲うしかない。あいつらの中に、一人、取り逃したやつがいた。あいつはデータを持ち帰る役目だった。だから逃亡した」

『それは、誤解だよ。ただ、データを取得したのは事実だ』

 アマツノの返答は、どこか機械的で冷たかった。

『死刑囚の黒物質による人体実験や下層への派遣は、僕の敵対勢力がやっている。ただ、その一部に確かに僕が武器を流した。君たちが彼らとどう戦うのか気になっていて、それで、そのデータは取得した。ただ、君がそこまで重傷を負うとは思わなくて……、それで心配になったから』

 アマツノは悪びれもしない。感情があまり感じられず、フジコはぞっとしたが、ネザアスは動じなかった。

「いいよ、もう」

 ネザアスは苦笑した。

「おれはお前を責めはすまい。おれが弱かったのが悪いんだ」

 ネザアスは悲しげにため息をつく。

「だが、ひとつ教えてくれ」

『なんだい?』

「お前は、おれにどうしてウィス……、ウヅキの魔女フジコ09を助けろと命令したんだ」

 ネザアスは静かに尋ねる。

「ドレイクに命令をした理由はわかる。敵対勢力の動向を図りたかった。あっちにはビーティアがいるからな。ドレイクや彼女の力なら、相手の不都合な証拠を握れるかもしれない。しかし、おれの方にきた命令は、魔女の護衛。この子は魔女の見習いの小娘、お前には守る価値がない筈」

 無言のアマツノにネザアスは続ける。

「泥の滝を止めて、ここを開拓したい気持ちはあるだろうが、お前はこの見習い魔女にそれを本気で期待するような男じゃないことを、おれは知っている。できるはずないと考えているはずだ。それなのに、何故おれに守れと言った? メリットのないことを、合理的なお前が望むはずもないのに?」

 アマツノが無言に落ちる。

「何故だ? おれにどうして、そんな命令を出した」

『それは』

 アマツノ・マヒトの声が少し躊躇うように揺れる。

『それはね、ネザアス』

「ああ」

『君が』

 アマツノが静かに答える。

『君が、奈落では、夜に眠ることができないと言ったから……』

 アマツノ・マヒトの声が初めて優しく響いた。

『あの魔女の子の能力は、黒物質に対する鎮静。それに、僕がテストで聞いたあの子の歌は、昔君と聞いたA共通語の歌だった。あの歌を、君が好きなことを知っていた』

 アマツノは続ける。

『僕は……、今更だけれど、……君に。せめて、穏やかなひと時を送ってほしかった』

「ふふ」

 ネザアスは苦笑した。

「本当に今更だな、アマツノ。おれを本当に思うなら、こんなかわいそうな娘を寄越すのをやめてほしかった。……だが、おれはお前を責めないよ」

 ネザアスは続けた。

「それが、お前がおれにくれる、せめてもの優しさなら、おれはお前を責めない」

 ふと彼は笑みを悲しげに引き攣らせた。

「おれは将来、おまえに裏切られて死ぬんだろうな」

 アマツノは返事をしない。

「いいよ。おれはお前の為に作られただけの存在だから、お前の好きにすればいい」

 フジコは、彼にせめてそれに否定してほしかった。アマツノは、けして否定をしない。

「ありがとうな。アマツノ。おやすみ」

『ネザアスも、おやすみ。良い夢を』

「ああ。良い夢を」

 ふっと声が途切れた。

 再び沈黙が訪れ、静かに岸に打ち寄せるかすかな波の音と、それで桟橋の軋む音がするだけだ。

 白い虹は、まだうっすらと月の光で輝いている。

「ネザアスさん……」

 ようやくぽつりとフジコが声をかける。

「主人に裏切られるのは慣れてる。そういう、役回りだからな、おれ」

 ネザアスは少し疲れたような顔で言った。

「ドレイクの方に行かなくて良かったと思うぜ。ドレイクのやつ、わかってても事態に直面したら病んじまうからな」

 ははっとネザアスは明るく笑うが、どこか空虚だ。

 しかし、ネザアスはフジコに向きなおる。

「でもな、お嬢レディ。おれは、一つアマツノの期待を裏切ることにしたぜ」

「裏切る?」

「ああ。お前のミッションを成功させる。アイツはお前に期待してねえって。だからそれを裏切ってやる」

 ネザアスはにやりとする。

「そして、あいつの鼻を明かしてやる。いい考えだろ!」

「うん! それはいいよ! あたしも頑張るから!」

 あ、と、フジコはうつむく。

「でも、あたし、弱いから……。大丈夫かな、ネザアスさんの足を引っ張るでしょ」

「そんなことはねえよ」

 ネザアスは胸に手を当てる。

「お前がいるから、この程度で済んだんだろう、これ。だったら、お前なら滝止めるのだって十分できる」

「そうだといいな」

「できるぜ」

 フジコは赤くなりつつ頷く。

「あ、あのね?」

「ん?」

「もし、この任務が無事終わってね、あたしがもっと強くなったらね」

 フジコは少し息をついてから言った。

「スワロちゃんみたいにとは言わないけど、その、ネザアスさんが、戦う時だけでも側にいさせてくれる?」

「お前はお嬢さんなんだから、そんなに強くならなくてもいいぜ。でも」

 と、ネザアスが微笑んで答えた。

「お前が相棒になってくれたら、頼もしいと思うぜ。いいぜ。こっちが頼みたい。その時はよろしくな。レディ・ウィステリア」

「うん! 約束だよ!」

 フジコは笑顔で答えた。

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