2
「隼人君♪」
夜、ベッドの中に居る藍那が嬉しそうに笑みを浮かべていた。
あの後、俺は藍那の温もりを求めるように彼女に手を伸ばした。絶対に逃がさないように、或いはその温もりで包んでほしいと望むように俺は手を伸ばした。
「激しかったねとっても」
「……藍那さん?」
「あはは、ごめんごめん♪」
ジトッとした目を向ければ藍那は舌をペロッと出して謝った。
誤解がないように言うならば、あの後はそういうことにまでは発展しなかった。理性の限界は来ていたものの、お互いに体を抱きしめるだけで何とか踏み止まっていたからだ。
自分で言うのもなんだが、よく踏み止まれたと思う。
だが、あの出来事が俺に再認識させた。俺はもう彼女たちの温もりを絶対に手放すことは出来ないんだと。いつもは夕飯を作ってくれたら帰るはずなのに、離れてほしくないからと一緒に居てもらうことを望んだ。
「嬉しかったな。隼人君が帰らないでほしいって言ったの。凄く嬉しかった」
「……いきなりでごめんな」
「謝らないでよ。私も望んでいたことだから……もう気づいたよね?」
「あぁ……正直、どうして俺にって気持ちもある」
藍那の気持ちも亜利沙の気持ちも分かっている。藍那の話では咲奈さんも淡い想いを抱いていると聞いてまさかとは思ったけど、あの瞳に混じっていた感情を冷静に考えればすぐに分かることだった。
「俺は――」
どうすればいいのだろう、そう口ずさもうとしたところでインターホンが鳴った。
夜とは言っても夕飯を済ませてある程度経った程度の時間だ。誰かなと思ったら藍那からその答えは齎された。
「姉さんを呼んだの。母さんは仕事で今日は戻れないらしくてさ」
「そう……なんだ」
……って、この暗い中一人で来たのか亜利沙は。
一瞬にして焦りが顔に出たのか、藍那が苦笑して心配し過ぎだと笑った。取り敢えず俺は藍那と一緒に玄関に向かった。
「こんばんは隼人君……って藍那あなたは」
「えへへ、幸せの証~♪」
俺から藍那に目を向けた亜利沙は呆れたように目になった。その理由は単純で藍那の服装にあった。突如泊まることが決まったので着替えはなく、今彼女が着ているのは俺が学校で着る体操服のジャージだ。
「着替え持ってきたけどその様子じゃいらないんじゃない?」
「うん!」
「……はぁ」
亜利沙の溜息に少しだけ苦笑した。
外は寒いので亜利沙を家に招き入れ、そのまま俺の部屋に向かった。思えばこうして俺の部屋に二人が揃うのは初めてだっけ。
温かいお茶を用意して俺たちは一つのテーブルを囲むように座った。
「……隼人君の部屋、やっぱりドキドキするわね」
「でしょ~? すっごい幸せになれるよね」
「あはは……」
それくらいで幸せになれるのならいつでも来てくれていいよ……そう言おうとした俺は改めて二人に視線を向けた。彼女たちはそれぞれ異なる綺麗な色の瞳に俺を映している。二人とも俺の言葉を待っているんだ。藍那はともかく、亜利沙もこれからどんな話をするかちゃんと分かっているんだろう。
「二人は……俺のことをどう思ってくれているんだ?」
これは最後の確認、ある意味自ら逃げ場を失くす言葉だった。
「好きよ。一人の男性としてあなたを支えたいわ」
「好きだよ。隼人君の子供を産みたいくらい大好き」
二人から伝えられた好きという言葉、だがその後に続いた藍那の子供を産みたい発言に全部持っていかれた気がする。もしかしたら俺の緊張を和らいでくれる発言なのかとは思ったが、どことなく本気だった気がしないでもない。
まあでも、これで俺の予想は確信に変わった。
「……そっか……そっか」
二人から好きと伝えられたこと、それ自体は凄く嬉しかった。けど……ここに来て俺の中にはまだ本気にするなと囁く声がある。あの出来事のせいだと、そう言い続ける声がずっと響き続けているんだ。
「……俺は」
どう答えるのが正解なのか、そう思っている時だった。
「ねえ隼人君、ちょっと私たちの話を聞いてくれないかしら?」
「うんうん。それもあって姉さんを呼んだんだし」
「話……を?」
頷いた二人は話し始めた……あの出会いから今に続くまでのことを。
「まず大前提に、私は隼人君のことが好きだわ。どうしようもないほどに、あなたを支えることを生きる目的だと見定めたくらいにはあなたを愛してる。あなたに必要ないと言われたらひっそりと死んでしまうかもしれない、それくらいに想っているわ」
「私ももう一度言うけど隼人君のことが好きだよ。私の全てを捧げたい、隼人君の子供を産んで幸せな家庭を築きたい、とにかく隼人君に愛されたい……そうずっと思っているほどに隼人君のことが大好き」
二人の言葉は明確な愛を込めた言葉だった。
ただ、齎された言葉の破壊力が凄まじくて少し脳の処理が追い付かない。ポカンとしている俺を二人は苦笑し、俺の両隣に移動した。
亜利沙が俺の手を握った。
「あの時、全てを諦めた私たちの前にあなたは現れた。もしかしたらあの出来事が私たちを縛っている……とでも思ったんじゃない?」
「……………」
図星だった。
確かにそう思うわよねと亜利沙は呟き話を続ける。
「正直なことを言えばそれも間違いではないかもしれない。私も藍那も、母さんだってあの時の出来事が脳裏に焼き付いて離れない。救ってくれたあなたに溢れて止まらない恋をしたのだから」
亜利沙の言葉を藍那が引き継いだ。
「そうだよね。あの時から私たちは隼人君に恋をして、どうしようもないほどに隼人君を求めたんだ。隼人君が欲しい、隼人君に愛されたい……隼人君の子供を孕みたいって大変だったんだからね?」
「えっとそれは……」
孕みたいって……俺はなんて返せばいいんだろうか。
亜利沙の青色の瞳と藍那の赤色の瞳に見つめられ、俺はやっぱり上手く口を動かすことが出来ない。上手く言葉を発せない俺の頬に藍那が指を当てて落ち着いてと耳元で囁く。同時に吐息が耳に当たり妙にゾクゾクとしたものが背筋を駆け巡った。
「隼人君が家に来た時に家族のことを話してくれたでしょう? 私たちを助けてくれた救世主、そんなあなたが実は心に深い悲しみを背負っていることを知った。だから私たちがその悲しみを埋めて、同時に私たちがあなたに向ける愛に溺れてほしいと思ったの」
「そうすれば隼人君は絶対に私たちの元から離れて行かない。むしろ私たちを心から求めてくれるっていう確信があった。どうかな? 隼人君も結構私たちから離れたくなくなってるんじゃない?」
その言葉に俺は頷いた。
二人の言葉の通りだ。あんな出会いから親しくなったけど、彼女たちが持つ雰囲気から俺はもう離れたくなかった。もう一人になりたくなかった……彼女たちが向けてくれる優しさと温もりに浸りたかったんだ。
「……俺は……もう一人になりたくない」
「えぇ。分かってるわ」
「うん。分かってるよ」
二人が俺の腕を抱くように抱き着いた。
温かい……温かくてずっと浸っていたい。まるで愛と言う名の沼に思えるが、足だけでなく腰までも、首までも、全てが呑み込まれてしまっても構わないとさえ俺は思ったのだ。
二人が俺の顔に近づき、それぞれ両頬にキスをした。
呆気に取られるわけでもなく、ただただ今されたことを理解して脳が沸騰しそうなほどに熱くなる。
「そんな風に、私たちは隼人君を繋ぎ止めようとした。愛という鎖で縛り付け、絶対に離れられないように」
「そうすれば私たちはずっと一緒に居られる。私たちも満たされ、隼人君も満たされて幸せになれる……そう思ったんだよ」
……あぁ……そうだったのか。
二人から伝えられた言葉は少し怖いはずだ。けれど俺は逆にそこまでの強い想いを向けられることが嬉しかった。亜利沙と藍那だけじゃなく、咲奈さんも俺を一人にはしないんだってそう思えたから。
「でもね? 私たちの中に仄暗い気持ちがあったのは確かだわ。愛とはいっても、私たちの愛はあまりに重たいモノだってことは気付いていたから」
「うん。でも構わないと思ったの。それでみんなが幸せならいいんだって……」
そんな時だったね、そう藍那が亜利沙に向かって呟いた。
「そうね。隼人君の友人二人に呼び出されたのは」
「え?」
どうしてそこで友人二人のことが出てくるんだ?
驚いた俺に二人は話してくれた。
あの二人がどんな意図で亜利沙と藍那を呼び出したのか。同時に俺が、どれだけ友人たちに想われているのかを俺は知ることになった。
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