Ep.32 開幕と挑戦
青い芝の匂いがグラウンド全体に立ち込めていた。
すっきりと晴れ渡った秋空から降り注ぐ陽光は柔らかく、風も穏やか。まさに絶好のラクロス日和だ。
福岡で開催となった九州沖縄地区中学生高校生ラクロス選手権の予選リーグ。
校長の禎が支援を呼びかけた夢星基金には、全国の島出身者から支援金が集まり、アクルクスのメンバーは、無事にこの予選リーグに出場することができた。
前日に競技場近くのホテルにチェックインしたアクルクスの選手たちは、移動の疲れもなく、みな気力に満ち溢れた顔つきをしている。
試合開始三十分前になり、グラウンドでの練習が始まる。初めての公式戦で多少の固さはあるけれど、緊張で動けない程ではない。ボールを扱っているうちに、動きにもいつものキレが戻ってきた。
アップを終えた選手たちは須賀と友美の元に集合し、試合前のミーティングになる。
「今日の五峯高校戦だけど、いつも通りにやっていれば苦戦するような試合にはならないはずだ。ただ、明日のウィンディーネ戦が控えていることも考えて、ペース配分だけはしっかり考えるように」
「はい!」と、選手たちが声を揃える。
「序盤に前線へのロングフィードを使って、なるべく得点をすること。中盤以降、瑠衣と千穂は温存するから、
「はい!」
ポジションに着く前に選手たちが円陣を組む。左手で肩を組み、右手に持ったクロスを円陣の中心で重ね合わせる。
「今日が日本一への最初の一歩よ。これまでの苦しい練習も、あの夏合宿もいってみたら、プロローグ。映画でいえば、本編前の予告編よ」
「セナ、島には映画館がないわ」泉美がいう。
「とにかく。これまでわたしたちが刻んだ足跡は、飛び立つための助走。みんな、準備はいいわね」
円陣を組む腕に力がこもる。
「勝利を目指して翔べ!」
「アクルクスッ!」
全員でチーム名を叫びクロスを突き上げる。まるで芝の緑に花火が開くように、十一人のクロスが放射状に広がった。
五峯高校はラクロスの教則本を、そのままプレイにしたような堅実な戦い方のチームだった。
逆にいえば意外性はなく、同じように練習を重ねてきたアクルクスにとっては、いつもの練習通りにすれば、十分に対処できる攻撃だった。
ディフェンス陣は八千代を司令塔にマンツーマンディフェンスを展開し、相手チームに有利な状況のシュートを打たせないことを徹底する。そうすることで、シュートを打たれても、ある程度コースが限られるため、楓の反応速度があれば、セーブすることは難しくない。
楓がセーブできれば、あとは得意の速攻だ。
英子の正確なロングフィードでボールを前線に送れば、選手たちはドライブで余計な体力を使う必要はない。おまけに、瑠衣の空中戦や、千穂と泉美のスピードを使ったディフェンスの攪乱など、普段目の当たりにすることがない多彩な攻撃に、五峯高校のディフェンス陣は早々に崩され、終わってみれば、7対2と快勝で予選一日目を終えることができた。
「まずは一勝、みんなよく頑張ったわ!」
宿舎に戻り、会議室に集まった選手たちに、友美が称賛を送った。
「もちろん、まだ明日も試合はあるし、油断は禁物だけれど、今日を勝って明日を迎えられるかどうかで、試合に臨むスタンスは大きく違ってくる。この一勝は本当に大きいわ」
一月に行われる全国大会への出場権をかけたこの予選では、十二の高校がAからDの四つのグループに分かれてリーグ戦を行い、各リーグの一位が二週間後の決勝トーナメントに進出することになっている。一勝したアクルクスは、明日のウィンディーネ戦に勝利すれば、無条件で決勝トーナメントの進出が決まる。
「実際、チームは明日のウィンディーネ戦に焦点を合わせて、これまで練習をしてきたし十分に研究もしてきた。だから、今からああしろ、こうしろということはないわ。あえていうなら、しっかりと休んで、体力回復に努めること。いいわね」
初勝利に浮かれた様子もなく、選手たちは真剣な眼差しで返事をした。
「あとは他になければ、ミーティングは以上だけれど……」
「すみません、いいでしょうか」
手を挙げたのは円華だった。
「明日のウィンディーネ戦、ボクに相馬選手とのマッチアップをさせてもらえませんか」
円華の提案に、星南は眉間を寄せた。
「そうする合理的な理由があるの?」
「相馬選手はパス、ダッジ、シュート。どのプレイを選択しても、高い精度で成功させることができます。ディフェンスは、その三つのうち、どのプレイを選択するのかを考えて対処しなければならない。だけど、ボクはこの三か月間、相馬選手のダッジに対応するために、練習を重ねてきました。相馬選手の三つの脅威から一つを取り除くことができれば、とりうる戦略は変わるし、ディフェンスの負担も減ります」
「でも、こっちの攻撃力はその分落ちることになるわ」
円華はアクルクスにおいて、星南と並ぶ攻撃の要だ。相手陣内に鋭く切り込むフットワークも、一瞬の状況判断でのボールの処理も優れている。小柄だがフィジカルが強く、ディフェンスに当たり負けないのも彼女の武器だ。その円華を相馬とマッチアップさせるとなると、ポジション的には中盤や後衛にせざるを得ない。攻撃に特化できないデメリットもあるが、中盤から攻撃参加するとなると、その分、円華の運動量が増えることになる。
交代選手の少ないアクルクスにとって、無駄に運動量をあげる戦略は取りづらい。
「セナ、やらせてみたらどうかな」
そういったのは泉美だった。
「決勝進出するためには、明日は勝たなきゃいけない大事な試合よ」
「大事じゃない試合なんてないよ。誰にとっても。要するに、円華にとっては相馬さんとの直接対決が、超えなきゃならない壁だってことでしょ。それに、円華がマッチアップすれば、ヤチもセナも動きやすくなる。単純に戦力の低下につながるってことはないんじゃない?」
「だけど……」
まだ納得できないように、星南が反論を重ねようとしたところで、友美がいった。
「わかった。明日は星南と円華のポジションを入れ替える。で、ドロワーには瑠衣が入って」
「ちょっと待って、るいには荷が重くない⁉」
慌てたように瑠衣がいう。友美は真剣な顔で、「いえ」と否定する。
「ウィンディーネのドロワーの木寅は真上にあげて、自分で捕るスタイルよ。コントロールに相当自信があるみたいだけれど、空中戦なら瑠衣に分があるわ。それと、星南が前線に出るぶん、千穂はベンチスタートで温存するわ。代わりに佳弥子が入って。このオーダーに異論がある人は?」
選手から友美への反論は出なかった。
「じゃあ決定。ただし、円華。あくまでこれはチームとしての戦いよ。チームプレーができていないと判断したら、躊躇なく替えるわ。いいわね」
「はい、ありがとうございます」
円華は深く頭を垂れた。
翌日の早朝。
円華は、宿舎近くの公園で一人ウォーミングアップをしていた。
昨日の疲れもほとんど影響なく、コンディションは引き続き良好だ。
むしろ、合宿以来ずっとやってきたルーティーンがあって、それをこなさなければかえって調子が出ない。
合宿で相馬の圧倒的なステップとクロスワークを目にしてからというもの、円華の脳裏にはいつもその姿が焼き付いて離れなかった。
星南のドライブを疾風と表現するなら、相馬は流水。笹舟が川を流れるようにしなやかで、つかまえたと思ったらひらりとかわして、いつの間にか通り過ぎている。
1オン1という、ラクロスにおいてもっとも重要なスキルを、極限まで美しく昇華させた彼女を越えることができれば、あるいは日本一という星南の掲げた目標にも、近づくことができるはずだ。
円華は深く深呼吸し、真冬の冷たい空気で肺を満たすと、まるで棒術の稽古でもするかのように、クロスを振りかざした。
試合前のミーティングを終え、選手たちは招集に従ってセンターラインに整列する。
合宿の練習試合で快勝していたからか、ウィンディーネの選手たちの表情には余裕すら感じられた。
ドローをするためにセンターサークル内に瑠衣が立ち、ウィンディーネの3番木寅と対峙する。
「ドロワーは日比井さんだと思ってたけど。調子でも悪いの?」
「セナっちが出る幕じゃないってさ」
「あっそ……試合後に後悔しても遅いわよ」
二人がクロスを合わせドローセットする。ホイッスルが鳴り、ボールが頭上高く弾き飛ばされた。やや木寅側に落下する軌道。相当正確にコントロールされてる。
けど、ジャンプ力ならどうだ。
瑠衣は腰を沈め、勢いよく跳躍して手を延ばす。
木寅がキャッチするより早く、瑠衣のクロスがボールに触れる。が、ポケットには収まらず、弾かれたボールはサークル外でグラウンドボールになる。
素早く反応してキープしたのは、ウィンディーネ32番だ。佳弥子が素早く彼女のマークにつき、プレッシャーをかけながらサイドラインに押しやる。
「こっち!」
木寅がミートして32番からのパスを受け取り、カットインしたキャプテン相馬にパスを出す。
相馬はゴール右サイドに展開し、いきなり円華との1オン1になる。相馬は一度フェイクをいれてダッジを仕掛けるが、円華はその動きに反応し、サイドステップで並走する。相馬は円華を引き連れたままランニングシュートを放つ。
しかし、円華の肩越しに強引に放ったシュートは、素早く反応した楓のゴーリークロスの中に収まった。スタンドから「うおお」と、低い唸り声のような歓声が上がる。
「ナイスセーブ、楓! 速攻だ、英子!」
八千代の指示で楓が英子にパスを送り、同時に瑠衣が中央に向けて走り出す。
英子は目一杯クロスを振りかぶって、前線に向けてロングフィードする。
ボールを追って、ウィンディーネの選手が走る。
「12番を抑えて!」
相馬が戻りながら叫ぶ。18番の選手が瑠衣に突っ込んでくる。構わず、瑠衣は助走し跳躍する。今度はクロスのポケットにばっちりボールが収まった。
「セナっち!」
空中でキャッチしたボールを、身体を捻って右サイドの星南にパスする。
ボールを受けた星南が一瞬で加速して、ディフェンスの41番をあっさりとかわし、11mエリアに進入する。
ディフェンスに入ろうとした2番の宇代を、泉美がピックで抑えているうちに、星南は走りながらクロスを振りぬいた。
ボールはゴーリー卯野原の足元でバウンドして、ゴールネットを揺らした。
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