8.黄金色並木 ー金木犀ー

 一面に強い香りがした。しかも、多分花の香り。


 この廃墟と化したテーマパーク奈落は、大半が降り注ぐ汚泥に塗れて、粘土のようなにおいがする。汚染のひどいところは悪臭に近いこともある。

 しかし、黒い泥もそれでできた泥の獣も、どこか無機的なので、それが放つのは粘土や機械油のようなもので済んだ。

 いわゆるモノが腐ったような匂いをさせていることは少ないし、場所によっては空気清浄機がいきている為、中央派遣の白騎士達が嫌うほどに環境は酷くない。

 見捨てられたこのテーマパークでも、まだ機械達は働き者で見捨てられたことを知らずに働き続けている。

 それは、フジコを連れている黒騎士、奈落のネザアスにも言えることだった。


「ほほう、金木犀の通り、まだ生きてたんだな」

「金木犀? この小さい黄色いの全部、金木犀なの?」

 地面に金木犀の花が落ちて、絨毯のようになっている。

 しかし、あまりに積もりすぎなのだろう。

 おかしいな、清掃がまだ来てねえ、とネザアスはぼやいていたが、より強く甘い花の香りもするし、見た目的にも綺麗だ。

 強い香りだが、頭が痛くなるほどでもないのでその辺は調整されているのかもしれない。

「ここは獣に荒らされていないのね」

「金木犀は虫除けになるだろ。アイツらもこの匂い嫌いなのかもな」

 そういう奈落のネザアスも、そんなに好きでもないのかもしれないが。味覚はダメなネザアスだが、嗅覚は割と強い。特に泥の獣や汚染には素早く反応する。

 そんな彼だけに、強い花の香りは調整されていてもきつく感じられるのかもしれない。ちょっぴりしかめっつらだ。

「しかし、どう考えてもおかしい。清掃も遅いし、こんな花だけまとまって落ちるとか、やっぱシステム狂ってんな」

「雨が降った後だからとかじゃないの? 雨の後に落ちるって聞いたよ」

「それにしてもだぞ。ちっ、こういうの気になるんだ、おれは。ここまで狂ってるの見ると灰燼に帰したい」

 物騒なことを言い出す彼。ネザアスは意外にこういうことには、几帳面。他のことは適当だが、局地的に気にするタイプだ。

 そんなネザアスには悪いけれど、フジコは目の前の黄金色の花の絨毯に興奮気味でスワロと遊んでいる。

 人の情だ。こんなに積もっていたら、飛び込みたくなる。誘惑に負けて飛び込んでしまう。そのまま、フジコはしゃがみこんで、両手に花をすくってみる。

 指から小さな花が溢れていくのが、なんだか楽しい。

「おれは、こんなもん植えなくてもいいっつったんだけどなー。どうせここに来る餓鬼ども、金木犀なんてわかんねーし、トイレの芳香剤みたいな匂いするし」

 ネザアスがろくでもないことを口にすると、ぴ、と叱りつけるように肩のスワロが鳴いている。

「でも、ここで遊んでいたの、子どもだけじゃないんでしょ?」

 そう尋ねると、ネザアスは苦笑した。

「そうだな。餓鬼から年寄りまで幅広い層が遊べるテーマパークってのが、コンセプトだったからな。なんせ馬鹿みてえにでかいんだしよ」

 ネザアスはあくびまじりで退屈そうだ。

「よく花言葉とか聞かれたよな。そういうの気にする女が結構多くて……」

「花言葉?」

「なんだっけ、謙虚だの気高い人だの陶酔だの誘惑だのって……あとそれからなんだっけ?」

 ネザアスは一つ思い出せないらしく、うーん、と悩む。

「思い出せねえとむかつくなあ」

「大人の女の人もきてたんだ」

 ネザアスは、そういう女性たちにどんな風に接してたんだろう。綺麗な人には弱いとかあったのだろうか。

 ほんのりやきもちの芽が芽生えそうだ。そんなことも知らず、ネザアスは気楽に答える。

「ってもな。しかし、ここに来ると餓鬼に戻るぜ。アバターだって用意されてたしよ」

「あばたー?」

「ここの中でいるのは、ゲームみてえなもんだから。仮の姿と仮の名前で楽しむのさ」

 奈落のネザアスはそういうと、ふっと苦笑する。

「だからここじゃあ、大体のやつは本名は名乗らねえんだよ」

「そっか。それでここにきたあたしにも名前をつけてくれたのね」

 フジコが頷くと、

「いや。お前の場合、だって名前がないだろう? 何度も言うが製造番号は名前じゃねえぞ」

 ネザアスは頭をかきやって、ちょっと不安な顔になって苦笑する。

「今更だが、ウィステリアって、もしかして、気に入らねえか?」

「ううん、とても素敵で気に入ってるよ」

 不安な顔がちょっと面白くて、うっかり意地悪しようかとも思ったけれど、かわいそうなのでフジコは素直に答える。

「あたし、自分だけの名前もらえたの初めて! これからもし魔女になった時、その名前で申請だしたいな。ありがとうネザアスさん」

「へへ、それは良かった……わぷ!」

 ほっとした顔になる彼だったが、いきなり上から花の塊が降ってきて頭に直撃を喰らって花だらけになった。

「くそ、なんだよっ!」

 左手で頭の花を乱暴に払い除けつつ、いまいましそうにネザアスは吐き捨てる。

「やっぱシステムがおかしいな。こんな雪崩みたいになることねえだろ!」

「ネザアスさん、まだ頭についてるよ」

 フジコが思わず笑いながら、ネザアスの頭についた花びらを取ってあげる。

「俺はこいつの匂いあんまり好きじゃねーんだよ」

 逆ギレ気味のネザアスに、ふふっとフジコはふきだしてしまう。

「強い香りが嫌いなんて、ネザアスさん、犬か猫みたいだね」

「なんだとう?」

 思わず素で言葉に出してしまった。ネザアスがむっとしていたが、ふと目を瞬かせた。

「あ、そうだ。今ので思い出したぞ。残り一つの花言葉は初恋だったぜ」

「初恋?」

 フジコはどきりとするが、ネザアスは肩をすくめた。

「トイレの芳香剤のこいつがなんで初恋の香りなんだか。決めたやつの気がしれねえや」

「ネザアスさん、雰囲気台無しにする人だよね」

 思わずフジコが苦笑すると、スワロが同意するようにぴぴっと鳴く。

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