あの日、俺が新条家に泊まってから二週間ほどが経過した。こう言ってはいやらしく聞こえてしまうかもしれないが、あの時のことをいつでも思い出せるくらいには強烈な出来事として脳裏に残っている。


 まああの時の記憶を忘れろと言っても無理がある話で、つい気を抜いた時にいつも思い出してしまうのだ。


「……いかんいかん」


 頭を振って何とかやましい気持ちを吹き飛ばす。

 今は学校での授業中だから変なことを考えずに集中しなければ……っと、そんな風には思ってもやっぱり彼女たちの存在が消えてくれないのだ。


 というよりもあれから二週間が経過しているとさっき言ったばかりだが表では何も変わっていない、けれども裏では大きな変化が俺の周りでは起きていた。俺以外にそれが知られることはなく、ゆっくりと忍び寄るように少しずつ変化があった。


「それじゃあここまで、日直」

「はい。起立、礼」


 なんてことを考えているうちに授業が終わり昼休みになった。

 俺はいつもと同じように友人たちと共に学食に向かう。メニューを頼んだ彼らとは違って俺は頼んではいない。何故なら俺にはないはずの弁当が手元にあるからだ。


「なあ隼人、その弁当マジで美味そうだよな」

「羨ましい限りだぜ……本当に誰が作ってくれてんだよ」

「あはは……まあ良くしてくれる人がな」


 友人たちが見つめるのは俺が開けた弁当だ。

 栄養がしっかりと考えられ、肉や野菜などがバランスよく並んでいる。そう、まず一つの変化がこの弁当だった。

 あの日、藍那が俺に言ったサプライズはこの弁当だったわけだ。


『これから私たちが隼人君のお弁当を作るよ。自分のも作ってるし全然大丈夫だから遠慮はしないでね?』

『そうよ。だからどうか食べてほしいわ。それで感想を教えてちょうだい』


 その時は勢いに負けるように弁当を渡されたものの、それがこの二週間くらいずっと続いていた。彼女たちの気遣いにはもちろん感謝をしているが、それよりもやっぱり申し訳なさが先立ってしまう。

 けれど負担を全く感じさせない彼女たちだからこそ俺は甘えてしまっていた。


「……美味しいな本当に」


 学食では味わえない特別な温もりがこの弁当には込められているようにも感じ、いつも食べる度に俺はこの美味しさに頬が緩みそうになる。

 咲奈さんも加わることがあるらしく、三人が日替わりで弁当を作ってくれているのだがこの日は誰が作ってくれたのか……それが不思議と分かるようになった。何故かは分からないけど、既に頭が三人それぞれの味付けを覚えたのかもしれない。


「でもさ、なんか最近楽しそうだな隼人は」

「そうか?」


 食べる手を止めて俺は友人に顔を向けた。

 楽しそう、そう言われると確かにそうかもしれない。いつもと変わらない学校のことはさておき、友人たちと過ごす日々は間違いなく楽しいと断言できる。そしてその輪に加わるわけではないが、プライベートでよくしてくれる亜利沙と藍那、それに咲奈さんの存在が大きいのだろう。


「そうだなぁ……そうかもしれない」

「ほら、そんな風に笑うこともそこまでなかっただろ?」

「……なんだよめっちゃ見てんじゃん」

「たりめえだろ。大事な友達なんだから気になるって」

「母ちゃんにも寂しがってないか見てあげてって言われてるしな」


 お前ら……ちょっと気を抜いたら涙が出そうになるくらいには嬉しかった。

 ニカっと笑う友人、ポンポンと肩を叩いてくる友人。思えば母さんが亡くなってから空っぽだった俺を気に掛けてくれたのも彼らだった。友人の存在、やっぱりそれは俺にとってかなり大きかったと断言できる。


「……ありがとな」

「お、隼人が照れてんぞ~」

「可愛いでちゅねぇ」

「……前言撤回だ馬鹿野郎ども!!」


 人が素直に礼を言えばこれだよ全く!

 でも、当然喧嘩なんてするわけもなくお互いにケラケラと笑うだけだ。そんな風に昼食を終えた俺たちは教室に戻るのだが、その途中で亜利沙と藍那が友達と一緒に歩いているのを見つけた。

 彼女たちは俺を見つけるとこちらに歩み寄ってきた。


「やっほ隼人君」

「お昼は済んだの?」

「あぁ。今さっきな」


 そして、学校でも少しずつ彼女たちは俺に絡むようになったのだ。あくまで自然体に、違和感を与えないようにゆっくりと親しくなるように。そのおかげもあってこうして話していても彼女に想いを寄せる男子に絡まれることもなかった。


「じゃあ隼人、俺たちはトイレに行ってくるわ」

「おう」

「後でな!」


 友人たちはトイレに向かい、この場に残ったのは俺と彼女たち二人だけだ。

 彼女たちの友人は興味深そうにこちらを見ているものの、特に嫌な視線は感じなかった。


「ふふ、こうやって少しずつ隼人君と隠れずに話が出来るようになったね♪」

「そうねぇ。空き教室で集まるのもいつもは無理があるし」


 確かにこうやって学校でも話が出来るようになったのは嬉しかった。それに……俺は藍那に視線を向けた。


「ありがとう。今日も弁当凄く美味しかった」

「えへへ♪ どういたしまして」


 やっぱり今日作ってくれたのは藍那だったみたいだ。

 今日作ってくれた藍那にも、そして亜利沙と咲奈さんにも同じことが言えるけれど本当に俺の好みを抑えている。別にそういうことを話したことはなかったのに、バランスを考えつつ俺の好きな味付けなのでちょっとビックリしている。


「何度お礼を言っても足りないよ。本当にありがとう」

「いいんだって。私たちが好きでやってることだから」

「そうよ隼人君。あなたは何も気にしなくていいの」


 二人から向けられる笑顔に何も言えなくなるのもいつもと一緒だ。

 とはいえ、以前に流石にこれを続けてもらうのは申し訳ないから断ったことがあった。その時俺が伝えた相手は亜利沙だったけど……その時の彼女の慌てようは凄まじかった。


『いや……私、役に立ちたくて……いらない? 私……いらない?』


 どうしてそこまで、そう思ってしまうほどに絶望した目を向けられてしまった。目を離したら消えてしまいそうなほどに狼狽える亜利沙の様子に、俺はたまらずこれからも続けてほしいと言ってしまったのだ。

 ……正直、どうしてそこまでと思いはしたのだ。けれど俺はあの亜利沙の姿を二度と見たくなくてそれ以降も彼女たちの厚意に甘え続けている。


「良いんだよ隼人君」

「甘えていいのよ隼人君」


 二人が手を伸ばしそれぞれ俺の手を優しく握りしめた。

 俺が今に対して不安を抱く時、彼女たちはまるで俺の心を読んでいるかのようにこうして安心させるような行動を取る。……そのことに安堵し、もっと甘えればいいと考える俺が居る。


「……ありがとう二人とも。本当に」


 そう言うと輝くような笑顔を浮かべる亜利沙と藍那、そんな笑顔にドキドキして惹かれている俺が居るのも確かだった。

 あの出来事があってから俺は彼女たちと知り合ったけど、もう疑う余地もない。俺が彼女たちを助けたことで、彼女たちは俺を心の支えにしているのだ。それはもうどんな理屈を並べても導き出せてしまう答えだった。


 それから二人と別れ、俺は教室に戻りいつも通りの時間を過ごす。

 そうして授業が終わり放課後となったところで、学校を出た俺は自分の家に続く帰路を歩く。その途中で当然、新城家の前を通るのだが……そこで私服に着替えた亜利沙が居た。


「時間通りね。それじゃあ行きましょうか」

「あぁ」


 亜利沙の言葉に頷き再び歩き出す。

 向かう先は俺の家だった。


「どうぞ入ってくれ」

「お邪魔します」


 朝に言っていた変化、その二つ目がこうして彼女たちが家に来るようになったことだ。これが一番大きな変化と言っても良いかもしれない。夕飯を作るからと家に来てくれるようになったのだ。


 俺と一緒に家に入った亜利沙が向かったのはまず仏壇だった。亜利沙だけでなく藍那も家に来た時は必ず俺の父と母に挨拶をしてくれる。たとえ会えないとしても、父さんと母さんにはどうしても挨拶がしたいとのことらしい。


「今日もお邪魔します。お父さま、お母さま」


 目を閉じて祈りを捧げる彼女は何を考えているのだろうか。

 心を読めるわけでもないので俺にはそれは分からない。でも、こうやって彼女たちを見つめる機会があると落ち着いて考えることが出来る。


 彼女たちは間違いなく俺に依存している。そしてそれは俺も……。


 この場合、どうすればいいのだろうか。

 こういう時に頼れる何でも相談所みたいなものがあればいいのだが……なんてことを俺は考えるのだった。

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