12.坂の向こうの夢の街 ー坂道ー
ぼんやり窓の外を見ている少女がいた。
いや、少年かもしれない。
その子は、ボーイッシュな女の子にも、ちょっと内向的な男の子にも見えた。
着ているものも、肩までの髪と目のあたりまで隠れた前髪も、その子を中性的に見せているばかりだ。年の頃も、フジコよりいくつか年下のようだった。
ともあれ、仮にそれを魔女とするとしよう。そこは魔女の寄宿舎のようだったからだ。だから彼女は女の子である可能性が高かった。
魔女になるのはほとんどが少女、逆に白騎士になるのはほとんどが少年だった。理由はわからない。ただ、使われる部品と生体の相性の問題なのかもしれない。例外はもちろんあるけれど、八割から九割はそうだ。だから、その子をフジコは魔女だと思った。
ともあれ、魔女が見つめる先に急な坂がある。あれを上った先に遊園地があるのだ。なぜかそれがわかった。
魔女と白騎士の候補生の寄宿舎の向こうに、遊園地がある。それは彼らの心を和ませるためのものだった。坂の向こうには簡単には行けないが、ごくまれに連れて行ってもらえる。ご褒美のようなもの。
魔女もそこに行くのが楽しみだった。
「もうすぐ」
魔女がぽつりとつぶやく。
「だけど、会えるかな?」
物憂げなその右目が、ふと髪の毛の間から見えた。その右目は明らかに機械の痕跡がある。どうやら義眼のようだった。
しかし、陽光でキラキラ光る綺麗な目だった。
窓の外。そこは、急な坂道が魔女と遊園地を隔てていた。簡単にそこにいけない。
魔女の落胆が、フジコにはわかった。
「行きたいな」
そこでフジコは目を覚ました。多分夢なのだろうが、妙に生々しいと思った。
(あの子、誰だろう?)
魔女のようだが、フジコの知らない子供だった。
そのうち、フジコはそんな夢を見たことを忘れていた。
その周辺は、地形が壊れていて不安定だった。捲れ上がった舗装、凹んで穴になっているところ。
そこを戦いながら走り抜ける。
「ウィス! 走れ!」
奈落のネザアスの声を背後に聞く。
ふと振り返ると、空中を飛ぶようにして虫のような泥の獣がネザアスに向かっている。
フジコの周りには、彼女が声で操作した、小さな泥が護衛のように張り付いてぴょんぴょんついていく。
森を抜けたところで、泥の獣の群れに襲われたネザアスとフジコは、状態の良くない地面に翻弄されながら逃げ延びてきた。
フジコが歌ったことで沈静化したものもいたが、今追いかけてきているのはそれらの周波数に耐性のあるものたちだ。その凶暴性は落ちていない。
上空を飛ぶスワロがネザアスに情報を与え、彼はそれに対応して戦闘を繰り広げていた。
一匹の虫の獣を叩き斬る。
「あと一匹!」
ネザアスが軽く笑みを歪めて、ざっとステップを踏み、刃を向ける。
(大丈夫かな、ネザアスさん)
それを見ていてフジコは、思わず足元への警戒が疎かになった。
「あ!」
それは一瞬の油断だった。足元に大きな穴があって、フジコはそのまま転んでしまった。左足首に鋭い痛みが走る。
地面に叩きつけられる。突き抜けるように痛いが、我慢して慌てて起きあがろうとしたところで鋭い痛みが走った。
「痛っ!」
どうも左足だ。足首あたりが痛い。
おそるおそる立ち上がる。
立ち上がることはできたし、骨に異常はなさそうだけれど、歩くと痛む。捻挫してしまったのかも。困った。
そうこうしているうちに、奈落のネザアスは、相手との戦闘を制していた。一刀両断にして、相手を地面の穴に沈めていた。
「ふうやれやれ、手こずらせやがって」
ネザアスがため息をつきつつ、びっと返り血を振り払う。そのあと、大体彼は懐紙で刀身を拭き取るのが常だ。彼の使う刀は、なんらかの細工がしてあるらしく、黒い泥はほとんど残らないのだが、それでも残った部分を丁寧にそれで拭うのだ。
大雑把なくせに、そういうところは几帳面なのである。
「
「う、うん」
フジコは慌ててうなずいた。
本当は痛む足が不安だが、ネザアスの足手まといにはなりたくない。
「それじゃ行くぞ。今日はまだ晴れている。晴れ間が続くとアイツらは乾いて、崩れやすくなる。今のうちに進もうな」
「うん」
フジコはそうこたえて、先に進むネザアスを追いかけるが、足がやはり痛い。引きずってあるこうとしてバランスを崩しかける。
と、ネザアスがふと振り返って、彼女を抱きとめた、
「どうした?」
「だ、大丈夫。なんでもないよ」
慌ててフジコが答えるが、予想がついたのか、ネザアスはしゃがみ込んだ。
「大丈夫じゃねえよ。足引きずってたろ」
そう言ってフジコの左足を見る。
「足、ねじったか?」
「転んだの。でも、大丈夫だと思う」
「そんな無理すんな。拗らせると大変だぞ」
ネザアスが心配そうにいう。
「それにここから傾斜の強い坂が続く。その足じゃ辛いぜ」
「でも、こんなところでのんびりしていると、また襲ってこないかな。急いでいかなきゃ」
そういうと、ネザアスも唸る。
「しょうがねえな。それじゃこうしよう」
とネザアスが背中を向ける。
「ほら」
おぶされということだ。
「え、でも……」
「遠慮すんなって。お前一人くらいおれはこたえねえよ。おれ、見た目より力あるから」
そういう問題ではない。フジコには、ちょっと気恥ずかしいのだ。
けれど、このままでは迷惑をかける。ぴ、とスワロも、促すように鳴いている。
フジコは好意に甘えることにした。
「う、うん。ごめんなさい」
「謝んなって」
ネザアスは軽々とフジコを背負う。彼が支えられるのは左足側だけなので、首のあたりに手をかける必要はあるが。
「本当はなんだっけ、お姫様抱っことかいうやつがアマっ子にはいいって聞いてたけど、おれは右手が使えねえから上手くできねえんだよ。悪いな」
ネザアスはちょっと苦笑しつつ、
「それにお前、歌ってたし疲れもあるだろ。遠慮せずにそうやってつかまってろな?」
「あ、ありがとう、ネザアスさん」
フジコはそう礼を言い、彼に背負われる。
(どきどきしてるの、ネザアスさんにバレないかな)
フジコはそんなことを考えてみる。距離が近い。
流石にこの距離だと、ネザアスの着物の香りがした。しかし、ネザアス本人は、泥の獣の返り血を浴びていなければ、ほんの少しの機械の無機質な香りと、まれに煙草らしき煙っぽい香りがほんのりするくらい。驚くほど体臭がない。今日は洗濯したばかりで、洗剤の匂いがするだけだ。
なんだか、本人も煙みたいな、こんな性格なのに消えていきそうな、そんな希薄さがあって不安になる。
「この坂を上った次のところに、休憩所があってな。そこなら、応急処置用の薬箱とかあるから、そこまでいこうぜ」
それなもので、不意に聞こえたネザアスの声に、不覚にもちょっと安心した。
いつのまにか、急な坂道に差しかかっていた。
「ここはな、むかーしあった、お前みたいな魔女とか白騎士候補を育成する養成所に連なる道だ。もともと山だったところでな、それで極端な坂になっている。山を一つ越えた谷間に養成所があったんだ」
「そうなの? こんなところに?」
ネザアスは、特に坂道でも息が上がらない。
「色々後ろめたいこともしてたから、多分、人目を避けたかったんだろうぜ」
「今はそこの養成所に向かっているの?」
「いや。あれはもう跡形もねえよ」
ネザアスの横顔が、何故か少し曇ったようだった。
「まあ、残ってねえ方がいいのさ。あんなもん」
「うん」
フジコはひとまず頷く。
揺られながら坂道をゆく。ネザアスの肩のスワロが時折フジコの様子を見てくれているようだ。
さっきの戦闘で、フジコも歌っていて疲れていたのか。それとも揺られるのが心地よいせいか、ふわふわと眠気が襲ってきた。
「ああ、うろこ雲だな」
不意にネザアスが空を見上げて言った。
「せっかく晴れたのに、これはまた雨が降りそうだぜ」
ぴ、とスワロが返事をする。
そんなスワロをチラリと見て、ネザアスが思い出したように言った。
「そういえば、あの時もうろこ雲が出ていたな」
ネザアスの声が、夢の向こうから聞こえるようだった。
「お前はそんなことも覚えてないんだろうな」
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