13.黄昏時のピエロ ーうろこ雲ー

 夕暮れ時だった。

 世界が赤く染まっている。

 空には途切れ途切れのうろこ雲。秋の日の暮れだ。

 無数に並ぶ客席には、ほかにだれもいない。小さなアリーナの中央にはステージがあった。客席から下っていく階段の下のステージもがらんとしていてさみしい。それが赤色に染まっている。

「あの、お疲れ様でした!」

 不意に声をかけられて、男が振り返る。

「はァ?」

 柄の良くない返事。

 男は明らかに機嫌が悪い。

 派手な着物、その時は袴は穿かずに着流しにしている。下着の襦袢も派手な模様付き。眼帯も装飾入り。普段よりもさらにそれが顕著で、それはショー用の衣装だということがなんとなくわかる。

 しかし、そこに立っているのは、どう見ても、奈落のネザアス本人だった。

(あれ? なんだろう、これ)

 いつのまにか、フジコは娯楽施設のようなところにいた。おそらくここも遊園地。しかし、今の奈落のように壊れて朽ち果ててはいない。

 キラキラのカラフルな塗装のされた遊具や、夕焼けに映える観覧車、ピカピカのイルミネーションに輝くメリーゴーランドが目を引く。

 その、何かのステージらしきところに立っているネザアスに、子供が声をかけたのだ。客は他にいない。

 フジコは、二人の人物を代わる代わるみていた。

 一人は相変わらずのネザアスで、もう一人はまだ小さな、フジコより年下らしい子供だ。どこかで見た気がする。

 肩までの髪、前髪も長くて目がほとんど見えていない。それでいて中性的な服装で、女の子か男の子かわからない。

 おそらく、ネザアスもどちらか把握しかねたようだ。

「なんだ、坊主。もうここ、閉園時間だぞ。帰れよ」

 ネザアスはちょっと冷たく言った。よくみるとネザアスは、どうやら片付けをしているようだった。

「今は短縮営業中なんだ。夜の営業はねえよ」

「あの、閉園時間まで、もう少しだけ時間があるかと思って、話しかけたのです。ご迷惑ならすみません」

 子供は丁寧に言って頭を下げる。

 あまり機嫌の良くなかったネザアスだが、そう出られると無碍にもできないと見えて、ふとため息をついた。

「おれに用なのか?」

「今日のショー素晴らしかったです」

 間髪入れずに興奮気味に、その子は言った。

「すごく動きにキレがあってかっこよくて! わたし、びっくりしました」

 子供は、見かけと裏腹に大人っぽい言葉遣いをするしっかりした子だったが、そうして興奮気味に話すのは年相応な感じがする。

「実は、わたし、前にもあなたのこと見かけたことはあったのですが、その時はちゃんとショーを見られなくて。ずっと残念に思っていました。だから、今日は見られて良かったです!」

「ふっ」

 とネザアスは冷たく笑った。

「そんな良いもんじゃねえよ、今日のは。それにおれは見世物にされるのは嫌だったんだ。見ろよ、この派手な着物に装飾品。いまのおれ、どう見ても道化師じゃねえか」

 ネザアスはふと右袖を掴んだ。

「おれは戦闘用だぞ。あんな気の抜けた模擬戦如きで褒められるなんざ、お笑い種だ。……汚染されて狂った黒騎士のせいで、叛乱が起こっているっていうのに、おれは怪我を理由にこんなところに押し込められてよ。いつまで待っても、出撃しろって命令が来ない」

 ネザアスは眉根を寄せた。

「おれ、本当はもう治ってるんだぜ」

 そして、彼はうつむいた。

「……負傷だってアイツらが命令したせいで……。おれの判断ミスじゃねえ。もっと戦えるのに」

 ネザアスはため息をつき、睨むように子供を見た。

「第一、お前以外に客なんかいたか? 黒騎士の乱のせいで、ここだって汚染されて破壊されて、縮小営業だ。客なんて誰も来やしねえ。たまに来たと思ったら、お前みたいな年頃の奴ら、養成所の候補生の遠足ぐらいだ。こんな、がらがらの客席で、なんのやる気が起こるって言うんだ」

 帰れよ、ネザアスはもう一度言った。

「気に触ったらすみません」

 子供は俯いた。

「でも、わたし、今日どうしてもあなたに会いたくて。どうしても、あなたのショーを観たかったんです。だから、観客がわたしだけなのにやってくれて、嬉しかったんです」

 そっと顔を上げると、前髪がわずかに割れて右の目が見えた。機械仕掛けの瞳が夕陽に輝く。

「わたし、もう明日にはここにいないので……」

 と、ネザアスが、片眉を歪める。後ろを向きかけていた彼は、子供の方を向いた。

「なんでだ?」

「もう家に帰るんです。わたし、坂の向こうから来たのです。今日は無理を言って連れてきていただきました」

「お前、じゃあ、魔女か白騎士かなんかの候補生か?」

 山の向こうに養成所がある。そういえば、ネザアスがそんなことを言っていた。フジコは思い出す。

「どうしてだ? 落第したのか? そうは見えないんだが……」

 ネザアスがほんの少し優しい口調になった。

「落第ではないのですが、少し適性が……。ほら、わたしは体の一部に機械を使っていますから。昔、あの泥の汚染に巻き込まれて、それで怪我をしてしまったんです。だから……」

 煌めく瞳でその子は彼を見上げた。

「それで、もう普通の子に戻ることになりました。それは喜ばしいのですが、もうここに来ることはできないかもしれないから」

 子供はネザアスに向けて笑いかけた。

「どうしても最後の日に、あなたにお会いして、この目で見ておきたかった」

 不意に館内放送から、営業の終了を告げるアナウンスがBGMと一緒に流れ出た。この曲はフジコも知っている。外国語の歌として習ったが、蛍の光としても親しまれている。

 それをきいて、子供ははっと慌てた表情になった。

「ごめんなさい。お片付け中に。お仕事終わるのが遅くなっちゃうのに。それに、失礼なことをすみませんでした」

 ぺこと丁寧にお辞儀をして、子供は早足で帰ろうとする。

「あ、ちょっと待て!」

 ネザアスが慌てて追いかける。子供が立ち止まる。きょとんとしたところで、ネザアスが追い付いた。

「ごめんな。おれ、変なこと言った。当たっちまって悪かった」

 ちょっと気が立っていたから、とネザアスは、彼らしくなく悄然とする。

「おれ、今日だって、別に手は抜いてなかったぜ」

「はい。わかっています。だってとても素敵でした!」

 子供が微笑むと、ネザアスも安心したように微笑む。

「お前さあ、魔女だか白騎士だか、あんなもんならないほうが幸せだぜ。問題が解決すれば、またここだって一般向け営業する。そうしたら、その方がまた来れると思う」

 ネザアスは、しゃがみ込んで視線を合わせてやる。

「なあ、おれ、今度新しい武器を貰えるんだ。この間、壊しちまったから代わりに前よりいいやつもらうんだぜ」

 そう言ってネザアスは、子供の肩に手を置く。

「だから、それからなら今日の倍以上は動けると思う。本当にかっこいいの見せてやるから、またショー観にこいよな?」

 そう言われて、ふと子供の目が潤んだ気がした。が、すぐに笑顔になって頷く。

「はい。楽しみにしています」

「約束だぞ! おれ、お前のこと覚えているからな」

 ネザアスが微笑んで、頭を撫でやる。

 その子供は、奈落のネザアスに出入り口までエスコートしてもらい、見送られてテーマパーク奈落の門から出て行った。

 ネザアスは、見えなくなるまで手を振っていた。

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