EP.19 邂逅と既視感
「なんすか、この超人メニュー」
「初日はずっと体力強化トレーニングで、二日目からは朝食前にランニング……午前中にみっちり基礎トレ、午後からフォーメーション練習。夕食後はビデオミーティング」
ラクロス部員たちを乗せたボートは、早朝に遊路島を出発し、目的地である沖縄県の名護市にむけて、順調に航行していた。天気も良く、波も穏やかで、心配されていた船酔いする生徒もいなかった。ただ、ミーティングで友美から練習メニューを見せられた部員たちは、げんなりと表情を曇らせた。
「いってたでしょ、遊んでる暇なんてないって。合宿には、昨年の九州沖縄地区優勝校、神山学園以外にも、名護北高校と沖縄学院大学付属高校っていう今注目の成長株が参加するの。はっきりいって、実力じゃウチが一番下なんだから、合宿で少しでも多くのことを吸収しなきゃ」
「他校との試合、もっとやらないんですか?」
練習メニューを見ていた円華がいう。公式ルールでの練習試合は三日目に二試合組まれているだけだ。
「一日に何連戦もできる体力があるならやるけど? まぁ、六人制のゲームは何試合かあるし、ゲーム感は十分に掴めるはず。この先、公式戦ではほとんどが初めて対戦する相手よ。たくさんのバリエーションを経験することが大事だから、一つも無駄にしないように!」
はい、と部員たちが声を揃える。
「ちなみに、最終日はどうするんですか?」
星南が質問する。予定表では、最終日は午前中から空欄になっている。マリーナの出発は午後三時の予定で、半日ほど時間がある。
「もしかして、自由時間とか⁉」
泉美が期待を込めた目で友美を見るが、彼女は薄く笑って「もちろん、ラクロスやるわよ」と、素っ気なく答えた。泉美はつまらなそうに「ちぇ」と、舌を打った。
「その日は特別メニューを考えてる。調整中だから、決まれば発表するわ」
やがて、船内からもはっきりと沖縄本島の沿岸が見えるようになってきた。目的の名護市のマリーナまでは、このまま島の西側をあと一時間ほど南下する必要がある。
泉美たち二年生は朝が早かったためか、ロアデッキのベッドルームで休んでいる。船酔い知らずで元気な英子たち一年生は、二階のフライブリッジでクルージングを楽しんでいるらしい。
「何してるの」
ボート後部のアフトデッキで、ぼんやりと海を眺めていた星南を見つけ、美海は隣に並んだ。
船の後方に八の字に波が立っている。時折はねる波しぶきと、潮風になびく髪が美海の頬をくすぐった。
「昔のことを考えていた」
「青松大付属時代のこと?」
星南は頷く。
「そういえば、どうしてセナは青松大高校のラクロス部を辞めたの?」
「前にもいったけど、わたしは青松大に必要じゃなくなったのよ。青松大にはわたしなんかよりもっと上手な選手がいっぱいいるから」
「でも、少なくてもセナは中学生のときに、上級生に混じってプレイするくらい上手だったのに……」そういった美海は、はっとした表情で星南を見た。「もしかして、人間関係とか?」
「そうかもね」
星南は気を悪くした様子もなく、むしろ少し面白そうに笑みを浮かべる。
「ミウ、合宿ではいろんな学校の人たちが集まるけど、頑張って友達、作りなよ」
「え?」
「わたしと友達になろうなんて稀有な人間なんだから、普通にラクロスやってる人たちとなら、簡単に仲良くなれるわよ」そういいながら美海をちらりと横目で見遣る。「ミウは、変われてるよ。少しずつ」
そういって星南は再び、視線を海の遥か彼方に向けた。水平線の上には、眩しい夏空に濃密な白い雲が高く高く積み上がっていた。
無事マリーナに到着したメンバーは、そこから歩いて十分ほどの距離のところにある宿舎にむかう。さすがに、一流リゾートホテルのような豪華さや贅沢感はないにしても、よく手入れの行き届いたエントランスや広いロビーは、島の民宿とは比べ物にならないほど立派だ。
「この後、全体ガイダンスがあるから、各自練習着に着替えて、一時に二階の大会議室に集合。遅れないようにね」
合宿所は六人一部屋の和室で、今回は二年生六人と一年生五人が分かれて泊まることになった。部屋に入るなり、泉美が鞄から、先日届いたばかりのユニフォームを取り出し、自分の体にあてて、嬉しそうにその場でターンする。
「見て! 新しいユニフォーム!」
「イズミ、着替えるのは練習着よ」
「わかってるわよ。もう、セナには情緒ってもんが足りないのよね」
泉美は呆れてため息をつき、広げたユニフォームをたたみ直す。
「でも、このメッジもユニフォームと同じデザインでかわいいよね」
フォローをするようにメッジを掲げながら美海がいう。メッジは練習着の上に着る、チーム専用のビブスのことだ。ユニフォームと同じデザインの白とライトブルーのメッジには、美海の背番号20番と名前が入っている。
「それに、やっぱり背番号がついてると、自分だけのものって感じで嬉しいし。それよりも、早く着替えていこう。遅れると、またコーチの罰ゲームが待ってるよ」
罰ゲームと聞いて残りの五人もいそいそと着替えを始めた。罰ゲームなんて聞こえはかわいいが、やっていることは本人が手を下さない体罰みたいなものだ。
会議室は三人掛けの長テーブルが、正面のホワイトボードにむかって並べられていて、六十人は座れる広さだった。座席指定はされていなかったが、たいてい同じチーム同士で近くに座っていた。泉美の隣は、椅子取りゲームのように裕子が奪っていたので、美海は前方に陣取った星南の隣に座った。
しばらくすると、他校の練習着をきた女子生徒たちが会場に入ってきて、次々と着席していく。あとから入ってきた生徒は、空席を探し歩いていた。
「隣、いい?」
「あ、はい。どうぞ」
顔をあげると、他校の女子がこっちを見て笑みを浮かべていた。ゆるくウェーブのかかった髪は、肩よりすこし長い。小さな輪郭の中で、丸くて大きな茶色の瞳がひと際目を引いた。
「遊路高校の子よね? あたし、神山学園ラフローレの二年、早乙女あすな。よろしくね」
「私は二年の山栄美海と、こちらはキャプテンの日比井星南です。よろしくお願いします」
自己紹介ついでに、隣の星南も紹介する。星南は一瞬、視線をあすなにむけて目礼をすると、すぐに正面に向き直った。
あすなは椅子を引いて座るなり、小声でたずねた。
「もしかして、春にテニスの九州大会に出てなかった? 友達の応援にいったんだけど、確か入賞してたよね」
「うん。実は今年からラクロスに転向して」
「えー、なんで⁉ もったいなくない?」
「ちょっと事情が複雑ではあるんだけど……まあ、一緒にラクロスをやりたいって思う人たちがいたから、かな。早乙女さんは、ラクロスはどのくらいやってるの?」
「あすなでいいよ。私は高校に入ってからでまだ二年目だけど、神山は小学校からソフトラクロスがあるから、長い人は六年以上やってるよ。キャプテンの遥先輩は小学校四年生からだから、もう九年目」
あすなは我がことのように自慢げに胸を張る。
「すごい。その人、ポジションは?」
「ゴーリーだよ。ミウはポジションどこ?」
「私はアタック」
「ほんと⁉ じゃあ、私と同じだ! 明日からのポジション練習で一緒になるね!」
「うん、よろしくね。あすな」
そんなやりとりをしていると、間もなくして、今回の合宿の主催者でもある神山学園ラクロス部の監督が演台に立ち、合宿についての説明が始まった。
メモを取りながら、ちらりと盗み見るようにあすなの横顔を見る。
すっと通った高い鼻梁と大きな目。その整った顔立ちは、ひいき目なしに見ても、かなりの美少女だ。今までの美海なら、そんな子に対して、自分が釣り合う存在じゃないと勝手に引け目を感じて、近づこうとすらしなかった。相手が話しかけてきてくれたとはいえ、自然と会話ができるのは、ラクロスという共通の話題があるためだろうか。
友達、作りなよ。
星南はそういった。
ラクロスで生まれ変わりたい。そういった美海のことを、彼女なりに気にかけてくれているのだろうか。
そうだね、と心の中で一人相槌を打つ。
ラクロスも友達作りも、どっちも頑張ろう。
決意を込めた目で、美海はまっすぐ正面を見据え、監督の説明を頭に叩き込んだ。
合宿のスタートは、やはりというか、走り込みからのスタートだった。
練習グラウンドは野球場や陸上競技場などが併設されている大きな市営の運動公園内にあって、公園の外周をぐるりと一周するだけでだいたい二キロメートルになる。これを二周する。目標タイムは二十五分以内。
監督のホイッスルで、数十人の選手たちが一斉に走り始める。グラウンドを出て、まずは海側の広い遊歩道を走る。白い砂浜が広がる海岸の景色なんて、嫌というほど見ているのに、場所が違うというだけで不思議と新鮮に映る。遊歩道を道なりに曲がると広い道に出る。歩道だけで島の環状道路ほどの広さがあり、軽いカルチャーショックを受けた。
二周目に入ると、徐々に走る選手間の距離が開いてばらけ始める。神山学園の選手たちは、すでにほとんどが美海のはるか前方を走っていた。
ただ、ペースは悪くない。このまま走れば、目標タイムには十分入れるはず。そう思うと、少し余裕も出てくる。走りながら、美海は周りの景色に目をやる。
どの建物も新しくて、大きくて、島では見たことがないようなものばかりだ。綺麗に手入れされた街路樹や信号機が並ぶ交差点。店の看板はどれも色褪せることなくカラフルで、コンビニエンスストアの看板ですら、美海にとっては目新しく、なんだか楽しくなってくる。
……コンビニ?
思わず美海は走るペースを落として、周囲を見渡す。一周目にはコンビニの看板なんて見かけなかったはず……
「うそ、ここ。どこ?」
周囲の景色に見とれて、曲がる場所を通過してしまったのか。
でも、道沿いに走ってきたはずなんだから、そのまま引き返せば……
振り返ると、道は緩やかにカーブする道と、そのまま直進する道とに分かれている。周りの景色に気をとられて、信号を渡っていたのかどうかも、よく覚えていない。頭の中がすっかり、パニックを起こしていた。
「セナ、イズ……どこ? セナ―ッ! イズーッ!」
大声でチームメイトの名を呼ぶが、応答はなく、国道を行きかう車の騒音に、美海の声は簡単にかき消える。
「ウソでしょ……こんなところで、いきなり迷子とか……」
不安が急速に広がって、美海の胸の中を黒く塗りつぶしていく。
心細い。
でも、それ以上に自分のことが情けなくて泣きそうになる。
美海は思わず両手で顔を覆ってかがみこんだ。
「どうしたの?」
その声に、顔をあげる。
美海のそばに二人の女の子が立っていた。自分と同じ高校生くらいの年恰好で、二人ともラフな運動着姿だ。一人は栗毛色に近い明るい茶髪で、もう一人は、八千代みたいに涼し気な目をした黒髪。二人とも後頭部で一つに髪を縛っていて、手にはコンビニの袋をさげている。
「あの……実はランニング中に道に迷って……そうだ! 運動公園って、どっちかわかりますか!」
「運動公園なら、この道を左に道なりに五百メートルほど行けば、右手に見えてくるよ」
茶髪の子が人懐っこそうな笑顔で道路を指さした。思わず安堵の息がこぼれた。
「近くまで一緒にいこうか?」
黒髪の彼女がきいた。美海は「いえ、多分大丈夫です」と恐縮しながら両手をかざす。
「そうか。ところで君……いや、なんでもない。それじゃあ、気を付けて」
黒髪の彼女はそういうと、美海に手を振って別れた。
「助かりました。ありがとうございます!」
二人の後ろ姿に深くお辞儀をすると、美海は踵を返して走り始めた。
五分ほど走ると、運動公園の入り口に泉美が立っているのが見えた。ほんの数十分、離れていただけなのに、なんだか感動の再会のような気分になる。よく見ると、泉美の隣にはあすなもいた。
「どこ行ってたのよ、ミウ! 一人だけ戻ってこないから、心配したじゃない」
「ごめん、曲がる場所間違えたみたいで……でも、親切な子がいて、戻る道を教えてくれて、助かったの。ホント、一時はどうなるかと思ったぁ」
「よかったね、ミウ。ちゃんとお礼いった?」
「うん」
あすなに頷き返しながら、ふと思う。
あの黒髪の子、どこかで見たことがあるような気がしたけれど、ここに来るのも初めてなのに、顔見知りであるはずがない。雰囲気が八千代ににているからそう思ったのだろうか。
どことなく、心の中に引っかかりを残したまま、走ってグラウンドへ戻った。
戻った美海に友美からグラウンド五周の罰ゲームがいい渡された。
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