Ep.13 オールドガールとビギナー

 五月最終週の土曜日。

 佳弥子との約束どおり、円華はサザンクロス運動公園までやってきていた。

 週のはじめに梅雨入りした遊路島は、この日も朝からじめじめとしていて、日差しは薄い灰色の雲に遮られている。天気予報では夕方から晴れるといっていたが、それもあやしい。

 サザンクロス運動公園は高校の北側にあって、観客席やナイター設備も用意されている、島唯一のスポーツ施設だ。円華が教えているサッカー教室も、平日の夕方や日曜日の午前中に、ここで開催されている。ただし、コートは芝生が張られておらず土のままだ。

 駐輪場には、すでに結構な数の自転車があり、駐車場も半分ほどが埋まっている。

 部活の練習試合の割には、随分観客が多いなと思いつつ、円華は屋外コートの観客席に向かった。コート内では、すでにラクロス部が、試合前のアップをしていた。


「かやっぺ!」

 スタンドから手をふると、気づいた佳弥子が持っていたクロスを頭上で大きく振った。

 部員は全部で十名。数学教諭の須賀がいるところを見ると、彼が顧問だろう。

 パス練習をしている彼女たちの横に、学校では見慣れない女性が一人いて、いろいろとアドバイスをしている。遠目に見ても、かなり整った顔立ちをしているのがわかる。

 思わず「へぇ」と息をつく。こんな離島の部活に外部コーチが入るとは珍しい。


 センターラインの向こう側では、揃いのユニフォーム姿の女性が十数人いて、同じようにアップをしている。白をベースにしたユニフォームの胸と背中には大きく「RISSHO University」とプリントされている。

「大学生か?」

 スタンドからはっきりとは見えないが、大学生の割には大人っぽく……正直な感想をいえば、おばさんっぽくみえる。とはいえ、練習で見せるプレイは佳弥子たちに比べて洗練されている印象はあった。

 試合開始時間が近づくにつれ、少しずつ観客が増え始め、その数はざっと数えただけで百人ほどになった。サッカー教室の練習試合でもあまり見ない数だ。


「午後一時から、遊路高校女子ラクロス部と、律翔大学女子ラクロス部ウィステリアスOG会との練習試合を行います。本日の練習試合は、島の皆さんにもラクロスを楽しんでいただけるよう、律翔大学ラクロス部OGによる、解説を交えてご覧いただきます」


 スピーカーから、女性の声で試合開始を告げるアナウンスが聞こえてきた。大学生にしては、歳がいっていると思ったが、なるほど、卒業生だったらしい。それにしても、解説を入れるなんて、たかが練習試合にずいぶんと手が込んでいる。


 やがて両チームの選手たちが、スタンド前のサイドラインに整列する。遊路高校のラクロス部は、ユニフォームではなく、揃いの水色のTシャツにナンバービブス、下は黒のハーフパンツだ。一方の律翔大学OG会は、サッカー風のユニフォームで、下は太ももまでの短いスカートと、見た目には可愛らしいユニフォームだ。年齢のことを考えなければ、だが。

 アナウンスが両チームのメンバーを紹介していく。佳弥子は15番ミディとして紹介された。


 選手紹介のあと、簡単な競技のルール説明があった。

 ラクロスというのは、選手が持っているクロスという道具を使って、ゴールにボールをシュートして得点を競う競技で、イメージ的にはサッカーとホッケーの中間といった感じだ。


 やがて、それぞれのチームから一人ずつ選手が出てきて、センターサークル内でむかい合って立った。遊路高校からは背番号1番をつけたショートカットの選手だ。

 二人は手にしたクロスの先端どうしを重ね合わせている。それ以外の選手は各々、フィールドに散っているが、数人はセンターサークルの周囲で中央の二人の選手のほうをむいて立っていた。

 審判がピィッ! とホイッスルを吹くと同時に、サークル内の二人の選手の間から、オレンジ色のボールが空中に弾け飛んだ。 


「試合はドローというプレイで開始します。両チームの選手がクロス背面で挟み合ったボールを弾き飛ばし、それをキャッチしたチームが攻撃します」


 ボールはサークル外に落ち、律翔OGの23番が掬い取った。その瞬間、白色のユニフォームの選手たちが、なだれを打ったように遊路ゴールにむけて駆け上がる。クロスを構えた佳弥子が進路に立ちふさがり、23番は走るペースを落とす。

 突破を図ろうと、左に身体を振った23番に佳弥子が反応したその直後、23番は足を踏み出し急制動をかけ、右に切り返して佳弥子を抜き去った。

 しかし、二人が駆け引きをしている間に、さっきドローをした遊路高校1番が追い付き、23番が持っているクロスを、自分のクロスで叩いた。

 23番はたまらず、近くの味方にパスをだす。受け取ったのは15番で、彼女はボールをキープしたまま、ゴール裏まで走っていく。


「ラクロスでは、ゴール裏のスペースを使ってのプレーも可能です」


 サッカーはエンドラインとゴールラインが同一線上だが、ラクロスはエンドラインよりも内側にゴールが設置されているらしい。

 遊路ゴールを守っているのはフルフェイスのヘルメットをかぶった小柄な選手だ。ゴールの周辺は小さな丸で囲われていて、ゴールキーパーはその中に立っている。さらに、ゴールからコートの中心にむけて、扇形にラインが引かれている。どうやら、あのゴール前の扇部分は、サッカーでいうペナルティエリアに相当するものらしい。

 律翔OGたちは、その扇形の周りにいる選手でパスを送りあい、シュートのチャンスをうかがっている。

 やがて、一人がディフェンスの隙をついて扇部分に走り込み、彼女にパスが通る。彼女はゴールにむかって走りながら、シュートを放ったが、ゴールキーパーがシュートボールをクロスでキャッチする。他の選手が持っているクロスよりも、一回り大きくて、魚捕りの網みたいだ。


「あの子、小柄なのにいい動きをしてるな」


 思わずそんな独り言が口をつく。相手がシュートを打ってから反応するというよりも、相手のシュートを予測して動いているような感じだ。

 ゴールのサイズはだいたい1.8メートルくらいの正方形。当然、大柄な選手のほうが、シュートできるエリアが狭くなるので有利なはずだが、彼女がゴールを任されるのもなんとなく理解できる。


 攻守逆転し、今度は遊路高校の選手たちが一斉に相手ゴールを目指して駆け上る。ゴールキーパーからのパスが、8番に渡り、さらにそこから1番に繋がる。

 その1番にボールが渡った瞬間、円華は目を瞠った。

 ボールを受け取った瞬間から、トップスピードでフィールドのど真ん中を、疾風の如く駆け上がっていく。彼女を止めようと進路に立ちふさがったディフェンスの手前で、一瞬右にステップしたかと思えば、素早く反転して相手をかわし、さらに詰め寄ったもう一人も鮮やかに抜き去った。

 そのスピードとフットワークは、伝説の五人抜きを見せたサッカー界のレジェンド、マラドーナを彷彿とさせる、異次元のプレイだった。

 相手チームもついには三人がかりで彼女を抑えにかかり、一人が彼女のクロスからボールを叩き落として、奪取。そのまま、前線に控えていた選手へロングパスを送った。

 さすがにあのゴールキーパーもフリーの選手のシュートは防ぎきれず、遊路高校は早々に失点してしまった。


 得点後、選手たちは再び各々のポジションにつく。試合開始時と同じように、センターサークル内で選手がむかい合い、ドローになる。


「ラクロスでは、得点後はドローで試合が再開されます」


 フィールド競技では、失点したチームにボールが与えられるのが一般的だが、ラクロスは毎回ドローにより試合が再開するということらしい。

 真上に高く上がったボールを、遊路の1番がジャンプして自ら捕った。しかし、すぐに相手の選手が二人、がっちりとマークにつく。最初から、1番を自由にさせないように、集中的にマークをつけている。

 このマークではさすがに、さっきのようなランはできない。

 ボールを12番にパスし、12番が律翔ゴールに駆け上がっていく。スピードはさっきの1番の足元にも及ばない。おまけに、相手に進路をふさがれると、足を止めてしまう。

 ボールは12番から13番、そして20番へと繋がれる。20番の選手はゴール裏に回り込んだ。

 1番には二人がかりでマークがついていて、パスを出すのは難しそうだ。

 フィールドを見ていてふと気づく。

 攻め込まれているはずの律翔の選手は、三人ほどがセンターライン付近にいて、ゴール前まで戻ってきていない。攻撃側の選手も同様に、何人かがフィールドに引かれたラインより自陣側に残ったままだ。

 すると、その疑問に答えるようにアナウンスが解説をいれてくれた。


「ラクロスでは、オフサイドのルールがあり、攻撃側の選手はフィールドに引かれたリストレイニングラインを越えて、相手陣内に六名以上入るとファウルとなります。一方、守備側の選手は、自陣の外に三名以上選手を残さなければ同じくファウルとなります」


 どうやらゴール前に人が集中しないようにするためのルールらしい。

 やがて、1番の選手が強引にマークを振り切って、ディフェンスの前に出た。

 その瞬間を狙って20番がパスを送る。

 1番はディフェンスを引き連れたまま、かなり強引な態勢でシュートを打った。しかし、ボールはゴールの枠を右に外れ、エンドラインにむかって転がってゆく。

 次の瞬間、二人の選手がボールめがけて勢いよく走り出した。

 とんでもないスピードでボールを追ったのは、遊路高校の11番をつけたツインのお団子ヘアの選手だ。ボールがフィールド外に出た瞬間、笛が鳴り、彼女にボールが渡される。


「ラクロスでは、シュートしたボールがゴールをはずれてフィールド外に出た場合、ボールの近くにいた選手に獲得権が与えられます。シュート後にボールを追いかけて走ることを、チェイスと呼んでいます」


 サッカーなら、エンドラインを割った場合、最後に触れた選手の相手チームのボールになるが、ラクロスでは違うらしい。このルールなら、シュートを外しても、チェイスを獲得すれば、何度でも攻撃が継続できることになる。

 ドローといい、チェイスといい、このラクロスというゲームは、いかにボールを保持ポゼッションし続けることができるかが、戦術の要となっていそうだ。


 ボールを受け取った11番は、エンドラインの数メートル内側から、ボールをパスする。しかし、12番へのパスは、素早く反応した相手選手にパスカットされてしまった。

 

 ああー、と観客席に盛大なため息がこぼれた。

 見れば、さっきよりも多くの観客がゲームを観戦していた。

 この島ではスポーツ観戦をする機会はほとんどない。せいぜい、地元の草野球チームが対戦するくらいだ。もの珍しさもあって、観戦にきた住民が相当数いるらしい。

 次第に、観客たちはゲームにのめり込んでいき、いつの間にやらボールや選手の動きに合わせて、歓声を上げるようになっていた。

 そして、円華もまた、初めて見るこの競技に、どういうわけか胸の奥が熱くなってくるのを感じていた。


 その円華の視線をとらえて離さなかったのは、遊路高校の背番号1番だった。

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