Ep.12 スパルタとサッカー

「えー、そういうわけで本日から女子ラクロス部のコーチを引き受けてくれることになった、小山内友美さんです」

「小山内です。よろしくお願いします」

 第二グラウンドに集まった部員たちから拍手がおこる。

 小山内は、すれ違えば思わず目で追ってしまいそうな美人だった。つんと上がった勝気な目許が印象的で、手足も長くジャージを着ていてもわかるほどスタイルがいい。これが、あの須賀の婚約者だとはにわかに信じがたい。


「知っている人もいるだろうけれど、彼女は元ラクロス日本代表でミディとして活躍した選手だ。当然、練習内容もそれなりにハードになるけれど……」

「問題ありません」

 間髪を入れずに星南が答えた。

「じゃあ早速、小山内コーチ。よろしくお願いします」

 コーチ紹介の役目を終えた須賀が一歩後ろに下がる。

 友美は口元にうすい笑みを浮かべたまま、部員たちを一瞥していった。


「では、まず最初に連絡事項。来週土曜日、サザンクロス運動公園で午後一時から、練習試合を行います」

「練習試合?」「いりなり?」「相手は?」

 ざわつく部員たちに、友美は表情を崩さないままいった。

「はい、静かに。小学生の子どもじゃないんだから、質問があるなら挙手する、わかった? とにかく、いきなり練習試合? って思うかもしれないけれど、ラクロスに限らずスポーツに大切なのは経験。基礎練習ももちろん大切だけど、それだけだと上達しないわ。女子ラクロスはスピーディーな展開に対応できる状況判断能力が求められるチームスポーツよ。そして、こういう再現性の低いスポーツで、様々な状況に瞬時に対応できる経験を積むためには、試合形式が一番なの。そこで自分たちの力を客観的に測り、課題を見つけるってわけ」

 泉美が挙手をする。

「それで、こんなところまで練習試合に来てくれる相手というのは?」

「律翔大学女子ラクロス部OG、私の同期です。ちなみに、律翔大学は関東学生リーグではチャンピオンの常連校よ」

「どうしてそんな人たちがこの島に……」

「ちょうど同窓会をやろうという話になっていたんだけどね。たまたま、私が遊路島の高校でコーチを引き受けたっていう話をしていたら、せっかくだから、みんなこっちに来たいっていうから。ほら、この島って、いちおう南国リゾートじゃない?」

 思いのほか、動機が軽い。

「そういうわけで、来週の練習試合にむけて、いろいろとメニューを考えているから、そのつもりでね。何か質問は?」

「はーい、ひとついいですか?」手を挙げたのは裕子だった。「アタシたち、日本一が目標なんですけど、それって可能だと思いますか?」


 この質問は星南に対して、裕子が間接的に揶揄したのだろう。実際、裕子を含め、星南の掲げた日本一という目標に対しては懐疑的な意見が多い。元全日本代表選手である友美が一言、「不可能だ」といえば、それはすなわち、星南の否定となる。

 しかし、友美はその「日本一」という言葉を嘲ることなく、涼やかな表情のままはっきりといった。


「可能よ」

 にわかに部員たちがざわめいた。

「もちろん無為無策で、同じ練習をただ繰り返しているだけじゃ、全国なんて果てしなく遠い。でも、全国覇者の青松大高校だって、あなたたちと同じ女子高生。『強敵』だけれど『無敵』じゃない。青松大高校にできるということは、あなたたちにもできる可能性がある、そうじゃない?」

「でも、アタシたち、ただの素人集団ですよ?」

「たしかにほとんどが初心者だけど、このチームには日比井さんがいるわ。高校生選手の数年程度の差なら、フィジカルと戦術タクティクスで埋めることは十分可能よ。だから、全国を目指すなら、まずフィジカルをしっかり鍛える事。実践に必要な戦術は、私がみんなに指導します。じゃあ、手始めにランニングから」

 友美が手を叩くと同時に、部員たちがぞろぞろといつものランニングコースに出ていこうとする。そのとき、思い出したように友美がいった。

「ああ、それとランニングはクロスでボールキープしながらやること、いいわね!」


 第二グラウンドに友美の厳しい声が何度も飛ぶ。

「ボールキープしたら瞬時にコース確認! パスかドライブか判断して」「簡単にディフェンスの間合いに入らない!」「ドライブは体のそばでクレードルが基本!」「ディフェンスは顔付近へのチェックは禁止! 即刻ファウル取られるわよ!」

 ランニングのあと、ステップ、パス&キャッチ、グラウンドボール、シュートと立て続けに基本動作の練習をしたあと、1オン1形式の練習に移る。

 主にオフェンスがボールをキープしながら、ディフェンスを突破する練習だが、ディフェンス側も相手に隙があれば、チェックして落球ボールダウンをさせる。


「次、日比井さん!」

 呼ばれた星南がクロスを構える。星南から少し離れた場所で、佳弥子はディフェンスについた。ローテーションは、パスを出した選手が、次にオフェンスに入り、1オン1からシュートまでしたあと、ディフェンスにつくことになっている。

 ちなみに、楓はローテーションには加わらず、ゴーリーとしてゴールを守っている。楓をゴーリーに推したのは星南だ。実際に、彼女の反応速度は部員でも群を抜いているし、何よりも、自分にめがけて打ち込まれるボールにも、一切恐れることがなかったのだ。

 パスを受け取った星南は、一気にトップスピードまで加速し、佳弥子のスペースに走り込んでくる。


「ディフェンスはポジショニングとフットワークよ!」友美が声を張り上げる。


 クロスを体の前に構え、星南とゴールの間にポジションをとる。

 目の前で星南が右足を踏み込んだ。突破を阻もうと、素早く自分も右にステップする。しかし、星南は踏み込んだ右足を軸にして、クロスを抱き込むように背中向きにターンし、佳弥子の左側から抜き去る。ロールダッジという相手をかわすテクニックだ。


「そう何度も抜かれてられません!」


 ステップした足を踏み込み、星南に必死に食らいつくも、彼女のドライブのスピートについていくのがやっと。追いついたと思ったら、また一瞬で星南が視界から消え、気づいたときにはゴールを決められてしまっていた。

 佳弥子は肩で息をしながら、星南を見る。ローテーションでディフェンスについた星南は、攻め込んでくる泉美をゴール前の11メートル扇内せんないに進入させず、泉美が苦し紛れに放ったシュートはあっさりとゴーリーの楓にキャッチされてしまった。

 息が上がっている佳弥子と違って、星南は息一つ乱すことなく平然としている。


「バケモノ、ですかね。あの先輩……」


 佳弥子はそれなりにスポーツが得意だと自負があったが、それでも星南にはまるで歯が立たなかった。たしかに、あの人がいるなら全国を目指すこともできるかもしれない。

 でも……

 フィールドでは泉美が裕子の攻撃を防いでいる。なぜかチェックされ、落球した裕子のほうが「さすがイズ先輩」と喜んでいた。



 学校にはナイター照明がないため、日が落ちるとグラウンドは使えないので、日没までに練習は強制的に終了になる。


「本日の練習は以上です」

 友美がいうと、お疲れさまでした、と部員たちが声を揃える。

「皆さんにお願いですが、来週の練習試合に、家族や友達、あとは近所の人とか、なるべく多くの人に見に来てもらってほしいの」

「どうしてですか?」佳弥子が質問する。

「ラクロスは知名度の高くないマイナースポーツだけど、実際に試合を見ればきっとその魅力に気づいてもらえると思う。ファンを増やしていくことは、この先、必ずあなた達にとってもプラスになるはずだから」

 はい! と部員が声を揃えて返事をする。

「ありがとうございました!」


 佳弥子は着替えを済ませると、部員たちと別れて北に向けて自転車を走らせていた。小山内コーチの練習は、初日にして、佳弥子のスタミナをすっかり奪ってしまった。

 佳弥子が住む島の北側にある那勝なかち地区は何もないこの島内にあって、一際見どころがない場所だ。青花地区のような観光客向けの飲食店や商店があるでもなく、海岸も岩場ばかりで新村地区のような白砂のロングビーチもない。島の北側なので南十字星だって見えない。周囲は見渡す限りサトウキビ畑だし、親戚の家でもない限り、隣家とは百メートルは離れている。これがオープンワールド系のゲームフィールドなら、たぶん三日で飽きる。

 最後まで練習していたのがラクロス部だったので、下校する生徒の影もない。

 佳弥子はほとんど心を無にして、ペダルを漕いでいた。それでも、高校に入って通学時間は半分になっただけましだった。中学校は高校よりさらに南にあったので、毎日、島を縦断していたのだ。

 自宅まで半分ほどの距離を来たところで、緩やかな登りになる。もはや搾りかすになったスタミナを絞り切ってペダルを踏み、坂を上り切ると、交差点の左側から走ってきた二台の自転車が佳弥子のすぐ隣でブレーキ音を鳴らしてとまった。


「あれ、かやっぺ?」

「おおー、まどっちでしたか」

 出会ったのは、同じ集落に住むクラスメイトの永忠えいちゅう円華まどかだった。一緒に自転車に乗っていたのは彼女の弟で、二人ともサッカーのユニフォームのようなシャツに、ジャージー素材のハーフパンツ姿だ。

「もしかして、サッカー教室ですか?」

「弟の付き添いも兼ねてな」

 円華は小学生の弟の頭にぽんと手のひらを乗せる。弟は恥ずかしそうに首をすくめた。

 三人は並んで走り始めた。本土なら自転車の並走はダメ、と怒られるところだが、この島では交通ルールもあってないようなものだ。信号だって、青花地区に一か所しかない。


「かやっぺは今帰るところか? 随分と遅かったんだな」

「うん。新しくできたラクロス部に入ったんだけど、そこがまた思いのほか、スパルタでして」

「かやっぺは素地があるのにマイペースだからな。多少スパルタくらいのほうがいいんじゃないか?」

 円華は笑う。名前こそ可愛らしい響きだが、髪型はベリーショートのウルフカットで、服装もボーイッシュなものを好むため、佳弥子と二人でいると、いつも円華が男の子だと間違われていた。

 佳弥子も円華も、去年までは島に唯一あるサッカー教室に通っていた。男女混合でチームを作っており、ときどき島外の大会などにも出場していたが、教室の参加対象が中学生までだったことと、高校にはサッカークラブがなかったために、佳弥子は高校入学を機にサッカーを辞め、バスケットボール部に転向していた。



 しかし、円華は学校では部活動はせず、今は週に一回行われているサッカー教室の手伝いに行っている。


「それで、やってみてどう? ラクロス」

「そうですねぇ……今はまだ始めたばかりで、面白いかときかれるとわからないですけど、案外、サッカーに通じるものはあるかもですよ」

「そうなのか?」

「例えば、コートの広さはサッカーとほぼ同じです。キーパーが守るゴールにシュートして得点するのも同じですね。一つのボールをパスでつないだり、1対1で突破する、というところも似ています。試合時間はサッカーが45分ハーフなのに対し、ラクロスが15分クオーターっていうことろは違いますけどね」

 佳弥子はドロー、チェイス、オフサイド、選手交代など、ここ最近で覚えたルールを、サッカーと比較して説明する。


「なるほど、たしかに似てる部分はあるけど、サッカーとはまるで別モノだな。でも、バスケットボールよりはサッカー経験が活かせるんじゃないのか?」

「そうだといいんですけどね。なんせ、ウチにはバケモノがいてますからね。ラクロスモンスター」

 略してラクモン。佳弥子はけらけらと笑う。

「そうだ。来週の土曜日にラクロス部の練習試合が運動公園であるんですよ。良かったら見に来ません? 動くラクモンを見たら、なぜモンスターなのか、わかると思いますので」


 ほんの少し考えて、円華は「そうだな」とうなずいた。

「バスケ部の大会の応援には行けなかったしな。かやっぺの応援をしに行くよ」

「ありがとです!」


 佳弥子は円華と来週末の試合の応援を約束して別れた。

 さて、あのラクロスモンスターが試合でどんな結果を見せてくれるのか……想像しながら、佳弥子は口元をニヤリと持ち上げて一人笑った。


「絶対にその化けの皮、剥いでやりますよ」

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