Ep.34 個と全
後半戦でいきなり逆転を許したのは、アクルクスにとっては苦しい展開だった。
アクルクスの
チームで特にそのしわ寄せを受けているのは、瑠衣だ。彼女は、ドローのたびに木寅を封じようと、ジャンプを繰り返している。速攻のときも、空中のボールを強引にジャンプでキャッチする空中戦法を多用するため、瑠衣の足は限界に近いはずだ。
現に、得点を許した後のドローでも、瑠衣はボールをキープできず、ウィンディーネボールになっている。
ゲームを見ているのが苦しい。こんな展開になったのも、自分が相馬とのマッチアップを希望したのが原因だ。
ぐっと奥歯を噛みしめフィールドを見つめていると、須賀が同じようにフィールドを見遣りながらいった。
「監督の俺ができることって、せいぜい試合前に、お前たちが戦えるよう環境を整えたり、相手チームの情報を集めて戦術を考えたりすることだけなんだよ。動き出したら、考えるのは、お前たち選手だ。いくら情報と、戦術を与えたって、選手のお前たちが使えなきゃ話にならない。でもな、だからこそ、見ていてもどかしいときもあれば、びっくりさせられることもある。こんなやりかたが、あったのかってな」
チームが追い詰められているというのに、須賀はどこか楽し気に口元を吊り上げて笑っている。
「永忠。小山内コーチがなぜおまえを下げたか、俺にはわかる。けれど、それを考えるのも、やはり選手のお前じゃなきゃだめだ」
下げられた理由なんて、考えなくてもわかる。円華は前半で相馬と相対して、抑えられずに三失点している。チームプレーができなければ替える、といわれ、そのとおりになっただけのこと。
「北極星ってさ、ずっと変わらずにそこにあるだろ?」
突然、星座の話になり、円華は思わず須賀の方を振り返る。須賀は構わずに続ける。
「でも、あの星もこぐま座っていう星座の一部でしかないんだよな。そして、こぐま座自体は、北の空を絶えず回ってるんだ。視野が違えば、同じものでも違って見える。チームだって同じだと思うぞ、俺は」
そういったきり、須賀は口を閉ざした。
フィールドでは、ウィンディーネの攻撃が続いている。またもや相馬に絶妙な位置でパスが渡り、星南が立ち塞がる。しかし、今度も相馬の切り返しに星南は翻弄される。さっきのフェイクからのパスで、シュート、パス、ダッジのどの選択もあり得ると認識している守備陣は、動きを予測し守りを広くしなければならず、その分、守備陣の連携に穴ができやすい。
相馬の選択は突破だった。
しかし、星南を抜いて振り向きざまに放ったシュートは、裕子が伸ばしたクロスに弾かれた。
英子が素早く反応して、ボールを奪うと、得意のロングフィードで、中央の瑠衣にパスを送る。
アクルクス得意の速攻。
しかし、瑠衣の助走と跳躍のタイミングが合わず、瑠衣の数メートル先にボールが落ちて、両チームの選手が一斉に群がりグラボ合戦になった。密集状態から抜け出したのは、美海だった。
美海は右サイドにドライブし、ボールを受けに来た千穂にパスを送る。
千穂はサイドライン際をゆっくりと流すように走る。18番と41番が前後から詰めてボールを奪いに来た瞬間、千穂は左足を踏み込み、瞬時に加速して左サイドから右サイドへ、弾丸のように一気に駆け抜けていく。そのスピードに18番と41番はあっという間に置き去りにされる。
2番の宇代が追走しようとして、すぐに諦めた。全速力で走る選手に無理に割り込めば、逆にチャージングのファウルをとられる可能性がある。
それに、千穂のあのスピードでゴール真正面に進路を変えるなんてまず不可能。
取り得る選択はゴール裏からの1オン1。
宇代がゴール裏に意識をむけた、その瞬間。
千穂の走路に交わるように、泉美が走り込んでいた。
円華は思わずベンチを立ちあがって目を見開いた。
宇代と泉美を結ぶ線上に、千穂が入った瞬間、彼女はボールをトスした。
まるで宙にボールが静止しているようだった。
ディフェンスの宇代は、走り抜ける千穂に気を取られ、そのトスに気づいていない。
泉美がボールを奪取し、まっすぐにウィンディーネのゴールエリアに突っ込む。
その意表を突いたシュートを、ゴーリーの卯野原が止められるはずがなかった。
「よしっ!」
須賀が興奮した声をあげ、両手に拳を握って立ち上がる。
円華は茫然とチームメイトたちの歓喜の声をきいていた。
個々の力をつなげてもぎ取った、その一点を喜ぶ声を。
ゲームは4対4の同点のまま、第3クォーターが終了する。
ベンチに集まった選手たちは、全員、息も絶え絶えでクロスを杖のように地面に突き立てて、ようやく立っている。
クォータータイムは二分間。その間に彼女たちの体力を全快させるなんて到底無理だ。
残り十五分の試合時間がこんなにも長く感じられるとは想像もしていなかった。
「るい、もう無理なんだけど……」
瑠衣は自分の太ももを拳で何度も叩く。友美も頷く。
「ありがとう、瑠衣。よく頑張ってくれたわ。最後のクォーター、ドロワーは星南、右のミディに千穂、右のアタックに円華。要するに、いつものポジションで行く」
「あの……」
円華はおずおずと口を開く。チームメイトたちの視線が円華に集まった。
「すみませんでした。ボクがわがままをいわずに、最初からこの布陣を敷いていれば、もっといい展開になっていたかもしれないのに。ボクは自分のことだけを考えていて、チーム全体のことを考えていなかった」
頭を下げた円華に、星南がいつもの感情のほとんどこもらない、冷めた声できく。
「円華、チームに必要のないものはなに?」
「個人の我儘ですか?」
星南はすぐさま「いいえ」と首を振る。
「挑戦をしない者と、挑戦した結果を貶す者よ。円華が相馬とのマッチアップに挑戦して、得たものは絶対に無駄にしない。それが、チームよ。最後のクォーター、勝負は円華にかかってるわ」
円華の身体の中で大きな水風船が破裂したみたいに、涙が溢れる。
「ありがとうございます、キャプテン」
「さあ、泣いても笑ってもラストクォーターよ。あたしたちも、チームとしての限界に挑戦しよう。それで、必ず勝利を掴もう!」
泉美が頭上に掲げたクロスに全員でクロスを突き合わせ、最後の十五分を戦うために選手たちはフィールドに駆けだした。
第4クォーターが始まった。
予想通り、ウィンディーネは選手を入れ替え、スタミナでは圧倒的にこっちが不利だ。
星南と木寅がセンターサークルでクロスを重ねて立っている。瑠衣より技術があるとはいえ、星南も肩で息をするほど疲労がピークにきている。
なんとかして、ボールを奪わなければいけない。
ホイッスルが鳴り、ドローボールが高く上がる。
円華はタイミングを見て、走り出す姿勢をとり、一歩下げた左足を蹴る。つられて、隣にいただ41番が動く。
その瞬間、ピィーッ! と、ホイッスルが鳴った。
「沖縄学院41番、トゥーアーリーです」
ドローの際、センターサークル内と、サークル付近に配置された選手以外は、リストレイニングエリア内で待機し、どちらかがボールを獲得するまで線を踏み越えてはいけないルールがある。
円華がほんの一瞬早く動き出す動作を見せ、つられた41番がリストレイニングラインを踏み越えていたのだ。隣で41番が円華を睨みつけている。思わず円華は笑いそうになった。
そう、ボールを奪うのは、何も相手のクロスをチェックすることだけじゃないんだ。
ボールが星南に与えられ、ゲームが再開する。
星南の選択は中央突破。ゴール前を守る宇代が、星南のディフェンスにつく。
ダッジで切り返し、右から左へとステップするものの、星南も前半に見せたほどのキレはない。がっちりと宇代が星南の進路をブロックする。
「キャプテン!」
円華はマークの41番を振り切ってフリーになり、パスを呼ぶ。すぐに反応した星南から真一文字に円華のクロスめがけてボールが飛ぶ。
ゴールとの距離は約15メートル。ウィンディーネの守備はまだ整っていない。
確実に得点をするなら、もっと近づいてからシュートをするべきだろう。でも、それじゃダメだ。フリーのボクが、今ここでシュートしなければ!
円華は前方にステップを踏み、クロスを振りかぶった。
「入れぇッ!」
渾身のシュートがウィンディーネゴールめがけて放たれる。
しかし、力み過ぎたのか、ボールはゴールの枠をとらえられず、ゴールバーを越えてしまった。
そのとき、ボールに向かって、まっすぐ走る選手がいた。
千穂だった。
ラクロスでは、シュートがエンドラインを割ったとき、ボールに一番近い選手にボールが与えられる。そのため、シュートを放ったときに、ボールを追うチェイスという動作をする。
千穂は、ドロー後に右サイドを一気にゴール前まで駆け上がり、円華がシュートを放つと同時に、チェイスに走っていたのだ。
「ナイスチェイス、千穂!」
泉美が千穂にサムアップしている。
千穂はかすかに笑いを浮かべて円華にいった。
「走るのはわたしの役目だから、円華ちゃんは気にせず、ばんばんシュートして!」
千穂のボールでゲームが再開される。ボールはゴール裏の泉美へ、そして、左サイドの美海へと渡る。
もう一回やらなきゃいけない。
円華は右サイドにカットインしてボールを呼ぶ。美海からパスを受け、もう一度ウィンディーネのゴールめがけて走り出す。
そのとき、彼女の前に大きな影が躍り出た。
相馬だった。
前線にいたはずの相馬が、ここまで下がって円華と1オン1を挑んできていた。
「悪いけど、これ以上好きにはさせないよ」
相馬は円華と並走し、クロスを伸ばす。
身体でクロスを隠すように持ち替え、そのチェックをかわす。
「ボクのほうこそ、今度こそは、あなたを越えてみせます!」
円華は右足を踏み込んで急制動をかけて切り返すと、左足を軸に相馬に背中を向けてロールする。
相馬がロールの一瞬の隙をついてチェックを狙った瞬間、円華はさらに右足を強く踏んで切り返し、短距離選手のスタートのように、深く沈み込み両足に力を込める。
相馬のクロスは空を切り、彼女は驚愕に目を見開いていた。
そこにいたはずの円華はすでに相馬を置き去りにして、稲妻が空を走るように、ウィンディーネゴールにめがけて駆け抜けていた。
「止めて!」
振り向きざまに相馬が叫んで走り出す。
41番が円華を食い止めようと、全力で距離を詰める。そのとき。
ピィッ!
甲高いホイッスルの音が響く。その瞬間、フィールドの選手が足を止め主審を見た。主審は両手を胸の前でクロスするジェスチャーをしながら宣言した。
「沖縄学院41番、フリースペーストゥゴールの侵害です」
41番がマークにつくよりも早く、円華が11m半径内に入っていたために、41番はシュートコースを妨害したとみなされファウルをとられたのだ。
11m半径内で攻撃中にファウルを受けた選手には、11m扇上にフリーポジションが与えられる。サッカーでいえばペナルティキックだ。相手チームの選手は、フリーの選手から4メートル離れた位置から審判の合図でリスタートになる。
指定の位置についた円華は、手の中でクロスをクルクルと二回まわす。クレードルの癖がついているせいか、つい無意識にそうしてしまう。
クロスをきゅっと握りなおし、やや前傾姿勢をとって、左足を引く。
ゴールと円華の間をに立ちはだかるのは、ゴーリーただ一人。
円華は短く息を吐く。
今、ボクにははっきり見えている。一度は諦め、見失いかけた夢への道筋が、一筋の光となって、この足元から11m先のゴールを越えて、遥か彼方まで続いているのが。
「感謝します。相馬さん……」
試合再開のホイッスルと同時に円華は強く足を蹴って飛び出す。
円華の左右から2番と41番が同時に駆けだし、円華の前方にクロスを交差するように伸ばす。
しかし、二人のクロスがコースを防ぐよりも早く、円華が放った渾身のシュートは、ゴーリーに反応する間すら与えずにゴールネットを揺らしていた。
得点を知らせる笛の音とともに、円華は高々と右の拳を突き上げた。
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