11.右袖の秘密 ーからりとー
からっと晴れ上がった空。
雨の霜月エリアにも、たまにそういう日もある。
「お洗濯物乾かそう!」
フジコが洗濯かごを抱えて外に飛び出すと、ぴーとスワロも気勢を上げる。
フジコは、昨日から部屋干しにしていた洗濯物を一気に物干し竿にかけていく。
「洗濯物ちゃんと乾くの、気持ちいいよね」
きゅきゅ、とスワロが肩で鳴く。
一方。
奈落のネザアスときたら、ベッド代わりのソファに寝転んで、毛布を被ってやはり寝倒している。
こんなにいい天気なのに。いやいい天気だからこそなのか。
「全然、起きてこないね?」
ぴ、とスワロが返事をする。どうやら、スワロはそういうだらしないネザアスにはイラッとしているらしい。
朝、話しかけたら、
「出るのは昼からでいいだろ。どうせこの先にはやたら多くの、休憩スポット……」
あとはむにゃむにゃっと言って、寝てしまったのだ。それでフジコは乾き切らない洗濯物を干すことに決めて、せっせと家事に励んでいるのだった。
奈落での衣類調達は、さほど難しくない。
こういう宿泊施設を兼ねた小屋やホテルなどの廃墟には、お土産屋やコンビニなどの売店が併設されており、下着や簡単な衣類の在庫がパッケージされて綺麗なまま残っている。なので、シャツやスウェットまでは簡単に手に入るので、最初に襲われた時に、ジープごと手荷物を飲まれてしまったフジコも、特に着替えに困ることはなかった。
花園の管理棟にはワンピースもあったので、それを二枚ほどいただいてきたから、よそ行きの服装などのオシャレもできる。
同じ要領でタオルなどの調達も簡単。
インフラも生きているのでシャワーも浴びられるし、この奈落での旅はそういう意味ではちょっとした旅行気分にはなれる。
基本的には過酷な場所だが、敵の襲来と汚染の恐怖さえなければ、住むのにはそんなに困らなさそうだ。
ネザアスのような、道案内とボディガードを兼ねた強者がついていれば特に。
洗濯事情も快適で、大体洗濯機と乾燥機が設置されているし、洗剤の在庫もある。
しかし、この小屋の場合、乾燥機が壊れていたので室内に干していたから、からりと晴れた今日は外に干すに限る。
ここの日差しはおそらく人工的に管理されたものだが、それでも、外干しするとふんわり乾いて良い香りがするのだ。
フジコはそんなわけでタオルや自分の服を干しているわけだが、その中に広げると一際大きい衣装がある。それはネザアスの着物だった。
(こう見ると、やっぱり大きいというか、背が高いなあ)
フジコは、着物を広げつつちょっと眺めてみる。ネザアスは痩せていてひょろっとしているが上背がある。足も長い。
別に美形ではないが、意外に格好良く見えることも多い。が、本人はあまり自覚がなく、寧ろ、痩せて貧弱なことや強面を気にしているらしい。意外にも変なところで繊細だ。
フジコは改めて服のシワを伸ばす。
彼の着物は不思議で、泥の獣の返り血……と言っていいのかわからないが、あの泥の黒いシミが簡単に落ちる。彼に言わせると、戦闘服だからコーティングがちゃんとしてあるということらしいが。
そして、何かと模様が派手。
彼はあちらこちらの拠点に、そういう、着物をいくつか隠しているが、それは全て派手な柄もの。その辺のファッションセンスはちょっとどうかと思うけれど、一応着こなせているので文句をつけるのも筋違いかもしれない。
「んー、これももうちょっと乾かそう」
コーティングのせいか、そういう仕様なのか、皺がつきにくいし、普通の洗濯機でも洗えるのは良い。そんな強い衣類だから、陰干ししなくても大丈夫そうだが、一応、直射日光の当たらないところへ。
フジコは丁寧にそれを干していく。
ふと着物の右側が垂れ下がって、右袖がびろんと力なく伸びた。
それで、ふとフジコは室内を見やる。
それが干されている今、ソファで寝込むネザアスは、スウェットの上下を着ている。そういう服を着るとはっきりわかるが、ネザアスの右腕は、肩の先から失われていた。
フジコがはっきりそれを知ったのは、昨夜のことだ。
「お、おお、い、いたのかよ!」
昨日の夜、風呂上がりのネザアスと偶然鉢合わせした。
風呂上がりのネザアスはタンクトップにスウェットの下、肩からバスタオルを羽織っていた。長い髪は下ろしていて、眼帯も外している。彼の右目はやはり失明しているのか白く濁っていて、その上に斜めにひどい傷跡が走っていた。彼の顔に傷があるらしいことは知っていたが、全てを見たのはその時が初めてだった。
ネザアスはちょっと動揺気味だ。
「いや、その、おれ、体貧弱だから、薄着だと恥ずかしいんだよな」
ネザアスは妙なところを恥じらい、バスタオルを慌ててかけ直して上半身を包む。
「それに顔の傷も怖いって言われるし、ここじゃ、あまり見せないようにしてたんだが、つい」
「ううん、そんなこと……」
と、ネザアスは、どうやらフジコの気になっているのがそこではないことに気づいたようだ。
ネザアスのような男の場合、大体体の傷には深い事情があるものだ。フジコはちょっと緊張してしまう。
「ああ、そういや、説明しなかったか?」
そう言って、ネザアスは右側のタオルの端をゆらりと揺らす。
「えと、ドレイクさんとのお話でなんとなくだけ……」
「んー、じゃあ説明した方がいいな。これは"設定"なんだよ。おれの、そういう"設定"。理由もなく最初からそうなんだ」
「設定?」
きょとんとする。
「この話すると、めちゃくちゃ長くなるんだけどな。差し障りのねえとこで、簡単に話すか」
と、ネザアスは困った顔になりつつ、とりあえず上から羽織りをかけてソファに座った。向かいにフジコがお茶の用意をして、ちょこんと座る。フジコの肩にいつのまにかスワロがやってきていた。
フジコが慌てて淹れた、あたたかいお茶を啜りつつ、ネザアスはのんびりと話す。
「この娯楽施設の一番最初の話になる。ここを作った"アイツ"は、とても寂しがりやでな。頭は良かったが、それゆえに一人なことも多くて、一緒に遊ぶ仲間が欲しかったのさ。そして、遊び相手として一部の黒騎士の元になるものを作った。その一人がおれ」
ネザアスは続けた。
「お前もなんか聞いたことあるだろ。管理局では元になるデータがあって、それを少しずつ変えて人間を作ったりしている。お前も九番目っていうから、たぶんそうなのかもしれねえが」
こくりとうなずくと、ネザアスは苦笑する。
「まあおれの場合も似たようなもんで、元ネタがあるんだ。ソイツがその時読んでいた、古い本の主人公だかなんだかから、遊びたい仲間を選り出したのさ。それを元にしておれを作った。それが最初の話な。おれの場合、元のやつがこういう姿をしてたってこと」
が、とネザアスは言った。
「まあ、ドレイクの言っていたことは本当だけどな。本来は"設定"だったし、おれは戦闘用。不利になる損傷設定は、有事に合わせて修復可能だった。強化義肢パーツで補ったりな。……それが今、できなくなっているのは確か」
ネザアスは苦笑する。
「原因はわかってるんだ。大崩壊の時、黒騎士の叛乱があった。汚染された泥に影響されたとも、あいつら自身に問題があったとも言われているが発狂していない側のおれにはよくわからん。ただ、おれやドレイクはその鎮圧に駆り出された。だが、相手も黒騎士、しかも普通のやつじゃない。もちろん強い。それだから、上の奴らテンパりやがって、命令で強制的におれたちに修復強化させやがった」
ネザアスは忌々しげに目を伏せる。
「おれはな、そんなもんない方が良かったのに。案の定、バランスとか感覚が微妙に狂ってしまった。で、右側ごっそりやられちまってな。その傷のせいでかな。最初は治ったんだが、以降、不具合が出て、最終的にうまく修復できなくなっちまった」
ネザアスは苦くいった。
「だから、今は右目も見えてねえし、右腕も自力では修復不可能だよ。ま、設定だったんだけど、マジに壊れて、そうなっちまった感じかな」
「治療しないの?」
フジコは心配になる。
「それってネザアスさんには良くないでしょう。不便なこともあるかもしれないし」
「それはそうかもだが、今、
「でも……」
フジコがスカートをぎゅっとにぎると、やんわりとネザアスは言った。
「それに、おれは別に今の状態がダメだと思っているわけじゃない。そりゃ、色々困ることもあるけど、スワロも手伝ってくれるし」
ネザアスは穏やかにいう。
「あいつにも言ったけど、おれたちにとって"設定"って"アイデンティティ"だぜ。だって、それを元にして、おれは作られて、存在意義を与えられてる」
ネザアスは小首を傾げた。
「"アイツ"は、おれに左手だけで戦える強い男になって欲しかったってことで、単に強い男なだけならおれは必要なかった。だから、おれもそういうふうに調整した。だって、そういうおれが、本当に"アイツ"に望まれてたってことだしな。だからそれがフェイクじゃなくなるのは、別に構わねえかなって思っている。寧ろ喜ばしい方なのかもしれないぜ?」
まあ、とネザアスは苦笑した。
「本音を言えば、もうちょい男前に作って欲しかったけどな。おれ、強面でドレイクみてえな優男じゃねーし、ガキどもに泣かれるし、なんか体も貧弱だしなー」
ネザアスはそう言ってからりと笑う。
「まあさ、それ以外は、概ね満足しているぜ。あとは、おれがひたすら強ければいいだけの話だろ?」
(ネザアスさんは、なんか強いんだな)
フジコは、着物を干しながらそんなことを思う。
(あたしは、自分が複製なの、すごく嫌だった。そんなふうに思えなかったけれど)
彼はそう望まれて作られたのだからそれでいいという。ネザアスのいう"アイツ"、その人物は果報者に違いない。
(でも)
フジコはほんのり暗い予感を感じる。
(なんでそんなネザアスさんを、その人は奈落に放置しているの? ネザアスさんもドレイクさんもその人に望まれて、黒騎士として作られたのに)
フジコはそう考えて、ちょっと暗い気持ちになる。
と、その時、
「いって! おい、やめろ!」
不意にネザアスの悲鳴が聞こえた。続いてスワロの鳴き声が聞こえた。その声は苛立たしげだ。
どうやら、スワロは爆睡中のネザアスを叩き起こしにかかっているらしい。
「いって! な、なにすんだ、てめ……! わかった! 起きればいいんだろ! くそっ!」
(スワロちゃんは厳しいなあ)
フジコは思わず苦笑する。
程なく、しょうがなく起きてきたネザアスがふらっとテラスに出てきた。
「なんだ、洗濯物干してんのか。ご苦労だな」
ネザアスはとろんとした目を瞬いて、あくび混じりだ。
「ネザアスさん、まだ眠たそうだね」
「おれはドレイクと同じでな。黒騎士の中でも夜型なんだよ。元は夜に活動することが多くて、そう言う仕様だったんだ」
「シャワー浴びたらどうかな。目が覚めるかも」
「んー、面倒だが、スワロのやつもうるせえし、眠気飛ばすのにそうするー」
ネザアスはぼんやりと答えると、猫背のままふらふらっとシャワールームに歩いていく。
そんな彼の、なんともだらしない姿をみやりつつ、ちょっとフジコは楽しくなる。
(なんだか、これはこれで、ちょっと新婚さんみたい)
ちょっとダメな旦那さんと洗濯ものを干している自分。
それは妄想ではあるのだが、フジコは人知れずふふっと笑う。
いつのまにかスワロが、フジコの肩にきている。案外スワロも同じ気持ちなのかもしれない。
久しぶりの晴れ間。青い空に、洗濯物がひらひらと翻っていた。
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