7.波打ち際スクリーン ー引き潮ー

 フジコちゃん、ごめんなさい。

 あなたが嫌いになったわけじゃないの。ただ、あなたがあまりにも適性がありすぎて。

 ごめんな、フジコちゃん。

 本当に君をおれたちの娘にしたかったんだ。それで引き取ったんだけれど。


 ——きみは、歌がうますぎたんだ。


 つかのまの、かりそめの両親。

 彼らはフジコを中央管理局に売った。

 子供のいなかった二人は、フジコシリーズの複製体の一人の彼女を里子にした。

 上層アストラルに住む夫婦の多くは、その出生率の低さに悩んでいた。自分の子供を持つのは金がかかる。中央の管理局に"作ってもらう"必要がある。それができないなら、何かしらの用途のために作られた複製の子供を里子に回してもらうのだ。

 それは、複製された目的からは失敗と見られているということだ。

 フジコ09は、当初は失敗作と見られていた。彼女は本当は魔女としての適性があったのに、偶然網から漏れた魚のような存在だった。しかし、それは幸運だった。

 失敗作とはいえ、里子に出された子供は大体幸せになれる。

 子供を望み、管理局から与えられるのは、試験に合格して選ばれた"裕福で善良な夫婦"だけだった。

 フジコの両親も優しかった。

 新しい名前はもらえなかったが、彼らはフジコに愛情は注いでくれた。今思えば、新しい名前をつけなかったのは、いつしかフジコを中央に戻すことを予測していたからかもしれない。

 フジコには才能があった。二人はフジコが網から漏れた魚だと気づいていたのかもしれない。

 そして、それに感づいた管理局から圧をかけられて、彼らはフジコを売り戻した。


 それでも、フジコは彼らを恨んではいない。

 フジコに歌を習わせてくれて、煌びやかなドレスを用意して舞台に立たせてくれて、誕生日には美味しいケーキ、やわらかな寝床に温かい食事。

 ほんのつかのま、彼らをおとうさん、おかあさんと呼んだこと。

 それは、多分幸せなことなのだ。

 わかっている。他のフジコより、自分は多分幸せなんだって。

 そして、はした金でその幸せを取り上げた彼らを憎んでしまえれば、きっともっと良かった。

 けれど。


 ごめんなさい、フジコちゃん。


 金で自分を売った二人が、悲しい顔をして自分を抱きしめて、泣いているのを、フジコはどうしても忘れられない。



「ウィス、どうした?」

 目を開くと、ちょっと心配そうなネザアスの顔。左目を瞬いて、彼は安堵した表情になる。

「良かった。悪い夢でもみたのか?」

「あれ?」

 フジコは自分が泣いていたらしいことに気づいて、慌てて両目をぬぐった。

 朝の寝室。起きてくるのが遅いので、ネザアスが見に来たらしい。

「ごめんなさい。あたし、寝坊してしまったみたい」

「謝ることねえよ。昨日、ちょっと疲れたんだろ」

 ネザアスは、やぶれかけのカーテンを開けながら言った。急に朝日が入り込んできて眩しい。

 窓の外に海が見える。

 そういえば、昨日は"海"のそばの小屋に泊まったのだった。その前に泥の獣に襲われて、ネザアスも健闘したが数が多かったので、フジコが歌って彼らを鎮めた。

 フジコの声には、彼らの攻撃性を鎮める特定の周波数が混じっている。そういうふうに作られた。それは、泥の獣との戦闘を有利に進めさせる。

「昨日は、おれが歌わせすぎたな。早く止めれば良かった」

 ネザアスが反省をのべる。

「強化兵士だってなー、お前らだって、あんまり力を使うと疲れるんだぞ。体が疲れると、精神に影響が出る。そうなると、悪い夢も見る」

 ネザアスが諭すような口調になる。

「だるかったら、もっと寝てろ」

「ううん。大丈夫」

 フジコは起き上がる。

「よく休んだから、疲れも取れたよ」

 フジコがあえて微笑むと、ネザアスがふと不安な顔になる。

 そんな顔をさせるつもりはなかったのに。



 今日はいい天気だ。

 周りに獣の気配もないので、気晴らしに浜辺をネザアスと散歩する。

 このエリアは、ビーチを正確に再現している。ただ、ここは秋の海。春夏の暖かな緑の混じった海ではなく、やがて深く厳しい冬の藍色を表す晩秋の海の青だ。

 この寂しげな色に海で泳ごうという気にはならないが、浜辺に寄せる波を見て波打ち際で遊びたくなるのは人の心情だ。

 靴を脱いで思わず波打ち際ではしゃぐと、周りをスワロが飛び交う。

「ネザアスさん、これって本当の海じゃないのでしょう?」

「もちろん。奥行きはほとんどない。夏の海じゃねーんだし、どうせ沖に行くアホもいねえだろ。十数メートルで壁だ」

 ネザアスは冷静に答える。

「沖のように見えるのは映像を投影したもんだ。ま、でも、水は本当に塩水だけどな。海水と同じ構成と濃度にしてある。潮汐もそれっぽくしてあって、今は引いてるな」

 裸足で走ると、濡れた砂に足跡がつく。波が来るとそれが少しずつ消える。海の水は冷たいが、今日はあまり寒さを感じないから心地よい。

「あんまり足つけると冷えるぜ?」

 ネザアスが流木にすわりながら、そう注意を促す。

「そんなに海、珍しいか?」

「うん、あたし、海にきたの初めてよ。住んでいたところ、内陸だったから」

「へえ」

 たたっとフジコは、右手を後ろ手に、靴を持ってネザアスの前にくる。

「ねえネザアスさん」

「ん?」

 ネザアスがきょとんと首を傾げる。ネザアスは眼帯で隠された右目がおそらく見えていない。それなもので彼の動作は少し大きくなることもある。

「ネザアスさんは、海が嫌い?」

「そんなことねえよ。おれ、船に乗って旅をしたこともあるし。だから、おれにはこんな偽物の海が物足りねえのかもなあ」

 奈落のネザアスは、彼にしてはめずらしく懐かしそうな顔になる。おおよその感傷をしらぬこの男にも、過去を懐かしむ気持ちはあるようだ。

「でも潮が引いてて良かったな。ここ、潮汐のシステムがおかしいことがあってな、満潮の時は浜辺を全て埋めてしまうこともある。そうなら、お前も遊べなかった」

 ふとネザアスが笑う。

「お前、元気出たみたいでよかったぜ」

 安堵したような表情。それが自分に向けられているのが、フジコにはなんだかこそばゆかった。

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