Ep.30 無心と無理

 夏休みが終わり、学校生活も元の日常を取り戻しつつあった。

 それでも、早朝のランニングは相変わらず続けているし、校門が開くと同時に、朝練を始めるのも夏休みと同じ。ただ、日中は授業があるので練習はできない。

 最近、佳弥子たち一年生の五人は、授業の合間の休み時間に、中庭のテニスコートで、クロスとボールを使わない3オン2の練習をし始めた。パス回しをする代わりに、二人が鬼役となり、子役の一人をつかまえる。子役は二人からフットワークを駆使して逃げ、残る二人は子役を鬼役から守るのだ。

 意外なことに、このトレーニングも実際のプレーの中でかなり生きていた。


 3オン2では、ディフェンスの裕子と英子に関していえば、明らかに夏休み前とは動きが違ってきている。以前は、オフェンスに対して突破を阻止するようなディフェンスだったのが、今はオフェンスの動きを、自分たちが守りやすい場所に逃がすようなポジション取りができている。合宿で楓がアドバイスをしたのが、確実に身についている。


 実際、これまで3オン2では千穂や瑠衣、美海に泉美といった体力のある二年生に分があったのに、今では互角どころか、一年生のディフェンス組のほうが罰ゲームをさせられる回数が少なくなっている。連携がうまくかみ合うと、あの星南でさえシュートを外すことがあるくらいだった。

 この日の練習でも、一年組はなかなかいい動きを見せていた。

 泉美の攻撃を防ぎ切った英子が、シュート練の列に並ぶ部員たちを見ていった。


「そういえば、今日は日比井キャップまだ来とらんな」

「セナだったら今、生徒会の部長会議に出てるわよ」

「イズ先輩、キャプテンひとりで行かせて大丈夫なんですか?」

「……さすがに大丈夫でしょ、多分」


 泉美は自信なさげにこたえた。どことなく、部員たちの表情が不安に曇った。

 一時間後、部長会議を終えた星南は、グラウンドに来るなり美海と泉美にいった。


「二人とも明日の昼休み、時間取れるわよね?」

 普段から愛想の悪い星南だが、明らかにその声に不満の色が滲んでいる。

「どうしたの。藪から棒に」

「明日、校長に直談判する」

「はぁ⁉ 直談判って、どういうこと⁉」

 泉美が声を裏返して、シュート練習の列に並ぶ星南のあとを追った。

「やっぱり、何かやらかしたんやろな」

 なぜか嬉しそうに英子がいう。裕子は額を抱えて大きなため息をつくしかなかった。


「で、他の部の予算を寄越せと主張したと……」

 泉美は呆れを通り越し、唖然として星南の言葉を繰り返す。

 すべての練習メニューを終え、用具を片付けながら、泉美は星南から今日の部長会議の経緯をきき出していた。

「だって、これから地区予選が始まるのよ。全国出場をかけて予選リーグを勝ち抜かなきゃいけない。遠征費用だってタダじゃないの。勝ち目のない弱小部に予算をつけるくらいなら、ラクロス部に予算を付け替えたほうがよっぽど有意義な使い道よ」

「あのね、気持ちはわかるけどいくら何でもそれはいいすぎ。それじゃあ、他の部の子たちはどうでもいいっていうの?」

「そうよ」

 あまりにもはっきりといい切るので、泉美は言葉が出てこなかった。

「それで、校長に直談判っていうのは、そのことをいうの? 部の予算を増額しろって?」

「それ以外に何をいうの?」

「そんな要求が通るはずないでしょ」

「やりもしないで、なんでわかるのよ」

「無茶だからよ。そんな前例もないこと、学校がやるわけないでしょ!」


 それをきいた星南が泉美を見る。ラクロス部を作って、日本一になると宣言したあのときと同じ、強い意思と、絶対の自信に満ちた強い眼差し。彼女がこの目をしているとき、それを止められる者なんていない。それを泉美は感覚的に理解してた。


「前例がないなら作るしかないでしょ。わたしたちは、道を切り拓いて進んでいくしかないの。この島で、ラクロスをやるっていうのは、そういうことよ」

「わかった。でも、せめてスガちゃんを通そう。スガちゃんを通さないなら、私は絶対にセナを支持しない」

 眉間を寄せて不満いっぱいの表情のままではあったけれど、星南は「わかった」と返事をする。泉美は大きく安堵のため息をついた。須賀なら、星南の暴走に待ったをかけてくれるかもしれない。


「それで、須賀先生は?」

「予選会の組み合わせ抽選会だからって、パソコンの前に張りついてるわ」

「そ。じゃあ、あとで職員室までいきましょ」


 練習後、着替えを済ませた星南と泉美、美海の三人は職員室の須賀を訪れる。

 須賀は自席のパソコンで、額を抱えながら、何やら小難しい顔をしている。


「先生」

 星南が呼ぶと、我に返ったようにはっと顔をあげて三人を見た。

「おお、どうした三人とも」

「お願いがあってきました。ですが、その前に抽選の結果はどうなりましたか?」

「ああ。さっきすべてのチームの組み合わせが確定したよ」


 そういって須賀は一枚のプリントを差し出す。

 エクセルで作ったらしきマス目の中に、AからDまでの四つのグループがあり、それぞれに三つの学校名が記載されている。


「九州沖縄地区の秋季大会はグループリーグが四つ。リーグ一位の四校で決勝トーナメントだ。決勝トーナメントの優勝、準優勝の二校が、春の全国中学校高等学校女子ラクロス選手権大会に出場できる」


 三人は顔を寄せ合ってその用紙を覗き込んだ。

 遊路高校はAグループ。同じグループには夏の合同合宿で一緒だった沖縄学院大学附属の名もある。

 ちなみに、同じく合同合宿を行った昨年の九州王者、神山学園はBグループ、名護北高校はCグループだ。

「Aグループのもう一校は熊本の五峯高校という学校だ。ここも何度かリーグ戦を勝ち抜いてはいるが、決勝での勝利は一度もない。はっきりいって、Aグループの本命は沖学だろう。まあ、神山学園と別リーグになったのは幸運だったと思うが、仮にウチがリーグを一位通過したとしても、決勝リーグの一回戦で勝負するのは、おそらく神山学園だ」

「問題ありません。要は神山を倒せば、全国に行けるってことですね」

「その前に予選リーグを勝たなきゃダメだけどな。それで、お願いってなんだ」


 星南がリーグ表から視線をあげていう。


「地区予選、そして全国大会に出場するために、校長に予算の無心をしたいと思います」


 あけすけに星南がいう。こうまでストレートにいってくれれば、かえって須賀が止めるだろうと泉美は思った。


「そうか。わかった」


 泉美の淡い期待は、一瞬で音を立てて崩壊した。


「ちょっと、スガちゃん! わかっちゃうの⁉」

「予選が行われる試合会場はほとんどが九州本土だからな。さすがに遠征費を全額保護者負担してもらうわけにもいかんだろうから、俺もどうしようかと思っていたところだ」

「でも!」

「金がかかるのは事実だ。実情を訴えることは悪いことじゃない。予算がとれるかどうかは別にしても、俺たちは本気だということをちゃんと見せなきゃな。で、いつだ? 俺が校長にアポとっておいてやるよ」


 話は驚くほど簡単に終わった。

 須賀が明日の朝に校長にアポイントをとり、昼休みに星南、泉美、美海の三人が部を代表して、校長に陳情することになった。

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