母の愛は偉大、それは常識である
隼人と娘たちが付き合うことになった、それを聞いた咲奈の心にあったのは純粋な祝福と僅かな嫉妬だった。母親として娘たちの想いが伝わったこととは裏腹に、一人の女として隼人を想うからこそ醜い嫉妬の感情があった。とはいえその嫉妬はそこまで大きなものではなく、やはり咲奈の中には祝福の方が大きかった。
そして何より、そんな嫉妬を吹き飛ばすほどの嬉しい変化があったのだ。
『はい、とても落ち着きます』
咲奈の胸の中で素直に吐露した隼人の言葉、その後に背中に回された腕に咲奈は幸せを感じていた。亜利沙と藍那を受け入れたことで愛を受け取ることを我慢しなくなったこと、母のような温もりが欲しいと求められたことがとにかく嬉しかったのだ。
「……あぁ……隼人君」
食器を洗いながらも、咲奈はずっとチラチラと娘たちとの雑談に興じる隼人を目で追っていた。頼りたいと抱き着いてきた可愛らしさとは反対に、背中に回された腕の力強さは正に男のそれだった。
「……っ」
事あるごとに咲奈は隼人のことを想像する。
頼られることを願い、あのように抱きしめてもらうことを想像した。夫が亡くなってからずっと咲奈は女の自分を奥底に封印していたが、さっきのようについ隼人と二人きりになるといとも簡単に女の顔が姿を見せてくる。
「亜利沙はともかく藍那は……?」
二人と楽しそうに話していた隼人が咲奈に気づいた。そしてニコッと笑顔を向けてくれるではないか、それだけで咲奈の心はうるさいほどにざわめく。咲奈も同じように笑みを浮かべ、手元の食器に意識を移した。
「私は本当に……彼のことが」
ご奉仕したい、彼を思いっきり受け止めたい、彼を甘やかしたい!
ありとあらゆる欲求が脳裏を掠めては消えていく。咲奈の気持ちを隼人は知っているため、咲奈自身もこれから先この自分が抱える気持ちを隠すつもりはなかった。亜利沙と藍那同様に、咲奈も全てを持って隼人を愛することを決めたのだから。
「咲奈さん? 手伝いますよ」
「え? 別にすぐ終わるからいいですよ?」
「いえいえ、やっぱり見てるだけだと悪いですから」
そう言って隼人も隣に並んで手伝ってくれた。
隼人の言葉も一理あるし、これが普通であるとしても咲奈にとっては嬉しかった。普通の気遣い、普通の思いやり……だがその相手が隼人というだけで咲奈の心にはとてつもないほど喜びの感情が溢れて止まらなくなる。
「隼人君、今日は私とお風呂に入りませんか?」
「……え!?」
思いっきりビックリした様子はやはり可愛くて微笑ましい。彼と一緒の布団の中で見守るだけなのは物足りない、胸に抱くだけでは物足りない……彼という存在を体全てで感じたいと心が叫ぶのだ。
二人の子を産んだ咲奈も一人の女、長らく忘れていた女を思い出させてくれた隼人を逃がすわけはやはりなかったのだ。こうしてみると亜利沙や藍那に比べても咲奈の欲求は強いかもしれない。だが彼女たちと共通しているのは決して隼人を傷つけるようなことはせず、大きすぎる愛で彼を包み込みたいという気持ちは一貫していた。
「隼人君。私はあなたを支えたい、甘えさせてあげたい」
朝に伝えた言葉と同じことを口ずさむ。
「夜が楽しみですね♪」
そうして浮かべた咲奈の表情は異性を魅了してしまう力があった。
咲奈は無意識だが、彼女はその余りある魅力を常に垂れ流している。意識せずに男を吸い寄せるフェロモンを撒き散らしているようなものなので、街を歩けば多くの男が彼女に目を向ける。彼女持ちであっても妻子持ちであっても関係ない、御伽噺に登場するサキュバスのように彼女は男の目を吸い寄せるのだ。
「えっと……お願いします」
「はい!」
亜利沙と藍那のような可愛らしい笑顔、だが忘れてはならない。亜利沙と藍那を生んだのは彼女であり、二人に受け継がれた特性を全て兼ね備えているのも彼女だ。そんな咲奈が隼人を愛するということはつまり、その大きすぎる愛に既に隼人は捕らえられたということだ……まあ今更ではあるが。
夕飯を作ってくれている亜利沙と藍那に声を掛け、俺は風呂に来ていた。
「ほら隼人君。服を脱ぎましょうね♪」
「……あい」
あれ、おかしいな。
確かに咲奈さんに流されるように一緒に風呂に入る約束はしたのだが、何から何までお世話をしますというこの雰囲気は何なんだろう。咲奈さんに言われるがままに服を脱ぎ、俺の目の前で咲奈さんも服を脱ぎ始めた。
「よいしょっと……ふふ、そんなに見なくても私は逃げませんからね」
「っ……」
ついつい見惚れてしまった。
胸元のボタンを外すことで、その中に仕舞われていた大きすぎる胸が呼吸をするかのようにたぷんと揺れた。黒いレースの下着、咲奈さんのような人が着ているからこそその破壊力も凄まじかった。
「その……俺先に入ってます!」
見ていられず俺は先に浴室に逃げ込んだ……いや違う。これは逃げ込んだではなく追い込まれたの間違いではないのだろうか。亜利沙たちも止めるどころか楽しんできてねって言ったくらいだし……うがああああああ!!
「それにしても……」
本当に高校生の娘二人が居る人なのか、そう思わせてしまうほど咲奈さんの体は大人の魅力に溢れていた。娘二人を凌ぐスタイルは言わずもがな、くびれもしっかりとあって無駄な肉は全く付いていない。
「……俺、大丈夫かな」
咲奈さんは確かに二人の母親だが、その纏う雰囲気は母親のようなものと若々しい女性のものが絶妙な形で混ざり合っている。それこそ気を抜けば即座に甘えてしまいそうにもなるし、何より本能が咲奈さんを求めてしまうかのようだった。
「お待たせしました……?」
「ど、どうぞ」
「あぁそういうことですか。隼人君、こちらを見てください」
この状況でそちらを見ろと言われて見るのは難しいのでは……。
体を動かさない俺に怒るでもなく、咲奈さんはただクスッと笑った。それはまるでしょうがないなと子供を見るようなものでもあった。
「ではこうしましょうか」
「っ!?」
頭の横から二本の腕が伸び、それは俺の体に巻き付くようにクロスした。背中からギュッと咲奈さんが抱き着いたことで、この世のものとは思えないほどの弾力が背中に当たっている。
耳元で感じる咲奈さんの吐息、浴室に充満する甘い香りが脳を痺れさせるようだ。今すぐここから逃げ出したい、けれどもここに居たい……そんな矛盾を抱える俺の耳元で彼女は口を開く。
「隼人君、私はどんなあなたでも受け入れますよ。色んなことをしたい欲求は確かにありますが、私はとにかくあなたを甘やかせてあげたい。私はまず、あなたの母になりたいんです」
「母に……ですか?」
「はい。ですが当然香澄さんに私はなれません……隼人君の本当の母親はどこまで行っても香澄さんだけですから」
でも、そう言って咲奈さんは言葉を続けた。
「でも私は今ここに居ます。あなたの傍に、触れられる距離に居ます」
少し顔を横に向ければ至近距離に美しい咲奈さんの瞳が俺を見つめている。相変わらず安心させてくれるような笑みを浮かべる咲奈さん。
「何度だって言いますよ。隼人君はもっと甘えるべきです。亜利沙も藍那も、私だってこれから先傍に居るのですからその機会は多いはず……遠慮なんてしないでくださいね? 愛していますよ隼人君」
「……あ~」
風呂から上がった後、俺はリビングでボーっとしていた。
咲奈さんはまだ風呂に入っており、俺の方が先に出てきた形になる。ハンバーグを作る亜利沙とは別に、麦茶をコップに淹れて持ってきた藍那が傍で苦笑した。
「どうだった? お母さん凄かったでしょ」
「……あぁ」
藍那の言葉に、俺はそれだけしか返せなかったのだ。
そして時間は過ぎて夕飯時、四人でテーブルを囲んでいる時に藍那がこんな提案をするのだった。
「ねえねえ、四人で旅行とか行きたくない? 温泉とかさ」
「いいわね……四人で混浴とか?」
「隼人君はどうですか?」
「うぇ!?」
返答に困るというか、昨日から色々ありすぎてちょっと許容量がいっぱいだ。
でも一つだけ分かることがある――亜利沙も藍那も、咲奈さんも……俺をどこまでも沼に引き摺り込もうとしてくるかのようだ。それか、まるで細くもあり強靭な糸で絡め取ろうとしてくるかのような……。
これは……どう足掻いても逃げられそうにないな、逃げる気はないけど。
そんなことを、俺は彼女たちの優しさに包まれながら感じるのだった。
【あとがき】
当初はこの馴れ初めは全て省いてこういうことがありましたって説明しながら書こうと思っていたんですが、出会った頃から書いてて正解だったのかなと思いました。
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