母さん
「隼人」
……なんだ、誰かの声が聞こえた気がした。
目を開けて俺の視界に広がったのは真っ白な空間だった。一体ここはどこなのか、そう思っているとまた誰かの声が聞こえた。
「こっちよ隼人」
……誰かの声? そんなわけはない。だってこの声は……この声は!!
俺はゆっくりと振り返った。そこに居たのは一人の女性、長い黒髪を一つに纏めたその女性はやはり俺の思った通りの人だった。
「……母さん?」
「えぇ。久しぶりね隼人」
……なるほど、これは夢だな。
明確に夢だと理解出来るのは珍しいと思っているけど、母さんは既に他界しているので会えるわけがない。
「……そうか。すぐに寝たんだな俺は」
寝る前に三人と色々頑張って……それで今日は咲奈さんに抱きしめられる形で眠ったんだったか。疲れていたのもあるし、あの胸に抱かれてしまっては速攻で眠気に負けてしまうのも当たり前だった。
「母さん……うん。久しぶりだな」
これが夢だというのなら今はこの時間を楽しもう。
起きたら覚えていないかもしれない、それでも今この瞬間だけは母さんと再会しているのだから。
久しぶりだと、そう伝えると母さんはニコッと笑みを浮かべた。昔の俺が大好きだった笑顔、ずっとずっと浮かべてほしかった笑顔だ。
「ほら早よ、おいで」
「うん」
昔はそうされると恥ずかしくてあまり出来なかったこと……俺は腕を広げた母さんに抱き着いた。
「……っ」
懐かしかった。
こうやって母さんに包まれる感覚が本当に。胸に抱き留められ、頭を撫でられることが嬉しかった。どうしてあの時こうやって進んで抱き着かなかったのか、本当になんでだろうなぁ。
「隼人も変わったわね。でも嬉しいわ……こうしてあなたが甘えてくれるのは」
「母さん……俺は」
なんで俺を置いて行ってしまったんだ……なんて言いそうになったけどどうにかその言葉は飲み込んだ。そんな恨み節を吐くつもりなんてないし、何より大好きな母さんにそんなことを言いたくはなかった。
それよりももっと伝えたいことがあるんだ。
「なあ母さん」
「なあに?」
「俺……幸せだよ凄く」
そう、俺はとても今幸せだ。
ずっと一人だったけど大切な人たちに出会い、彼女たちを愛し愛されることの喜びを知った。その形が歪なものだとしても、俺は自信を持って幸せだなのだと断言できる。
「知ってるわ。ずっと見てたもの……ふふ、隼人ったらどこかの王様なの? 完全に美人親子を誑し込んでハーレムじゃない♪」
「……誑し込む……あぁいやでもそうなるのか?」
「冗談よ。どんな経緯かも分かってる。ある意味運命だったのよねあれは」
「……そうだね」
本当にあの出来事が全ての始まりだった。
あの時は本当によく体が動いたものだと思ったけど、まあもうあの最悪とも言える出来事を忘れそうになるくらいに今の生活が濃すぎるのだ。
「あなたの母親として色々と思わないわけではないけど、あなたの幸せな顔を見ていたらそれもいいのかしらって思ったわ」
「そっか」
相変わらず母さんは俺の頭を撫でている。
しかし、少しだけ悲しそうな声音で言葉を続けた。
「隼人が辛いとき、悲しいとき、苦しいときに傍に居なくてごめんなさい」
その声には多くの思いが込められていた。
母さんが悲しそうにするとあの時を思い出す。あの人たちが俺と母さんを罵倒した時の記憶が鮮明に蘇る。あの時と違い俺はもう成長して大きくなった。だからこそ母さんを安心させるように抱きしめてあげることが出来る。
「母さん、謝らなくていいよ。謝る必要なんて何もないんだ」
「隼人……っ!」
流れる涙を拭った。
「それよりもこうして再会出来たことを喜ぼうよ。少しの間だろうけど、俺は今母さんに出会えて凄く嬉しいんだ」
「……っ……そうね。そうよね!」
再会できた、色んなことを話したかった。
でも、やっぱりそうは上手く行かなくてすぐに別れの時がやってきた。
「あ、母さん……」
「お別れね。でもとても幸せな時間だったわ」
……そうだな。本当にその通りだよ。
母さんの体が徐々に薄くなっていき、周りの風景も崩れそうになっている。
「隼人、私はあなたをずっと見守っているから。あの人も一緒に、どんなあなたでも見守っているから」
「……あぁ!」
「だから大丈夫……愛してるわ隼人」
「……俺もだよ、母さん」
そうして俺は夢から覚めた。
「……っ!?」
「隼人君、大丈夫ですか?」
ふと目を覚ました俺の目の前には咲奈さんが居た。
心配そうにこちらを見つめる瞳にどうしたのかと思っていると、どうやら俺は寝ている最中に涙を流したらしい。
「……俺」
「何か怖い夢で見ましたか?」
……それは分からなかった。
怖い夢を見たのか、或いはそうではないのか……全然思い出せない。けれど何故か心は穏やかで、悪い夢を見たわけではないということだけは分かった。直感みたいなものだけど俺はそう思ったんだ。
「咲奈さんは起きてたんですか?」
「いいえ、寝ていたけど誰かに起こされたような気がしたんです」
「起こされた?」
「えぇ。隼人君が泣いてるから慰めてあげてって……そう言われたような気がしたんですよ」
「それは……」
一体誰が、なんてことを思ったけど確かに泣いてたようなものだ俺は。
俺は無性に咲奈さんの温もりが欲しくてその体に抱き着いた。豊満な胸元に顔を埋めるととても安心できる。そんな俺を咲奈さんは喜んで受け入れるように抱きしめてくれた。
「よしよし、甘えていいですからね。落ち着くまでずっとこうしてあげますから」
「……はい」
「あん♪ ふふ、その状態で喋るとくすぐったいですよ」
それは仕方ないと思います。
こんな風に少し騒がしくしてしまったが、亜利沙と藍那も結構深く寝入っているらしい。それから数分ほど、心が落ち着くまで咲奈さんの温もりと柔らかさに包まれていた。
「……よし、もう大丈夫です」
「あら、ずっとでもいいんですよ? また寝るまでしてあげますけど」
「そうですか? なら遠慮しないですからね」
真面目に眠っている二人の横で少しモゾモゾとする俺と咲奈さん……なんかちょっと興奮するシチュエーションだけど既に空っぽなので今日はもう無理だ。家でなら咲奈さんはキスからお触りのコンボ攻撃でその気にさせてくるが、やっぱ今だけはジッと俺を抱きしめることにしたらしい。
「隼人君、何となくですが隼人君の見た夢は良いものだったと思います」
「え?」
「そんな気がするんです。とても不思議なんですけど」
「……そうですね。俺もそう思いますよ」
俺の前髪を持ち上げるようにして咲奈さんは額にキスをした。
クスっと笑った咲奈さんの笑顔はやっぱり多くのモノを包み込む慈愛に満ちておりとても安心する。俺もお返しと言わんばかりに彼女の唇にキスをした。
「それじゃあ寝ますか」
「……唇にキスはスイッチが入りますよ隼人君!」
頬をぷくっと膨らませた咲奈さんに苦笑しつつ、俺は瞳を閉じるのだった。しばらくして咲奈さんも眠ったのか寝息が聞こえてきた。
「……幸せだよ、母さん」
……どうして母さんと言ったのかは分からない。
それでも何故か伝えたかった……俺はもう大丈夫だと。幸せなのだと。
『分かってるわ。幸せになりなさい隼人』
眠る直前、そんな懐かしい声が聞こえた気がした。
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