22.斧定九郎の紅い花 ー泣き笑いー
雨の激しく降る日だ。どこか雨漏りしているのか、ぴちょんと滴る音がする。
奈落のネザアスと出会った日のことを思い起こさせる、酷い雨の日である。
「なるほどな」
奈落のネザアスの声が、リビングに響いている。
「やっぱ、権力闘争がらみなのかあ」
ソファにだらしなくもたれかかりつつ、ネザアスは、なんとなく他人事のように言う。
『ええ。アマツノ・マヒトは、敵を多く抱えています。そもそも彼は技術者ですが、ここのところの彼は政治的な立場を強くしています。快く思わないものが多いのは当たり前のこと』
「元々、立ち回りは上手いやつだと思うけど」
スワロのスピーカーから聞こえるのは、魔女ミナヅキ・ビーティアの、うっすら事務的な声だ。相変わらずネザアスは、ちょっと嫌そうな顔をする。最初はてっきり、話の内容かと思ったのだが。
(ビーティアさんの声、そういえば、ちょっとなにかの音が混ざってる気がするなあ)
フジコも音の力を操る魔女。フジコの場合は人間にも聞こえる音を扱うが、扱っている音の中にはもちろん聞こえていない音も入っていて、それで泥の獣に影響を与える。
そこの加減がフジコにはまだ未熟だし、フジコの場合は録音や通信として変換してしまうとイマイチ効き目が薄い。しかし、ビーティアは、おそらくそうした影響を受けていない。
(聞こえてない音を、主に操ってる魔女さんなのかしら)
パートナーのドレイクも、そういえば、静寂という二つ名が付けられていた。それは、彼の静かな剣の影響かもしれないが。
(ネザアスさん、多分、ビーティアさんの声に含まれる、聞こえない音に反応するんだな)
そして、おそらく、体質的に耳に障るのだろう。嗅覚のするどいネザアスだが、実は彼は聴覚の方がもっと鋭い。特に目の見えない右側が。繊細に音の聞き分けができる分、自分に合わない音にイラついてしまうのだ。
それはそうと。
話は創造主アマツノの、政治と彼らの立場の話に移っている。
『立ち回りがうまかろうと、あれだけ目立てば敵は多くなる』
そう声を発したのは、ドレイクだ。
ドレイクもネザアスも、少し陰にこもる声だがドレイクはネザアスのような生来の明るさが全くなく、雨の日に聞くと気持ちが沈む。
ビーティアが言葉を継ぐ。
『敵対勢力が奈落で何をしているのか、徐々にわかりました。彼らは
「廃液? そこに
ぴん、とネザアスが顔を上げる。
『そのようなものです。それにより、
「後先考えねえなァ。ゆるやかに自分の首をしめる話だろ。しかし、その廃液、おれたちには良い方向には影響しねえのか?」
『強化剤ですから、黒騎士にも良い影響がある可能性はあります。しかし、泥の獣が軒並み凶暴化しているのを見ると、被らない方がいいでしょうね。いくら貴方達でも、正気を保証しかねます』
「まあそうだろうよ。おれだって、強くなるからって廃液なんざかぶりたくねーしなァ」
ネザアスは気怠く言ってから、身を起こした。
「まぁいいや。こっちも昨日から断続的に獣に襲われてるとこなんだ。雨も激しいし、お互い気をつけようぜ」
『ネザアス』
聞きたい情報は聞けた。さっくり切り上げようとしたところで、不意に憂鬱なドレイクの声が響く。
「なんだ?」
『昨夜、おれはあの泥の獣ではないものに襲われた。相手は銃器を使っていた。しかも、対強化兵士用のだ』
ふと、ネザアスの表情が変わる。
『返り討ちにしたが、あれは中央派遣の正規の兵士ではない。賞金稼ぎのようなものに見えた。かといって白騎士でもなく、白物質の投与を受けていないが、ナノマシンによる強化兵士だった』
「だとしたら
ネザアスが犬歯を剥くように半笑いになるが、
「まさか! 黒物質の人体投与は禁止されているだろ」
『左様。しかし、そうであるとしか考えられぬ。あんな粗悪な強化兵士は見たことがないが、あの汚染状況では白騎士は感染の危険から活動できない。だが、黒物質利用の改造兵士なら話は別。ただ使い捨て同然の存在に見えた』
「まさか。
ネザアスは眉をひそめた。
「いや、いくらアマツノでもそんなことは」
『粗製濫造は、彼、アマツノ・マヒトの好む行動ではない。これは対抗している勢力によるものだろう。ただ、低俗な改造による烏合の衆とはいえ、それだけに注意が必要だ。泥の獣の凶暴性は本能的で無計画。だが、奴等には明確な害意がある』
「おれたちを殺して
『敵対勢力にとって、我々も粛清対象だ。忘れられてはいると言え、我々は黒騎士の生き残り。何かの時に彼が使える戦力。まして、我々は彼にはさからえない。アマツノに対して、絶対的な忠誠を誓わされている』
「ふっ、あいつらの考えそうなことだがよ。おれたちが今更脅威になるかね」
『我々の再生力や機動力を考えれば、一概に彼らの杞憂とも言えまい。それに、自分たちのために使える、希少な上位黒物質
ネザアスがふと無言に落ちる。
『気をつけろ。凶暴化した獣との同時対応は、我々でも危険を伴う。守るものがいるのなら余計にな』
『そういうことなのです。そちらも十分に気をつけて』
「ああ」
不穏な会話が終わると、急に雨の音が強くなる。
「雨、止まないね」
窓の外を覗きながら、フジコは洗ったタオルを干す。この施設は乾燥機が壊れていた。
ぴぴ、スワロが同意するように鳴く。
(本当に、あの日みたい)
あの日、白騎士にジープに乗せられ、奈落にきたフジコは泥の獣に襲われた。
ジープの中で見ていた伝統文化教育プログラムの映像が、ほんのり思い浮かぶ。
傘をすぼめてあらわれる、白塗りの美しい悪党。強盗して金をせしめて、そして誤射されて血を吐いて死ぬ。
昔の人を魅了したという、暴力的で美しい場面というそれ。
そんな場面みたいに、雨の中でフジコを連れてきた白騎士は、雨の最中、泥の獣に飲まれていった。
(こんなこと、思い出したくないな)
フジコは首を振って、洗濯物を干すのに戻る。
と、向こうで物音がした。がしゃ、となにかが落ちる音。
「どうしたんだろう?」
様子を見に行くと、ネザアスがサイドボードに倒れかかるようにしていた。その上のものが落ちている。
「ネザアスさん! どうしたの?」
「だ、大丈夫。ちょ、ちょっとな」
ネザアスは苦笑する。元から顔色が良くないが、今の彼は明らかに真っ青になっていた。息が上がっている。
「とりあえず座って」
「ああ」
フジコは彼を支えるほどは力はない。普段の彼なら、そんなフジコを頼るはずもないが、今は寄りかかる彼の体重が感じられる。
ソファに倒れ込むように座り込みながら、ネザアスは空の右袖をキツく押さえてため息をつく。
「お水飲む?」
「ああ、ありがとうな」
フジコが水差しを持ってくると、ネザアスはピルケースを取り出して中の錠剤を水で流し込んでいた。
ふと、彼は息をついて、くっくと自嘲的に笑った。
「くそっ、"設定"だったのになァ」
「古傷が痛むの?」
薬を飲むと、ほんの少し気が紛れたのか、右袖を掴む手の力がゆるまった。
「古傷とはちょっと違うな。大崩壊の戦闘の時、無理矢理修復されちまってから右側吹っ飛ばされた時の後遺症だよ。幻肢痛ってやつでな。ちッ、本来なら別にそんなもん感じなかったのに、修復なんざしやがるから」
ネザアスはため息をつく。
「最近発作起きてなかったから、油断してた。雨と、あのビーティー姐さんの音に当てられたな」
ため息をついて、ネザアスは額を抑えて目をつぶる。
「おれは、あの女の声や音が苦手なんだよ。アイツは黒物質を、音で攻撃するタイプの魔女なんだ。だが、ドレイクは、たまたまその波長が合う。だが、アレがモロに神経に障るのさ、おれにはな」
「そうだったんだ。でも、大丈夫?」
「ああ、薬飲んで、気を紛らわしてりゃ治るぜ」
「それならいいけど、無理しないでね」
フジコとスワロが、心配そうに彼を覗き込む。
屋根を叩く雨の音が、強くなる。
と、不意に、それに混ざって、ばき、ばき、と音がした。
は、とネザアスが目を見開く。
「どうしたの?」
きょとんとするフジコを尻目に、さっと彼は顔を上げた。
「ウィステリア」
ネザアスの声が低い。
「おれが良いっていうまで、スワロとソファの陰に隠れてろ! いいな!」
その時。
メキメキ音を立てながら、屋根が崩れ落ちてきた。
「隠れろ!」
ネザアスの指示に、フジコは反射的にソファの陰に隠れる。
破れた屋根から、蛙を思わせる巨大な泥の獣が飛び込んできた。
「ふっ、ヒトがイラついてる時によ!」
ネザアスは歯を噛み締めるようにして、ニヤリと笑う。
「全く、ムカつく奴らだぜ!」
溶けた黒い泥をまとわりつかせながら、蛙は舌を伸ばす。だ、と床を蹴り、ネザアスはそれを素早く避けると、剣を抜く。体当たりをくれるようにして剣を突き刺し、外に追いやるが相手は体が大きい。剣が通り切らない。
ぬるりとした手がネザアスを払い除け、雨の降る地面に彼を叩きつける。
「ネザアスさん!」
フジコは身を乗り出す。
隠れていろ、そうは言われたけれど、今のネザアスは不利だった。彼は幻肢痛の発作を起こしているのだ。心なしか動きが鈍い。
「そうだ!」
フジコはふと思いついて、鎮静の歌を向けた。雨音で声が通りにくいが、それでも蛙の足元の泥の破片がバシャバシャとふるえる。
しかし。
それに反応したように、苛立った蛙の舌がフジコの方に伸ばされる。
「くそっ!」
起き上がり、びしっとネザアスがそれを払う。
「ウィス! コイツに鎮静は効かねえ! 逆に刺激する!」
「ネザアスさん!」
「コイツには声を向けるな……、うぉっ!」
間一髪。ネザアスが蛙の腕を避ける。ネザアスの斬撃で、蛙はかなり形を崩してきていたが、それでもまだ動きが落ちない。雨が降るたびに少しずつ大きくなっているようですらある。
(どうしよう。このままじゃ……)
ネザアスは言っていた。雨が強くなると、泥の獣も雨により強化されると。それに、ドレイク達の強化剤入りの廃液の話も思い出される。
ネザアスが懐に飛び込もうとしたところで、周りの泥が盛り上がって彼を弾き飛ばす。ネザアスが水溜りの中に転がる。
(だめだ。このままじゃ、ネザアスさんも)
恐怖で涙が滲む。泣いている場合ではないのに。
「ウィステリア!」
ネザアスの声が注意を引く。
軽く右側を庇うようにして、ネザアスは起き上がって叫んだ。
「ウィス! 歌え!」
「え?」
「お前の力を借りたいんだ! 歌ってくれ!」
蛙の攻撃がネザアスに向けられ、ちッと彼が舌打ちしてかろうじてかわす。
「で、でも、あたしの歌、効き目がないって!」
「違う。おれに対して歌うんだ! お前の歌なら、多分、おれの不調を鎮められる!」
は、とフジコは目を見開く。
「でも、やったことないよ。人に向けて歌って癒すなんて」
「理論的にはできるさ。おれはお前の声だけで気分が鎮まるんだからな。な、
泥だらけのネザアスが、ちらりとフジコを見て笑う。その笑みを向けられて、フジコは気持ちが落ち着いた。
きゅ、ぴ、と肩のスワロが、励ますように鳴く。
「なあ、頼むぜ」
「うん! やってみる!」
フジコは頷く。
そして目を閉じた。
響く雨音。それに負けないくらい声を通せば良い。
(あたしの力は本来、攻撃性の増した黒物質を鎮めて癒すもの。でも、そんな用途で使ったことない)
いつもは大人しくさせて排除するためにしか、使わない。でも、心を込めて歌えばどうだろう。
(大丈夫。あたしの声が落ち着くって言ってくれた、ネザアスさんには、通じるはず)
フジコは口を開いた。歌は、彼が好きだと言っていた、異国の歌。それを全身全霊で、奈落のネザアスに向けて歌うのだ。
雨の中にフジコの歌声が響く。
ふっとネザアスの動きが早くなった。
泥でできた蛙の舌が彼を巻き取ろうとしたが、ネザアスはそれを斜めに斬り捨てた。
「ふん、ここからだぜ!」
ネザアスが口の端を歪めて笑う。ざっと足を踏み切って、正確に泥の獣の中心を狙う。勢いをつけて飛び込む。切っ先が蛙の体を貫いた。
とフジコが声をとぎらせる。
目を開くと、ネザアスが泥の獣の核を破壊したらしく、蛙の体がどろりと溶けていくのが見えた。
ネザアスがそれを乱暴に突き放すと、水溜りに静かに黒い泥が広がる。
「ネザアスさん!」
強い雨が降っている。雨に当たるとフジコには感染の危険があるから、慌てて彼女は傘をさして外に出る。
「ちッ、全く泥だらけじゃねえか」
ネザアスは苦笑して、顔を拭いながら彼女を見た。
「やったな、ウィス」
にっと笑う。
「やっぱり、やればできるじゃねえか」
「うん! できた! できたよ!」
フジコは泣きながら笑顔でうなずいた。
「うまくできてよかった」
肩のスワロが、きゅと鳴いて褒め称えているかのようだ。
「ああ。だから自信持てっていってんだろ。お前の歌声はいいんだって」
ネザアスは優しく微笑む。
「さ、冷えるぜ。もう流石に来ないだろうし、中に入って休んで……」
そう言いかけた時だ。
ネザアスの瞳が鋭く後方に動いた。
突然銃声が聞こえた。
ネザアスの体がゆれる。
ばしゃ、と音が鳴ったのはネザアスの胸から弾け飛んだもののせいのようだった。フジコの頬にも赤いものが降りかかる。
じわりと白い着物に赤い染みが広がる。
「っ、なん……だよ」
ネザアスはギリと歯噛みしたが、その唇から赤い血が溢れていく。それが一筋袴を汚し。
ごぼりと溢れてきた血を吐いて、ネザアスは水溜りの中に倒れ込む。
赤い血が、花のように渦を巻いて広がっていく。
フジコは、声も出せずに立ちすくむ。
雨がひどく降っている。
まるで、彼と最初会ったあの日みたいに。
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