Ep.14 夢と夢

 律翔大学OG会との試合が終わり、友美から試合の講評と、須賀の総括を受けた後、部員たちは試合で使った用具類を倉庫になおすため、いったん学校に戻ることになった。

 車に荷物を積み込むと、須賀と友美はひと足先に車で学校にむかった。


「さて、うちらも帰りましょうか」

 佳弥子がそういって先頭に立って歩き出した。試合に負けたことに、部員たちは少なからずショックを受けたみたいで、いつも明るく部員たちを引っ張っていく泉美ですら、表情には疲れと落胆の色があった。

 鎖でも引きずっているかのような足どりで歩き始めた部員たちを待ち構えるかのように、一人の少女が運動広場の門にもたれて立っていた。

 それに気づいた佳弥子が駆け寄った。


「まどっち?」

 呼ばれて顔をあげたのは、円華だった。彼女は笑顔と困惑の中間くらいの微妙な表情で、ちいさく手を振った。


「試合見てたよ。いい試合だった……とはいえない内容だったけど、でも、みんなのパワーみたいなのは感じたよ。とにかく、お疲れ様。今日は、かやっぺにそれを伝えたかっただけなんだ」

 円華が静かにそういうと、佳弥子は口元をほころばせて、うなずいた。

「まどっち。せっかくだし、ラクロス部のみんなに今日の感想とかいってくださいよ!」

「いや、練習試合とはいえ、負けたチームに対して、面識のない部外者があれこれといっても、反感を買ってしまうだけだろ……」

「へーきへーき!」


 佳弥子は円華の腕を掴むと、学校にむかって歩き始めていたラクロス部の一団に大きく手を振って呼びかけた。 


「みんな、注目ー! 遊路島サッカークラブのコーチ補佐、永忠円華さんが、今日の試合についてひとこと感想をくれるそうでーす!」

「ちょっと待て、かやっぺ」


 円華は両手を突き出して、ぶんぶんと首を振る。

 疲れ切った表情の部員たちは、みんな何ごとか、という目をむけていた。そんな中で一人、唇をきゅっと引き結びながら、力強く円華を見据えていた美海が進み出てきて、頭を下げた。


「ぜひ、お願いします、永忠さん。私たちに何が足りないのか、どうすればいいのか。永忠さんなりに、アドバイスがあるなら教えてほしい」


 美海の真剣な面持ちに圧倒され、「じゃあ……」と円華は、慎重に言葉を選ぶように話し始めた。


「最初は相手の動きに翻弄され続けてるっていうか、ただボールを追いかけているって感じだったと思う。でも、1番の選手がゴール前でディフェンス二人振り切ってシュートを決めたことをきっかけに、不思議とそういうぎこちなさがとれたように思う。それに、相手は1番をかなり意識していたから、それを逆手にとって、1番が相手ディフェンスを引きつけてスペースを作って、そのスペースに入った20番にパスを送ったり、11番のスピードを使ったプレイを仕掛けたりと、個々の力が発揮できるプレイが見えるようになった。個人が持つ能力の一つひとつは、たぶん相手チームにもひけをとってない。だから、その個人どうしのつながりがもっと生きてくれば……」


 そこまで一気にしゃべってから、我に返ったように咳ばらいを一つはさんで、「と、そんなところ」と、円華は締めくくる。


「永忠さん、戦術について詳しいのね」

「まどっちは今、サッカー教室でコーチに代わって小学生を教えてるんですよ」

 佳弥子が自慢げにいった。

 コーチといっても所詮は、地域のサッカー教室の、しかも、まだ始めたばかりの小学生の低学年相手に、基礎を教えているだけだ。胸を張れるものでもない。それに、このチームには外部コーチだっている。円華は部員たちが彼女に注目している状況に、途端に場違いなことをしているような気分になった。


「すみません。部外者が偉そうにいって。それじゃあ、ボクはこれで……」

「それだけですか?」

 踵を返した円華に、佳弥子が問いかける。

「まどっちがいいたいことは、それだけですか?」

「だって、門外漢のボクの出る幕じゃないだろ」

「でも、何かいいたいことがあった。だから、うちらを待ってくれていたんじゃないですか?」

「それは……」


 円華はいい淀む。

 いいたいことは、ある。

 だけど、心がゆらゆらと揺れ動いたままで、どうしたいのか自分でもはっきりとわからない。それが、正しい道なのかどうか、まだ自分の中で決めきれていない。 

 そんな円華の迷いを見透かすように、佳弥子はいった。


「うちは、まどっちがサッカー女子日本代表の澤選手に憧れて、サッカーを始めたのを知っています。一途にサッカーに打ち込んで、いつかは澤選手みたいに日本を代表するプレイヤーになりたいっていってたことも、昨日のことみたいに覚えてます。そして、この島の高校生でいる限り、それは叶わない、という現実を知ったときのことも」


 この島には本格的にサッカーができる専用の施設もなければ、指導者もいない。ましてや、サッカースクールも男女混合で中学生までのチームだ。高校にサッカー部はなく、高校に入ればサッカーを続けていく環境さえもなかった。

 だけど、サトウキビ農家を営む円華の家庭事情は決して裕福はなく、サッカーを続けるために、本土の強豪私立高校へ進学したいということを、両親に告げることもできなかった。

 結局、この島の県立高校に通うことを選択したのも、サッカー選手を続けることを諦めたのも、円華が決めたことだ。


「ボクは、サッカーを教えることで、夢を追っている気になっているだけだよ……この島の子どもたちは、みんな、高校生になる前に、選手を続けていられないって気づいてしまう。それをわかっていて、ボクはまだ、サッカーを諦められないでいるんだ」


 力なく笑った円華に、佳弥子はゆっくりと首をふって否定する。


「違いますよ。夢を追いかけることは、皆に平等に与えられた権利です。だから、まどっちが、子どもたちに夢を追いかける手伝いをしていることは、素晴らしいことなんです。島だから、夢を諦めなきゃいけないなんて、そんなバカな話はないんです。まどっちだって、夢を諦めるのはまだ早いって、うちは思ってます」

「でも、ボクにはもう、サッカーを続ける場所すらないんだよ!」

「うちらは、日比井キャプテンが掲げた日本一っていう夢のためにラクロスを始めました。まだ、初心者ばかりのチームだし、馬鹿げた目標だってこともわかっています。サッカーみたいにメジャーな競技でもありませんから、大して注目もされないかもしれないです。でも、ラクロスじゃ、澤選手のようにはなれませんか? 有名になれなければ、価値はありませんか? ラクロスで日本一を目指すのは、小さな夢ですか?」


 こんな小さな離島の小さな高校の運動部が、日本一を目指すなんて、それこそ前代未聞、バカみたいにでっかい夢だ。おまけにほとんどが初心者なんて、無謀にもほどがある。

 でも……

 今日の試合で見た1番の彼女の驚異的なプレーは、円華の心を激しく揺さぶり、そして佳弥子のまっすぐな言葉は、行先を決めあぐねて揺蕩う円華の心を、頼もしく支えて導いてくれる。


「まどっち、もう一度、夢を見たくないですか?」


 いつかは澤選手のようになるんだと、必死にボールを追いかけていたあの頃の気持ち。心の奥底にしまい込んで、なかったことにしようとしていた感情が、ふつふつと小さな泡をあげて湧き上がってくる。それは彼女の胸を激しく打ち鳴らし、声となって解き放たれる。


「ボクは、サッカー選手の夢を諦めてしまったけど、やっぱり、まだ選手であることを諦めたくない! だから、ボクをラクロス部に入部させてください! みんなと一緒に日本一の夢、掴み取りたいんだ!」

「……よくできました」


 佳弥子はゆっくりと円華に近づき、頭をぽんぽんと優しく叩く。


「そういうわけで、いいですよね。キャプテン」

「もちろんよ。みんなも異存はないわね」


 星南の問いに、部員たちは拍手でこたえ、円華の入部を歓迎する。円華は思わず、潤んだ目の縁を拭い、佳弥子に「どうして、みんなの前でこんなことさせるんだよ」と照れ隠しの抗議をする。

 佳弥子はけらけらと笑っていった。


「だって、そのほうが、まどっちが被っている良い子のを、剥ぎやすかったんですよ」

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