やっぱり勝てなかったよ、いいやまだだ

「……どうしてこうなった」


 俺は呆然としながら浴室で呟いた。

 ここは俺の家の浴室ではなく、新条家の浴室になるのだが……えぇ?


「……えぇ?」


 いや、一番パニックになっているのは俺なんだけどさ。

 あの後、家族のことを話してしまい空気がしんみりとしてしまった。だが咲奈さんが突然立ち上がって俺を抱きしめ、安心させるように頭を撫でてきたのだ。俺としては当然驚いてしまったのだが、咲奈さんから伝わる柔らかさと温もり、そして声にとてつもない安心を感じていたのだ。


「……………」


 正直……母さんのような温もりを久しぶりに感じた気がした。

 そうなってくると驚きや恥ずかしさの前に不思議と落ち着いてしまい、俺は咲奈さんのされるがままだったのだ。まあすぐに入れ替わるように亜利沙と藍那が引っ付いて来たけど……何というか本当に気を遣わせてしまったんだなと申し訳なくなる。


「……結局泊まることも流れで決まったしな」


 話が終わればすぐに帰る予定だったのに、昼飯までいただいて結果的に今日一日泊まることになってしまった。もちろん最初は断ったのだが、三人から向けられた悲しみの目に俺は陥落してしまったというわけだ。

 もちろん美人親子の住む家に泊まることになった、それは俺にとってかなりドキドキすることになってしまったけれど意外と落ち着いているのが不思議だった。


「……ま、何も起きるわけないしな」


 咲奈さんはともかく、亜利沙と藍那が俺のことを悪く思っていないことは態度から理解できる。どこか危なっかしい感情が垣間見えるのも、俺の気のせいでなければ間違ってはいないと思う……その正体については分からないけれど、それもこれもあの出来事が齎した結果なんだろうか。


「……うがああああああああああっ!!」


 まあ色々と変な分析っぽく考えたが結局俺の頭の中にあるのは正しくこれだ。


「……落ち着いてる? 冗談じゃねえ緊張しまくってるわ馬鹿たれ!!」


 ごめんさっきは思いっきり嘘付いたわ。

 落ち着いているなんてことはないめっちゃ緊張してる。だってあの亜利沙と藍那の家だぞ? 美人親子の住んでいる家だぞ? こんなんドキドキするに決まってるじゃん俺だって高校生の男なんだからな!?


 こうやって悩みに悩んでいる俺を嘲笑うかのようなカボチャ顔が何故か頭の中に浮かんだ。結局あれは捨てずに部屋に飾ってるけど……もしかしたらあれがある意味呪いのアイテムでこんなことになってるんじゃないだろうな?


「……なんてな」


 そんなことはあり得ないか、俺は苦笑して改めて体を温めることにした。

 そうしていると、脱衣所の扉が音を立てて開いたのに気づいた。


「隼人君? 湯加減はどうですか?」


 どうやら咲奈さんみたいだ。


「凄くちょうどいいです。その……」


 やっぱり帰っていいですか? そう聞こうとするよりも早く咲奈さんの声が被されるように先に聞こえてきた。


「いいんです本当に。亜利沙と藍那も喜んでいましたし、それに隼人君には温かいご飯を食べてもらいたいんです。どうせカップ麺でも食べるつもりだったんじゃないですか?」

「……ぐぅ」

「ふふ♪ 会って初日ですけど隼人君のことが分かってきましたよ私には」


 ……流石大人だ。ぐうの音も出ない。

 確かに最近はもう料理をするのが面倒になってカップ麺塗れの日々だ。それは今日も変わらなくてお湯を入れて三分待って麺を啜ってご馳走様のはずだった。


「やっぱり……迷惑でしたか?」

「あ、いえそんなことはないです!」


 困惑はしているけど迷惑とは思ってはいない。


「むしろこんな良い思いをしてもいいのかなって――」

「いいじゃないですか」


 僅かな音を立てて俺が居る浴室と咲奈さんの居る脱衣所を隔てるガラスに彼女の手の平が映り込んだ。


「ご両親を亡くしてもあなたは挫けずに生きています。その上私たちは最悪の状況から助けてもらったんです。なら、これくらいの見返りがあってもいいでしょう?」

「……それは」

「ふふ、無駄ですからね。私もそうですし、亜利沙と藍那も今日はきっとあなたを逃がすことはないと思いますよ?」

「……つまり諦めろと?」

「その通りです♪」


 なるほど、どうやら俺は逃げられないみたいです。

 まあでも彼女たちの気遣いを受け取らないのもそれはそれで失礼なことかな。せめて何か間違いが起きないように鋼の意思で過ごすことを俺は決めた。


「それでは隼人君、ここに着替えを置いておきますね。夫のですから少し大きいかもしれないですけど」

「いえいえ、ありがとうございます!」


 泊まることは急遽決まったので当然着替えは持っていなかった。なのでパジャマと下着を借りることになったのだ。


「……………」


 何というか、旦那さんが亡くなって既に数年が経過しているはず。それなのに着替えを残しているのはそれだけ大きな存在だったってことなんだろう。もう使われないとしても捨てるなんてとんでもない、そう思っているのかもしれない。


「それじゃあ私はこれで失礼します。ゆっくり温まってくださいね」

「ありがとうございます」

「隼人君が着ていたものは全て洗濯しますから安心してください」


 本当に何から何まで申し訳ない。

 俺の着替えを手に取ったのか咲奈さんは浴室を出て行った。


『……ぅん』

「あん?」


 微妙に何か声が聞こえたような……気のせいか。

 お湯に浸かっていることで気が抜けているのもあるだろうし、気分が段々と落ち着いていくのもあって緊張は僅かながら和らいだ。咲奈さんが去ってから少しして俺は湯船から出るのだった。


「あはは……なんか他人の下着とかって落ち着かんよな」


 用意されていたパジャマとパンツ、さっきも言ったようにこれは咲奈さんの旦那さんが使っていたものだろう。パジャマはともかく、パンツともなるとなんか凄い落ち着かないんだこれが。


「……ええいままよ!」


 思い切ってサッと穿いてみた。

 妙な心地はするものの案外そこまででもなく、これならすぐに慣れるかなと俺は苦笑した。脱衣所から出てリビングに戻ろうとすると、ちょうど咲奈さんと出会った。


「あ、咲奈さん。お風呂ありがとうございました」


 たぶん俺の着替えの洗濯とか色々してくれていたんだろう。たぶんその帰りだと思うけど、どうしたことか咲奈さんの顔が赤かった。潤んだ瞳と荒い息、何というか凄く目に毒な光景を見ている気がする。


「……あ」


 っと、そこで咲奈さんが躓くように倒れそうになったので俺は咄嗟に動いた。咲奈さんの体を受け止めると、むわっと女性の甘い香りが鼻孔を擽ってきたのだ。まるで脳を犯すようなその匂いに思わず目を逸らしてしまう。


「……隼人君……良い匂いですね」

「えっと~?」


 あ、声が裏返ってしまった。

 咲奈さんは俺の胸元に顔を近づけ、クンクンと匂いを嗅いでくる。良い匂いとは言われても風呂上がりだからそれはそうだと言いたくなるけど……なんだこの咲奈さんから漂ってくる甘い雰囲気は。


「あの人と隼人君の匂いが一緒に……」

「咲奈さん!」

「……っ!?」


 肩に手を置いて少し大きな声で名前を呼んだ。

 一瞬目を丸くした咲奈さんは我に返ったように立ちあがり、ごめんなさいと一言口にした。


「謝ることじゃないですよ。どこか調子でも悪いんですか?」

「いえ、そんなことはありませんよ。本当に大丈夫ですから」

「……そうですか」


 さっきの倒れ方、まるで足に伝わる力が無くなったような感じだったけど……先ほどの妙な様子は鳴りを潜めており俺は首を傾げることしか出来ない。リビングに戻った咲奈さんは夕飯の準備に取り掛かり、俺の後に風呂に入るからと藍那は走って行ってしまった。


「お風呂はどうだったかしら?」

「凄い良い湯だったよ。気持ち良かった」

「そう、それは良かったわ」


 しばらくゆっくりしていていいからと言われ、俺は亜利沙とソファに座りながら雑談をしていた。


「隼人君は勉強は出来る方?」

「……う~ん普通かなぁ」


 勉強に関してはマジで普通としか言えない。赤点を取るほど頭が悪いわけでもないし高得点と取れるほど良いわけでもない。だから本当に普通なのだ。だが俺に比べて亜利沙と藍那はかなり頭が良いはずだ。しかも亜利沙に関しては学年トップの成績みたいだし。


「期末テストが近づいて来たら一緒に勉強でもどう? 私に教えられることならなんでも教えてあげるわよ」

「本当か? でもそれだと亜利沙の時間が……」


 所謂勉強会ってやつか、教えてくれるのはありがたいけど亜利沙の時間が勿体ないと思うんだが。そう言うと亜利沙はそんなことはないと首を振った。


「大丈夫よ。人に教えることで自分の勉強にもなるから」

「……あぁ良く聞くよなそれ。なら……お願いしてもいいですか先生」


 先生、そう言うと亜利沙はクスッと笑って頷いてくれた。


「分かったわ。先生としてしっかり教えてあげる。だから隼人君」

「うん?」

「私の時間、たっぷり使ってね?」


 私の時間を使って、なんて斬新な言い方なんだろう。

 それよりも一つ言いたいんだけどいいかな亜利沙さん……あなた俺と話してる時全く瞬きしてなかったけどドライアイになるから気を付けてね?




【あとがき】


カクヨムコンにエントリーしています。

ランキングのラブコメ週間と総合が一位でした。これもみなさんのおかげです。本当にありがとうございます。

※この作品はラブコメです。ホラーではありません。

 ホラーではありません!

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