思い出の眼差し

「……あれ?」


 春休みに入ってしばらくした頃、少し家の掃除をしたくなった隼人は両親が使っていた寝室に足を踏み入れた。少しでも父と母の物を残したくてそのままにしている部屋だが、そこで彼はとあるものを見つけたのだ。


「……変だな。写真は全部アルバムに入れてるはずなんだけど」


 本を整えている一枚の写真が出てきたのだ。

 それはまだ幼い隼人と父の彼方、そして母の香澄が一緒に写っている写真だ。彼方が隼人を抱き、隼人の小さな手を香澄が握っている。隼人だけでなく、両親も輝くような笑顔だった。


「……………」


 こうして昔の写真を見ると少しセンチな気分になってしまう。隼人は写真を持って部屋に戻り、机の上に置いてベッドに横になった。掃除をする気分ではなくなったので少し昼寝をすることに。


「……すぅ……すぅ」


 それからしばらくすると彼はすぐに眠りに就いた。

 そして、不思議な夢を見ることになった。






「隼人~?」

「なあに~?」


 息子の名前を呼ぶとどうしたのかと振り向く。私をその目に映し、にへらと笑いながら両手を広げて近づいてくるその姿に愛おしさが溢れて止まらない。近づいた隼人を抱き上げ、その頬に私の頬をくっ付けると嬉しそうにキャッキャと笑う。


「もうどうしてこんなに可愛いのよ私の息子は! 世界一じゃないの!」

「世界一? 何が~?」

「隼人の可愛さがよ! もうもう!」


 隼人が生まれてから私はこの子に夢中だ。もちろん夫にも万年夢中だが、今はどっちかと言えば隼人のことばかり考えている気がする。


「おはよう香澄、隼人もおはよう」

「あら、おはようあなた」

「おはようパパ!」


 パパ、そう言って隼人が夫に腕を伸ばす。夫も隼人にはデレデレで、こうされると彼は気持ち悪いくらいに表情を緩めて隼人を抱こうとするのだが……忘れるなよあなた、今隼人を独占しているのはこの私だぞ?


「……何故離れるんだい?」

「今隼人は私が独占しているの。あなたはまだダメよ」

「けど隼人は今僕を求めてるが?」

「錯覚よ。仕事のし過ぎで疲れてるのね」

「そんなことはないさ。さあ隼人、パパのところに――」


 だから今は渡さないって言ってるでしょうが。

 腕を伸ばす夫から離れると、夫も当然私たちに距離を詰めてくる。そんな風に鬼ごっこみたいなことを続けていると、隼人が不安そうな声を出した。


「喧嘩……してるの?」

「してないわよ!」

「してないって!」


 二人揃って隼人を安心させるために笑みを浮かべた。

 しょうがない一時休戦だと言わんばかりに、私と夫は互いに苦笑してソファに腰を下ろした。悔しいけれど、隼人が夫の元に行きたそうにしているので手渡す。


「あぁ隼人、今日も隼人は良い子だなぁ!」

「パパくすぐったいよぉ」

「隼人はこれが好きだろ? ほらほら、パパだぞ~」


 隼人と夫のじゃれ合いを眺めるのも……やっぱり面白くない。でもこんな風にお腹を痛めて生んだ息子と、その息子を可愛がる夫を見ているのは幸せだった。こうして休日は朝から隼人と遊んでくれるし、平日も仕事が終わってからは眠るまで隼人の相手をしてくれる……本当に子供想いの素晴らしい夫だ。


「ねえ隼人、隼人はママとパパどっちが好き?」

「どっちも~♪」

「……あぁ可愛い」

「だな。俺たちの息子は天使だよ」


 本当にその通りだわ。

 私たちの息子はとても良い子だった。もっと小さい頃は夜泣きとか大変だったけれど、すぐにそんな時期も過ぎ去って今のような子に成長した。表情も豊かで私たちに対する好意もストレートに伝えてくる。そんな息子に私たちはいつだってメロメロである。


「……う~ん」

「おや、眠たくなったかな?」

「朝早かったもの、もう少し寝てても良いかもね」


 愛おしい我が息子は夫の腕に抱かれながら眠りに就いた。

 夫としてはもう少し隼人と遊んでいたかったみたいだけど、こうして眠たくなったのなら仕方ないと諦めたらしい。苦笑しながらも私に隼人を預け、私は隼人が眠りやすいようにと優しく抱き留め背中を撫でた。


「思った以上に君は隼人のことが大好きだね。これじゃあこの子が結婚する時は相手に対して厳しそうだ」

「はっ? 隼人は結婚しないわ。ずっと私の傍に居るのよ」

「……それは無理だからね?」

「……いや! 隼人はずっと私の息子なの!」


 分かっている。この子もいずれ巣立つことは分かっているのだ。でもこうして子を持ったからこそ分かる。この子が誰か良い人を見つけ、その人と一緒になるためにここから巣立つ日は絶対に来るはずだ。それはめでたいことのはずなのに、私はそれを考えるだけでとてつもなく寂しくなってしまう。


「……隼人もその内素敵な人を見つけるのよね」


 私たちの息子だ。絶対に素晴らしい相手を見つけることだろう。出来れば見つけてほしくない、ずっと傍に居てほしい気持ちも当然あるけれど……恋人を見つけてその子と愛を深め合って、結婚する姿も是非見てみたいのだ。


「……何となく、嫁に出しくないって言ってたお父さんの気持ちが分かるわね」

「あはは、まあ初めて伺った時は凄かったもんな」


 嫁に出したくないと駄々を捏ねたお父さんの姿が今でも忘れられない。お母さんにしばかれ……コホン、窘められていたけど今なら気持ちが良く分かるよお父さん。


「ま、これから先僕たちはこの子を見守っていけばいい。どんな生き方をしたとしても僕たちの自慢の息子だからね」

「そうね。その通りだわ……たとえどんなことになっても、この子を愛し続けることは変わらない」


 まあこの子が不良になったりするような変化は全く想像できないけれど、きっと今以上に隼人は素敵な男の子になるはずだ。


 取り合えず……私としてはこの子が大人になるまで見守りたい。素敵な恋人を連れてきて、結婚式を挙げて……子供が出来て……あぁダメだな。一度想像しだすと中々止まってくれない。


『母さん、この子が俺の彼女なんだ』


 ……ダメ、やっぱり認められない!

 でも……最終的には認めるんだなと思う。ねえ隼人、こんな困ったお母さんだけどあなたのことをずっと見守っていくからね?

 だから隼人は自分の思う通りに生きるのよ。もしも……ううん、絶対にないとは思うけれど、今眠っているあなたが成長した時に万が一私たちが傍に居ないとしても、あなたは真っ直ぐ生きれば良いの。それこそ、私たちはいつまでも愛するあなたを見守っているからね。


「隼人、愛してるわ」






「……っ」


 僅かな眠りの後、隼人は目を覚ました。

 辺りを見回すとそこは自室で、あのまま眠ってから数十分が経過したらしい。掃除をするはずだったのに気分が乗らなくて部屋に戻ったんだった、そう思い出し苦笑した時だった。


「……あれ、なんで泣いてるんだ」


 目頭が熱いと思ったら涙が流れていた。

 止めどなく流れる涙に困惑していると、徐々にさっきまで見ていた夢を思い出すのだった。まだまだ小さい頃、大好きな母と父に可愛がられていた幼いころの夢……同時に、母の想いをこれでもかと伝えられた夢のことを。


「……幸せな夢だったな」


 もう一度眠ればあの夢に帰れるだろうか、そんなことを考えたが隼人は頭を振った。夢に戻る必要はない、何故なら隼人にはずっと残り続ける言葉があるから。


『隼人、愛してるわ』


 優しい声がずっと脳裏に残り続けている。

 笑顔の母と父が見守るように、彼ら二人の想いが体の中で生き続けている。それを実感すれば悲しいことも寂しいこともない……この場に亜利沙たちが居ればどうしたのかとすっ飛んでくるだろうが。


「そうだな。母さんと父さんが見守ってくれてるんだ。ウジウジするわけにもいかないよな」


 遠い空の向こうから二人は見守ってくれている。だからこそ、隼人は下を向くわけにはいかない。上を向いて、しっかりと今ある幸せを噛み締めて生きていく。それこそが最大の親孝行になると、隼人は窓から覗く空を見て笑顔を浮かべるのだった。

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