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「……うっま!」
「ふふ、ありがとう隼人君」
夕飯の時間、亜利沙の作ってくれたビーフシチューに舌鼓を打つ。程よく濃いシチューの味、肉やニンジン、ジャガイモなどの具材もその秘める美味しさをしっかりと引き出されていた。
亜利沙だけでなく、藍那もそうだし咲奈さんも本当に料理が上手だ。本人たちはこれくらい普通だと言っているけれど、料理をあまりしない俺からすれば店で出してもおかしくないレベルではないかと思うのだ。
「隼人君が美味しそうに食べてくれるのが一番だわ。お代わりもあるから全然大丈夫だし、残ったものはまた後日食べてちょうだい」
「色々とありがとうな本当に」
「だからいいのよ」
そうは言ってもな……。
でも……まさかこうやって彼女たちが俺の家に来ることになる日が来るとは思わなかった。数年間の長い年月、この家に出入りしていたのはずっと俺だけだったから不思議な感覚だ。
「隼人君?」
「あ、すまん」
そうだよな、この場には二人しか居ないしいきなり黙り込んだらちょっと気になってしまうか。俺は気を取り直して亜利沙の作ってくれたシチューを口に運ぶ。何度口にしても美味しいなという感想しか出てこないほど、自分の語彙力に無さに情けなくなって苦笑してしまう。
そんな中、ふと亜利沙が呟いた。
「隼人君、この間はごめんなさい」
「この間?」
亜利沙の言葉に俺は手を止めた。
この間、それが一体何を指しているのか分からないのだ。首を傾げる俺に亜利沙は教えてくれた。
「負担になるだろうし続けなくても、そう言った隼人君に私は見放された気がしたの。それであんな風に慌てちゃって……結果的に隼人君を困らせてしまったわ」
「……あ~あれか」
負担になるし大変だからここまで気を遣わなくていい、そう伝えると亜利沙が絶望したように狼狽えたあの出来事だ。
「……見捨てられたくない、あなたの役に立ちたい、そんな気持ちが先行してあなたを困らせてしまった。続けてほしいと言われた時は嬉しさでいっぱいだったけれど、あの時の私はどうしようもないほどに自分のことしか考えていなかったの」
「そんなことは……」
確かにあんな状態の亜利沙を見ていられなくて頷いたのは間違いない。でも決して無理矢理なんかじゃないんだ。彼女たちの優しさに浸りたくて、与えられる温もりを逃したくなくて頷いたのも間違いではないのだから。
俺はその場から立ち上がり亜利沙の元に向かった。
不安に揺れるように向けられる亜利沙の瞳、俺は手を伸ばして亜利沙の頭に手を置くのだった。
「……あ」
何というか、不安そうにしている子を落ち着かせるのはこれが一番だって誰かに教わったような気がする。目を丸くした亜利沙だが、すぐに目を細めて気持ちよさそうに俺の手を受け入れてくれた。
「確かにあの様子の亜利沙には驚いたよ。でも、今のこの状況を望んでいる俺が居るのも確かなんだ。家族が居ないこの空間に誰かが居る、その温もりを知ってしまったら手放したくなんてないからな」
「……それじゃあ」
「……えっと……その」
なんでここまで言って照れるんだよ俺は。
「……?」
だが、俺はそこで一つ気づいたことがある。
以前に亜利沙の瞳から不穏な何かを感じると思ったことがあった。でも今彼女が向ける瞳にあるのは純粋な何かで、決してあの時感じたような仄暗い何かは感じ取れなかったのだ。
「隼人君?」
そこで俺は頭を振った。
「……いつでも来てほしい。亜利沙の作ってくれるご飯好きだからさ」
そう伝えると、彼女は綺麗な笑みを浮かべて頷くのだった。
「えぇ、もちろんだわ!」
その笑顔を見て心臓が大きく脈打つと共に、俺は安堵するように息を吐いた。
それから雑談を交えながら夕飯を食べ終え、亜利沙と並んで食器を洗う。こうしていると咲奈さんの姿がチラつくあたり、大分あの人の事も脳裏に焼き付いているのだなと苦笑する。
「こうやって隼人君と並んで食器を洗っていると夫婦みたいね♪」
「っ!」
つい食器を滑らせて落としそうになってしまった。
無事だったお皿にホッとしつつ、いきなり何だと思って亜利沙に目を向けると彼女も彼女で頬が赤くなっていた。少しばかり潤んだ瞳に見つめられ、お互いに何も言えず時間が過ぎていく。
どちらからともなく視線を手元に戻し、思った以上の静寂の中でただただ水の流れる音だけが響いていた。
「あ、そういえばなんであんなに荷物が多いんだ?」
ふと思い出したことを聞いてみた。
亜利沙が今日俺の家に来る際に荷物を持っていたのだが、結構大きな鞄だったのだ。泊まりに来るわけでもないから着替えが入っているわけでもない、それなのにあの大きさは一体……そう思っていると亜利沙がそうだわと手をポンと叩いた。
「ごめんなさい隼人君、ちょっと任せてもいいかしら」
「? あぁ」
手を拭いて亜利沙はリビングを出て行ってしまった。
取り敢えず俺は残ったお皿を一人で洗う。しばらくして扉が開き、お待たせと言って亜利沙が戻ってきた。
「おかえ……りぃ!?」
振り向いた俺の目に飛び込んできた亜利沙の姿、それを見て俺は最近で一番の驚きを見せるのだった。戻ってきた亜利沙の服装が私服から一変し、俗に言うメイド服という衣装に身を包んでいたのだ。
ちょっと寒いんじゃないかと言いたくなる短いスカート、フリルの装飾が多いそれは正に何度も言うがメイド服だった。街に出ればメイド喫茶はあるものの、実際にこんな間近で見たことはなく……俺は驚きと共にバッチリ見惚れていた。
「ただいま戻りましたご主人様♪」
そう言って頭を下げる亜利沙の動きに連動するように、胸元の大きな膨らみも揺れて一層視線を釘付けにさせられる。これこそどうしたんだと疑問を抱く俺に亜利沙は傍に来て口を開いた。
「ここで隼人君のお世話をするなら必需品かと思ったのよ。メイドさん、隼人君は嫌いかしら?」
美しい亜麻色の髪を揺らして亜利沙は俺に目を向けた。
見惚れたのは間違いないが大きいのは困惑だ。如何に亜利沙とはいえ、いきなり居なくなったと思ったらメイド服で現れたのだからビックリするに決まってる。
「……可愛いな」
好きか嫌いか、その問いの答えのどれでもない素直な感想が無意識に出た。
亜利沙は少し目を丸くしていたが、薄っすらと頬を染めるのだった。
「嬉しいわね。結構デザインも凝ってると……っ!?」
その場で一回転しようとした亜利沙だが、ものの見事にツルっと足を滑らせて転げそうになったので瞬時に体を滑りこませた。なんかデジャブだなと思いつつ、俺は亜利沙を受け止めるのだった。
「大丈夫か?」
「……うん……っ……」
亜利沙を胸に抱き留める形になり、かなり近い距離に亜利沙の顔がある。亜利沙はそのまま俺の胸に額を付けるように抱き着いてくるのだった。
「しばらくこのままでいい?」
「……あぁ」
「隼人君、心臓がドキドキしているわ」
「そりゃするに決まってるでしょ」
「……そうね。だって私もそうだもの」
亜利沙は俺の手を取り、自身の胸に押し当てた。
「亜利沙さん!?」
メイド服の生地って柔らかい……ってそうじゃなくて!
五本の指全てが亜利沙の胸に沈み込んだ。恐ろしいほどの柔らかさ、恐ろしいほどの弾力……そして温かさを感じると共に彼女の鼓動が伝わってくるようだった。
「……え? もしかして……下着は?」
服の生地のみしか隔てるものを感じさせないこの感触はつまり、今亜利沙はブラを着けていないことになる。それを考えてしまい手に力が入ってのか、思わず指に力が入った。ぎゅむっと更に沈み込んだ指に亜利沙が悩ましい吐息を零した。
「ぅん……はぁ……ここからどうするのかしら?」
ぐっと顔を近づけてきた亜利沙から顔を逸らすように、そして同時に俺は我に返って手を胸から離した。
「……あまり揶揄うのはやめてくれ亜利沙」
「揶揄ってなんかないわ……中々強敵ね本当に」
マズい……何がマズいって見れば分かることだ。
こうして亜利沙と藍那の二人が家に来るようになってから本当にこのようなボディタッチのようなものが極端に増えた。俺の理性を溶かすように、或いは毟り取るように甘いフェロモンを彼女たちはこれでもかと放つ。
まるで学校で触れ合えないことを補うように……そして、ただのボディタッチならまだある程度は大丈夫。でも、彼女たちは心の内側まで容易に入り込むのだから。
「隼人君」
亜利沙は俺の顔をその胸に抱え込んだ。
優しく、温かく、安心させるように問いかけてくる。
「私は隼人君におかえりって言いたいわ」
「おかえり?」
「えぇ。あなたが帰ってきた時、決して孤独ではないと伝えたいの」
……ほら、こうやって彼女たちは俺を溶かしていく。
「私たちの存在に、声に、こうやって触れ合う瞬間に少しでも安らぎを感じることが出来るのなら、どうか甘えてほしいわ。受け止めてあげる、頑張ったねって言ってあげる。私があなたの温もりになってあげるから」
入り込んでくる言葉は決して鋭利な刃物ではない、やんわりと滲み込んでくる甘い蜜のようだ。溺れたい温もりと優しさを前に、最後に理性が踏み止まらせた。けれどもそれも罅が入り、徐々に壊れていく音が聞こえるような気がする。
「私が支えになるわ。ずっと、いつまでもあなたを支えるから」
溺れるとかそんなものではなく、俺はやっぱり惹かれていた。
どうしようもないほどに……その温もりを俺は求めていた。
【あとがき】
一応目標は十万文字なので、あと少しと言ったところですね。
一旦の終わりは既に考えていますが、そこから先を章の終了として続けるかはまだ決めていません。
亜利沙の小さな変化など、その先をこれから見届けもらえれば幸いです。
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