16.鎮めの音色 ー水のー
小川が流れていた。
そのせせらぎの音をきくと、なんだか心が落ち着く。古今東西、水の音はひとの気持ちを落ち着けると言う。
実際フジコだってそうだ。それが作り物の音声でも、水の音を聞くと心が鎮まる。
その、小さな川のほとりで、二人は小休止をしていた。
雨の後だが、ここの水は汚染されていない様子だ。ネザアス曰く、水源の水量が豊富なので流されていくとのこと。そのとおり小さい川だが流れが早いようだった。そのせいか、周りに植物が生えており、生き物はいないが作り物の蝶がまだふわふわ飛んでいる。多少泥に汚れてはいるが、花をひらひら渡り歩く姿はまだ十分に綺麗だ。
流石に霜月のエリアは晩秋の気候で、足をつけて遊ぶには水が冷たい。しかし、綺麗な水辺を見るのは気が休まる。
しかし、先ほどから展開されている会話の内容に、フジコは不安な気持ちもあった。
「あー、そうか。なるほどなあ」
ネザアスは、独り言を言っているわけではない。スワロを通じて、先程、何かの通信があったようだ。
「んー、師走エリア方面からはやっぱり無理だろ。睦月エリア周辺は遠いから、おれはここしばらく足を向けられていない。どうなってるかわからねえが、道自体はなんかしら繋がってるはずだ。いちかばちか、そこから入る」
どうやら、通信の相手は、例の黒騎士、静寂のドレイクことタイブル・ドレイクであるらしい。
といっても、話しているのは無口なドレイクでなく、やはりアシスタントの魔女、ミナヅキ・ビーティアのようだった。
『神無月エリアの道は比較的安全だわ。けれど、泥の獣が全体的に強くなっている。彼らの黒物質濃度も上がっているようだし、巨大化もしている気配がある』
スワロがスピーカーモードに切り替えたらしく、相手の声がフジコにもはっきり聞こえた。
「ふーん、ということは、派遣の白騎士の連中、マジで喰われて全滅してんのか?」
ネザアスが顎に手を当てる。
「それはヤベェなあ。ここんとこ、雨が強くて奈落の破壊も前よりひどくなってんのに」
と言っているが、そこの感じにはなんとなく他人事感がある。それどころか、どこか楽しそうなのだ。この辺りは、彼のマトモではないところ。
黒騎士、奈落のネザアスは、ちょっとした窮地に陥る方がテンションが上がる気質である。
それはもしかしたら、黒騎士全般に言えることだったのかもしれない。彼らは戦闘用に造られた兵士だが、白騎士よりも極端にそちらに寄りすぎているのだ。
『
ネザアスは、その登録名からつけられた通称が嫌いなので、思わず苦笑いする。
「ふっ、ドレイクだってそう答えてるんだろう? おれも同じだ。ただ、白騎士はともかく、魔女なんか特に貴重。中央は使い捨てるほど大盤振る舞いしないはず。そこは変なんだけどな」
ふーむ、と唸って奈落のネザアスは考える。
「まあしかし、
ネザアスは目を伏せた。
「ドクターが言ってたよ。"アイツ"もちょっと立場が不安定だってな。白騎士と魔女は主にアイツの戦力。アイツに対抗する勢力が、なんかしらの理由をつけて力を削ごうとしてたって、別に変な話じゃあないし。奈落に派遣して勝手に減ってくれりゃ、世話ないよなー」
『それであれば』
と不意に割り込んできた男の声は、ドレイクのようだった。
『"彼"が久しぶりに、おれたちに命令を下した理由もわかる気がする』
「お、久々に喋ったな? いねえのかと思ったぞ」
ネザアスは茶化すが、ドレイクは乗らない。
『
「あー、それは聞いたな。泥の獣から
二人の会話は、少し他人事だ。自分の身にかかることなのに。
しかし、本来は兄弟のようなもの、という関係を推測させる気配はある。
「ってことは、アイツの命令の目的は、開拓名目で敵対勢力による戦力削減されていることに対抗したことと、命令しておれとあんたに討伐させた獣から、アイツらが食って取り込んだ魔女や黒騎士のナノマシンを回収すること。両方かもしんねえな?」
『まだ確定はできない。ドクターに私からも連絡する。お前もきいておけ』
「気が向いたらな。あのヤブ、話長いんだ」
ネザアスが気怠げに応えると、ドレイクは再び口を閉ざした。代わりにビーティアの声がする。
『
「そうだろうよ。おれは気が短いんでな。通れるとわかってりゃ、そりゃー最初からショートカットを使ってる。だが、汚染もひどいし道もひどい。蝶々のネエさんは生身じゃねえから、多少の無理は効くだろうが、うちは可愛いお嬢様がいるんでね。のんびり安全な道を選んでるぜ」
それに、とネザアスは苦笑して言う。
「おれが命令されたのは、娘を助けて任務を手伝うこと。おれも娘も急げとは言われていない。急ぐ理由がねえなら、ゆっくり進むさ」
『わかったわ。気をつけて』
ミナヅキ・ビーティアの声が聞こえると、程なく通信が切れたようだった。
「待たせたな、
ネザアスはそうフジコに声をかける。
「さ、行こうか」
「うん」
フジコは不穏な話題に複雑な気持ちを抱いていたことを隠しつつ、笑顔を向けたがちょっと考えてから声をかけた。
「ネザアスさん聞いていい?」
「なんだ?」
「あの、黒騎士って、やっぱり
失礼なことかも。と、ちょっとフジコは身構える。黒物質は、人々に散々忌み嫌われている。
「んー、半分当たりだがちょっと違うなー」
ネザアスは別に気にしたふうもない。
「いいや。ちょうどいい機会だし、説明してやろう」
ネザアスは肩のスワロを撫でながら、その辺の岩にもたれかかる。
「
「それがあの黒い泥なの」
「そうだ。まー、悪意の結びついた黒物質はウィルスみたいに、他の生体や機体やらに影響しやがってなー。で、使用が全面的中止されたが、すでに増殖しちまった後だったというわけ。困ったアイツらが作ったのが、悪意に比較的染まりにくい劣化版の
と、ネザアスはにやりとして、
「なんで黒物質の欠点を改善したのが、おれたちに使われた上位黒物質、製品名が
「魔女の力が黒騎士さん達にも効果があるのは、黒物質を持っているからなの?」
「そういうことだな。ま、あいつらより、おれのが相当上等なんで同類扱いはやめてほしいけどな。炭と工業ダイヤモンドくらいには違うぜ」
ネザアスは続ける。
「で、今は作ったやつですら、作り方がわからなくなったと、そう言う話。発狂させねえ方法だって、今はわかってんだし、本音は黒騎士量産したいんだろうよ」
「そっか。あたし、黒物質は悪い物だとばかり。ネザアスさんに失礼だったわね。ごめんなさい」
「あー、別に気にしねえよ。知られてないだけさ」
と、不意にネザアスが笑った。
「うーん、やっぱり、同じ魔女でも違うんだなあ。お前と話してると、あのビーティアと話してるのと感じが違うぜ」
「え? 何が」
「声が」
きょとんとすると、ネザアスは言った。
「お前の声、なんかおれに作用するんだよな」
「え、さ、作用? よくないことかな?」
フジコが心配になると、ネザアスは手を振った。
「違うぜ。おれにはお前の歌や声が心地いいって話。ま、戦闘中はやる気がなくなって困るけどさ。魔女は黒物質に作用する。当然、黒騎士にも。でも、相性の良し悪しはあって、お前やスワロはおれと相性がいいんだよな」
ネザアスは顎を撫でやった。
「おれみたいな黒騎士は、泥のやつや白騎士なんかのナノマシン持ちに攻撃本能を持つように作られている。だから、この汚染された奈落にいる限り、常時、アドレナリン出っ放しでよ、ずっと戦闘中みたいな感じなんだよ。おれは、そういうの、個人的には好きだけどな。血が騒ぐのって、生きてるって感じする」
ふとネザアスは目を伏せる。
「でもよ、やっぱり、ずっと臨戦状態ってのも、良くないんだろう。他の黒騎士が狂ったのは、案外そういうところもあるのかもな。おれとドレイクがおかしくならなかったのは、特殊な設定がしてあったのもあるが、魔女のアシストがあることがプラスなのも否めねえ。おれもスワロがいてくれて、助かってる」
ついっとスワロを撫でやりつつ、
「ドレイクなんかは特にな。アイツはおれより精神が不安定だが、あの女がいるからさ。あれでうまくやってんだろ」
「あの、ミナヅキの魔女さん」
「そう。おれはあの女苦手なんだけどよ。高飛車だし。相性もよくねえ」
ネザアスはそんなことをさらっとカミングアウトしつつ、
「ドレイクのやつは、なんていうか、悩み深いんだよ。元になったやつと同じ人格を演じられないとか、長男だからしっかりしなきゃとかなんとか。おれなんて、そんなこと全く気にもしたことないんだけどなー。だってよ、モデルったって、クローニングで双子作っても同じ性格にならねーっていうだろ。元と似てないとか、気にしてもしょうがねえって」
それは少しぐらい気にする方が、普通の気がする。その辺はネザアスが楽天的すぎるのだ。
「まあとにかく、ずっと戦闘状態なのは高熱出続けてるみたいなもんで、それを冷ます水がたまには欲しいなって、最近思い始めていた。でな、おれにとっては、お前の声は、そういう水の、なんていうか、水の音みたいな感触がする声というか」
ネザアスは説明に苦戦しつつ、
「うん、まあその、うまく説明できないが、するっと入ってきて落ち着かせてくれるっていう音なんだ」
「そうなの?」
「ああ。おれ、本当はあんまり夜に眠れないんだぜ。基本的に夜の生き物として造られたから。でも、お前といるとちゃんと夜も眠くなる」
ネザアスは続けて、にこりとした。
「魔女というか、お前の力はすごいな。今だってこうやって話してると、ドレイクと話して昂った攻撃性がおさまるぜ。だから、お前の歌なんか、寝ちまうくらいに効く。お前は声綺麗だし、歌もうまいから余計にな」
「そ、そうなのかな」
手放しで褒められてフジコは赤くなる。
「ああ。ここに来た魔女がお前で良かったぜ」
「うん」
フジコは、少し黙り込んでから、
「あ、あのね、あたしの声や歌で、ネザアスさんが穏やかに過ごせるなら、それ、あたしにも嬉しい」
フジコは少し照れて、俯きながら言った。
「また、ネザアスさんに歌ってもいい?」
「こっちが頼みたいぜ。お前の歌、おれも旅してた時に知ってる懐かしいやつが多いし。でも、途中で寝ちまっても許してくれよ」
ネザアスがそう言って、にっと笑う。
小川のせせらぎが聞こえる。
水の清らかな音はひとを癒すといわれている。
フジコの声は、特定の周波数を持つ作り物だ。ネザアスにとって、たとえ作り物だとしても、自分の声がそういうものならいいなと、フジコは思った。
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