仄暗い瞳をした少女たちの恋バナ
時刻は十一時半、まだ亜利沙は目を開けていた。
規則正しく呼吸を刻む隼人の横顔をジッと見ていたからだ。十時過ぎに隼人が眠ってからずっと、亜利沙は微動だにせず彼を見つめていた。流石に瞬きはしていたがそれくらいに亜利沙は隼人の寝顔に夢中だった。
「……隼人君、ずっと私があなたを支えるわ」
隼人に隷属したい、その気持ちは変わっていない。むしろもっと強くなったと言っても過言ではない。あんなに頼りになる隼人が見せた弱さ、それを知った時亜利沙はもっと彼の役に立ちたいと思ったのだ。
隼人が眠る直前、ありがとうと言ったのを聞いて亜利沙は歓喜した。その言葉がもっと欲しくてもっと尽くしたくなる。クールな表情の裏に隠された本心はこれ以上ないほどに幸福を叫んでいた。
「……ふふ」
眠り続ける隼人の手を握っている。この手から伝わる温もりが愛おしい、ずっとずっと握っていたいとさえ思える。欲を言うならば、今少しだけ発情している。それもあって眠れなかったのだ。
「……姉さん、起きてる?」
「えぇ」
そして、どうやら藍那も起きているらしい。
流石姉妹だこういうところはとても似ている。亜利沙と同じように、きっと藍那も隼人の横顔を眺めていたのだろう。既に眠っている隼人は気付かないが、彼が眠ってからずっと両サイドから視線を浴び続けていたということだ。
「眠れる?」
「寝れないわ」
「だよねぇ」
すぐ傍に想い人が居るのもそうだしお互いに体が火照っている。その状況で眠ることは少し難しい。これでもし一人だったら、今頃隼人の名前を口にしながら思う存分発散しているだろうことは想像に難くなかった。
「ちょっと夜風に当たらない? 寒いかな」
「別にいいわよ。風邪を引かないように上着は着込みなさい」
名残惜しくはあったが隼人の手を離し、亜利沙と藍那はベランダに出た。可能な限り物音を立てず、冷たい風が入り込まないように気を付けた。
「さっぶ」
「……でも今はちょうど良いかもしれないわね」
火照った体を冷やすにはちょうど良かった。
しばらく無言の状態が続いた時、藍那が口を開いた。
「今日は凄く良い日だったなぁ。信じられる? あの時私たちを助けてくれた救世主がそこで寝てるんだよ? 同じ部屋で、手を伸ばせば届く距離でさ」
「そうね……ふふ、夢みたいだわ。この時間を永遠の中に閉じ込めて、ずっと過ごしていたいくらいだもの」
「それ同感」
そんな世界になったらどれだけ幸せだろうか。
ずっと続いていく変わらない時間を隼人と過ごす、それを想像するだけでやっぱり体が疼いてくる。無意識に持ち上がった手は胸に触れ、亜利沙は甘い吐息を零す。
「姉さんは本当に堪え性がないんだから」
「あら、それをあなたが言うの? 随分お風呂で楽しんでいたじゃない」
「ギクッ……」
亜利沙の言葉に藍那は痛いところを突かれたような顔になった。亜利沙の言葉が示すように隼人の後に藍那は風呂に入った。いつもならただ体を綺麗にするだけの作業でしかない入浴、しかし今日に関しては隼人が入った湯船だ。彼の体液が混ざっていると言っても過言ではないお湯の中でそれはもうはっちゃけた。
「……凄いよねぇ。私お湯で妊娠出来るかもって本気で思ったもん」
「あなたね……」
「軽く三回は意識飛びそうになったし」
それはつまり三回も山頂への登山が成功したということだ。少しドン引きしそうになった亜利沙だが彼女も一回は同じことをしたので、回数の違いはあれど口煩く言える資格はないとして何も言わなかった。
むしろ逆にその時のことを思い出してしまった。
「……凄かったわよね」
「うん。凄かったぁ」
温かいお湯が全身を包むあの感触、言ってしまえば隼人に全身を包まれているようなものだ。亜利沙と藍那がそんな湯船に浸かればそうなるであろうことは容易に想像ができる。そして、それは彼女たちの母親でもある咲奈も同様だろう。
「私たち、本当に似たモノ家族だね」
「そうね。でも嫌とは思わないわ」
藍那もそれはそうだと自信を持って頷いた。
ただ、こうやって話をする中で亜利沙は自分の少し気持ちが分からなくなる。彼に尽くしたいと願う気持ちは隷属の心だが、純粋な好意もやっぱり持っているのだ。彼の道具になりたい、思う存分使ってほしい、けれども愛してもらいたい……そう強く思うようになった。
「やれやれ、姉さんもこういうところは頭が固いんだから」
「藍那?」
藍那は亜利沙の背後に回り、脇の下から腕を滑りこませるようにしてその豊満な胸元に手を当てた。突然のことでビックリしたものの、相手が藍那なので別にどう思うわけでもない。
「このおっぱいみたいに柔らかくした方がいいって」
「どういうことなのよ……」
溜息を吐いた亜利沙から藍那は離れ、クスクスと笑って言葉を続けた。
「いいじゃん隼人君からの愛を望んだって。姉さんが何を考えているか分かるけどさ、そう思う時点で恋をしてるのと同じでしょ? それなら望んだっていいじゃん」
「それでいいのかしら……」
彼からもっと望んでもいいのだろうか、もっともらってもいいのだろうか、そんなことを考えてしまう。けれど藍那の言葉はスッと亜利沙の心に入ってきた。彼に尽くし彼に愛される、それを想像するととても幸せになるのだから。
やはり少しだけ仄暗くはあるが、亜利沙は笑顔を浮かべた。藍那はその笑顔に満足したように頷き更に言葉を続ける。
「姉さん、私たちの想いはとても重たい……それは分かってるでしょ?」
「えぇ」
「絶対に隼人君を逃がしたくない、彼を私たちに依存させたい、私たちが居ないと生きていけなくさせたい……それくらい私たちは彼を想ってる」
亜利沙は頷いた。
「それに断言できるんだ……隼人君は絶対に堕ちる。私たちの元にね」
「……………」
「そして、私たちも一緒に堕ちるんだ。どこまでも、深い沼の中に嵌るように……絶対に抜け出せない場所まで一緒に堕ちるの」
頬を紅潮させながらそう言った藍那が口にしているのはただの欲望だ。けれど亜利沙はそれを笑うことは出来なかった。何故なら彼女もまた、それを望んでいるからに他ならない。
隼人は家族の温もりを求めている。
だからこそ、ポッカリと空いた彼の心の穴を自分たちが埋めるのだ。
「ま、堕とすとは言っても物騒なものじゃないよ。私たちを好きになってもらう、それが大前提だから」
「好きに……なってもらう」
小さく呟いた亜利沙に藍那はクスクスと笑った。
「なんかいけない作戦会議みたいな感じだけど、結局私と姉さんは隼人君のことが好きで好きで仕方ないってこと。他の誰にも渡したくない、私たちだけの存在であってほしいとそう思ってるだけなんだよ」
そしてそれはお母さんも同じ、そう藍那は締め括った。
亜利沙は胸に手を当てて考える。これから先、どんな時にも隼人が傍に居てくれる光景を。そしてその隣で文字通り死ぬまで支える自分の姿を……それはやはり、とても素敵な想像だった。
「……そうよね」
隼人は恩人であり尽くす相手だ。
だからこそ彼に迷惑は掛けたくないし、一辺倒に想いを押し付けて困らせることもしたくない――だが、彼が好きになり自分たちの愛に溺れるなら話は別だ。
仄暗い光を映さない瞳が隼人に向く。
必ず、彼を繋ぎ止める。それを亜利沙は今決めた。絶対に逃がさない、そう心に誓うのだった。
「って、いい加減私たちも寝よっか」
「そうね。大分気持ちは落ち着いてきたわ」
あまり夜更かしをしてしまっては肌に悪い、いつ求められても大丈夫なように完璧な状態で居なくてはならないのだから。
藍那と共に静かに部屋に戻り、相変わらず深い眠りに就いている隼人を見つめた。
「隼人君寝付き凄くいいよね」
「えぇ。寝返りとかも打たないのかしら」
眠ったまま体の位置は一切変わっておらず、規則的な寝息を立てる姿にちょっと感心してしまう。亜利沙と藍那も少なからず寝相が悪い時はあるし、藍那に至っては掛布団を蹴飛ばす回数は割とある方だ。
「……キスくらい、してもいいかな?」
「……いいのかしら?」
二人して頬を赤く染め、照れとは裏腹にガッチリと狙いを定めた目をしている。二人はそれぞれ自分が寝ていた位置に戻り、横にはならず隼人の顔を覗き込んだ。
「……よし」
「……えぇ」
そして同時に、二人で隼人の頬にキスをするのだった。
これ以上は追々にしよう、そう言って二人は横になった。ただ、隼人の布団に入り込むように密着した状態でだが。
「……っ」
「隼人君の匂いが……」
心は落ち着いたはず、体の火照りも冷めたはずだ。
それなのに再び熱を持つ二人の体――スケベな女共め、カボチャの被り物があったらそう嗤うであろう光景だ。
「……うぅん」
「え?」
っと、そんな時だった。
隼人がまさかの寝返りを打ち、亜利沙の方へ体を向けたのである。そして身近なものに抱き着くように、亜利沙の体を抱きしめるのだった。
「……あ、マズいわこれ」
何がマズいかは推して知るべし。
亜利沙の豊満な胸に顔を埋め、柔らかい感触が気持ちいいのか顔を擦りつける。そんな隼人の様子に亜利沙は大変機嫌が良かった。もう世界の時間よ止まってしまえ、そう心の中で叫んだほどだ。
「……むぅ!!」
そして、そんな亜利沙を嫉妬の眼差しで見つめる藍那だった。
「……隼人君」
自身も出来るだけ腕を伸ばし隼人の体に巻き付ける。大きな男の子の体を抱きしめることは当然ドキドキする。相手が隼人であるのもそうだし、風呂に入っていた時に続くボーナスタイムだわと亜利沙は満面の笑顔だ。
かくして、隼人を絡め取るように彼女たちは動き出した。
少しずつ、少しずつ彼の日常を侵食するように……悪意のない愛が彼を包み込もうとしていた。
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