23.黒騎士のRECIPE ーレシピー
『はろーはろー、もしもし、もしもしー? ちょっと、誰かー、聞いてるー?』
半壊したリビングに声が響く。
『スワロから通信がきたんだけど、誰もいないの?』
能天気な男の声。
例の荷物の受け渡しに使うダクトのパネルから、そんな声が聞こえる。
『はろー?』
壊れたラジオみたいな音。
雨の中では雑音にしか聞こえない。
目の前で紅い花が咲くみたいに、奈落のネザアスの胸から血が噴き出して、それから彼が倒れて。
モノクロの世界で、水溜りに渦を巻いて広がる赤い色だけが目立つ。
(あれ? なんで、あたし動けないの?)
目の前のことがまるで現実味がない。ネザアスは血を吐いて倒れ、身動きしない。早く彼を助けなきゃいけないのに。傘を持ったまま呆然としている。
かたかた指がふるえるだけ。
(体が動かない)
「ははっ! 仕留めたぜ!」
奈落に来てからついぞ聞いたことのない、ネザアスやドレイク以外の男の声が、呆然と佇むフジコの耳に響き、彼女は三人の男がこちらにやってくるのを見た。
「魔女の娘も一緒だ! 魔女の方が使い勝手がいい! 回収しろ!」
現れたのは、黒い戦闘服に身を包んだ数名の男達だ。この雨の中、レインコートもマスクも着用せず、平気で動いている。確か正規の白騎士とも思えない。
スワロが注意を引くように、鋭く声を上げる。
それを機に、フジコがはっと我に返る。
反射的に逃げようとすると、銃口が向けられる。うち一人が持っている強化兵士用の大きな重火器は、先程ネザアスの胸を撃ち抜いたものだった。
「逃げるな! ガキが!」
いつの間にか男がそばにいて、髪の毛を掴まれる。フジコの傘が宙を舞い、泥を含む雨がフジコを容赦なくよごす。
肩にいたスワロは乱暴につかまれ、壊さんばかりに地面に投げつけられていた。
「お前なんて殺してもいいんだぞ。灰色物質は、吹っ飛ばしさえしなければ死体から回収できるんだ」
「離して!」
ようやく声が出せた。
「なんでこんなことするの! 離して! ネザアスさんが死んじゃう!」
「お前ら奈落の化け物殺したところで、上層じゃ誰も咎めねえんだよ!」
別の男が嘲笑う。
「それどころか、殺してくれって依頼されてるくらいだぜ。時代遅れのクロキシに、ロストテクノロジーの魔女とかな。
「これからは俺達みたいな、新規黒物質を移植された奴らが主流になるんだからな。いわば、新しい黒騎士だ。この
男達が下卑た笑い声を立てる。
「お前みたいな小娘も、売ればいくらかにはなる。餓鬼の好きな変態だって、すくなくないからなァ!」
「そ、その娘から手を離せ!」
と、その時、不意に掠れた声が割り込んだ。
倒れていたネザアスが、剣を握ったままふらりと立ち上がる。
「ネザアスさん」
ネザアスは、ふらつきつつ嘲笑う。微かに喉からひゅーひゅー音がする。
「貴様! 生きていたのか!」
「ふふふっ、一発食らったくらいで、そ、そんな簡単に死ねるかよ」
荒い息をつきながら、奈落のネザアスは皮肉っぽく笑う。
「てめえら粗悪でテーゾクな雑魚どもが、おれを殺そうとか百年早いんだよ! その娘から汚い手を離せ!」
「この化け物め!」
「化け物?」
ネザアスが反応する。
ぱんとネザアスの脇腹が血を吹く。後ろの重火器をもつ一人が発砲したらしい。が、今度はネザアスはふらついただけだった。
「チッ、外したか?」
「貴重な弾なんだ、大切に使えよ!」
いつのまにか、男達は人の姿を取ったまま、その顔や手が黒く変色して溶けたようになっている。そのせいで、狙いをつける精度が良くない。
粗悪な強化兵士とドレイクが評した通り、彼等は泥の獣と紙一重の存在のようだった。彼等こそ化け物だとフジコには見える。
「おれが化け物か。ふふっ、そうだろうよ」
ネザアスは軽く咳き込み、目を細めた。
だーんともう一度銃声。しかし、ネザアスは今度は避けていた。どこが当たったのか、束ねていた長い髪がほどけている。
「ふん、黒物質投与の兵士とは。ドレイクのやつ、何を言い出したのかと思ったが、そうか、上層のアホども、一級犯罪者に黒物質投与して好き勝手させるようにしたわけか。不安定なのはそのせいだな」
はははと、ネザアスは乾いた笑みを浮かべて、剣を握ったまま顔を覆う。
「貴様ら下衆共と、このおれが同じ化け物? ふっ、恩寵持ちの黒騎士様も、随分と舐められたもんだ」
ネザアスの握っている刀から、いつのまにかケーブルが伸びている。それが彼の左手に纏わりついていた。
「しかし、惜しかったな。おれを殺すつもりなら、確かにもっと気合い入れてやれよ! せめて眉間か心臓に入ったら、おれだってしばらく動けねえのになァ!」
慌てて男達が銃を向ける。しかし、ネザアスはもう動き出していた。
「お前らはおれの機能制限の対象に引っかからない! 人間扱いされてないってことだ! おれはな! 正直、久々にぶっ殺したくて堪らねえ! てことは、殺しても、文句言われねえな!」
「死ね!」
男達の声が濁っている。泥の獣と大差ない崩れた姿になりながら、彼らがネザアスに襲いかかる。
奈落のネザアスの目に明らかな怒りが映った。彼の左手の筋肉の内に、刀から伸びたケーブルが入り込んでいる。
ざっと踏み込むと、重火器をもつ男が発砲する前にその泥の体を引き裂く。濁った声が上がる。
「チッ!」
フジコを掴んでいた男が、彼女を人質に取ろうと髪を腰の銃を手にしようとするが、既にネザアスが懐に踏み込んでいた。
ばっとフジコの前に黒い血が飛ぶ。
突き崩されて男が声もなく仰向けに倒れ、そのままどろどろと溶けていく。
後の一人はそれを見て分が悪いとばかり、撤退したらしく、雨に紛れて消えていく。
ネザアスは殺意に煌めく瞳でそれを見たが、足元で怯えるフジコに気づいて立ち止まる。
きゅ、とスワロが鳴いている。ネザアスは、呆然と周りを見た。ネザアスが、地面に落ちていたスワロを拾い上げる。ぴ、とスワロが気遣うように反応する。
ネザアスの左手に潜り込んでいた剣のケーブルが外れる。それを地面に突き刺し、彼は傘を拾った。
ふとネザアスは、怯えるフジコを見て目を伏せた。
「ウィス、雨に濡れる」
ネザアスがしゃがみ込んで、傘をさしかける。
「感染しちまう。帰ろう」
ネザアスの手がすこしふるえている。
「う、うん」
ひゅーひゅー乱れた呼吸の音がする。
フジコは、何故か、大丈夫なのかと聞けない。先程の彼が怖かったのか、それとも。
フジコが恐る恐る血まみれの彼を見上げる。彼の胸元に穴が開いてるようで、脇腹も明らかに抉れている。それでも彼はまだ動けるのだ。
わからない。ただ、感情が整理できない。
ネザアスの傘のもと、壊れかけた建物に戻る。たった十メートルほどのその道が遠い。
無言のまま建物に着く。屋根が破れていて、まだ雨が滴る。フジコは気が抜けてしまっていて、玄関でぺたりと座り込んだ。
ネザアスはしゃがみこんでフジコに傘をかけたまま俯いた。
「ごめんな」
ネザアスが消え入りそうな声で呟いた。フジコが顔を上げる。
「おれのこと、怖いよな。気持ち悪いだろ」
「そんなこと……」
フジコはふるえる声で否定する。
「そんなことないよ。そうじゃなくて、あたし、……死んじゃうかと思ったから……、ネザアスさんが……。それで、うまくお話しできなくて、ごめんなさい」
「いいんだ。でもな、この程度では、まだ死なねえよ……。眉間撃ち抜かれてもその程度では……、だから」
ネザアスが薄く笑いふと目を伏せる。
「おれは……、人間じゃねえから……、化け物だから……、大丈夫」
その表情が哀しげだった。雨と泥と血で汚れたネザアスの顔が泣いているように見えた。
「ネザアスさん」
フジコがたまらなくなって抱きつくと、ネザアスの体は驚くほど熱かった。表面は氷みたいに冷たいのに、中が燃えるように熱くなっている。
まるで、地獄の業火に焼かれているみたいだ。
「ウィス?」
ネザアスは抱きつかれて驚いた様子になった。
「血で汚れるぞ。まだ血が、止まってない」
熱っぽく、ネザアスはため息をつく。
「ごめんな。怖い思い、させて」
本当は自分が謝りたかったのに。涙だけが溢れて、フジコは何を言えばいいのかわからなくなった。
雨はまだ止みそうにない。
「ごめんな」
ふっとネザアスの力が抜ける。
「ネザアスさん?」
ネザアスはそのまま玄関で、意識を失ってしまった。
*
『もしもし? 本当に誰いないの? スワロから変な文字化けメッセージがくるんだけど! 怖いんだけど!』
フジコがその声に気づいたのは、ネザアスをリビングまで引きずってソファに寝かせた時だった。
この施設には手当てするためのものがタオルくらいしかないので、フジコは焦っていた。ネザアスは既に熱が出始めていている。
「なにか手当てに使えるもの探さなきゃ!」
スワロと道具を探そうとしたところで、何度目かのメッセージが入ったのだ。
スワロが、きゅーと鳴き、フジコを誘導する。
「え、知ってる人? スワロちゃん?」
フジコがパネルに近づく。
『もしもーし』
不意に場面にそぐわぬ軽い声。
『ネザアス、そこにいるんでしょ? 君のIDからの通信なんだから、いるのはわかってるんだよ? スワロ通して、イタ電はやめてってば』
男の声だ。はっとフジコは顔を上げた。
「だ、誰ですか? あなたは、スワロちゃんと通信をしてるんですか?」
『あ、いるの? 良かった。誰もいないのかと思ったよ』
男の声が安堵したようになる。
『女の子? あー、そうか、君がウヅキの魔女の子? そうかあー、いつもネザアスがお世話になってます!』
場違いな能天気さに、フジコは慌てる。
「あの、あの、ちがうんです。助けてください。今、大変なんです! 怪我してて、ネザアスさんが! それで、あたし……」
必死に伝えようとして、フジコはかえってうまく話せない。が、相手は相変わらずだ。
『あーえー? そういうことー?』
とはいえ、相手が状況を察した気配があった。
『なになに? スワロがパニックになってたのはそれかあ。スワロはまだ言語コミニュケーションが苦手でね。文章送ってくるんだけど、支離滅裂でなんのことやらって。……で、ネザアス、息してる? 頭飛んでなければ大体行けるとは思うけど? と、飛んでないよね?』
ろくでもないことを言う男に、フジコが思わず泣き出しそうになる。
『あ、待って! 余計なこと言った! そこ、ポータルだよねっ。往診用のアバター派遣するから! 今から段ボール送るから、その箱開けて待ってて!』
男の声がそういったと思うと、段ボールがどんとダクトから落ちてくる。これを開けて待っていろ、と声は言っていた訳だ。とりあえず、段ボールを開けると、なにか粘土みたいなものが入っている。
(なんだろう。こんなことしてる場合じゃないのに)
フジコがそわそわしていると、ダクトから小さな部品のようなものが送られてきた。それが粘土に落ちたと思った瞬間、粉がぼんとあふれる。そして、煙立ち上る箱の中から、いきなりにゅっと長身の男が現れた。
「きゃああああ!」
流石にフジコが悲鳴をあげる。
「あああ。ちょっと待って。不審者じゃないんだって! いやその、ちゃんとこうなる為のレシピってのがあって! この
現れた早口で白衣をきた長身の男が、慌ててそう弁明する。そんな不審者な彼の前に、スワロが鳴いて彼のそばに飛び込んできて、甘えるようにぴーぴー鳴く。
「お、スワロ。どうしたんだい」
スワロの反応で、フジコもやっと安心する。どうも、スワロが待っていた人物ではあるらしい。
「なになに、すぐ診るから落ち着いて」
男はにこりとした。精悍な顔立ちだが、笑うと親しみがある。そして、この男、誰かに似ているのだ、が、やはりピンとこない。
男はそういうと、早速、こんこんと眠るネザアスに歩み寄った。
「あー、こりゃ派手にやられたなあ。こんなに派手に穴開いてるとはね」
男はネザアスの様子をみて、ふむと唸る。
「まあ、心臓直撃は外してるか。その辺は、勘で避けたかな」
「あ、あのう、大丈夫なんですか?」
「ん? 大丈夫だよ。怪我はすぐ治るし、熱が出てるのも下がるからね」
男は優しく微笑んで、フジコの頭を撫でる。
「彼は丈夫だからね。それに、僕はこう見えてやればできる子だから」
涙ぐむフジコにそういうと、彼は小首を傾げた。
「えっと、君がウヅキの魔女さんだね。はじめまして。君のことは、なんとなくネザアスから聞いているよ。彼ってば、君が可愛いらしくて、女の子の喜びそうなもの送れってうるさくてねー」
「あ、あの、あたし、ウィステリアです」
「僕は、オオヤギ・リュウイチ。今は町医者だよ。専門はサイバネティクス系なんで、生体も機械もなんでもやるけどね」
「オオヤギ? もしかして、あなたが"ドクターさん"」
フジコは、あの夢の中で見たスワロの記憶を思い出す。あの時の彼より、今の彼のが若い感じはするものの、フジコも彼の姿をちゃんと見たわけではない。大体この姿も本当の姿かもわからない。その辺は色々事情があるのだろう。
「さてとー、治療開始しようかな」
彼は続けて送られてきた段ボールを開けると、鞄を取り出してきた。
「そうそうウィステリアちゃん。かなり雨の泥がついてるよ。ネザアスのことは僕がなんとかするから。君はシャワー浴びておいで」
優しく彼はそう諭す。
「で、でも」
にこりとオオヤギが笑う。この男の雰囲気はやわらかく、何故か妙に人を安心させる。
「彼を心配する気持ちはわかるけど、魔女の君はあの雨で感染することがある。黒物質にやられないためには洗浄が一番。あいつら、バイキンと同じだからね。さらっと流しておいで。風邪ひいちゃうよ?」
そう言うと、ドクター・オオヤギはタオルをフジコの頭にかける。
「ね?」
「はい」
フジコは言われる通り、シャワーで涙と血と泥を流すことにした。
シャワーから上がってくると、オオヤギは手早くネザアスの手当てを大体終えていた。
すでに汚れは拭われて、点滴の管が通されている。
「んー、これ、敵が未熟でよかったね。正確に心臓か頭を撃たれていたら、シャレにならなかったよ」
ガーゼを当て包帯を巻きながら、オオヤギは言った。
「まあ、これくらいなら、再生促進剤打ちつつ休んでれば治るよ。ちょっと熱が出るだろうけどね。頭さえ冷やせば、記憶障害もないでしょ」
「本当ですか?」
それを聞いてフジコはようやくちょっとホッとする。
「うん。まあ明日までは寝かせてあげるといいよ」
ネザアスは相変わらず昏睡していて、反応がない。少し呼吸は楽になったようだが、熱があるのは確からしい。
「ネザアスさん」
ぼんやりとつぶやいて、じっと彼を見る。
そんなフジコにオオヤギがにやりとした。
「君、彼のことが好きなんだねえ」
「え?」
「そういう顔してるよ。スワロといい、君といい、ネザアスって時々すごくモテるらしい。罪な男だなあ」
「あ、あの」
そう言われて、フジコが思わず赤くなる。
「ふふっ、まぁー、わかるけどね。カッコいいよねぇ。当然、顔も。"我ながら"イケメンだと思うよ」
とオオヤギが何故かドヤ顔をした後、ちょっと悪い顔になる。
「だけど、ダメだよ。彼は鈍いから。苦労しちゃう。もっと、気の利くイケメンに乗り換えた方がいいよ」
オオヤギは、にやりとする。その顔で、フジコはようやく彼が誰に似ているのか知ったのだ。
右目も右腕もあって、優しい表情で、性格は全然違うけれど。
(なんで、気づかなかったんだろ)
フジコは思わず目を丸くして、口を押さえた。
「ドクターさん、あなたはもしかして?」
誰かに似た、ちょっと悪い顔のドクター・オオヤギが苦笑する。
「アバター作るレシピは簡単だけど、黒騎士のとなるとそうはいかない。普通はモデルにした人物がわからないものさ。だけどね、たまに僕達みたいに、何を参照にしたのかすぐわかるのもいてね。全く、無断使用も困ったものだよ」
彼は目を伏せて笑う。その笑い方は、本当によく似ている。
「お陰で見捨てられなくなっちゃった」
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