9.鏡張りのラビリンス ー神隠しー
迷路を走っている。
テーマパーク奈落のアトラクションの一つであったろう、朽ちかけた迷路は、ところどころ壁が破壊されており、迷路としての難易度は低くなっている。
迷路の壁の隙間から泥がしみだしては、フジコを追いかける。その泥を、フジコが声で味方につけた小さな泥の塊がぴょんぴょん寄り集まって撃退する。
魔女は、あの泥の”命令を受けていない部分”に命令をしなおして、干渉することができる。フジコは難しいことはできないが、一時的に声で彼らを味方につけることができる。
「ネザアスさん!」
背後では、奈落のネザアスが剣を抜いて、戦闘を繰り広げていた。
相手の泥の獣は鳥の姿に似た不定形なものだが体が大きく、真っ黒な触腕を振りかざしながら彼に襲いかかっていた。ネザアスの剣が光り、鋭く黒い泥を引き裂くが、それでもより集まって元に戻る。
「ちッ、久々に大物だな!」
さしもの黒騎士奈落のネザアスも、フジコを連れたままの戦闘は不利とみたようだ。
「ウィス、先に行ってろ! 気をつけてな!」
「うん! ネザアスさんも、気をつけて!」
「おれの心配は無用だぜ!」
スワロが肩先から飛ぶ。戦闘補助をさせるつもりらしい。
そして、フジコは迷路のエリアに逃げ込んで、走っていた。ネザアスは、迷路の正解ルートを知っている。迷わずにこられるはず。
そのまま走って迷路を抜けると、不思議な鏡ばりの部屋にきた。
あたり一面合わせ鏡。フジコが何人もそれに映る。
言ってしまえば、鏡張りの迷路だ。
「か、鏡?」
言葉を口にすると一斉にフジコがしゃべる。
この世界のどこかにいるはずのフジコの複製体がうつっているようで、思わずぞっとした。
ネザアスの戦闘する物音は、ここからでは聞こえない。もう泥も追いかけてはこないようだ。
フジコはひとまずそこに座る。
「ネザアスさん、早くきてくれないかな」
なんだか心細い。
と、不意に鏡の隙間に黒いものが染み出しているのをみた。はっとフジコは立ち上がり、慌てて反対側に逃げ込もうとした。
鏡にフジコの姿が複数映る。悪夢のような視界の中で、泥がフジコに襲いかかる。
と、その泥が不意に弾け飛んだ。いつのまにか人の気配がする。
光る蝶が飛んでいるのが目に入る。
次に笠をかぶった黒い着物の男が、静かに佇んでいるのが見えた。
その右手に剣が握られていた。
はっとして、反射的にフジコは壁に背をつける。
「娘? もしや、派遣された魔女の娘か?」
笠のかげで男の声が聞こえた。男の周りを光る蝶がはたはた飛び回っている。
彼は笠を外した。
すらっとした痩せ型。眼光鋭く、冷たい感じはするが、顔は美青年といって良い。目は機械的に白く光り、青みがかっている。それがしっかりとフジコをとらえており、睨まれているよう。この鏡張りの迷路の中で、彼の存在はいっそ悪魔的だ。思わずぎくりとしてしまう。
『怖がることはありません。我々は中央派遣の衛士です』
女の声が聞こえ、男が口を開く。
「私は、
「たいぶる、どれいく……さん」
『ドレイク、やっぱりこの子、魔女だわ。
そう声をかけてきたのは、彼のつれている蝶のようだった。明滅しながら美しく輝いている。女の声が続けてフジコに挨拶した。
『こんにちは。あなたは、ウヅキの魔女かしら?』
「あ、は、はい。まだ正式認定はされていなくて、見習いですが……」
『なるほど。私はミナヅキの魔女ミナヅキ・ビーティア』
「えっと、あたしは、FJI09、フジコ09です。ここでは、ウィステリアと呼ばれています」
ぺこ、とフジコは慌てて頭を下げる。
しかし、魔女なのに何故蝶なのか。と思っていると、ビーティアが笑ったようだ。
『戸惑うのも当然ですね。私のこの姿は遊離体です』
「遊離体?」
『体の
フジコは目を瞬かせる。
『ドレイクと私は、あなたを連れてきた白騎士達を探していました。しかし、あなたが一人でいるということは、白騎士達はもういないのでしょうね』
「あ、一人ではないんです。あたし……」
「ウィステリア! 大丈夫か?」
「ネザアスさん!」
ネザアスの声が聞こえて、フジコが振り返る。息を切らせながら、泥の獣を掃討してきたらしいネザアスが駆け寄ってくるのが見えた。
が。
「テメエ! タイブル・ドレイク! 何しにきやがった!?」
奈落のネザアスは、ドレイクの姿をみとめて反射的に構える。
その好戦的な態度は、いつものことなのだろう。蝶の姿のビーティアが、ため息をつくように言った。
『YUN-BK-002、通称
「おれを製造番号で呼ぶなって言ってんだろ、このクソアマが!」
ネザアスはむっとして、思わず言葉が乱れる。
「おれを呼ぶ時は、ユーレッドか、ネザアスのどっちかにしろって言ったろ」
『規則上、登録名を呼んでおりますが……。あなたの正式登録名は
「その呼び方も好きじゃねえと言ってるだろ! チッ、お前らは、
フジコをかばうように前に立ち、ネザアスはドレイクを睨みつけた。
「で、こんな霜月くんだりに何のようだって? Mr.タイブル。お前の縄張りは水無月のエリア。しかも、半隠居状態だったはずだ」
「中央派遣の白騎士が、霜月エリアで行方不明になった。私とビーティーはその調査を命じられて訪れたのだ」
挑発的な奈落のネザアスの言葉にもかかわらず、ドレイクが静かに答える。
「ははー、そりゃア神隠しだな。探しても見つかんねえよ」
ネザアスは冷たい返答だ。
「あ、別におれは何もしてねえぞ。あんたと一緒で、アイツらの
「それはわかっている。私とお前はそう簡単には狂わない」
「そうだろ。何せ元から狂ってるからな」
ドレイクが静かに答える。
「それゆえに、多くの黒騎士が叛乱した大崩壊以後でも、私とお前は正気のまま。今でも黒騎士でいられる」
「そこまでわかってりゃ、おれがこの娘を何で守ってるかもわかるだろう? 中央から珍しく直接指令があった。迷っている娘がいるから、助けてやれってな。おれは忙しいんだ」
といって、ネザアスはちょっとフジコを見やる。
「まあそう言われなくても、こんなところに迷い込んだ餓鬼なら助けるけどな。おれはあんたみたいに保守やってるだけじゃなく、そもそもここの餓鬼どもの案内人だったんだ。つまらねえ役割だが、与えられている仕事ならプロとしてやる主義だぜ」
「娘のことについて追及はしない」
タイブル・ドレイクは、首を振る。
「おれはおれで、白騎士の先発隊を探してこいと、中央より直接命令がくだった。それに従っている」
ネザアスが、構えを自然に解いて手をおろす。
「へえ、あんたにも命令があったのか。今までなにも命令もなく、最低限の補給しかされなかったおれたちに?」
「実のところ、このところの奈落の派遣部隊は相当数行方不明になっている。お前の仕業であれば、話は早かった」
ドレイクが続ける。
「霜月エリアへの魔女と白騎士の派遣は、その娘の件が初めてであったが、ほかのエリアには何度か派遣されていた。しかし、全て全滅している。それゆえ、中央でも派遣する白騎士が動揺せぬよう、情報統制され全滅の件は知らされていない」
『泥の獣は確かに強力だけれど、今までも、彼ら、月一度のパトロールぐらいは困難なくやっていたわ。何故根こそぎやられたのかわからない。まさに神隠しね』
ビーティアの言葉に、ネザアスは頷く。
「それもそうだな。敵は悪食で白騎士の奴等も汚染に弱いとはいえ、白騎士自体が上級白物質、つまり強化ナノマシン所有の改造兵士、全滅につぐ全滅は普通に考えてありえない」
「そこな年端のいかぬ魔女候補の派遣も、それと関係があるのだろうか」
むー、とネザアスは考える。
基本的には血の気の多い方らしい奈落のネザアスではあるが、なんでもかんでも噛み付いていくわけでもないようだ。
「おれを消しに来たのでなければ、あんたと対立する理由もない」
ネザアスは剣を引いて、鞘に収めた。
「で、お前らはおれになにしろって?」
『できたら、貴方とは協力したいのです。情報共有したい。この奈落のことについては、ドレイクや私より圧倒的にあなたが詳しい。何か気づくことがあるはず』
無口なドレイクに代わり、ビーティアが言った。ふむとネザアスは頷く。
「いいだろう。おれにも利益がある。定期的に情報の共有はする。スワロを通じて連絡してきな。暗号は前から変えてねえ」
『ご協力感謝するわ』
ミナヅキ・ビーティアが礼を述べると、不意に黙っていたドレイクが割って入ってきた。
「お前達はどこに向かっている?」
「もちろん、この娘の目的地だ。あの泥の滝を止めにいくつもりだが、一番でかいやつ、大本は師走エリアにあるだろ。しかし、どうも霜月から師走エリアに入るルートの汚染や破損がひどくてな。泥の大雨が降っているほか、道が物理的にも壊れているし、睦月のエリアから逆回りに行くしかねえらしい。今は神無月に向かうところだ。お前らも師走にはこのまま向かわねえほうがいいぞ」
「了解した」
ドレイクはうなずき、それからふと目をすがめた。
「ネザアス」
「なんだよ」
「一度、
ネザアスはそう言われてふっと苦笑した。
「何言ってる。俺の右手と右目は、そういう"設定"だぞ。製作時の元ネタあるのは、あんたもおれも同じだろ」
「”設定”は所詮”設定”。本来なら修復可能。緊急時には修復できるはずであるし、義肢等の強化パーツ装着も可能なはず。それができなくなっているだろう。一度、治療した方がいい」
ちっとネザアスが舌打ちする。
「何言ってやがる、”設定”ってのはそのまま”アイデンティティ”なんだぜ? このまま戦えるように調整はしてある、不便じゃねえよ」
ドレイクが黙って静かに視線を向けるので、ネザアスはやや根負けした様子で肩をすくめた。
「まあ、緊急時の自動修復やパーツ装着もできなくなっちまってるのは確か。なんかしら治療は必要なんだろうな。原因は、大崩壊の際の狂った黒騎士なんかと殺りあったときの古傷さ。しかし、正規ルートで
「それについては理解はする」
「ああ。それとな、おれはアイツの命令がなければここを離れられねえよ」
ふとネザアスは目を伏せた。
「”アイツ”が戻ってくるまで、ここを守るのがおれやあんたのそもそもの役目。ついでに餓鬼のお守や保守なんかの仕事がついたが、そもそもはそれ。アイツが今更でもおれにこの娘を守るように言ったのなら、浄化したここをアイツが訪れる気があるのかもしれない。それがわかっているから、余計にな」
だが、と、ネザアスは付け加える。
「腹立つけど一応、身内みたいなもんだからな。あんたの意見は参考にしておくぜ。"兄貴"」
静寂のドレイク、タイブル・ドレイクが蝶を伴い去っていく。合わせ鏡に彼らの姿が無限に映る。
彼らはどこか悪魔的で、幻想的で、それ自体が夢のよう。
その背中を呆然と見ながら、フジコはたくさんの情報に圧倒されていた。
「難しい話して置いてきぼりで悪かったな」
ふいにネザアスはフジコに優しく声をかけてきた。
「怪我はないか。さあ、こんな不気味なところは抜けちまおうぜ。こんなとこにお前みたいな娘がいたら、まさに神隠しにあいそうだ」
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