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「……ふぅ」
いつも通りに学校を終えて休日を前にした金曜日の夜、俺は風呂で体を洗いながら一息吐いていた。
こうやって一人で居るとやっぱりあのことを思い出す。
新条家に強盗が入ったあの事件、あれがあってから俺を取り巻く環境はこれでもかと変わった。
亜利沙、藍那、咲奈さん、三人の優しさと温もりに包まれる日々……最初は困惑しかなかったけど、今となってはこの変化が心地良かった。自分の家で就寝する時は流石に一人だけど、夕飯の時間に誰かが傍に居るというのは本当に幸せだった。
温かくて、安心して、寂しくはなくて……あはは、もう高校二年なのにこんなことを考えるのは少し女々しいかもしれない。でも、俺はこの温もりを手放したくはなかった。決して父さんや母さんの代わりにしているわけではなく、彼女たちから与えられる温もりが本当に心地良いのだから。
「……どうなんだろうなこれって」
気にしなくても良いと問いかける俺が居る、間違っていると指摘する俺が居る。何が正しいのか分からなくて、ただただこの変化を受け入れたんだ。
「……正直、分かっちゃうよな」
以前に俺は彼女たちは依存していると言った。
だが、ここまでのことをされてそこに好意があることに気付かないわけがない。でもその好意はあの出来事のせいで彼女たちに植え付けられた気持ちだ。本来なら抱くことのない気持ちなのだから本気にするな……そう考えてしまう。まあ咲奈さんに関しては単純に面倒を見たいという気持ちからなのだろうけれど。
「……………」
このままじゃいけない、頭では分かっているのに何もせず受け入れている俺が居ることに少し腹が立つ。こんなことはいいからと、そう伝えて彼女たちを悲しませることを嫌がるのは建前で、彼女たちに離れて行ってほしくないと考える気持ちに無理やり気付かないフリをしているのではないかって……そう思うのだ。
そんな風にどうしようもない気持ちを抱えている時だった――藍那の声がした。
「隼人君? もうお湯に浸かってる?」
「……あ、まだ体洗ってる途中だ」
おっといけないいけない。
考え事をしすぎてつい手が止まっていた。もう冬も近いのにこんなことをしていたら体を冷やして風邪を引いてしまう。この後に藍那も風呂に入るし、すぐに体を温めて出ようと思った時だった。
「それなら私も入っちゃおうっと。その方が早いからね♪」
「……うん?」
あれ、今何か聞き逃してはいけない言葉が聞こえたような……。
まさかと考える俺の背後でシュルシュルと服を脱ぐ音が聞こえた。まさか、まさかまさか藍那さん何を考えていらっしゃるの!? 慌てる俺を追い詰めるように、俺と藍那を隔てていた戸が開いた。
「お邪魔しま~す♪」
「ちょ……ちょっと!?」
さっきまで抱いていた悩み事を一気に吹き飛ばす光景が目の前にはあった。バスタオルを体に巻いただけの藍那、寒いねと言って戸を閉めて俺のすぐ傍にやってきた。
「……………」
口をパクパクしながらも藍那の肢体から目を離せないのは俺がスケベなのか、いやそれはどうでもいい。ハッと我に返った俺はすぐに藍那から視線を逸らしたが、彼女はクスクスと笑って俺の背後に回った。
「そんなに恥ずかしがらなくても良いと思うんだけど。もう一緒の部屋で寝た仲でしょ私と隼人君はさ」
「……それとこれとは」
「ええい諦めろ~!」
大きな声を出して藍那は背中に張り付いた。
腕もお腹に回すようにして抱きしめられたので柔らかい感触を背中にこれでもかと感じる。肌と肌が密接に触れ合い、妙なくすぐったさも感じた。
「私が洗ってあげるね。貸して」
「あ、はい」
人間、突き抜ければ一周して落ち着くことを知った。
手に持っていた泡立つタオルを藍那に渡すと、彼女は鼻歌を口ずさみながら俺の背中を洗いだす。
「ふんふふ~ん♪ ふんふ~んふふん♪」
これは……何かのアニメで聞いたような曲な気がする。
とはいえ、この空間の中でそれを考えるような余裕はやっぱりなかった。楽しそうな様子の藍那とは裏腹に、俺は一言も発さずに黙り込んで時間が過ぎるのを待つ。
「流すね」
「……おう」
首からお湯を掛けられ、泡が綺麗に流れたと思ったら……再び藍那が抱き着いてくるのだった。
「ごめんね、少しこうさせて」
「……分かった」
心臓がうるさい。でも俺の手は自然とお腹に回った彼女の手に重なった。しばらくそうしていると藍那がボソっと呟いた。
「隼人君の背中は大きいね凄く。男の子の背中だ……あの時、私たちを守ってくれた大きな背中。私の……大好きな背中」
「……藍那?」
最後に小さく呟いた藍那はクスッと笑みを浮かべ、俺と場所を入れ替わった。先に出ようと思ったがちゃんと温まってと脱出を阻まれる。体を洗う藍那から可能な限り視線を逸らしながら、俺は湯船に浸かって体を温めていた。
「よしっと、それじゃあ私も入るね♪」
二人が入るにも十分すぎる湯船の大きさだ。
俺はタオルを腰に巻いているものの、藍那はタオルを身に着けていない。なので少し視線を向ければその全部が見えてしまいそうだった。色々とハプニングのようなものはあったものの、こうして裸の付き合いのようなものは初めてだった。
「……あ」
「ふふ、気になるのかな?」
チラッと藍那を見ると彼女は俺に視線を向けていた。
その赤色の瞳に見つめられ、俺は目を逸らすことが出来ない。綺麗な茶髪が濡れて肌に張り付き、彼女の豊満な肢体は水面を隔ててもしっかりと見えている。真っ白な肌は健康的そのもので……これほどに綺麗な女性が居るのかと思ってしまうほどだ。
「……その、私も恥ずかしいんだよ? ならなんで一緒にお風呂に入ったんだって話だけど理由は一つ、隼人君とお風呂に入りたかった!」
「ストレートだね……」
「隠す必要もないからね……でもやっぱりヤバいなぁこれ。ねえ隼人君、私本当に妊娠しちゃうかも」
「どういうこと!?」
いつの間にか顔を真っ赤にしていた藍那についツッコミを入れた。というかこの状況で妊娠というワードはとにかく心臓に悪い。しかも体をモジモジさせているからただでさえ目に毒だった。
それに、気づいてるかどうか分からないけど藍那は右手で俺の手を掴んでいる。つまり逃げ出せないってことだ。
理性をフル動員し、おっ立てないように全神経を振り絞る。
呼んだ? 呼んだだろ? 素直になれよ、ニヤニヤと問いかけてくるような錯覚すら抱かせる。
「……ねえ隼人君。私、隼人君のお父さんとお母さんについて聞きたいな」
「え?」
「ダメ?」
「いや……全然いいけど」
そんな時にこの話題の提供は正直言ってありがたかった。
意識を逸らすことにも繋がるし、何より両親のことを知りたいと言われたことが嬉しかった。この気持ちが何なのかは分からないけれど、今は取り敢えず気にしないでおこうか。
「そうだなぁ……」
とはいっても何を話そうか。
俺の言葉を待つ藍那に見つめられながら、俺は咲奈さんにも話していないことを口にするのだった。
「普段はその辺に居る父と母って感じだけど……父と母だけでなく、俺もある理由から父の実家からは嫌われてるんだ」
「え? そうなの?」
目を丸くした彼女に俺は頷いた。
どうして嫌われているのか、なんてことはないよくある理由だ。父が実家の意向に従わなかったから、ただそれだけだ。
「父さんは母さんと大学で出会って、そのまま付き合って結婚した。その過程で色々あったのは驚いたけど……まあここまでは普通だよね」
「うん」
「俺も詳しくは知らないけど、父さんの実家って結構金持ちなんだよ。それで父さんに内緒で家の方で結婚相手を見繕ってたらしいんだ。相手は良いとこのお嬢さんで大きな繋がりが期待されてたって聞いたかな」
「……あぁ、そういうことなんだ」
そう、父さんは家の意向に従わず母さんと結婚する道を選んだ。
それが原因で実家からは勘当扱い、母さんや俺の存在も彼らは目にしたくないほどに疎んでいるってわけだ。
「……一度会う機会があったけど、俺も母さんもボロクソに罵倒されたよ。母さんはケロってしてたけど、その日の夜に泣いていたことは気付いてた」
「……隼人君」
父さんを失って傷ついていた母さんへの追い打ち、俺は当時小学生だったけどそんな母さんを守るためにあの彼らの前に立った。結局それっきり彼らとは会ってないけれど、その夜に母さんに抱きしめられて言われたことは覚えている。
『隼人の背中、とても大きかったわよ。まるであの人みたい、お母さん凄く嬉しかったわ』
母さんが涙を流しているのを見て、それで何故か俺も雰囲気で大泣きして……あの時は収拾付けるのにかなり時間が掛かったなぁ。でも、あの出来事が俺の中で母さんを守らないと、そう思わせる切っ掛けになった。
「母さんは俺に甘えろってよく言ってた。子供は親に守られるものだからって。でも実際に母さんが泣いているのを見るとさ、これが結構心に来るんだよ。泣かないで、俺が守るからってそう思っちゃうんだ」
……ちょっと暗い話になったかな?
そう思っていると、藍那が手を伸ばして俺の目元を拭く……どうやら当時を思い出して涙が流れていたらしい。
「……そっか、そうだったんだね。隼人君の背中が大きく見えるわけ、やっと分かった気がするよ。うん、私が好きになるわけだ……こんなにカッコいい人、好きにならないわけがないもん」
藍那は一度目を瞑り、何かを決心して俺の頭を優しく抱くようにした。
「ねえ隼人君、隼人君はとても強い人だよ。でも……寂しがり屋でもあるかな」
「……っ」
「その寂しさ、私に……私たちに埋めさせてよ。絶対に寂しい気分にさせない、いつでもどこでも私たちが隼人君を満たしてあげる。だから……私たちに溺れてよ」
溺れて……その言葉が甘い麻薬のように脳に入り込んでくる。
顔を上げれば慈愛の込められた瞳で俺を見つめる藍那がそこには居た。その瞳に映る俺はどうしようもないほどに、迷子になった子供のように彼女を求める目をしていた。
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