10.たゆたう花とティータイム ー水中花ー
魔女の養成所には、複数の少女達がいた。先に正式な魔女に認定されるもの、フジコのように見習いとして励むもの、魔女の適性が低かったのか普通の少女に戻るもの。
内心、みんな、普通の少女に戻りたいと思っていたと思う。魔女になると、幸せにはなれない。まずもって普通の恋愛結婚も許されないし、まれに結婚しても子供も産めない。その前に
体の
フジコも全ての魔女を知るわけではない。彼女はウヅキの魔女として育てられてきたが、当然別の月の魔女として養成されている魔女も、養成所にはいた。
その中でも特別な子はいた。
例えば、キサラギの魔女などはフジコよりもさらに小さな少女らしいが、既に実力を認められているときく。造形の能力があって、泥を好きなように変えてしまえるのだとか。さらに、キサラギの魔女は噂に聞くと、エライヒトの娘で、魔女の中でも特別にお姫様として扱われているらしい。
同じ魔女でも全然違って、フジコには、ちょっと遠い世界だ。
そういえば、養成所にも、もう一人お姫様と呼ばれている魔女がいた。
既にヤヨイの魔女として認められていたが、少し力が不安定らしく、彼女は養成所で保護されていた。
フジコが見かけた時、彼女は水槽の前にいた。
「何をしているの?」
純粋に疑問に思って、フジコは彼女に話しかけた。ヤヨイの魔女は、人魚姫とあだ名がつけられていた。彼女は、目から溢れる涙が魔女の力を持つのだという。その様と美しいが儚げな様子の美少女なのが、人魚姫と呼ばせた理由なのだろう。
水槽の中に黒い花が咲いている。
「綺麗ね。これ、何の花?」
「これはね」
人魚姫は、儚げに笑う。
「これは
「えっ、そうなの? こんなに綺麗なのに?」
フジコは驚く。
「何も命令されていない黒物質なのかな? 魔女はそういうの、命令して造形できるんだよね。あたしには難しいけれど」
フジコは流石は人魚姫だと感心する。
「私のは造形じゃないのだけれどね」
人魚姫は少し寂しそうにいった。彼女は体が弱いらしく、肌も透き通っていかにもたおやかだった。
「私は壊してしまうのよ」
「こわす?」
「彼らを壊して、元の黒い物質に戻す。それが私の毒の涙」
人魚姫はそう言って、水槽のガラスに手をおいた。
「壊れた泥は、水の中で綺麗な花みたいになるの。でもまるで呪いみたい」
人魚姫は俯いた。
「
目を瞬かせると、彼女は言った。
「前にね、実験のために訪れた奈落で、残された案内役の
彼女はため息をついた。
「素敵な人だった」
その頬がうっすらと赤くなっていた。
「あーあ、また土砂降りだ。これは待機だな」
「なかなか進まないね」
フジコはスワロを肩に留まらせて遊びながら、ざあざあの雨音を聞いていた。
迷路を出たところ。深い森が広がっている。その中の丸木小屋に逃げ込んで、二人は雨宿りしていた。
この奈落は、この一つのエリアだけでも相当に広い。本気で巡ったらどれだけ時間がかかるのだろう。しかし、それだけに休憩所にできるところも多いので助かる。
「しょうがねえな。もともと悪天候のエリアなんだ。難易度が高いんだよ。なんてえか、ゲームクリア前ダンジョンみてえな?」
「難易度?」
「元々は十二月、師走のエリアでゴールだった。ま、それはおれたちもそうだけどな」
「ドレイクさんとお話ししてたルート? まっすぐはいけないって」
「そう。ちょっと見ねえうちに、汚染が酷くなりすぎちまってな。時間かかるが逆にまわっていく。よりによって一番遠いルートなんだよな」
「そうなんだ」
ネザアスはゆっくり歩いてくると、フジコの頭に手を置いた。
「ま、お前は心配すんなって。おれは、この奈落については誰よりも良く知ってるんだ」
「うん。心配してないよ。ネザアスさんに助けてもらえるんだし」
鏡の迷路での、黒騎士、静寂のドレイクと彼の会話内容はあまりにも情報が多すぎた。まだフジコは全て把握しきれないし、奈落のネザアスに、気楽に聞いても良いことなのかも探り探りだ。
彼が絶対袖から出さない右手のことだって。
「そうそう。しかし、ここに逃げ込んだのはよかったな」
フジコのそんな気持ちも知らず、ネザアスは無邪気にいう。
「ここはポータルスポットだぜ。いわゆる補給ポイントでな。このダクトみろ。ここから請求した物資を
ネザアスは、こんこんと丸木小屋には不似合いな金属製の大きなダクトを叩く。
「え、でも、ネザアスさん。ドレイクさんの話聞いていたけれど、中央から補給が来ないって」
「中央局はな。あいつら最低限の補給しか送ってこねえから、貰えるのは確かに固形食料とかしかねえけど、一応おれにも上に協力者ぐらいはいるぜ!」
何故か妙にドヤァっと自信満々な顔をする奈落のネザアスだ。見かけは渋めのくせに、彼はちょっと子供っぽいところがある。
「で、そいつに送ってもらっててな。まー通販だよな」
「あの最初にくれたドーナツもそうなの?」
「いや、アレはおれがちゃんと買いに行ったぜ?
ネザアスはダクトのパネルを操作する。自分宛の荷物を、ここに転送してもらうという仕組みのようだ。
ほどなくして、段ボールが一箱ダクトからどんと排出されてきた。
雨の森。窓の外を眺めながら、フジコはぼんやりと言った。
「あの、ドレイクさんの蝶々、ミナヅキの魔女だって言ってたね」
ぴ、とスワロが返答する。
「遊離体って、スワロちゃんもそうなのかな?」
スワロが小首を傾げる。どうやら違うのでは、と言っているようだ。
「そっか。また事情が違うのかな。魔女って、一括りにはできないものなのね」
もっと、スワロとお話しできれば、色々教えてもらえるだろうに。
窓ガラスに叩きつける雨粒。黒い泥が模様を描く。それが水中で開く黒い花を思わせる。
なんとなく、フジコは、あのヤヨイの魔女のことを思い出していた。たおやかで弱々しく、美しい少女、人魚姫。
素敵な人だった。
その一言。
(あの子、奈落の黒騎士に会ったって言ってた……。もしかして、それ、ネザアスさんかドレイクさんの?)
もし、仮にそれがネザアスなら。
フジコはちょっとだけもやりとする。きっと彼は、あの儚げで美しい少女に優しくしてあげたはずだ。
そんなことを考えていると、ネザアスがおーいと声をかけてきた。
「湯が沸いたから、茶でも飲もうぜ! 菓子を取り寄せたんだ!」
上機嫌なネザアスだ。
テーブルには既にクッキーの箱が置いてある。ネザアスは味がわからない。ので、彼は栄養補給の錠剤や固形食料で十分なので、この辺の嗜好品はフジコのために取り寄せてくれたのだろう。
「これ、すごいんだぞ」
といって得意げにネザアスが持ち出したのは、どうやらお茶のパッケージのようだ。
ガラスの茶器は、この小屋にあったコーヒーメーカーのガラス容器で代用し、ネザアスは何かの種子みたいなものをその中に落とす。
「そこにお湯かけてみろ」
というので、お湯をかけてみると、ジャスミン茶のような香りが鼻をつく。
じんわりと丸まったものが解れて、中が開いて赤い花のようなものが現れる。
「これ、お花?」
フジコが目を輝かせる。うすい琥珀色の液体の中で、花が静かに開いていく。
「すげーだろ。なんだ、工芸茶とかいうんだっけ? 取り寄せたんだ!」
「すごい。綺麗ね」
フジコとスワロがガラス容器に釘付けになる。ネザアスは満足げに笑った。
「な! お使い頼んだやつに、なんか面白いもん頼んだら、それ勧めてきたんだ。水中花みたいだって聞いて」
「本当だね」
「おれ、前に水槽の中で開く花を作ってる魔女を見たことがあって、それが綺麗だったからな。お前も好きかなって」
うなずいて話すネザアス。
が、フジコはその話にちょっと引っかかる。
不意にフジコが不機嫌な顔になるので、ネザアスはきょとんとした。
「どうした? 気に入らないのか?」
「もしかして、ネザアスさん、他の子にもこういうおもてなしする?」
「なあーんだ、妬いてんのか」
ネザアスは苦笑する。茶化されて、フジコは余計に不機嫌になる。
「やっぱり、するの?」
「こいつに関しちゃ、お前が初めてだよ。つーか、ここにコムスメが来たのもどれだけぶりだって話だし、前の魔女は見かけただけで、長いこといなかったしな」
にっとネザアスは笑う。
「ま、おれは奈落の案内人。命令されているから、客にはそれなりにもてなしはする。ただ、これ取り寄せたの、それだけの理由じゃねーんだけどな」
「え?」
「お前、最近元気なかったから」
ネザアスがふと言う。
「こんなとこきて、気が塞いでんのかと思って……。気晴らしになるようなもの、このあたりになかったから、こういうのも良いかなと思ったんだ」
ネザアスは、花の咲いた茶を湯呑みに注ぎつつ笑った。ちょっと眉を下げて、ネザアスは困ったように首を傾げる。
「気に入らねえかな?」
「そ、そんなことないよ。ごめんなさい」
フジコは慌てて弁明する。
「ありがとう。すごく、綺麗だし、嬉しい」
「それは良かった」
安堵した表情のネザアスは、茶をさましながら啜りつつ、
「しかし、心配しなくても、おれは女にモテるタイプじゃねーから。そんな妬くようなことねえよ」
と苦く笑う。
「妬いてもらえて嬉しいぐらいのもんだぜ」
けれど、フジコとしてはそんな彼の感想になんか、なんの説得力もないのだ。事実、フジコは嫉妬してしまっているのだし。
(無自覚なんだなあ……。こういう人が危ないんだね、きっと)
お茶を啜りつつそう考えていると、なんとなく気持ちがわかるのか、スワロがきゅと顔の隣で鳴いた。
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