14.魔女の瞳 ー裏腹ー


 ふと場面は変わっていた。


 フジコは、いつの間にか建物の中にいる。

(ここ、どこだろ……)

 洗練された整えられた場所。明るい冷たい照明。研究所の中みたいだ。

 ふと廊下から奈落のネザアスが、やってくるのが見えた。彼は前と違って最初から上機嫌だ。

 そして何よりも意外なことに、ネザアスは上層中央局制定の上級将校用の軍服を着ていたのだった。白い服の白騎士と区別する為か、その色は黒い。

(意外だけどカッコいいな。それにしても、中央局所属って似合わないなって思ったけど、本当みたい)

 フジコは、思わず見つめてしまう。

 あまり見つめると不審かもしれないが、もっとも、ここにいるフジコは誰にも見られないし、何かにもさわれないらしい。さながら透明人間だが、つまるところ、多分これはフジコの夢の中かなにかなのだ。

 しかし、その映像の生々しさは、単に夢と言ってしまって良いものではなさそうだった。

「お前から呼んでもらえるの、久しぶりだな」

 ネザアスは、剣帯に帯びていた剣を手にしていた。

「久しぶりだけど、元気そうで良かった」

 そんなことを言いながら、隣の人物と話している。

「良い剣だろう」

 隣の人物は、フジコからあまり顔がよく見えない。ただ、青年のようであった。しかし、身分が高いらしいことは、なんとなく立ち振る舞いで予想される。

「君に合うように調整してある。これなら、左手にケーブルで繋いでも拒絶を起こさないと思うよ」

「ああ。刀身も綺麗だしな。これなら、十分やれる。ありがとうな」

 いっそあどけない笑みを見せ、ネザアスは貰ったという新しい剣を左手に掲げた。鞘や柄を見る限り、それはフジコと旅する彼が持つものと同じようだった。

「しかし、そんなに反応速度がいいって、今更おれたちに合う材料あったのか? 純度の高い黒物質の生産はもう難しいんだろう?」

「なに、ちょうど良いのが見つかったんだ。それで、ぜひ君にって思ってね」

「そうかあ。それは良かった!」

 無邪気に喜ぶネザアスは、不意に立ち止まった。

 廊下の向こうで、一人の子供が研究員に連れられていた。

「あ!」

 と、ネザアスは声を上げる。

「アマツノ、ちょっと待っててくれ。挨拶をする」

 ネザアスはそう言い置いて、たっと子供に近寄る。

 綺麗な服を着ていたが、それはあの夕暮れの日、ネザアスに声をかけてきた子供に違いなかった。

「よう。お前、帰ったんじゃなかったのか? どうして、こんなところに……」

 と、声をかけたところで、子供は彼を見た。ネザアスは思わず口をつぐんだ。

 短くした前髪から両目がのぞいていたが、その目は前のように機械的な色を帯びてはいなかった。それだけではない。彼を見るその眼差しは、知らない男を見るものに他ならなかったのだ。

 はっと立ち止まるネザアスに、子供はぺこりと会釈する。

 そして、なんの声をかけることもなく、研究員に連れられ、すれ違って通り過ぎて行った。

 ネザアスはしばらく立ち尽くしていたが、猛然と、一緒に歩いていた青年を振り返った。

「お前、お前、まさか!」

 ネザアスは青年の胸ぐらを掴んだ。

「まさか、"これ"は、"これ"は魔女の灰色物質アッシュマテリアルを使って作ったものなのか! あれは黒物質との相性がいい。そ、それで、それで、おれの体につなげても平気なのか!」

「黒騎士の君達に最適だったからね」

 青年は当然のように答える。

「それに、あの子は機械化していたから、金属との相性も良かった。驚いたね。灰色物質にそんな特性があるとは。今まで金属と合わせてもうまくいかないと思っていたのに、魔女の生体の中ではうまく行くんだな」

 ネザアスに睨まれても、青年は動じていない。

「心配なの? 大丈夫だよ。あの子達には、灰色物質を取り除いた新しい体を与えているよ。失われていた肉体も治療できている。あの子の右目も治っていたろう?」

「でも、あいつ、おれの記憶がなかったぜ」

 ネザアスは疑うように彼を見た。

「前のあいつと今のあいつは同じものなのか?」

「記憶領域については、引き継ぎの際に混乱することも多いからね」

「お前ッ! アマツノ!」

 ネザアスは怒りに任せて、青年を壁に押し付ける。

「どうして! お前、いつからそうなったんだ! おれやドレイクなんかと旅をしていた頃、お前は決してそうじゃなかった! もっと優しかったし、性格だって今と違う! なんでそんなことをする!」

「痛いよ、ネザアス」

 青年は静かに彼に告げる。

「答えろ、アマツノ! お前はいつからッ!」

「ネザアス」

 青年がふと彼に静かに呼びかける。どき、とネザアスが左目を見開いた。

「ユウレッド・ネザアス、いつだって君は僕の味方だろう? 違うのかい」

 びく、とネザアスが反応する。

 静かに、胸ぐらを掴んでいた手が降りる。何故かネザアスは呆然としていた。そっと青年は彼の肩に手を置く。

「混乱しているんだね、ネザアス」

 彼は告げる。

「君がいまの姿になってから、まだそう時間がたたないから仕方ないよ。人間になり切っていない。だから君は大人だけど、まだ子供みたいなところがある」

 青年は、そっと目を細める。

「冷静に考えれば、何が合理的なのかわかるはず。あの子は、魔女をやめることを望んでいた。当然、魔女を止めた方が幸せになれる。そして、きみは強い武器を持てる。誰も不幸にならないよ。落ち着いて」

「あ、ああ。す、すまなかった……」

 ネザアスは視線を泳がせて謝罪する。青年が人好きのする笑みを浮かべた。

「わかってくれて良かった。さあ、行こう」

「あ、ああ……」

 ネザアスは明らかに様子がおかしい。いつもの彼らしさはなく、どこか怯えているようですらある。

 青年に黙って着いていく。

「君は見た目と裏腹に優しいんだね、ネザアス。昔から変わらない」

 青年は言った。

「君には狂気を抑え込むのに、小さきものに対して愛着を抱くようにしてあるから、感傷的なのはそのせいかもしれない。そんなにあの子が気に入っていたのなら、機械仕掛けの部品をあげるよ。灰色物質が義眼を侵食していたけれど使い物にならなかった。本来なら廃棄するのだけれど、気になるのなら、君が葬ってあげなさい。そうすれば、気がおさまる」

「ああ、ありがとうな。……そうする」

 ネザアスは心ここに在らずといった様子で、ぼんやりと答えた。



「ということだ! アンタが、なんとかしろよ!」

「あのねえ、そういうのを持ち込まれても困るんだよねえ」

 瞬きすると暗闇からそんな声が聞こえた。

(あれ、ここ、どこ?)

 世界が急に明るくなる。

 そこは、先ほどとは全く趣の異なる場所だった。

 あの研究所らしい場所、最低限のものしかない洗練された場所とは違い、たくさんのもので溢れている。

 タブレットなどの電子製品だけでなく、本や写真立て、書きかけの書類。アナログで雑多な室内。けれど、どこか暖かい。

「なんとかしろよ! アンタならどうにかできるだろ! ドクター!」

 ネザアスが部屋の一角に居座っていた。

「どうにかってねえ」

 向かいに座っているのは、初老の人物だった。白髪に無精髭を少し生やしているが、なんとなくだが誰かに似ている。その誰かがピンと来ない。

「そんなこと言われたってね」

 ドクターと呼ばれた白衣の医者は、赤い宝石のようなものを手にしていた。

「確かにこれはサイバネティクス医療で使われてる目で、子供用。それに灰色物質が入り込んでいて、宝石みたいに変質したものさ。魔女のものには違いない」

「そうだ、魔女のものだ。そいつはもともと娘っ子だったんだ!」

「でも、この持ち主は、魔女を辞めてしまったんだろう。新しい体とはいえ、一応前の体をベースにしてる。灰色物質の影響は残らないし、確かに普通の子に戻れるんだよ。その方が彼女たちも幸せだと思うよ。確かに倫理的に悩ましいところはあるけどもさ、そんなふうに悩むとキリがなくなるよ。君の気持ちはわかるけど」

「でも、あの娘、おれのことを覚えていなかった!」

 ネザアスは、些か子供っぽい口調になっていた。

「最後の日に会いに来てくれたのにだぞ! あの日のあの娘は、じゃあどこに行っちまったんだ!」

 ドクターは、ため息をついた。

「いやさあー、本当、君の気持ちはわかるけどね。でも、どうするの? これだけじゃ人間に戻せない。それに、たとえ戻したとしても、やっぱり君のことを覚えてはいないし、ガッツリ作り込まなきゃ人間らしい人格も持たないと思うよ」

「でも、なにかにはできるだろ。時間かければ、おれみたいに人間に近くなれたりする」

 そこまで言って、ネザアスは急に気持ちが落ち込んだようだった。

「なあ、なんとかしてやってくれよ。かわいそうなんだ! おれが新しい武器が欲しいって言わなきゃ、こんなことになってない!」

 ネザアスは目を伏せた。

「アマツノのやつ、なんで、あんなこと……、平気で……。ヒトとして作ったものを材料として、武器になんか……」

 ネザアスは言った。

「おれも別に自慢できる性格はしてない。だけどよ、踏み越えちゃいけないもんがあるだろうがよ!」

「君が武器を望まなくたって、彼なら使ったさ。良質な黒物質も灰色物質も、あの男はもはや自分で作れなくなってる。昔のアマツノくんとは違うよ」

 ドクターは黙っていたが、ふとため息をついて言った。

「彼は神様になっちゃったのさ。権力に人格が侵食されて、昔の彼とは違ってる。人格分割すらしてるし、これからもっと壊れていくだろうね。君達も距離をとった方がいいよ」

 ドクターは居住まいを正した。

「あと、君も僕とは付き合わない方がいいかもね。君とドレイクは、まだしも登録名"Y"。特に君はイニシャルに神の恩寵の字を与えられた、特別な黒騎士だ。その神の恩寵がある限り、君達を本気で害するものは上層アストラルにはいない。そこいくと、僕は彼に逆らった反逆者みたいなもんだからね。いつ首切られてもおかしくないよ」

「でも、おれたちのメンテナンスはアンタしかできないだろ。上層の研究者になんか任せられねえよ」

「んあー、それ言われると辛いー」

 でも、と彼は続けた。

「まあ、僕としても、責任は感じるよー。わかりましたよ。ただ、僕と付き合ってることは、あんまり目立たないようにね」

 ふとドクターは、手の中の煌めく目を見た。それは目というより、本当に宝石のようになっていた。おぞましさはなく、ただの綺麗な結晶のようだ。

「ま、ね。君の剣の材料がこの子なら、それと呼応する戦闘用アシスタントにはできるかもしれない。努力はしてみるよ」

「本当か。良かった」

 ドクターがそういうと、ネザアスは少しホッとしたような表情になった。

「でも、可愛くしてやってくれよ。おれ、いつか……いつになるかわからねえけど、そいつをできたら元の娘に戻してやりたい。だから、戦闘用でもずっと可愛い姿でいたって、そういう記憶は残してやりたいんだ」

「君は変なところで優しいね」

 ドクターはふと微笑む。

「大丈夫さ。このサイズで作れるなら、ちいさな小鳥の姿になる。心配しなくても、間違いなく可愛いよ」

 ドクターは優しく笑う。

「名前は君が決めておくれ。この子はね、魔女としては、たぶんシモツキの……」



「スワロ、あの辺越えたら休憩所が見えるよな。そこで休むぞ」

 ぴ、とスワロが鳴く。

「そういや、お前は、この辺詳しいもんな。頼りになるぜ。うん、うん。いや本当だぜ。しかも、なんていっても可愛いしな。お前は本当にいいアシスタントだよ」

 ぴぴ、とスワロが嬉しそうに鳴く。

 その声で、フジコはふわりと目を覚ました。

「お、起きたか? お嬢レディ

 ネザアスが左側から振り返って軽く微笑む。

「もうすぐ休憩所なんだ。そこ行ったら手当てするからな」

「うん」

 そう答えつつ、フジコは何故かぼろりといきなり涙をあふれさせた。だめだ、涙が止まらない。

「お、おい、どこか痛いのか?」

 唐突に泣き出したフジコに、ネザアスはあわてる。

「違うの、違うの」

 フジコは泣きながらぎゅっとネザアスの肩につかまる。

 ぴ、ぴ、とスワロが慌てたように鳴く。

「なんか悪い夢見たんだな? な、大丈夫だから」

「うん」

 あれは夢だ。

 見たことが本当のこととは限らない。

 ただ、フジコは確信していた。

 ネザアスの背中に揺られて、スワロと一緒にいて、きっと同じ灰色物質を持つ魔女のフジコは彼らの記憶と感応してしまった。

 あの美しい昔の奈落。上層。

 けれど、行われていたことは、なんとおぞましいことなんだろう。

 そして、武器の材料として魔女の素材が使われていることを知ってしまった。フジコだって、きっと上層の彼らにはそう見られている。ただの材料だと。

(こんな悲しいことなら、見たことが、全部嘘であってほしい)

 ネザアスはおろおろしているようだが、スワロは何を思ったか、彼女の肩に飛び移ってきた。そして、頬にそっとすり寄る。

 フジコには、そんなスワロのほんの少しのヒトらしさが愛おしかった。

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