Ep.16 ケンポウとファミリー

「遅い!」

「お待たせしてすみません」


 待ち合わせしていた遊路町役場前で、須賀は友美に何度も頭を下げる。

 練習試合の翌日、昼間に律翔大学ラクロス部の後輩たちを見送りに空港まで出向いた後、今回の試合にかかる報告書を作成するために、高校に戻って書類仕事をしていたら、思いのほか時間がかかってしまった。おかげで、友美と練習試合の打ち上げを兼ねて、飲みに行こうと約束していた時間に三十分も遅刻してしまった。

 ペコペコと頭を下げる須賀に、友美は思わずプッと噴き出す。


「冗談よ。それより早くいこう、わたしもうお腹ぺこぺこ」


 怒る仕草を演出するために胸の前で組んでいた腕をほどくと、友美は須賀の右腕に、自分の腕を絡め歩き始める。


 遊路島の青花地区は、島の中心地といえる場所で、車で十分ほど南に行くと大型旅客船が入港できるフェリーふ頭と、遊路空港がある。空路は日に四便、鹿児島行きと奄美大島行き、そして那覇行きが発着する。船は週に二便なので、ほとんどの観光客は空路で来島する。

 しかし、その中心街である青花地区でさえ、多くの建物はいたるところに赤茶色の錆びが浮き、店名が書かれていたであろう看板も、日に焼けて色落ちしている。まるで島全体が老い、活力を失っているような印象がある。

 役場から少し歩くと、いくつかの飲食店や商店、土産物店などが軒を連ねる「青花銀座」がある。銀座という響さえもむなしい、百メートルほどの短い通りだが、ここ以外には小さな店がいくつか点在するだけだなので、飲み屋の選択肢は限られている。

 通りを入ってすぐのところにある「うしゃがり」という暖簾のかかった居酒屋の前で、友美が立ち止まる。


「ここはどう?」

「いや、ここはちょっと……」

 須賀は明らかに困り顔で首を振る。

「何? その慌てようは……怪しいわね。もしかして、出禁?」

「違いますよ! そうじゃなくて、ちょっと友美サンと一緒だと都合が悪いというか」

「何よ、余計に怪しすぎるわ。よし決めた、ここにしよっと」

 そういうと、友美は渋る須賀を無視して暖簾をくぐり、引き戸を開けた。

 店の中から若い女性の声が出迎えた。


「いらっしゃいませー! って、友美さん⁉」

 レジ横でこちらを見て目を丸くしていたのは、ラクロス部の副キャプテン椎名泉美だった。思わず友美も声のトーンをあげた。


「あら、泉美ちゃんじゃない? なに、アルバイト?」

「っていうか、ここ、あたしの実家です。普通にここの二階に住んでますから」

「あー、そうだったんだ!」

「だから俺はやめようと……」

 須賀があからさまに気乗りしない様子でいうと、泉美がつかつかと近寄り、ねめあげる。

「なに、スガちゃん、あたしの酒は飲めないっての?」

「ほら、もう絡まれてるし!」

「うそよ、冗談に決まってるじゃない。あたしだって、恋人同士、二人きりの時間を邪魔するほど野暮じゃないわよ。さあ、どうぞ」


 そういって泉美は、二人を店内の対面の二人席に案内する。


「今日、座敷使ってるから、テーブル席でちょっと狭いけど」

「ううん、気にしないで」

「そういえば、友美さんの歓迎会、まだやってないわよ? どうなってるの、スガちゃん」

「それは、ほら。ちょうど同期の人達が昨日、旅館の宴会場で同窓会をやってくれていたから、まあいいかなって」

「それはそれ。ウチはウチ! よし、今からみんなに声をかけて……」

「思いっきり邪魔してるよ!」

「だから、冗談だっていうのに。そうだ、ちょっと待ってて!」


 そういってカウンターの中に取って返した泉美は、底に穴のあいた小さな陶器の盃と、「島白泉しまはくせん」という、この島唯一の酒造所がつくっている黒糖焼酎の瓶をもって戻ってきた。


「これは?」

 穴の開いた盃を物珍しそうに、店の照明で透かし見て友美がたずねる。

遊路献奉ゆろけんぽうっていう、島に伝わる歓迎の儀式なのよ」

 そういって泉美は穴の開いた盃を須賀に差し出した。

「最初に宴の親を決める。今回だったらスガちゃんが親ね。それで、その盃の底にあいた穴を指で塞ぎながら盃に焼酎を注ぐ」

 泉美は須賀が持っている盃に「島白泉しまはくせん」を注ぐ。

「まず親から一言、自己紹介と歓迎の言葉を述べて、『トートガナシ』っていってから、盃を飲み干す。飲み干していたら、お酒はこぼれない。でも飲まなかったら、穴があるから自分にお酒がかかっちゃうでしょ? だから誤魔化しはできないってわけ。はい、じゃあスガちゃんから一言!」

「え? それじゃあ、友美サン。ようこそ、遊路高校ラクロス部へ。えっと、まだ生まれたばかりの赤ん坊みたいな部活だけど、一緒に頑張っていきましょう」

 トートガナシ、といって須賀は焼酎を一気にあおる。島白泉のアルコール度数は25度。少量でも、飲み干せばかっと喉が熱くなるレベルだ。思わず、「かぁっ」と声がこぼれた。


「で、飲んだら次の人に盃を回して、同じように酒を注いで、今度は注がれた人が同じように一言いってから飲む。これを、集まった人みんなでやるの」


 今度は友美に盃を渡し、泉美は焼酎を注ぐ。


「それじゃあ、一言どうぞ!」

「えっと……私は大学でラクロスをはじめてから、ずっとラクロス続きの人生でした。日本代表にも選ばれて、世界中のラクロッサーたちとも戦って、クラブチームもやって、本当にたくさんの貴重な経験をできたわ。でも年齢的にも、そろそろラクロスはやめて、結婚して子ども産んで普通のお母さんになろうって思ってたのに、どういうわけか、またラクロスを続けることになって……」

 友美は一瞬、考えるように言葉をのんだ。それを見て泉美は、目に微かに不安の色を浮かべる。しかし、友美は彼女をみて柔らかに笑った。


「でもね、東京にいたときは、ずっとラクロス以外の何かに追われていたような気がしていたけど、この島に来てからは解放された気分なの。私、ラクロスも、この島も。もちろん、遊路高校ラクロス部のみんなも、大好きよ! トートガナシ!」

 友美は一口で焼酎を飲み干す。喉の奥で「うぅん」と唸ってから「はぁー」と息をついた。その瞬間、泉美がぎゅっと友美に抱きついた。


「ちょ、泉美ちゃん⁉」

「コーチ……あたし……もっとラクロスが上手くなりたい。他のチームにも、セナにも負けないくらい……もっともっと、上手くなりたい! だから、その……よろしくお願いします!」


 泉美は友美から腕をほどくと、彼女から盃を受け取り、そのまま、もう一度須賀に差し出した。


「で、次はあたしの順番だけど、未成年だからお酒は飲めないので、スガちゃんが代わりに飲む」

「俺かよ!」

「まさか、自分の生徒や恋人に飲ませる気?」

「勘弁してよ……」そういいながら、泉美から盃を受け取りお酌を受ける。

「じゃあ、あたしから一言ね。コーチ、あとスガちゃん。あたしたち、絶対に全国に行こう。で、セナを追い出したっていう青松大高校にも勝って、いってやろう。『あたしたちが、日本一だ』って!」


 泉美の「トートガナシ!」のかけ声で須賀が盃を傾けで、焼酎を喉に流し込んで、さっきより大きな声で「かぁーっ!」と唸った。泉美が小さく拍手を送りながらいった。


「で、この流れを集まった人数分まわす。これが遊路献奉ゆろけんぽう。三人だから、三回。スガちゃんはあと四回飲めるわよ」

「無理だよ!」


 泉美と友美が声を揃えて笑う。ちょうど、そのとき奥の座敷で飲んでいた客から「泉美ちゃーん」と声がかかった。


「じゃあ、ゆっくりしていってね。はいはーい、ただいま伺いまーす!」


 そういいながら泉美は、靴音をならして店の奥にむかう。それを見送りながら須賀がため息をついていった。


「はぁ、だからやめておこうって……」

「何いってるのよ。来てよかったじゃない。私たちも、あの子の決意にこたえてあげなきゃ。じゃなきゃ、この島に来た意味がないもの。昨日の試合も、負けちゃったけど、たくさん収穫もあった。だから、あの子たちの力を、私がちゃんと引き出してあげなきゃ」


 友美は頬杖をつきながら、右手の人差し指を突き出し、須賀のくちびるにそっと触れた。


「私、一気に十一人の娘たちのママになっちゃった。だから、ごめんね。私たちの子どもは当分お預けになっちゃうかもだけど……」

「まったく……俺はいつも君の中では二番手なんだよな。だけど、今回はそれを甘んじて受けるさ。もう、君からもラクロスからも、逃げたりしないから」

「ありがとう。克樹パパ」


 友美はくしゃりと無邪気な笑みをこぼして、克樹の鼻先をちょんと指で押した。

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