被害者A
ここは小雨の降る深夜の商店街。濡れたアスファルトが不気味に黒光りしている。これから始まるドラマの撮影現場だ。
俺は小道具置き場のそばで演技の最終チェックをしている。
この役のオファーを受けてから四週間、俺は極限まで被害者Aこと
刑事ドラマやサスペンス映画を毎日見て殺される演技の勉強をしたし、近所の寂れた商店街で、深夜に一人リハーサルもした。それに、実際に演技のレッスンも受けた。
食費代は異常に高く感じるのに馬鹿高いレッスン代は安く感じてしまうのはなぜだろう…。
始めて頂いたちゃんと名前のある役だ。立派な演技をしよう。ここで間違う訳にはいかない。
殺人鬼役の俳優さんが、一つシーンを終わらせてカメラの前から帰ってきた。俺もそろそろ行かないと。
俺は目をぎゅっと瞑って頬をバチンと叩いた。よし、本番だ。
今まで見てきた映画やドラマの被害者の怯える声や断末魔が頭の中に響いてくる。
怖い。
死にたくない。
震えだした手をぎゅっと握りしめて、監督に指示された定位置に着いた。
――なんか…後ろのフードの人、俺についてきてないか?
用心深そうにゆっくりと振り返った。電柱の下にフードをかぶった人が立っている。
眉間にしわをよせ、俺は歩く足を速めた。すると、後ろのフードの人も俺にペースを合わせてきた。
台本を脳の中に広げる。内容が流れるように頭に浮かび、その通りに体が動く。不思議な感覚だったけど、心地よかった。
その時、背中に強い衝撃を感じた。いくら本物のナイフで無いとはいえ、致命傷を負う強さで刺されるシーンだから衝撃は感じる。できるだけリアルに「う゛ぐっ」と気管から掠れた音を出し、顔から地面に倒れこむ。
何度も練習してきた、恐怖に怯え痛みに苦しむ表情をつくる。そして、殺人鬼が俺の頬にナイフで×印を描く。鋭利なナイフで頬をざっくりと切り込まれた俺は痛みに絶叫した。
この殺人鬼は被害者全員の頬に×印を刻む習性があるらしい。ここから始まるドラマの為にも俺が掴みをしっかりやらないと…
俺の顔にカメラが近づいてきた。顔面のアップ、つまり俺の見せ場だ。
練習した通りに咳き込む。そして咳を上手い具合に止め、口に仕込んであった血糊を唇の端からたらす。
目から命の光が消えるのを再現するために、少し目を細めて瞳に照明の反射が入らないようにした。その後、胸が動かないように注意しながらも、だらりと全身の力を抜く。
そうして、
「カーット!OKです!」
極度の緊張のせいだろうか、俺の耳にはその声は聞こえていなかった。
「だ、大丈夫ですか?」
ピクリともしない俺を殺人鬼役の俳優さんが起こしてくれた。
「あれ、俺、今…あ、大丈夫です。」
一瞬、自分がどこに居るのか分からなかった。
ふと周りを見渡すと、現場の皆がこっちを見ていた。もしかして俺、何かミスったか?
「素晴らしかった。」
どうやら一発OKらしい。監督やスタッフさんが拍手してくれた。その時始めてこの役をやりきった実感が湧いてきて、胸がいっぱいになった。
帰り際、俺をオファーしてくれたスタッフさんが
「あなたを選んで良かった。また是非よろしくお願いします。」
と言ってくださった。それに監督にも
「滅多に見れないリアルな死ぬ演技だった。」
と褒めて頂いた。思い出す度に嬉しくて思わずにやけてしまう。
一話で死ぬ役を熱演したからといって、急にオファーをしていただける訳ではない。その後はいつも通りの冴えないバイト漬け生活に戻った。
一時の夢から覚めたような、なんとも言えない気分だ。
ある夜、俺は焼きそばをすすりながらいつも通りにスマホで映画を観ていた。
ピコン
せっかくの良いシーンだというのにやけに通知がうるさい。大袈裟なため息をつきながら通知を開いた。どうやらTwitterの通知のようだ。
フォロワーが増えている。
それも、大量に。
え、なんでなんで?とTwitterを見あさると、衝撃的なものを目にした。
俺の死ぬ演技のシーンの切り抜き動画が大量に投稿されている。しかも、『#宮本七瀬』というハッシュタグ付きだ。
『死ぬシーンリアルすぎて草』
『え、ほんとに死んでないよね笑』
『リアル過ぎて鳥肌もんだわ』
『宮本七瀬、これから来るんじゃね?』
吐血シーンや目からハイライトが消えるシーンの動画と共にコメントも大量に投稿されている。
これはもしかして…
バズった…のか?…
カメレオン 玻璃 @y_o_r_u-
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