寝る前の甘いひと時

「……ふわぁ」


 みんなで旅館に泊まった夜のことだ。

 ご飯の後、甘ったるいという言葉だけでは到底足らないほどの濃密な時間を俺はみんなと過ごした。

 咲奈さんが言ったように、亜利沙がそれはもう凄いことになったりしたが全員満足した様子で眠りに就いたのである。


「……すぅ……すぅ」

「はやと……くぅん……」


 俺の隣では亜利沙と藍那が寄り添うように眠っており、亜利沙を挟むようにして咲奈さんが眠っていた。


「……目が覚めちまった」


 行為の後にちゃんとシャワーを浴びたので汗などの気持ち悪さは残っていないが、やはりこうして不意に目が覚めると簡単に眠れないのが辛い。


「……ぅん」


 亜利沙が寝返りを打って俺に背中を向け、藍那は逆に少しだけ近づいてきた。

 いつかのように寝たふりでもしているのかなと思ったが、俺の方に体を向けながらちゃんと藍那は寝ている。


「……ツンツン」


 そうなると、眠気を誤魔化すように少しだけ悪戯をしたくなる気持ちもある。

 藍那の柔らかな頬を優しく突くと、彼女はくすぐったそうに顔を揺らして一瞬目を開けた。


「……起きた?」


 もしも起こしたのなら申し訳ないことをしたなと思って謝ると、彼女はそんなことないよと言って再び目を閉じた。

 どうやら今のも完全に目が覚めていたわけではなく、一種の寝言みたいなものだろうか。


「ちょっと外にジュースでも買いに行くか」


 俺は財布を持って部屋を出た。

 時刻としては深夜一時前ということで、当然館内は暗く点いている電気は自動販売機くらいしかない。

 長く暗い廊下を歩くと少し怖いものがあるのだが、俺は真っ直ぐに販売機の方へ向かうのだった。


「あったあった」


 どうせ部屋に戻ったらすぐ眠くなるだろうし大丈夫だろうと考え、俺が自販機から買ったのは炭酸ジュースだった。

 赤色が目立つ炭酸ジュースとなると有名なのがあるわけだが、買った後にこれ飲むと逆に目が覚めるのでは今更俺は気付いてしまった。


「……ま、美味いもんは美味いから良いんだ」


 グッと飲むと喉に刺激が突き刺さる。

 しかしそれも渇いていた喉にとっては快感であり、冷たさと炭酸特有の刺激に俺はぷはぁっと満足げに声を出した。


「いやあ美味い」


 もし誰かが目を覚まして俺が居なかったら探しに来たりするのだろうか、それを考えるとこうして一人外に長時間居るのはダメだな。

 そこまで考えて部屋に戻ろうとした時、この旅館に来た時に見たあの不良っぽい金髪の男が歩いていた。


「……どうも」

「……………」


 あまりに迫力のある姿に俺は小さく頭を下げるしか出来なかった。

 彼は何も言わなかったがチョコンと頭を下げたので、別に悪く思われているわけでもなければ喧嘩を売られることもなさそうだ。

 どうやら彼も自販機に用があるらしく、俺は彼が何を買うのか少し気になった。


「……お」


 なんと、厳つい彼が買ったのはオレンジジュースだったのだ。

 その体躯に似合わぬ可愛い飲み物に俺はつい笑いが零れそうになったが、何笑ってんだよと言われたくなかったので何とか堪えた。


「旅行か?」

「うぇ!?」


 っと、まさか声を掛けられるとは思わず驚いた。

 彼はそんな俺の様子に目を丸くした後、苦笑してこう言葉を続けた。


「そんなに怖いか? まあ言われ慣れてるけどな」

「いや……まあでも、少しは」

「くくっ、そうかよ」


 いや、案外怖くはないかもしれない。

 意外と人というのは話をすることで壁がなくなることもあり、彼に感じていた怖さは不思議と軽減されていた。

 それでも気を許して傍に近づこうとは思わないが、やっぱり人を見かけで判断するのはダメだということだ。


「オレンジシューズ好きなんですか?」

「あぁ。ジュースの中だとこいつが一番好きだな」

「へぇ」

「そういうそっちは炭酸が好みなのか?」

「えぇ。美味しいですし」

「ま、分かるぜ俺も」


 二人して笑い合い、ググっとジュースの残りを飲んだ。

 俺は空になったのを確認し、空き缶をゴミ箱に捨てて彼に背を向けるのだった。


「それじゃあ俺はこれで。おやすみなさい」

「あぁ。おやすみ」


 名前も知らぬ彼に背を向けて歩き出した時、向こうから同い年くらいの女の子が歩いてきた。

 浴衣に身を包む彼女はとても綺麗な見た目をしており、どこか亜利沙を彷彿とさせる見た目でもあった。


「……………」

「……………」


 当然その子とは何もなくすれ違う。

 しかしふと後ろを見ると、先ほどの彼と仲良さそうに話をする姿がそこにはあり、もしかしたら恋人同士なのかなと俺は思うのだった。


「やっぱりこういうところには恋人同士で来たりするんだなぁ」


 それは俺もか、そう苦笑して俺は部屋に戻るのだった。

 俺が居なくなったことでもしかしたらを考えていたが、特に何もなかったようで安心する。

 ただ、亜利沙が咲奈さんの方に移動していた。

 仲良く親子で抱き合っている姿は中々に尊く、思わずスマホを手に写真の一枚でも撮りたいと思うほどだ。


「……って、藍那は俺の布団か」


 そして藍那の方は俺の方の布団に潜り込んでいた。

 枕も俺の方を使っているので、もしかしたら寝ぼけて自分の分だと勘違いしたのかもしれない。


「よっこらせっと」


 なら俺は藍那の使っていた布団を使わせてもらうとするか。

 藍那と入れ替わるように布団に入り込むと、さっきまで彼女が居た温もりを感じることが出来た。

 そして何よりあまりにも甘い香りが俺を包んでいく。

 藍那の香りはもう何度も嗅いだことがあるし身近なものではあるが、やはりこうして好きな人の香りを感じるほど距離が近いということは幸せのことだ。


「良い匂いだなぁ……って、これじゃあ変態じゃねえか」

「そうかなぁ? 私としては全然ありだし、何より隼人君に喜んでもらえるなら嬉しいことなんだけど」

「そうか? それじゃあ遠慮なく……うん?」

「えへへ、起きてましたぁ♪」


 顔を横に向けると藍那がバッチリと目を開けていた。

 起きているとはいっても流石に眠そうなのは分かるので、俺が物音を立てたせいで彼女は目を覚ましたのだろうか。


「ごめんな? 起こしちゃったか」

「ううん、謝る必要はないよ。こうして隼人君と同じ時間を目を開けて共有出来ていることが嬉しいから」

「……ったく、いつだって藍那たちは嬉しい言葉をくれるよな」

「でしょう? だってそれだけ隼人君のことが大好きなんだもん♪」


 ダメだ、あまりにも目の前に居るこの子が可愛すぎる。

 今まで何度も思っていたことだが、本当に三人の中でも特に藍那は気持ちを素直に口にする子だ。

 大人っぽい見た目から繰り出される時に甘く、時に可愛いその言葉たちに俺はいつだって魅了されてしまう。


「おいで藍那」

「うん!」


 そう言うと藍那は嬉しそうに頷いて俺の方に体を動かした。

 柔らかく良い香りのする彼女の体を抱きしめていると、やっぱり心が落ち着くのか段々と瞼が重くなってきた。


「……ふわぁ」

「あはは、寝ようか流石に。でもその前にキス」

「おう」


 チュッとリップ音を立てるように俺は藍那とおやすみのキスを交わした。


「なんかコーラの味がする」

「……あぁ飲んだからな。ごめん」

「良いんだよ全然。それもまたスパイスぅ」


 どうやら全然大丈夫みたいだ。

 その後、やっぱり俺よりも先にまず藍那が眠りに就いたわけだが、彼女はずっと俺の体を離すことはなかった。

 俺は藍那の頭を撫でながら、ゆらゆらと意識が遠のく感覚に身を委ねた。



 ちなみに、翌日の朝も俺と藍那はガッシリと抱き合ったままだったらしく亜利沙に若干嫉妬されたのは言うまでもなかった。

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