17.恩寵の騎士達 ー流星群ー

 流れ星の雨が降る。

 それはとても綺麗だけど、なんだか怖かったことを覚えている。そのまま、星が落ちてきて、世界ごと壊されそうで。


 一度だけ。

 魔女の養成所のころ、フジコは他の子達と体感プラネタリウムを見た。

 候補生は使い捨てになるかもしれないとはいえ、基本的には普通の扱いはされる。

 目に見えた虐待はない。欲しいものはお小遣いの範囲なら手に入るし、一般教養プログラムがあるから勉強もできる。趣味やスポーツに打ち込むこともできる。訓練はあるが、余暇はある。そういう意味では、幸せな生活が送れるともいえるかもしれない。

 ただ、魔女として、将来が保証されず、逃亡できないように見張られている。

 プラネタリウムや映画を見るのも、教育やレクリエーションの一環だ。

 魔女の特性からか、特定の親しい友人ができないように、同世代の少女達は一緒にいられる時間は少なく設定されている。そうした事情で、どちらかというと社交的な部類にはいるフジコも、魔女候補生に親友といえるほどの友人は作れなかった。

 それでも、こういう機会に集まれば、なんとなく仲良くなるものだ。

 映される星々の映像に、きゃあきゃあ言いながら騒いだことは、平穏な子供らしい良い思い出だ。流れ星は本物ではないのに、どんな願い事をしたのだとか、見逃したとか、そんなふうに騒ぐのだ。

 そこで、フジコは流れ星の、正確には流星雨を再現した映像を見た。

 その時、騒ぐ子供達から離れたところで、あの人魚姫がいるのを見た。

 ヤヨイの魔女である、あの儚げで美しい少女だ。その涙は黒物質に仕掛けられたプログラムを破壊して、溶かしてしまう。

 その能力と美しさから、彼女は少し浮いている。

 フジコは声をかけようと思ったが、ふと止めた。

 地上を壊してしまうように、たくさんの星が降り注ぐのを、あの子は美しい顔のまま表情を変えずに見ていた。

 なんだか、フジコには、それが怖かった。



 ネザアスに連れられて、庭のデッキに出る。そこには満天の星空がある。

 奈落の空は、ある程度コントロールされていると言っていたから、これが本当の星空か、ドームに映し出された映像なのかはわからない。フジコは星空に詳しくないから、その星の位置から正しい季節を知るのも難しい。

 フジコは椅子に座って、空を見上げていた。

「寒くないか?」

 温かい飲み物を持ってきたネザアスが、そう尋ねた。器用に自分とフジコの二つ分のマグカップを、左手に挟んでいた。

「ちょっと寒いかな。でも大丈夫だよ」

 フジコがそう答えて飲み物を受け取ると、ネザアスは自分の分を前にあるテーブルに置いてから、肩にかけていた物をフジコに渡す。

「ちょうど良かった。毛布持ってきたぜ」

「ありがとう」

 毛布をかぶって温かい飲み物を、ふーふー冷ましつつ一口飲む。甘い味が口の中に広がる。

 この建物は、例によってダクトのあるポータルスポットで、昼間に荷物が送られてきていた。飲み物はネザアスが頼んで仕入れたカフェラテらしい。

「美味しいね、これ。珈琲だけど、あたしでも飲める」

「へへー、気に入ってよかった。ヤブ医者が、お前くらいの子ならこれもいいっていうからさ。そうか、これは甘いのか」

 ネザアスは確認するようにそう言って、自分も一口飲んでいる。

「あ!」

 とフジコは声を上げる。

 星空を横切るように、星が流れていく。瞬く間だ。

「願い事するの忘れちゃった」

「はは、どうせまた機会はあるさ。この間、調べた記録だと今日で間違いないんだぜ」

「たくさん星が流れる日?」

「そう流星群の日だ。霜月エリアは十一月の気候とかを参考にしてるから、獅子座? で良かったかな。とにかく、その流星群ってのが再現されてて……」

 ネザアスは自分も毛布をかぶっていたが、冷たい空気に肩のスワロをそっと懐に入れて襟の辺りにとまらせる。

 スワロは温度を数値で感知するだけで、別に寒さを感じたりしないだろうが、こういうネザアスの妙に優しいところがフジコは好きだ。

「とにかく、十一月にはそういう日があってな、昔も案内してたんだぜ」

「そうなんだ。こんなふうに待つの初めて」

「そうだろう。上層アストラルじゃ、今は星も見えねえからなあ」

 ネザアスはにんまりする。

「まあでも、その当時は、星の流れる夜って、まあまあ不吉なイベントとかしてて、敵が襲ってくるとか、逆に襲撃する催しとかやってたな」

「え、そうなの? ロマンチックな方じゃないの?」

「そりゃ、星が流れるって、誰か死ぬってイメージも昔の人間にゃ、あったらしいからなー。てことで、大乱闘の夜ってのもアリだと思うぜ?」

 まったくしんみりもしない言い方で、ネザアスは言う。相変わらず雰囲気を台無しにする男なのだ。

「んー、そういや、俺の元になった奴にも、そういう決め台詞があったような。カッコいいんだが、なかなかいう機会がねえんだよな。今度作ろう」

 奈落のネザアスは、そんなことをぼやきつつ、カフェラテを啜る。

 星空を見上げながら、不意に無言に落ちる。

 星はまだ流れない。

 冷たい秋の空気が、しんしんと降りかかる。

「えーと、その、あ、あのなァ」

 ネザアスは沈黙に耐えかねたような、困った様子で言った。フジコが顔を上げる。

「この際、きいちまうぜ? お前、その、本当はおれがどういう立場か、なんとなーく勘づいてるんだろうな?」

 そう尋ねられ、フジコは戸惑いつつ頷く。思わず涙ぐみそうになる彼女に、ネザアスは思い当たったのか、うーん、そうかぁ、とため息をついた。

「もし、その、お前がさ、おれやスワロのことで、なんか心配してくれてるなら、悪かったな。早く気づけばよかった」

 ネザアスは少し姿勢を変える。

「お前はウヅキの魔女。見習いって言ってたが、お前の能力は高いし、多分お前はおれと相性がいい方の魔女。魔女って一言で括っても色々あるが、魔女は黒物質に干渉する力がある。おれ達を構成する黒騎士物質ブラック・ナイトに対しても。だが、多少の個性があって、相性の良し悪しがある。前に言った通り、お前やスワロはおれと相性がいい」

 相性の良いことは、フジコには喜ばしいことだけれど。

「だが、それだけに、お前はおれやスワロと感応しやすいってのも忘れてた。なんかの拍子に相手の記憶かなんかに干渉しちまうらしいんだよな、魔女って。お前の怖い夢は、おれやスワロの記憶と関わりがあるんだろ」

 そう聞かれて、フジコはうんとうなずく。

「ごめんなさい。もっと早く言っていれば。それに覗き見みたいなこと」

「いや、いいんだぜ。お互い見せるつもりも見るつもりもなくても、伝わる時は伝わっちまうらしいんだよ」

 ネザアスはそう断りつつ、

「スワロはな、元々魔女なんだ」

「うん」

「半分おれのせいでこうなったんだ。本当のスワロは幸せになっているのかもしれねえ。それでも残されたこいつがおれは不憫でなあ。いつか、おれが人間の姿に戻してやるって、それでこの姿で残してもらった」

 ネザアスは目を伏せた。

「まあ、遠い話だけどな。まだ、こいつ、感情も発達してない。それに、ヒューマノイド型のアンドロイド持つのも今じゃ許可が取れない。おれなんかじゃ、バイオ型なんてとても」

「大丈夫だよ。きっといつかは。ネザアスさんなら」

 フジコは懐のスワロを見て目を細めた。

「スワロちゃんは、幸せだね」

「そんなことねえよ。おれに付き合うとマジでロクなことはねえからな。おれ、自分で言うとなんだけど、わるい男だから。性格も悪いぜ」

「そうだとしても、あたし、本当はスワロちゃんが羨ましいぐらい。いつでも、ネザアスさんといられるんだもの」

 フジコは両手でマグカップを握る。

「あたしは、この旅が終わったら、ネザアスさんとはお別れだし」

「おれみてえなやつとは、一緒にいない方がいいんだよ。お嬢レディ。魔女っていっても、ビーティアみてえに幸せになる奴だっている。その選択の中ではおれはないぜ。おれといると不幸になる。本当はスワロだって、おれといねえ方がいいんだ」

 ネザアスはふと呟く。

「おれは、もうアイツ、創造主アマツノには捨てられた玩具だからな。将来がねえよ」

「え?」

 つい、と星が流れる。

「そんなこと……」

 慌ててフジコが立ち上がる。

「いいんだよ。最初からわかってたんだ。見ろ」

 ネザアスはマグカップを置くと、着物の左側をぐいとはだけた。その左の鎖骨の下に製造番号とバーコードが書かれているのが、ランプの光でうっすら見える。

 そこにはYURED-NEZAS-BK-002と刻印されていたが、Yの文字が特に大きく特殊な装飾がされ、金色のラメが振り撒かれているように輝いていた。

「おれは神の恩寵、Yの文字を与えられた黒騎士だ。これは、アイツに特に気に入られた奴が与えられる勲章さ。頭文字イニシャルにコイツを持つやつが、もっとも気に入られててな、おれやドレイクはそうなんだ。ドレイクの場合は、正式な場では頭文字のTが区別されてる、ちょっと特殊な形だが」

 ふとネザアスは目を伏せる。

「他にも黒騎士じゃねえが秘書YERIKエリックとか、白騎士YINSHURRYインシュリーとか。とにかくご贔屓のやつが貰う。これを持っていれば、上層アストラルで偉そうな顔ができるのさ。でも、おれの場合は昔の話」

 ネザアスは襟をもどした。

「おれはアイツが餓鬼だった頃の友達だ。現実世界に友達も家族もいなかった寂しがりやのアイツは、ドレイクやおれなんかを作った。その時はおれは人格が複雑にできてなくて、楽しく旅をするだけだった」

「旅を」

「ああ。まさか、そんなおれたちをこんな風にして受肉させちまうとは思わなかったがな。でも、その時は嬉しかったよ。アイツの側の大変な事情だって知ってたけど、おれを形のある人間にしてくれたわけだろ」

 ネザアスは空を見上げる。星がもう一度流れる。

「こんな風に一緒に流星も見たな。寒い日で、やっぱ、毛布にくるまってた」

「それなら大丈夫じゃないのかな。今だってお友達でしょう?」

「少しはな。でも、今のアイツにはおれやドレイクは古いおもちゃなんだ。たくさんいたお気に入りのおもちゃの中で、ただおれたちが生き残ったから面倒見てくれているだけ。忘れたおもちゃ箱の中のおもちゃなのさ」

 ネザアスは寂しげに言う。

「だから、今更の命令にも懐疑的だった。おれにくるなんて、間違いじゃねえかって。それでも、おれはどこかで嬉しかったよ。おれはアイツがいつか帰ってくるのを待って、この奈落を守っている。あまつさえ、アイツが覚えてくれているなら、この命令を受ければ帰ってくるかもしれないと」

「そんなの!」

 フジコは拳を握る。

「ネザアスさんは恨みに思わないの? ひどいよ!」

 フジコが憤る。

「都合のいい時に使ってるだけじゃない! そんなの!」

 思わず涙ぐみそうになると、ネザアスが慌てて止めた。

「待てよ、おれのことで、そんな泣くなよ。泣くと水分、勿体ねえだろ」

「でも」

「安心しろよ。おれだって、別に盲目的にアイツに従ってるだけじゃねえよ。それに、お前を守るように命令されたことには感謝してる」

「うん」

 フジコはそれを言われると痛い。ネザアスがいなければ、フジコはとっくに泥に食われていた。他の魔女候補生と同じだ。

 でも、それは複雑なのだ。

 奈落のネザアスは、命令があるからフジコにやさしい。子供を愛するように設定されているから、彼女を傷つけない。

 フジコが子供でもなく、命令もなかったら彼は見向きもしなかった。多分そうだ。

「あたしも、それで助けてもらったんだもの」

 複雑な気持ちを涙と一緒に飲み込むと、ネザアスがふっと笑った。

「あと、な、お前誤解してそうだし、はっきり言うけど」

 きょとんとすると、ネザアスがにやりとした。

「おれは、命令されてるからってだけで、お前を助けてるんじゃねえから。そこ、勘違いするなよ」

「え?」

 ネザアスは目を細めた。

「あれはただのきっかけだ」

「きっかけ?」

「そう、命令はきっかけ。餓鬼の面倒見るようにされたのも、所詮きっかけ。おれが本当に守るかどうかは、おれの気分次第で決める。決めるのは最後はおれだぞ」

 奈落のネザアスは、そう言ってフジコに向き直る。

「だから、お前を好んで連れ歩いてんのは、他ならぬおれなんだぜ。そこはアマツノがどう言おうと関係ない。おれは最後は自分でなんでも決める。お前は、久々の客、可愛いし、歌もうまいし、声もいいし、だから気に入った。それで、おれはお前を守る命令をきいてやることにした。言ったろ? おれ、性格は悪いんだぞ。お前が気に入らなきゃ、守らねえよ」

 フジコが目を丸くしたまま、ネザアスを見やる。ネザアスはカフェラテを啜りつつ、

「そういうことだからよ、だから、お前、おれに対して変な気遣いなんざあ……、あ? な、なんっ? あちっ!」

 急にフジコに抱きつかれて、ネザアスは飲み物をこぼしかけて慌てる。

「な、なんだよ、ど、どうした?」

 ネザアスの胸に顔を埋めながら、フジコは答える。

「ううん、なんでもないよ」

「な、泣いて、ないよな?」

 ネザアスはちょっと困惑する。

「おれ、女に泣かれるの嫌いなんだ」

「泣いてないよ」

 ぐす、と鼻を啜りつつ、フジコは顔を上げて微笑んだ。

「でも、ネザアスさん、もう他の子にそんなこと言っちゃダメだよ。常習犯だなあ。スワロちゃんとあたしで少なくとも二回目なんだから」

「は? なんだと?」

 ピンとこないネザアスが聞き返す。

「ううん、なんでもない!」

 フジコは自分の椅子に飛び乗るように座る。

 その時、空でたくさんの星が流れてきた。

「わあっ、ネザアスさん、スワロちゃん、見て! すごいよ!」

「おお、今日はいい感じじゃねえか。これだけ降れば、願い事たくさんできるな」

「うん」

 地上を壊しそうに降る流れ星、けれどフジコは、願う。


 どうか、この不安定で危なくて、しかし心地よく穏やかな。この奈落のネザアスとの旅が、できるだけ長く続きますように。

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