カメレオン

玻璃

名もなきエキストラ



 俺って誰だっけ。



 ええと、確か…





 都会に鳴り響くサイレン。逃げ惑う男の荒々しい足音。一人の刑事がナイフに怯むこと無く男に立ち向かい、素早く動きを封じる。

「14時38分、逮捕!」

 ガチャ、という音とともに男の手首に手錠がはめられる。

 名推理で実績を残すイケメン刑事は爽やかな横顔で連続殺人犯を逮捕した。


 俺は突然目の前で繰り広げられる出来事に大袈裟に驚き、怯え、そして犯人の逮捕に歓喜する……演技をする。


「カット!」


 俺って誰だっけ、と役の名前を思い出そうとした自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。こんな役に名前はない。付けるとしても通行人Bといったところだろう。


 カットがかかった後の刑事役の俳優の笑顔が眩しい。監督のもとへ歩み寄る姿でさえもが映画のワンシーンに見える。

 俺はそっと楽屋に戻ろうと歩きだす。エキストラの仕事なんてこんなもんだ。



 ヒーローと、その他大勢。


 俺はその他大勢から抜け出せないでいる。




「あっ、宮本さん、宮本七瀬みやもとななせさん!」 

 後ろから名前を呼ばれた。宮本七瀬、俺の芸名だ。こんな格好いい名前が俺の本名な訳がない。本名はきっと全国に何千人といるであろう平凡極まりない名前。佐藤遥人さとうはるとだ。


 話とはドラマの役のお誘いだった。どうやら第一話の冒頭で殺される役らしい。でも、俺みたいな売れない俳優にとって誘ってもらえるほど嬉しいことはない。一秒でも画面に写れるのなら。一分でも撮影現場の雰囲気を体験出来るのなら。


 もちろん、やりますと即答で答えた。


 この監督のドラマのエキストラに応募しまくった甲斐があった。嬉しい。

 エキストラとは遊びのように見えてなかなかの仕事なのだ。 前のシーンの撮影が長引けば、何時間も余裕で待たされる。長い間拘束される割にはギャラは安い。時給で計算したら200円もいかない時もあるほどだ。つまり、ほぼボランティアみたいなもんだ。


 だからエキストラは人気が無い。俺の俳優仲間もみんなやりたがらない。でも、実際の撮影現場の雰囲気や、名俳優の演技を見学出来るから、俺はエキストラのに応募しまくっているのだ。


 最近、周りの友達がどんどん就職し始めている。俺はこんな仕事をしていて良いのかと毎晩不安に襲われる。

 でも、小さい頃からの夢を諦められなかった。俺は絶対に名俳優になる。そう心に決めているのだ。





「あぁーー疲れたぁー。」

 薄っぺらい布団の上に倒れこむ。何だかんだでこの瞬間が一番幸せだ。


 売れない俳優の生活は厳しい。当たり前だが、エキストラやちょっとした役だけじゃ食べていけない。だから俺はバイトを大量に掛け持ちしている。


 エキストラで半日現場にいたからと、その分の仕事を次の日に詰め込んだ俺が馬鹿だった。


 のそっと起き上がるとボロいアパートの狭いキッチンに向かう。適当な皿に適当にキャベツの千切りと茹で玉子と塩をのせる。

 本当はカップラーメンとかで済ませたいが、腹にたまらないくせに高いのだ。


 いつも、大型スーパーの週末のタイムセールでキャベツや貧乏人の味方のもやし、これまた安い卵、納豆などをまとめ買いしている。時間がある時に大量のキャベツをスライサーで千切りに、卵は茹で玉子にして保管しておき、ご飯のおかずとして食べている。こっちの方が断然節約できる。


 それにカップラーメンより体にも良い。俳優にとって顔は命みたいなものだ。ラーメンばかり食べていたら肌も荒れるし太る。

 まぁ、深夜のコンビニバイトと毎日のストレスのせいでニキビが出来ているから意味無いんだけどな。


 食事をするときはいつも映画を観ている。演技の勉強にもなるし、話題の俳優さんのチェックもできて一石二鳥だ。


 死ぬ演技か…。


 ネットで死ぬ演技が上手い映画を調べ、それを観て勉強するか。

 俺はスマホのアプリを開いた。



 忍び寄る影、脇腹に突き立てられる鋭利なナイフ。鈍い痛みに振り返る青年。その目は大きく見開かれ、自分から流れ出る真っ赤な血液を絶望した表情で見つめる。

 もう一度突き立てられるナイフ。鈍い痛みが強烈な痛みへと変化する。黒いフードの向こうで犯人は青年を見下ろす。生きようともがく青年は激しく咳き込んだ。暫くすると、その瞳からは希望が消え、体が動かなくなるにつれて漆黒に染まっていった。


 ――死ぬときは目から光が消えるのか。…あの咳き込みはどうやってやれば良いんだ?この人は体を仰け反らせるようにして…




 はっと気がつくと、もう日付が変わろうとしていた。晩飯を食べた始めたのが十時頃だから、二時間もこのシーンを観ていたことなる。俺は時計の回るスピードに絶望した。


 やばい。明日は早朝からのバイトがあるのに…。


 急がないといけないのに、何故か頭の中が恐怖感で包まれていて体が動かない。鳥肌が止まらないし、心臓がバクバクと暴れて肋骨を叩いている。


 ――し、死ぬ。嫌だ。誰か助けて!死にたくない、死にたくない…


 自分が死ぬ訳でもないし、目の前に殺人鬼がいる訳でもないのに俺は一人で震えていた。


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